今宵、「銀河鉄道の夜」に訪問していただき、ありがとうございます。
現実世界に疲弊した皆さまを、夢とロマンの時空にご招待いたします。
「光陰矢の如し」……早いものですね。東日本大震災発生から今日で8年を迎えました。
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いかがでしたか?
女川町は見事なまでに復興を終えましたが、実は正直に言いますと、石巻市はまだまだ8割程度の復興といった現状です。
石巻市の被災地域があまりにも広範囲にわたり、しかも、肝心な建設業者や資材などは「2020年東京オリンピック開催工事」に集中してしまい、復興工事がかなり大幅に遅れています。特に牡鹿半島部や雄勝町地区などはこれから「街づくり」といった段階です。
「オリンピックは時期尚早」と、多くの石巻市民が嘆いています。
「復興五輪」とは、ブラックジョークそのものでしょうか。
ここで、特に被災地復興に尽力してきた方をご紹介しましょう。
予てよりの知人(元上司)で、旧門脇町・南浜町の復興に尽力している『南浜つなぐ館』語り部スタッフの阿部豊和氏(以下「阿部さん」)です。
阿部さんは旧門脇町に住んでいましたが震災当時、自宅が津波でほとんど損壊したそうです。
しかし、阿部さんの自宅がある区域は居住禁止区域ではないため、損壊した家を修復し現在も同じ場所で生活しています。そして阿部さんは後世に「東日本大震災」の正確な被災情報を伝承したいという思いに駆られたそうで、今では語り部として南浜つなぐ館で活躍しています。
以前、阿部さんは女川町の観光温泉ホテル「華夕美」の総務担当として勤務していました。ちょうど私もその頃、同ホテルに勤務したばかりであり、阿部さんは私の上司でした。ちなみに、阿部さんは歴史学者以上に古典文学に精通していましたので当時、休憩中の私に古典文学関連のお話を詳述していただきました。
これまで、南浜つなぐ館へご案内した乗客たちが一様に「素晴らしい語り部だった」と、感想を述べていましたが、阿部さんがそのベテランの語り部だったことを知ったのは、つい最近のことでした。
「おい、そこに駐車してはだめだぞ」
聞き覚えのある大声に振り向くと、なんと笑顔で阿部さんが立っていました。そして彼は、私のタクシーを所定の停車場所に誘導してくれたのです。私が華夕美を辞めて以来、3年目の再開でした。
【画像:阿部豊和氏と南浜つなぐ館】
(撮影:河村龍一)
3・11で大津波に直撃された南浜町、旧門脇町は街そのものが壊滅しました。
(画像提供:南浜つなぐ館)
あまりにも広範囲に被災したため、震災後8年経過した現在も復興中です。
『南浜つなぐ館』は、被災地視察コースの重要拠点であり、「語り部を兼ねたタクシードライバー」たちが必ずご案内する震災資料館です。
私も時々、同資料館に被災地視察旅行のお客様をご案内し、プロの語り部の阿部さんたちにガイドをお任せしています。
おそらく、次の画像を見ればご存じの方が多いのではないでしょうか。
【画像:南浜つなぐ館正面入口と館内】
(撮影:河村龍一)
【被災地の木片を種火にしたランプと被災者が制作したタイルを埋め込んだ壁】
(撮影 河村龍一)
【ランプとタイル版を拡大した画像】
【献花台とランプに描かれたメッセージ】
(撮影 河村龍一)
「門脇町、南浜町、雲雀野町の被災情報」
●震災前世帯数:千八百八十五世帯
●震災前の人口:4千795人
●死者:539人(不明者数:150人)
(情報提供:公益法人 「みらいサポート石巻」スタッフ阿部豊和氏)
・同館の開館日:土曜、日曜、祝日の午前9時~午後5時
・電話番号:0225(98)3691
*ガイドスタッフの阿部さんは午前中担当です。
なお、旧門脇・南浜町は現在、「石巻南浜津波復興祈念公園」の建設工事中です。
(同地区は居住施設建設禁止地域に指定されているため)
※「石巻南浜津波復興祈念公園起工式」(国営)
次 第
日時:平成29年3月19日(日)10時40分~
場所:宮城県石巻市南浜町地内
主催:宮城県、石巻市、国土交通省東北国営公園事務所
1 開 式 1 事業概要説明
1 黙 祷 1 起工式に寄せて
1 挨 拶 1 鍬 入 れ
1 来 賓 祝 辞 1 閉 式
1 来 賓 紹 介
「石巻南浜津波復興祈念公園起工式」出席者名(敬称略)
・復興副大臣 橘 慶一郎
・国土交通省国土交通審議官 毛利 信二
・宮城県知事 村井 嘉浩
・衆議院議員 安住 淳
・石巻市長 亀山 紘
