過剰反応 ケースⅠ
― 横綱朝青龍問題 -
漫画家楳図(うめず)かずお氏が東京都内の住宅地で建設中の自宅の外装が赤白の格子模様となることが、周辺の景観を害するとして、近隣住民2人より「建築差し止め仮処分」の申し立てがなされている。
また、横綱朝青龍が、「腰の疲労骨折」などのため、夕張市での夏「巡業」を欠席し、母国モンゴルで親睦サッカーをしていたことが、7月25日の民放テレビ・ニュースで紹介され、仮病疑惑に発展したことから、相撲協会が「2場所出場禁止、減給、自宅謹慎」などの厳しい処分を行った。これに朝青龍関が反発し、横綱の去就を巡り大問題になっている。
<日本の伝統尊重か外国人バッシングか?>
横綱朝青龍問題は、同人自身の属人的な問題ではあるが、日本と外国の文化の差、認識の差が背後のあるように見える。
日本の伝統的な国技である大相撲の横綱である以上、日本の規則、伝統に従うべきで、それに従わない横綱は不謹慎というのは、年齢や男女問わず、多くの日本人が抱く感情だ。確かに、「疲労骨折」などの診断書を出して、「巡業」に参加せず、療養するどころか、サッカーに興じていたこと自体は、関取の頂点に立つ「横綱」としてふさわしくなく、一定の処分に値する。
しかし、違反行為と処分の程度の問題があり、それは本人の更生、出直しにとっても納得の行く、公正なものでなければ、罰則が逆効果になり、場合により「差別」と映ることにもなる。横綱朝青龍のサッカー姿が問題にされる以前にテレビ・ニュースを見た視聴者の多くは、故郷モンゴルで子供達と日・モンゴル間のスポーツ交流をしている横綱として、同横綱の新しい一面を見たことであろう。このモンゴルでのサッカー交流は、元サッカー選手の中田英寿氏のモンゴル側への提案で企画されたものとされている。それ自体は大いに推奨されて良いことだ。
ところが、「巡業」に参加せず、母国でサッカーに興じているとの批判が出されたことから、相撲協会理事会は、2場所の出場禁止、減給などの処分を決定したが、同横綱は強く反発しており、「急性ストレス障害」とも診断されている。処分内容は、現役横綱としては最も厳しいものらしい。理事会の処分決定において、横綱自身の事前の弁明や事情聴取などは行われていない。
同横綱の言動については、土俵上の態度や稽古場での姿勢などについて、しばしば週刊誌等の話題となっている。横綱の相撲内容についても好き嫌いはあるだろう。しかし、横綱朝青龍が、3年以上に亘り、一人横綱の大相撲をなんとか担い、相撲ファンの人気を繋いで来たところであり、その功績は大きい。しかも、古い習慣やしきたりが指摘されている相撲界において、外国人の横綱でもあり、苦労やプレッシャーも大きかったであろう。朝青龍自身も、これまでの功績に対する思い入れもあったのであろう。「思い上がり」や「甘え」との批判もあるが、同人の立場に立てば分からないでもない。朝青龍関なくしては大相撲への人気は維持できなかったことも事実であり、その功績は素直に認めるべきだろう。母国において、日・モンゴルの交流に積極的に参加する姿勢も評価して良い。
また、7月場所で、待望の2人横綱体制となり、その場所で優勝し、ほっとした心の油断もあったのであろう。母国にも帰りたかったであろう。朝青龍関も横綱とは言え、26歳の青年であり、相撲以外のこともしたいだろうし、心の油断があっても仕方がない。
恐らく、横綱の反発は、そのような主体的な思い入れに反し、事前に弁明の機会も与えられず、予想以上に厳しい処分をされたことへのショックからであろう。横綱は、力士の頂点に立つものであり、言動に注意することは当然であるが、子供ではないので、横綱としての面子も考え、処分前に弁明などの機会を与え、同人の反省と事の重大性を納得させるプロセス、配慮が必要ではなかったのであろうか。
