東平ゾーン(とうなる)東洋のマチュピチュへは観光マイクロバスに乗換、細い山道をクネクネ。途中対向車が有るとツアーバス優先?自家用車はバック運転ハラハラドキドキ、見かねて運転手さんが降りて車を誘導する場面も
東平(とうなる)地区は、1916年(大正5年)から1930年(昭和5年)まで別子銅山採鉱本部が置かれていた。このような山中に、かつて多くの人が鉱業に従事し、その家族共々生活し、小中学校まであった「街」があったのかと信じられないように現在は山中に静まり返っているが、閉鎖された坑道や鉱物輸送用の鉄道跡などが残っている。付近は再整備され、歴史資科館や、保安本部跡を利用したマイン工房、花木園、高山植物園、子供広場などがある。また東平小学校、中学校の跡地には銅山の里自然の家がある。
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