その他、衆参各議員、国土交通省官僚、宮城県建設官僚、東京都市大学特別教授、東北大学教授、宮城県会議員、石巻市議会議員、大手建設会社社長・役員、南浜町町会長などの出席者に加え、報道関係者や多数の有識者、著名人などが多数来賓。
(撮影:河村龍一)
【東日本大震災から復興の象徴となる国営追悼・祈念施設の設置について】
東日本大震災による犠牲者への追悼と鎮魂や、震災の記録と教訓の後世への伝承とともに、国内外に向けた復興に対する強い意志の発信のため、国は、地方公共団体との連携の下、岩手県陸前高田市及び宮城県石巻市の一部の区域に、国営追悼・記念施設(仮称)を設置する。
【基本理念】
東日本大震災により犠牲となったすべての生命(いのち)への追悼と鎮魂の思いとともに、・まちと震災の記憶をつたえ、・生命(いのち)のいとなみの杜をつくり、・人の絆(きずな)をつぐむ。
【基本デザインコンセプト】
この地の土地の履歴が示すかつての「浜」、市街化後の南浜地区への想いや記憶が残る「街」を土地利用の前提とし、東日本大震災による犠牲者を追悼し、被災の教訓を次世代へと伝承していくことを祈念します。
【市民活動拠点の概要】
○本公園は、「多様な主体の参画・協働の場を構築する」ことを基本方針に掲げており、市民活動拠点はこの方針に基づく、多様な主体の参画・協働の中心的な場となります。
○市民活動拠点では、市民による伝承活動や公園に植栽する樹木の苗の育成の取り組みが始まっており、今後もこの場所を中心として、市民活動が展開される予定です。
【植栽計画の考え方】
○計画地の条件をふまえ、この地に成立可能な自然植生や郷土種の植栽環境を再生・創出します。
○植栽する樹種は、現存する自然植生や郷土で歴史的に形成された植栽をモデルに選定します。
○計画の実現に向けて、現地での試験植栽・池の試堀を実施します。
【石巻南浜津波復興祈念公園概要】
・市民活動拠点継続
:がんばろう!石巻や南浜つなぐ館等の機能移設により、市民による伝承活動を継続。
・多目的広場:野球やサッカー等の運動を主体とした活動空間の創造。
・池及び湿地:市街化以前の風景として、池や湿地を再生。
・松原:かつて存在し、人々の記憶にも残っている松原(松林)を復元。
・中核的施設:休憩所、ビジターセンターとなる施設の建設。
・門脇駐車場:公園のメイン駐車場。普通車234台、大型バス9代の駐車が可能。
・追悼の広場:約八千平方キロの講演の中心的広場。周辺含め三千人規模の式典が可能。
・避難築山:TP+10.0mの一時避難所設置。
(カタログ資料出典:国土交通省 東北地方整備局「東北国営公園事務所」)
【画像:殺伐とした南浜つなぐ館周辺の空き地】
(撮影:河村龍一)
この荒地のど真ん中に同資料館が建っています。地元のタクシードライバーは必ず、被災地巡りのお客さんたちを、このガイドハウスに案内します。
その理由は、プロの語り部がそろい、忘れられない記憶と風化させない記録を正確に伝承しているからです。
【女川原子力発電所と女川原子力PRセンター突撃取材】
次に、3・11では、女川原子力発電所が無事だったことから、その安全性について確認しようと思い、女川原子力PRセンター安住所長に直接お会いし取材してきました。取材中、私は反原発派の如く『意地悪な資料』を見せながら女川原発の安全性について執拗に訊いてみました。
また、タクシードライバーとして時折り潜入取材を敢行中、同発電所の構内の状況などを私の目で徹底して確認もしてきました。結論です。
他県の原発に関しては直接確認していないため、何もコメントできなませんが、女川原発が3・11に耐えたのは偶然だったのではなく、設計者の英知の賜物だったからだ、と責任を持って断言できます。
たとえ、北朝鮮のミサイル攻撃を受けたとしても、ビクともしないでしょう。
これでもか、というほど頑健な改修工事を施していましたから。詳細については、別の機会にお伝えします。
福島原発と女川原発との大きな違いは、地元東北出身の社員が一体となって過去の震災・大津波記録を緻密に調査・参考にしながら、彼らは必死に宮城県を守るという意気込みで頑張ってきたという事実でした。
では、女川原子力PRセンターから入手した資料や情報をもとに、女川原発と福島原発との決定的な違いを具体的に述べてみます。
―≪3・11にも耐えた女川原発~福島原発との決定的な違い≫―
女川原子力発電所および東京電力福島第1原子力発電所の地震・津波規模
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地震加速度(gal)
