<「旧六郷町馬場」の小さな交差点付近から西を望む>
●歩いた日:2019年8月21日(水)
●歩いた所
・六郷:馬場
・野中:沢田、宮崎、上村、押切、上明子
・六郷東根:押切、北紀の国、東紀の国、南細田、下関田、筑後屋敷
●歩いた位置
●歩いたログ(足跡)(道のり6.3km)
(以上の地図:国土地理院)
今年(2019年)の夏は例年になく暑い日が続き、「仙北平野」歩きにはしばらく出かけられずにおりました。そのため、この8月のブログに、今年の一月に雪景色の中を歩いた「旧千畑町千屋土崎・旧仙北町高梨払田」の記事を掲載しておりましたが、掲載し始めた8月21日(水)、久しぶりにあまり気温が上がらない曇りの予報が出ましたので出かけてみました。
出かけた先は、以前にブログに掲載した「六郷」の東隣り、「県道12号」線沿いの「野中」と「六郷東根」の一部です。「県道12号」は「花巻大曲線」の名称が付けられておりますが、ここは「江戸時代」から「奥羽山脈」を越えて「秋田」と「岩手」をつなぐ重要な街道があったところです。「仙北」から「岩手」の「湯田温泉」に湯治に出かけたり、「岩手」の方から「六郷」に日用品の買い出しに来たり、多くの往来があったようです。
さらに、「旧千畑村千屋一丈木」の村づくりを行った「坂本東嶽」など、「奥羽山脈(東山)」の麓、「旧千畑町」や「旧六郷町」の「坂本」さんの祖先は「岩手県」から来た、あるいは、山を越えた通婚もあったなどという話も聞いており、「奥羽山脈」をはさんで古くから交流があったものと思われます。
やや涼しそうだと思って出かけたこの日でしたが、歩いているうちにかなり汗だくになってしまいました。
それでは本文に入ります。
「大曲」方面から車を走らせ、西から「六郷」の街の中心部に入る。街中を走るかつての「国道13号」を「大町」、「上町」と東に進んで行くと、以前のブログに登場した、「羽州街道どまん中」の看板が立つ「米町」の十字路に至る。ここを突っ切ってさらに東に進み、右手にある鬱蒼とした「熊野神社」の境内を過ぎるとすぐまた小さな十字路がある。以前、「六郷」の街を歩いた時に、十字路を右手(南)に少しだけ行った道脇に、建物跡でコンクリ―を打った小さな空地があったことを思い出し、そこに車を止めてスタート。
すぐ、先ほど南に折れて来た「馬場」の小さな十字路に戻り、そこを右に折れて東に向かう。少し進んだところで振り返る。
📷001:「馬場」の小さな十字路付近から西を望む
信号のあるところが「馬場」の小さな十字路。左手からこの十字路に出て手前に来たところ。
十字路の左手奥の高い木立は「熊野神社」の境内。道をまっすぐ行った先が「六郷」の街の中心部「米町」、「上町」で、車を走らせてきた道である。
道をはさんで境内の向かい(北)側にも高い木立が聳え、道がトンネルのようになっているが、向かい側は「春霞 栗林酒造店」の「一本蔵」の敷地である。この道沿いに東西に延びる一本蔵の長さは100m程もあるらしい。
さらに東に進む。今度は六郷バイバス(県道11号、角館六郷線)との大きな十字路に至る。ここもまっすぐ進んで、「県道12号」を少し行ったところでまた振り返る。
📷002:「馬場」の県道12号から西を望む
奥から手前に来たところ。青い道路標識のすぐ奥が六郷バイパスとの十字路。前掲写真で「馬場の小さな十字路」と書いたが、普通、「馬場の十字路」というとこちらの方を指すのだろう。道奥に「熊野神社」と「栗林酒造店」の高い木立がのぞく。
また、東に進む。道右手(南)奥に「六郷高校」がある。生徒の賑やかな声が響いてくる。高校の敷地を過ぎた辺りで「宮崎」に入る。宮崎の大字は「野中」である。「旧六郷町(村)」は明治の立村で「六郷村」、「野中村」、「六郷東根村」が合併してできた村である。この辺りから昔の「野中村」になるのであろう。
(その2に続く)
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