●歩いた日:2017年6月15日(木)
●歩いた所:宝門清水、田中、上高畑、古四王際、北村、小貫、前村、開谷地、北田、桜田、西根百年
●歩いたログ(道のり:7.5km)
(以上の地図:国土地理院)
「古四王神社」の脇を通り過ぎ、振り返ってもう一度カメラに収める。
📷004:「古四王神社」2
本殿後ろには「ケヤキ(欅)」と思われる大木が聳えている。その下の大きな看板がある。看板は何度か建て替えられたであろうが、高校に通学していた汽車の窓から眺められたことを思い起こす。
さらに進むと「奥羽本線」の踏切に至る。その傍に大きな石碑が建つ。それを読むと、この辺はかつて水不足に悩まされ(「東山」から流れ下る川の最下流部に位置するため、容易に水が届かなかったことであろう)、当初は大きなポンプで「雄物川」から取水して潅水していたが、その後「玉川」から取水(「田沢疎水」のことであろう)した水に切り替えたことにより、水不足が解消した、とある。
踏切を越えて「小貫」方面を望む。
📷005:「小貫」を望む
一面の田んぼの中にある「小貫」(字名としては三つにわたるが)は大きな集落である。
「地名への・・」によると、「オヌキ」は「オヌケ」の変化したもので、川の土砂が流出した場所、川崖をいう、とある。川といえばログ地図の下端に「上総川」がある。この川は、今はほぼ真っすぐ西に下って「雄物川」に流れ込んでいるが、かつては川の末流が「大曲」の街近くを流れる蛇行の激しかった川とあるので、その蛇行に由来する地名のようである。
手前の大区画の田んぼは稲が植えられていないが、きれいに耕されているので、これから転作の大豆でも作るのであろう。
「小貫」の集落を目指して南折れる。進んで行って一番手前の家(前掲写真の右端の家)の字名を他の地図で当たって見ると「北村」となっている。この後歩いた「小貫」の南端は「前村」である。いずれも、「小貫」を本村として、その北側、あるいは手前に位置することから付けられた地名と思われる。
できるだけ集落のたたずまいを観察しようと、裏道のような細い道にも足を踏み入れて巡り歩く。広い屋敷の家が多くゆったりした感じである。屋敷内の畑では「バッチャ」が自家野菜づくりに精を出している。
集落の真ん中辺りにゴミの集積所があり、面白い看板を掲げているのでメモする。「黄金のたからの小舎」、なかなか機知に富んでいるではないか、と思ってしまう。
(その3に続く)
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