内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

このブログは、広い視野から内外諸問題を分析し、提言を試みます。
Policy Essayist

横綱朝青龍問題への過剰反応を問う― 日本の伝統・文化の尊重かバッシングか -

2007-09-03 | Weblog
横綱朝青龍問題への過剰反応を問う
― 日本の伝統・文化の尊重かバッシングか -
 横綱朝青龍は、処分後、療養のための帰国が同力士の引退認められ、8月29日、モンゴルに帰国したが、モンゴル到着後横綱は隠遁し、付き添った高砂親方(元大関朝潮)も日本に戻らざるを得なったことから、部屋の破門や協会(理事会)による引退勧告の可能性など、問題がこじれるにこじれ、一部でバッシングとも見られる言動にも発展している。モンゴルでの「療養」には期限は付されていない。横綱審議委員会も「様子を見る」としているので、しばらく様子を見るべきだろう。
 問題の発端は、横綱朝青龍関が、「腰の疲労骨折」などのため、夕張市などでの夏「巡業」を欠席し、母国モンゴルで親睦サッカーをしていたことが、7月25日の民放テレビ・ニュースで紹介され、仮病疑惑に発展したことから、相撲協会理事会が「2場所出場禁止、減給、自宅謹慎」などの厳しい処分を行ったことによる。同力士は、一旦帰国したものの処分や協会側の対応を不服とし、親方等による説得に応じず、協会側も「理事会決定」と「伝統、規則」を理由に、当初「帰国療養」を含む一切の調整に応じなかったことから、朝青龍関は更に態度を硬化させ、そもそもの「腰の疲労骨折の肘の痛み」とは別に、「解離性障害」と診断されるに至った。要するに、処分の厳しさに対するショックから、ある種の自閉症になってしまったようだ。
 8月28日、協会理事会も、ようやく「治療以外で公の場に出ることを禁止する」などの条件を付した上で同力士の帰国療養を認めたが、翌29日、成田空港に姿を見せた朝青龍関は終始目を伏せ、生気無く、思いつめたような諦めの表情を漂わせ、記者の質問にも答える様子も無かった。
 横綱朝青龍問題は、同人自身の属人的な問題ではあるが、日本と外国の文化の差、認識の差が背後のあるように見える。今回の朝青龍関の対応振りや態度についても、協会関係者や「相撲通」の間を中心として、「ふてくされている」から「国技である相撲の伝統を理解していない」まで手厳しい意見が多い。その通りである。日本の伝統的な国技である大相撲の横綱である以上、日本の規則、伝統に従うべきで、それに従わない横綱は不謹慎というのは、年齢や男女問わず、多くの日本人が抱く感情だ。確かに、「疲労骨折」などの診断書を出して、「巡業」に参加せず、療養するどころか、サッカーに興じていたこと自体は、関取の頂点に立つ「横綱」としてふさわしくなく、一定の処分に値する。
 しかし、違反行為と処分の程度の問題があり、それは本人の更生、出直しにとっても納得の行く、公正なものでなければ、罰則が逆効果になり、場合により「差別」や外国人バッシングと映ることにもなる。4年間近く、多く日本人の大関がいながら日本人の横綱は出ていない。素質もあり、有望視されていたが、大関に昇進すると、一部の力士は不節制と稽古不足などで身体の張りも無くなり、怪我も多くなり、横綱になれていない。相撲が取れていない。品格以前の問題だ。協会は、これらの日本人力士に対しもっと厳しく指導し、必要に応じ処分すべきではなかったか。
もう一つは、処罰を決定するプロセスの問題がある。横綱朝青龍自体にも、気の緩みや驕りがあったのであろう。しかし、26歳の立派な成人であり、力士の頂点に立つ横綱を「処分」するに当たっては、協会側(理事会)が一方的に決めるのではなく、処分決定前に同人の釈明等も十分聞くべきではなかったか。その上、横綱は外国人力士でもあり、日本の伝統・文化やしきたりなどへの考え方も異なっても当然であろうし、細かいニュアンスなどになると言葉の問題もあるであろう。更に、朝青龍関は、モンゴルにおいてはそれなりのステータスを持っており、いろいろな形で母国を背負っていることを忘れてはならない。日本では一横綱でしかなくても、母国では恐らくヒーローであり、それなりの立場もあり、そこに踏み込むような一方的な処分等がなされれば思わぬ反発が起こることも理解して置かなくてはならない。これは、モンゴルに限ったことではなく、相撲協会が外国人力士を受け容れている以上、心して置かなくてはならないことだ。
特に朝青龍関は、1人横綱として3年以上に亘り連続優勝や連続白星の話題を作り、大相撲の人気を維持した大きな功績がある。どちらかと言うと「悪役的」横綱ではあり、好き嫌いはあろうが、期待を一身に集め、辛いこともあったであろう。このような格闘技で怪我をすれば想像以上に直り難い。その上、年6場所に増え、その間に1人横綱として巡業もある。それを良くこれまで相撲の人気を維持して来たものだ。恐らく、朝青龍関は、これまで大きなプレッシャーがあっただけに、努力して来た思いも強かったのであろう。協会側は、処分や注意をするのは良いが、何故そのような気持ちを汲み取れなかったのだろうか。しかも同人に釈明の機会も与えず、いきなり2場所のレッド・カードを出すのは、プロセスにおいても、処分の内容についても配慮に欠けていたのではないのだろうか。
 外国人力士が、歌舞伎などと並んで最も伝統的、封建的であると思われている大相撲でフンドシを締め、土俵上で相撲を取り、横綱になり大関となることは嘗て想像も出来なかった。しかし、現在では、10数人が幕内力士であり、60人近くの外国人力士が在籍し、欧米でも、テレビ放送を通じ相撲ファンは増えている。この大相撲の「国際化」についても、「日本の国技」を理由として否定的な見方や外国人の横綱自体にある種の忌避反応も残っているようであり、一部のナショナリズムの意識や日本の伝統・文化至上主義が背後にあるように見える。批判の一部は、部屋同士の確執などの他、このような認識の差から出ているようだ。他方、歌舞伎などと同様に、日本の文化が国境を越えて普及することは、生きた文化、スポーツの交流として評価されて良いことであろう。と言うより、海外にファンが増えており、それは自然の流れなのであろう。文化は時代と共に変化するものであろう。日本の大相撲も「モンゴル相撲」や古代ローマの「レスリング」などを起源としているかもしれないし、それがまた海外に普及して行くかもしれない。偏狭な伝統は、普遍性を持てない。グローバル化時代の「空気を読む」ことも大相撲にも求められているのかもしれない。また、力士が時にはサッカーその他の相撲以外のスポーツや行事に参加することも相撲ファン層の裾野を広げることにもなろう。
 朝青龍関は、横綱として土俵で相撲を取ることは無いかもしれない。もしそうなれば、協会が今回の問題で将来のある26歳の横綱を潰すことになる。これで日本の若者は、大相撲に将来を見れるだろうか。相撲ファンにとっても、やっと東西横綱が見れるようになった途端にまた1人横綱になってしまい、好き嫌いは別として魅力は半減してしまう。
 日本も少子化と生活の豊かさの流れで力士希望者も減っている。ファン層も高齢化し、若い世代の関心は華やかなサッカーや野球、ゴルフなどに流れている。他方、だから外国人に人材を求め、ファン層も海外にも広がっており、文化の差の新鮮さから、フンドシとチョンマゲ姿も「クール」(しぶい)と見る若者も居る。協会も、少し目を相撲以外の社会や海外に向けて良いのであろう。
 朝青龍関は日本の相撲に戻らない可能性がある。しかし、残念ながらもしそうなったとしても、同人の功績や努力は讃えるべきであろう。
 朝青龍関も、少しゆっくりし、体と心を癒し、反省し、その後は堂々として横綱として復帰し、ファンに説明し、土俵の上で再び強い横綱を見せて欲しいものだ。
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「日本の倫理融解(メルトダウン)-心の再生ー 提言編」

