テス君の部屋

観光、旅先での風景や印象に残った事・日常の事などをできる限り写真を付けて気ままに書いていきたいと思っています。

国宝城めぐり

2008年12月26日 | 旅行・観光
12月18日、青春18キップを利用して姫路城と彦根城の国宝城めぐりに出かけた。
 
大阪駅を7時46分発の新快速乗り姫路に向かいます。
姫路到着は8時51分。駅前からバスを利用して姫路城に行きます。
バス代が100円です。徒歩だと15分前後でいける距離です。

姫路城は9時から入城できます。


姫路城について(入城パンフレットより)。

播磨の守護職赤松則村が元弘3年(1333)ここに砦を築き、その子貞範が正平元年(1346)城を
構えたことに始まり、その後小寺氏、黒田氏が拠っていました。
最近の研究では築城は16世紀中頃の黒田重隆・職隆のときとする説もあります。
黒田官兵衛孝高のとき、彼のすすめで羽柴秀吉が天正8年(1580)西国攻略の根拠地として入城し、
翌9年3層の天守閣を完成させました。



自衛隊の方々が姫路城のクリーン作戦(城内の清掃)に来られていた。




正面登閣口より入り、菱の門(写真)を潜り城内へ、
いの門、ろの門、はの門、にの門、ほの門と巡って天守閣を目指します。




城主の紋瓦・屋根の鬼瓦や軒丸瓦には、築城した城主や修理をした城主の家紋を彫った瓦を使ってある。
瓦紋(写真)




その後、羽柴秀長、木下家定と続き、関が原の役後、徳川家康の女婿池田輝政が入封し、慶長6年(1601)から8年の歳月を
費やして南の外濠を現在のJR山陽本線附近とする程の大きな規模に城域を拡張し、姫山に5層7階の天守を築いた。
天守閣



池田氏3代のあと入封した本多忠政は、長男忠刻とその室千姫(徳川秀忠の長女)のために、西の丸を整備して、
元和4年(1618)今日に見る姫路城の全容を整えました。

現在、大天守と三つの小天守、これらを結ぶ渡櫓(以上「国宝」)をはじめ、化粧櫓など櫓27棟、門15棟、
土塀約1000m(以上「重要文化財」)の建造物と、内濠・中濠の大部分が残っており、中濠以内は特別史跡に
指定されています。
そして、1993年12月、姫路城は法隆寺地域の仏教建造物とともに我が国で初めてユネスコの世界文化遺産に登録された。

天守閣内を見学して、次に西の丸に向かいます。渡櫓を通り化粧櫓に。
化粧櫓内


この後、もう一度天守閣の方に戻り、お菊井戸を見て姫路城を後にします。

姫路駅附近で昼食を摂り、彦根城に向かいます。


12時57分発の新快速に乗車して15時16分に彦根に着きます。
入城は16時30分までなのでタクシーを利用して彦根城までいきます。
徒歩だと15分前後かかります。



彦根城と城下町の建設は、今から400年前の慶長9年(1604)に始まり、20年近い歳月をへて完成した。



彦根城天守(国宝)



天守閣より琵琶湖を望む。


お城見学を終え、次に玄宮園に向かいます。
玄宮園までは思いのほか距離がありました。
もう一箇所行く予定もあり、また雨も降り出したので玄宮園は時間をかけて見物する事はできませんでした。

彦根駅に戻り嵯峨嵐山に向かいます。
嵐山花灯路の見物に行きます。

灯りと花の路ルートを巡り、ライトアップされた渡月橋や野宮神社附近から竹林の小径を歩きます。
雨は止んでいます。
昼間とは違った趣がありいいものです。

観光客も多く、携帯やデジカメで撮影されている方が多いです。
私は2年前にも来ていますが、その時の方がより華やかな気がしました。

ライトアップされた竹林の小径



8時過ぎに京都駅に戻り夕食を摂ります。
お昼が今ひとつ美味しくなかったので、ほんのちょっぴり贅沢をしホテルで食事します。
美味しかったです。



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