ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧太田町横沢を往く-4⑧

2025年01月01日 | 旧太田町を往く

<歩いたところ(部分)のS51年の航空写真>

●歩いた日:2024年9月25日(水)

●歩いた所

 ・三本扇:儘下川原、宮内、高野、古屋敷、堤、杉向、上立石、野沢、小柳、一本木、狐柳、高花、上川原、篠沢、今宿、三本柳

 ・本堂城回:吉清水、川口道北 ※「本堂城回」は「旧千畑町千屋」に属す。


●歩いたログ(足跡)(道のり7.2km)

(以上の地図:国土地理院地図に加筆)

<再掲:H28年の航空写真(歩いたところの南西部分)>

 (H28年の)航空写真に戻る。上段に「宮内神社」の社殿、社殿から南に延びる参道がはっきりと写っている。ところが、市の文化財とされている二本の「銀杏」の木が見当たらない。そこで参道付近を拡大してみる。

 参道上の鳥居と参道沿いの石柱は確認できる。そして、参道の両脇、「銀杏」の木が茂る場所と思われるところに棒状の影(赤の➡のところ)が見える。推測するに、枝払いされた直後の「銀杏」の姿ではないだろうか。

 そこで、もう一度、鳥居前で撮った写真を見てみる。

 「仙北平野」でもあちこちで「銀杏」の大木を見かけるが、樹齢230年程の「銀杏」にしては樹高が低い。枝の張り出しも小さく、刈りこまれた木のように見える。やはり、H28年頃、枝払いをしたようだ。

 次にH28年の、歩いたところの北東部分の写真。


 
 右下、少し見づらいが、「県道11号」沿いに「壱本杉の大シャガチ(サイカチ)」を確認できる。また、右上、県道から南西に延びる道の角に見える木立が、道祖神の面を祀った祠と「三本扇サイサイ」の標柱が立っていたところ。

 同じく右上、「真昼川橋」下流の土手に桜の木が連なっている。「中里橋」下流の「川口川」に頭首工がはっきりと写る。その頭首工から下流の川筋が西から南西へ緩くカーブしていることに留意しておいてほしい。

 中央やや右下寄り、📸015に写る、「狐柳」の大きな木立が見える。この写真を見てもひと際大きな木であることがわかる。

 次にS51年の写真で、これも南西部分から。


 
 下段左寄り、墓地と思われる一画は確認できるが、現在「今宿会館」や広場があるところには木立が茂っている。

 その墓地の東側、「⇓」で指した線に注目いただきたい。この線は、「県道11号」寄りの一部を除いて水路と思われるが、この水路が現在の「大仙市(旧太田町)」と「美郷町(旧千畑町」の境界と一致するようだ。ここの田んぼを整備するに当たっては、境界をまたいで大きな区画の田んぼを作ったようだ。整備後に境界を変更するのは、なかなか関係者の同意が得られなかったかもしれない。

 右上寄り、「一本木」の「大シャガチ」、「狐柳」の大きな木立を確認できる。

 S51年の写真でも「宮内神社」に着目してみよう。

 参道も含めて境内は木立に覆われているが、社殿の白い屋根が見える。これも拡大してみる。

 木立の間にのぞく鳥居を確認できる。その鳥居と社殿の間に、やや薄い緑の大きな木が二本見える(赤い➡)。これが「銀杏」の木だろう。今回、鳥居前から撮った写真の「銀杏」と比べて見ると、この写真の「銀杏」の木の枝ぶりが明らかに大きい。枝払いされる前の「銀杏」の姿である。

(⑨に続く)


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