2007-09-03 | Weblog
下記の通り、今必要とされている本を改めてご紹介致します。
「日本の倫理融解(メルトダウン)
  ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
            提言編」
            小嶋 光昭著
            内外政策評論家
            前駐ルクセンブルク大使
                 発売 星雲社
別途電子書籍(パピレス)あり。
教育再生は、基本法の改正や制度改編が行われることになっています。しかし、法律で人の「心」を縛ることは出来ませんし、法律や制度に「心」が通っていなければ効果は限定的です。
現在でも、社会の広範な分野で比類の無い事件や不正の連鎖が続いています。社会保険庁の年金納付の未曾有な記録漏れという行政上の不適正の他、談合や収賄などの行政での不正や事件、加工肉混入事件などに止まらず、家族間での殺人事件や政治資金の問題など、不正、事件は止まる気配がありません。このままでは日本の倫理はメルトダウン(融解)してしまうのかと危惧されるところです。規則や罰則の強化などは局部的に行われており、それはそれで必要ですが、それだけではだけでは倫理のメルトダウンは止まらないのでしょう。
規則や罰則を読む「心」、倫理の問題があります。
本著は、このような各社会分野毎の事件や不正の具体的な事例を振り返り、全般的な広がりを見せ始めている倫理のメルトダウンを危惧し、安心で豊かな日本の将来のために、一人一人の「心の再生」の必要性を問い、個々人、家庭、幼児教育を含む教育、企業・組織の場での取り組みについて、重層的、実践的に提言すると共に、行政や司法のあり方や取り組みについても率直に提言しています。
著者は、30年以上の外交分野その他での活動通じて、内外での広い経験と知識を有しており、「海外での活動において、日本自体の健全な発展が最大の誇りであり、力と感じている」と言う。だからこそ、安心で豊かな日本の将来のために、一人一人の「心の再生」の必要性を問い、提言しています。「心」の問題は、政府や行政だけに任せられる問題ではありません。本著が、国、地方の行政、コミュニテイ作りなど、市民の健全な生活を構築するための触媒となることを願っています。
本著は、実務的、実践的ではあるが、最近の日本社会の風潮を記録する「歴史を刻む書」と言えます。
主要書店でお尋ね頂くか、注文下さい。また、パピレスを通じ電子書籍としてインターネット上でもご覧頂けます。
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