<今回のログ(足跡)>
●歩いた日:2024年1月20日(土)
●歩いた所
・豊 受:観音堂、川端街道下、治内野、上八丁堀、喜内野、下野、中野
●歩いた位置
●歩いたログ(足跡)(道のり6.2km)
(以上の地図:国土地理院)
この冬は1月(2024年)になっても厳しい寒さが訪れることはほとんどなく、非常に雪が少ない状態になっております。雪が少なくて生活するにはありがたいのですが、小正月の行事やウインタースポーツの開催に支障をきたしている状況です。ほどほどに雪が降ってほしい、というのが雪国に住む皆の気持ちのようです。
さて、最近の「仙北平野」歩きのブログは、「旧中仙町」と「旧太田町」を流れている「斉内川」沿いの南側の地域を歩いた記事が続いておりますが、前回歩いた「旧太田町斉内」地区の北側はまだ歩いておりませんでした。
そこで、1月にしては珍しく青空が広がった20日(土)に、「斉内川」沿いではありますが、久しぶりに川の北側、「旧中仙町豊川」に出かけました。歩いたところは、明治の立村・合併(M22年)前は「豊受村」といわれたところです。
それでは本文に入ります。
「県道11号」(「角館-六郷線」)が「斉内川」を渡る「斉内川橋」を目指して車を走らせる。南側から橋を越えてすぐのところに、以前に歩いて通ったことがある十字路がある。その十字路を左(西)に折れた角の脇に、幸い、除雪されたかなり広いスペースがある。その片隅に車を停めてスタート。十字路の角で南(「斉内川橋」)の方にカメラを向ける。
(「斉内川橋」)の北詰にて)
北から「斉内川橋」を望んだ写真。県道の右脇に、「この先通り抜けできません」の看板が立つ。この部分は、今の「斉内川橋」が架け替えられる前の県道が通っていたところ。上流側(写真で左側)に新しい橋が架け替えられたことから、県道は川のところで上流側に膨らんでいる。
右端の手すりの右奥が車を停めた空き地。
同じ場所から東にカメラを向ける。
(「斉内川橋」)の北詰から東を望む)
一面に広がる田んぼの向こうに「東山」。中央右寄りのピークが「小滝山」、その左奥が「白岩岳」。
「東山」の下に大きな森のように高い杉木立が連なる。この地に田んぼが拓かれる前の原風景が残っているように見える。
「県道11号」を北に少しだけ進んだところで行く手を望む。
(「斉内川橋」)の北詰から北を望む)
県道の右(東)側一帯は「観音堂」、左(西)側一帯は「上八丁堀」である。が、写真に写る右側の家々が建つ狭い一角だけが「治内野」、左側の家々が建つ狭い一角だけが「川端街道下」である。「川端街道下」は文字通りでわかりやすい地名であるが、「治内野」は、「地名へのいざない」には「寺内(テラウチ)」の意味か、「寺屋敷」の一部の野原か、はっきりしない、とある。
県道右手奥に連なる木立は「水神社」の参道である。
(②に続く)
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