ましてや朝青龍関は外国人であり、文化も異なり、日本のしきたりや慣習や物の考え方などとの間に差があっても不思議ではない。また、ある意味で母国を背負っている。日本で相撲を取る以上、日本の規則、しきたりに従うよう指導することは良いが、協会側が文化、習慣の差などを理解する必要もあると同時に、外国人力士が何らかの形で母国を背負っていることを忘れてはならない。現在、幕の内だけでも10人以上の外国人力士が文化、習慣の差やいろいろな制約を越えて活躍している。外国人力士を認める以上、これら外国人力士の意見や異文化にも耳を傾け、理解する寛容性が欲しいものだ。協会にとって「巡業」は大切だろうが、多分、「場所」の合間には母国にも帰りたいだろうし、いろいろなコメントが出るのであろう。日本の大相撲も海外でのファンも増え、可なり国際的になって来ている。大相撲も一定の国際性が求められている。
相撲協会もこの点をもっと理解する必要があるのではないか。旧態依然の運営、監督だけでは、外国人力士のみでなく、若い日本の力士や力士志望者を引き付けられなくなって来ているのではないか。
3年以上も日本人の横綱は出ていない。有望と見られた歴代の大関も、大関になると肌つやも落ち、一見して練習不足、節制不足と分かる。節制不足となると怪我もし易くなる。何故これら力士を注意し、指導出来なかったのか。それは部屋の責任であり、協会の責任でもある。今回の「処分」の厳しさとのギャップが目立つ。謹慎期間中に母国に戻り、療養したいと願うなら、何故それおも認めないのか。朝青龍関にも弁明の機会を与え、改めて処分内容を検討すべきであろう。
他方、朝青龍関も、帰国や引退も選択肢の一つではあろうが、横綱として、また、モンゴル出身その他の外国人力士の先達として責任ある行動を取って欲しいものだ。
― 横綱朝青龍問題 -
漫画家楳図(うめず)かずお氏が東京都内の住宅地で建設中の自宅の外装が赤白の格子模様となることが、周辺の景観を害するとして、近隣住民2人より「建築差し止め仮処分」の申し立てがなされている。
また、横綱朝青龍が、「腰の疲労骨折」などのため、夕張市での夏「巡業」を欠席し、母国モンゴルで親睦サッカーをしていたことが、7月25日の民放テレビ・ニュースで紹介され、仮病疑惑に発展したことから、相撲協会が「2場所出場禁止、減給、自宅謹慎」などの厳しい処分を行った。これに朝青龍関が反発し、横綱の去就を巡り大問題になっている。
<日本の伝統尊重か外国人バッシングか?>
横綱朝青龍問題は、同人自身の属人的な問題ではあるが、日本と外国の文化の差、認識の差が背後のあるように見える。
日本の伝統的な国技である大相撲の横綱である以上、日本の規則、伝統に従うべきで、それに従わない横綱は不謹慎というのは、年齢や男女問わず、多くの日本人が抱く感情だ。確かに、「疲労骨折」などの診断書を出して、「巡業」に参加せず、療養するどころか、サッカーに興じていたこと自体は、関取の頂点に立つ「横綱」としてふさわしくなく、一定の処分に値する。
しかし、違反行為と処分の程度の問題があり、それは本人の更生、出直しにとっても納得の行く、公正なものでなければ、罰則が逆効果になり、場合により「差別」と映ることにもなる。横綱朝青龍のサッカー姿が問題にされる以前にテレビ・ニュースを見た視聴者の多くは、故郷モンゴルで子供達と日・モンゴル間のスポーツ交流をしている横綱として、同横綱の新しい一面を見たことであろう。このモンゴルでのサッカー交流は、元サッカー選手の中田英寿氏のモンゴル側への提案で企画されたものとされている。それ自体は大いに推奨されて良いことだ。
