●歩いた日:2018年4月21日(土)
●歩いたところ
・六郷(六郷):南谷地、田岡、古舘、小安門、往還南、八百刈、大町、本道町、古屋敷、宝門清水
●歩いたログ(足跡)(道のり5.9km)
(以上の地図:国土地理院)
「田岡・南谷地」の集落が近くなったところで北に折れて、カントリーの前を東西に走る広い道に出る。
📷016:「南谷地」を望む
写真に写る家々は「南谷地」である。この日は薄い雲がかかっているが、そのためにかえって春らしい穏やかさを感じさせる。ビニールハウスの中では、もう稲の苗が元気よく芽を出しているだろうか。
道奥に青い道路標識のある辺りが、車を止めてある広域農道との交差点である。道を渡り返して歩道を歩き始めた時、高校の自転車部と思われる人たちが、颯爽と走り過ぎて行った。
最後にまた航空写真をご覧いただく。S51年の写真から。
田んぼの区画整理が終わっており、道も現在とほとんど同じであるが、「側清水」の西側に黄色で引いた現在の道はまだ通っていない。「六郷城本丸跡」の南側に畑と思われる緑っぽいところが広がっている。本丸に近い城跡部分は田んぼにすることなく残されたのだろうか。
今回は立ち寄らないでしまったが、ログ地図にも小さな沼のように青く描かれた清水が写る。S23年の写真にもはっきりと写っているので示してみた。
その清水の西、「永泉寺」脇からまっすぐ北に延びる道沿いに、やや濃い色合いの中に白っぽい点々の写る田んぼがある。ここは📷012で一本の木が生え水仙が咲いていた畑状態の場所で、「社とか墓地があった場所だろうか」と書いたが、この写真からはそうではないことがわかる。
S23年の写真である。
西(左)から延びる「羽州街道」は「側清水」の脇を通って「六郷」の街中に通じている。写真には街のほんの一部しか写っていないが、家々が密集している様子からは、当時の街は「大曲」よりも大きかったと思われる。清水の恩恵だろうか。
「神宮寺」や「花館」の「羽州街道」の写真を見た時もそうであったが、よく見ると、街道沿いの所々に並木のように木が並んでおり、「一里塚」の槻木もはっきり写っている。
「六郷城本丸跡」の回りが黒っぽくなっており、この部分が城跡の範囲のようにも見える。「田岡」方面から「六郷」の街に至る道は、現在、「本丸跡」の南側を走っているが、写真に「昔の道」と記したように、当時は北側を大きく迂回して通っていたことがわかる。
なお、「諏訪神社」の南側に、「竹うち」会場の「カマクラ畑」が見える。
S51年の写真に示した清水、また、田んぼ中にぽつんと建つ「田岡神社」も確認できる。
(終わり)
●ブログに掲載したログの累計(累計の道のり:314.5km)
次回からは、「旧中仙町清水」を歩いた記事を掲載する予定です。
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