おしゃれなカフェやご当地グルメ。お土産物屋が立ち並び、子ども向けのアスレチックパークまで。川辺のテラスは家族連れや若者らでにぎわっていました。
名取川の河口近くにある「かわまちてらす閖上(ゆりあげ)」。復興とともに人びとの交流や憩いの場としてつくられ、いまや地域の拠点となっています。東日本大震災前は2000世帯超の5700人が生活していた港町。しかし津波で丸ごと流され、およそ住民の1割が犠牲になりました。
その後かさ上げされ、市街地として整備された閖上地区には新しい住宅や商業施設、学校や公園が相次いで完成。子育て世代の移住も多く、生まれ変わりの様相を呈しています。一方で高台に避難し、災害公営住宅などでくらす被災者は孤立や高齢化が進んでいます。
被災者が忘れられていく―。震災時からこの地域で奔走してきた共産党の小野寺美穂・名取市議は県や国の支援が弱まっていくことを危ぐします。
「気にかけてくれる、声を聞いてくれる。そういうことを望んでいる被災者は少なくない」。しかし実際は、見守り活動や集まりはコロナ禍で難しくなり担い手も不足。一人ひとりの状況に合わせたケアが欠かせないのに体制は薄くなっていると。
あれから14年。支援を打ち切ろうとする冷たい政治の姿があらわに。閖上をはじめ、様変わりした被災地は訴えています。被災者を置き去りにした復興とは、まちづくりとは何か―。新たな災害が次つぎと起きるなか、この国のかたちが問われています。
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