ところが、「巡業」に参加せず、母国でサッカーに興じているとの批判が出されたことから、相撲協会理事会は、2場所の出場禁止、減給などの処分を決定したが、同横綱は強く反発しており、「急性ストレス障害」とも診断されている。処分内容は、現役横綱としては最も厳しいものらしい。理事会の処分決定において、横綱自身の事前の弁明や事情聴取などは行われていない。
同横綱の言動については、土俵上の態度や稽古場での姿勢などについて、しばしば週刊誌等の話題となっている。横綱の相撲内容についても好き嫌いはあるだろう。しかし、横綱朝青龍が、3年以上に亘り、一人横綱の大相撲をなんとか担い、相撲ファンの人気を繋いで来たところであり、その功績は大きい。しかも、古い習慣やしきたりが指摘されている相撲界において、外国人の横綱でもあり、苦労やプレッシャーも大きかったであろう。朝青龍自身も、これまでの功績に対する思い入れもあったのであろう。「思い上がり」や「甘え」との批判もあるが、同人の立場に立てば分からないでもない。朝青龍関なくしては大相撲への人気は維持できなかったことも事実であり、その功績は素直に認めるべきだろう。母国において、日・モンゴルの交流に積極的に参加する姿勢も評価して良い。
また、7月場所で、待望の2人横綱体制となり、その場所で優勝し、ほっとした心の油断もあったのであろう。母国にも帰りたかったであろう。朝青龍関も横綱とは言え、26歳の青年であり、相撲以外のこともしたいだろうし、心の油断があっても仕方がない。
恐らく、横綱の反発は、そのような主体的な思い入れに反し、事前に弁明の機会も与えられず、予想以上に厳しい処分をされたことへのショックからであろう。横綱は、力士の頂点に立つものであり、言動に注意することは当然であるが、子供ではないので、横綱としての面子も考え、処分前に弁明などの機会を与え、同人の反省と事の重大性を納得させるプロセス、配慮が必要ではなかったのであろうか。
ましてや朝青龍関は外国人であり、文化も異なり、日本のしきたりや慣習や物の考え方などとの間に差があっても不思議ではない。また、ある意味で母国を背負っている。日本で相撲を取る以上、日本の規則、しきたりに従うよう指導することは良いが、協会側が文化、習慣の差などを理解する必要もあると同時に、外国人力士が何らかの形で母国を背負っていることを忘れてはならない。現在、幕の内だけでも10人以上の外国人力士が文化、習慣の差やいろいろな制約を越えて活躍している。外国人力士を認める以上、これら外国人力士の意見や異文化にも耳を傾け、理解する寛容性が欲しいものだ。協会にとって「巡業」は大切だろうが、多分、「場所」の合間には母国にも帰りたいだろうし、いろいろなコメントが出るのであろう。日本の大相撲も海外でのファンも増え、可なり国際的になって来ている。大相撲も一定の国際性が求められている。
相撲協会もこの点をもっと理解する必要があるのではないか。旧態依然の運営、監督だけでは、外国人力士のみでなく、若い日本の力士や力士志望者を引き付けられなくなって来ているのではないか。
3年以上も日本人の横綱は出ていない。有望と見られた歴代の大関も、大関になると肌つやも落ち、一見して練習不足、節制不足と分かる。節制不足となると怪我もし易くなる。何故これら力士を注意し、指導出来なかったのか。それは部屋の責任であり、協会の責任でもある。今回の「処分」の厳しさとのギャップが目立つ。謹慎期間中に母国に戻り、療養したいと願うなら、何故それおも認めないのか。朝青龍関にも弁明の機会を与え、改めて処分内容を検討すべきであろう。
他方、朝青龍関も、帰国や引退も選択肢の一つではあろうが、横綱として、また、モンゴル出身その他の外国人力士の先達として責任ある行動を取って欲しいものだ。