惨禍 繰り返すな
市民ら集会
10万人が犠牲になった1945年3月の東京大空襲から80年の10日、大空襲の犠牲者を追悼する集会が台東区の大空襲犠牲者追悼碑の前で開かれました。主催は東京大空襲犠牲者追悼・記念資料展実行委員会。
![]() (写真)東京大空襲の犠牲者を追悼して開かれた集会=10日、東京都台東区 |
実行委員会の高橋成悟さんが川杉元延実行委員長の「大空襲で10万人が炭のように焼かれたり、冷たい川に飛び込んで溺死させられたりした。ウクライナやガザで戦火がやまず平和がおびやかされている。惨禍を繰り返さないため憲法9条を輝かせ、平和の大切さを語り継ぐ」というメッセージを代読しました。
7歳の時に東京大空襲を経験した松野康子さん(87)が証言。「空がB29でびっしりとなった。B29からソーセージのような物が落ちてきて家の近くで破裂し、炎で真っ赤になった。祖母、母、姉、弟と逃げる途中、荷物を詰めた乳母車に火の粉が燃え移った。私の家族は全員無事だったが、友達が亡くなった。今も川のそばに行くたびに、心の中で話しかけている」と語りました。
日本共産党の吉良よし子参院議員があいさつし「東京大空襲は、住民が逃げられないように下町の周辺部から火で包囲して攻撃し、非戦闘員を虐殺した許されない戦争犯罪だ。国は戦争の被害と向き合い補償に踏み出すべきだ。核兵器も戦争もない世界を目指し被害者と手を携えていく」と表明しました。
小さな声でも上げて
集いで海老名香葉子さん
![]() (写真)海老名さん作詞の平和を願う歌が合唱された「時忘れじの集い」=9日、東京・上野公園 |
東京大空襲で家族6人を失い戦災孤児となったエッセイストの海老名香葉子さん(91)が呼びかけた「時忘れじの集い」の式典が9日、東京・上野公園の平和の母子像前で開催されました。同像は海老名さんが発案し私財を投じ2005年に建てたものです。
集いに出席した海老名さんは高齢で声を出すのが難しくなったものの、代読された手紙を通じ「世界中のみんなが仲よく暮らせるためにも小さな声でも上げていかなければいけません。戦後80年、平和の尊さ、戦争の悲惨さ、愚かさを次の世代に伝えるためにもこれからも頑張っていこうと思います」と訴えました。
海老名さんの次男で落語家の林家三平さんは「大空襲を子どもたちにどう伝えるかを真剣に考えなければいけない時代。活動を広く伝えていくことが母から託された使命と思います」と述べ、漫画家のちばてつやさんは「戦争を起こすと加害者も被害者も全部犠牲者になってしまう。絶対に戦争をしてはいけないと伝えてください」と呼びかけました。
海老名さんが上野公園近くに建てた慰霊碑「哀(かな)しみの東京大空襲」前の供養式では、海老名さんの長男で落語家の林家正蔵さんが「海の向こうの戦争で、母と同じように家族や友達を失っている子どもがたくさんいます」と平和への願いを込めてあいさつしました。供養式には、日本共産党の小池晃書記局長が出席し、紹介されました。
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