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津波高さ(m)
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女川
原子力発電所
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567*1
(1号機)
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13
(測定値)
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福島第一
原子力発電所
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530*2
(2号機)
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13*2
(評価値)
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*1 地震加速度567・5ガル(原子炉建屋地下2階)
過去の最大地震加速度251・2ガル(2005年8月16日)
*2 福島原子力事故調査報告書(東京電力公開資料)
(2012年6月20日)
*津波最大波到達時刻:15時29分(地震発生から43分後)
*津波高さ:約13m★津波は女川発電所の敷地(13・8m)を乗り越えませんでした。
*女川発電所の敷地高さは地震前、14・8m
(地震により牡鹿半島全体が約1m地盤沈下)
*マグニチュード:9・0
*震度6弱(女川町)
(宮城県内で観測された最大深度は「7」)
*発生日時:2011年3月11日(金)14時46分頃
*震源地:三陸沖約130km 深さ:約24km
【地域の方々の避難受け入れ状況:女川原子力発電所内】
・受け入れ期間:3月11日~6月6日
・最多受入者数:364名(3月14日)
(資料提供:東北電力 女川原子力PRセンター)
【安全機能確保の要因】
*発電所を安全に停止できた主な理由(1~3)
(1) 敷地高さ14・8m
「当初の敷地高さ決定の経緯」
〇学識経験者による社内委員会(昭和43年~)
・1896年明治三陸津波、1933年昭和三陸津波等の津波記録
・869年貞観津波、1611年慶長津波なども考慮(文献調査)
・想定津波の高さは3m程度
↓
委員会の専門的な意見を踏まえて敷地高さを「14・8m」に決定
「新知見に対する対応」
〇女川2号機設置許可申請時(昭和62年4月)
・想定津波の高さを3mから「9・1m」に見直し
↓
「9・7m」まで法面を強化
・貞観津波の影響調査(地質調査)
〇土木学会手法による津波評価資産値「約+13・5m」
(平成14年2月)
↓
敷地(14・8m)の安全性確認
(2)海水ポンプ室のピット化引き波対策
港側には、海水ポンプおよびモーター類が置かれていない:海水ポンプはピット内に敷設(緑線部)
津波が押し寄せた港湾部に冷却用の海水ポンプなど重要な機器を設置していなかったことから、原子炉の除熱機能を確保できた。海水ポンプは敷地高さ(14.8m)から掘り下げた立坑(ピット)内に設置することで、津波の被害を防ぐ構造としていた。また、津波の引き波時においても、冷却に必要な海水が取水設備内に十分確保される構造としていた。
(3)6.600カ所の耐震工事(2010年までに6.600カ所の耐震工事を実施)
過去に経験した地震を踏まえ、2010年までに配管などの耐震工事(1号機:約3.600カ所、2号機:約900カ所、3号機:約2.100カ所)を自主的に実施していた。
*『止める、冷やす、閉じ込める』が正常に機能した。
および使用済燃料プールを冷却する機能も健全だった。このため2号機は停足直後に、1・3号機は約10時間後に冷温停止した。また、放射線モニターに変化はなく、原子炉を「止める」、「冷やす」、放射性物質を「閉じ込める」が有効に機能し、安定が保たれた。
以上、女川原子力発電所の安全性(福島原発と違う理由)について記載しましたが、平井弥之助氏ら学識経験者による社内委員会の知見により、私ははこうして宮城県に住むことができたのです。
宮城県が3・11ほどの巨大震災に遭いながら、原発事故を免れたという事実を全国の人々は知っていただきたいと思います。
ただ、他の原発に関しては色々と今回調査した結果、正直に述べますと、「かなり危ない」原発がいくつか存在している事実を知りました。一刻も早く女川原子力発電所のように安全性を確保した改修工事を実施してほしいと願っています。
余談ですが、仮に、マグニチュード9・0(広島型原爆31万6千700発分)という途方もない巨大地震にも耐えられるよう女川原発を設計した平井弥之助氏が、「石巻市釜谷地区」の避難先の選定に携わっていたとしたら、大川小学校を避難先に指定するといった「ど阿呆」な判断などせず、躊躇なく裏山を避難先に指定し、同氏が十分に安全な避難場所を設計して完璧な避難場所は設置されていたはず。
つまり、亡くなられた児童たちは全員が助かっていたのです。悪いのは先生たちではありません。いい加減な避難場所を決めた者たちに責任があるのです。今後、巨大震災発生時の避難場所を選定するにあたり、学識経験者たちは過去の震災・大津波記録を緻密に調査・参考にすべきです。
≪原発よりも最悪な環境破壊の元凶「火力発電所」の実態≫
「これ見てください。このとおりですよ。黒い粘液(痰)が悪さしていたからです。炎症止めと喉を洗浄する薬を出しておきます。変な病気ではないのですぐに治りますよ。原因ですか? PM2・5などの大気汚染ですかねえ……」
私の鼻腔から挿入したファイバースコープを操作しながら、耳鼻科医師が静かな口調で説明していました。
昨年の夏、私は食事のたびに喉の痛みを感じたため、もしかしたら「咽頭がん」では? と不安に駆られてしまい、その日仕事の途中でしたが、すぐに石巻市内の某耳鼻科医院に駆け込みました。それと言うのも、これまでに伏線があったからでした。この日より1か月前に、のど風邪のような症状で38度5分も熱発したため、石巻市内の「かかりつけ内科医」を受診したところ、その時も「気管支炎でしたよ。もう少しで肺炎になるところでした。原因はPM2・5云々」と、医師から風邪ではない旨の説明を受けた経緯があったからです。夏に「のど風邪」もないだろう、と思っていたため、なにやら嫌な気分になっていたところでした。
今回の受診では、結果的に恐れていた「咽頭がん」ではなくてほっとしたのですが、「PM2・5」という医師たちの説明から、次の画像の「日本製紙石巻エネルギーセンター・火力発電所」の存在に、次第に腹が立ってきました。間違いなく「あれ」が原因だったからでした。
その理由ですが、妻が石巻市に転居後、気管支喘息に罹患し原因がやはりPM2・5と医師から診断されたこと、石巻市内では全ての耳鼻咽喉科医院が常に受診者で混雑しており、とりわけ、呼吸器系統の疾病者が異様に多く、また、あれの周辺を車で通過すると必ず「5分も耐えられない異臭」で窒息寸前になり、モクモクと湧き出る煙から「大気汚染・環境破壊」の元凶ではないのか、と日頃から感じていたからでした。
そこで、色々と調べてみたところ、あれは、日本製紙石巻工場の「石巻雲雀野発電所:日本製紙石巻エネルギーセンター」という石炭・バイオマス混焼の発電所(14・9万kw)と、西側の木質バイオマス発電所(7・5万kw)だというのです。
あれは24時間休むことなく、画像のとおり「有害な煙=PM2・5」をまき散らしているのです。
【画像:バイオマス混焼型の石炭火力発電所「石巻雲雀野(ひばりの)発電所」】
(撮影:河村龍一)
大気汚染・環境破壊の元凶であるPM2・5をまき散らし、地球温暖化を加速させるような「火力発電所」をこのまま稼働させるよりも、女川原子力発電所のような安全性を十分に確保した原発を稼働させるべきではないでしょうか。
ただ、西日本方面や東海地方などには「ポンコツ原発」が複数存在しているのも事実です。それらの原発の安全性を十分確保できるような改修工事は急務です。
最近、環太平洋火山帯周辺の国々や日本列島では、大・中・小規模の地震が頻発しているため、むやみに原発稼働と言えるような状況ではないでしょう。
近い将来、東日本大震災と同等か、それ以上の巨大震災がいつ発生してもおかしくないのです。
日本海溝周辺では、また新たに巨大地震に直結する活断層が発見されたばかりです。北海道や東北地方、そして宮城県沖などはマグニチュード7・0以上の地震発生の確立が90%以上だと報じられました。
いずれにしろ、3・11を教訓として二度と「あの日の惨劇」が繰り返されないよう、あらゆる震災対応を講じるべきです。
さて、2019年3月11日を迎えるにあたり、先の東日本大震災でお亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
河村 龍一