内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

このブログは、広い視野から内外諸問題を分析し、提言を試みます。
Policy Essayist

動き始めた地域コミュニテイへの住民の「参加」と「関与」

2008-03-26 | Weblog
動き始めた地域コミュニテイへの住民の「参加」と「関与」
 1、生かされない教訓
3月23日、青年(無職、24歳)が茨城県のJR常磐線荒川沖駅周辺で通行人など8人に無差別に刃物で切り付け、1人が死亡した。25日には、大阪府の青年(無職、18歳)が岡山市のJR山陽線岡山駅ホームで、電車を待っていた倉敷市の面識もない男性(38歳)を背後から押して線路に転落させ、入ってきた電車にはねられ死亡させた。同日、東京都板橋区では小学生男子(6年生)が卒業式の後自宅マンションから飛び降りて死亡した。
 事件はこれだけではない。幼児虐待など家庭内の暴力や、貧しさや介護疲れなどからの殺傷事件など、現在、社会の広範な分野で比類の無い事件や不正の連鎖が続いています。無論、このような事件は比率の上では少数であろうが、社会の広範な分野で起こっており、何時自分の身の回りで起こるか分らない状態です。家庭が崩壊し、学校や地域が、そして職場など、社会の各分野で事件や不祥事が起こり、止まらない。あたかも人々の倫理がメルトダウン(融解)して行くように見える。
公務員についても、社会保険庁の年金記録漏れ問題は、「名寄せ」期限の3月末までに数日を残すだけとなっているが、「不明」が数多く残り、結局のところ解決が先送りされる状況のようだ。また、年金保険料の横領問題や、守屋前防衛事務次官の過剰接待問題、多くの省庁や政府関係事業に亘る談合、収賄や税金・徴収金の浪費など、地方を含め行政の広範な分野で不正や不祥事が耐えない。事件がある毎に「綱紀粛正」が行われ、国家公務員倫理法(1999年)や倫理規定が制定、強化されても、効果には制約があるのが現実です。保身や既得権の擁護はどこの組織でも見られるところではあるが、公の仕事に奉職し、国民の秩序と利益の擁護者であるべき公務員制度でありながら、自己改革能力が欠如しているようにも映る。
これらの問題は、単に特定省庁の問題ではなく、公務員としての倫理の希薄さ、志や士気の低さを象徴していると言えます。地方公務員を含め、簡素化と倫理の再構築が強く求められています。
2、地域コミュニテイ造りへの住民の「参加」と「関与」
他方、と言うより、このような事件が起こっていることを背景として、町内会での巡回警備や児童の誘導など、特定の分野での地域活動に加え、地域レベルでのコミュニテイ造りが動き出した。東京都杉並区の区立和田中学校では、最近、校舎を利用して、大手進学塾の講師が受験対策の授業(有料)をする「夜スペシャル」の実施に踏み切った。また、同校のPTAが区のPTA協議会から自主的に脱退し、地域住民等のボランティアで作る「地域本部」の一部として参加し、保護者と地域が一体となり、生徒を支援する活動を行う。PTAは母親が中心となる場合が多く、学校内の教育問題に限定されるが、「地域本部」と合体することにより、父親などが余暇に地域コミュニテイ造りの一環として学校支援活動に参加し易くなると期待されている。
また、保育所での「保育の質」の向上のため、職員研修に積極的に取り組めるよう国が新たなガイドラインを作成し、都道府県や市町村は国のガイドラインを参考にしながら、研修内容を充実させることも検討されている。もっとも、国のこのような計画には、厚労省と文部科学省などとの横断的な連携が不可欠であるが、保育などは正に地域コミュニテイが取り組む問題なのであろう。
最近の各種の事件、不祥事を背景として、国レベルでもいろいろな取り組みが検討されている。政府の「公務員制度改革」に関する懇談会の報告書を受けて(1月末)、国家公務員の人事を一元管理し、「縦割り人事」の弊害を解消するための「内閣人事庁」(仮称)の創設や、在職中に不祥事で損害を与えた元国家公務員に対する損害賠償責任の厳格化など、公務員制度改革案について政府内で検討されています。
教育再生会議が首相官邸で開かれ総会で最終報告を決定し(1月末)、「徳育の充実」などを列挙しています。更に、「消費者保護の視点」を重視し、省庁横断的な「消費庁」創設も検討されています。これは、最近でも起こっている食品偽装や古紙再生偽装などを教訓として、企業経営のみでなく、行政においても「消費者の安全や保護」の視点を重視する流れと言えます。裁判の迅速化や経済犯罪に対し、体罰ではなく罰金の引き上げや奉仕活動などによる犯罪の抑止なども検討されているようです。
1月18日の施政方針演説において、福田総理は、「国民に新たな活力を与え、生活の質を高めるために、これまでの生産者・供給者の立場から作られた法律、制度、さらには行政や政治を、国民本位のものに改めなければなりません。国民の安全と福利のために置かれた役所や公の機関が、時としてむしろ国民の害となっている例が続発しております。私はこのような姿を本来の形に戻すことに全力を傾注したいと思います」と述べています。
しかし、社会倫理の再構築、「心の再生」の問題は、政府レベル、行政レベルの取り組みで済む問題ではなく、家庭、地域コミュニテイ、保育・幼稚園、学校、そして企業・組織など、国民レベルで取り組まれなくては、効果は短期的、局所的に終わる恐れがあります。自らの生活や家庭、地域コミュニテイは他人事ではなく、自らも参画して作り上げるという意識が望まれます。
90年代にリメイクされた映画「木枯らしの紋次郎」では、「あっしには関わりないことでござんす」という台詞が、都市のコンクリート砂漠化とバブル経済崩壊という社会的な背景の中で、ニヒルな格好良さとしてある種の社会現象となったが、結果は家庭やコミュニテイに「木枯らし」が吹く格好となった。原作者の真意は、裏社会の渡世人であり、表立っては正義を言えた柄ではないが、下積みの弱者を助けた姿や人情が共鳴を呼んだのであろう。
今必要なのは、地域コミュニテイへの住民の「参加」であり「関与」ではないだろうか。地域コミュニテイも、行政お任せ型から「住民参加型」に進化して行くべきなのであろう。

このような社会各部の事件や不正の具体的な事例を振り返り、全般的な広がりを見せ始めている倫理のメルトダウンを危惧し、安心で豊かな日本の将来のために、一人一人の「心の再生」の必要性を問い、個々人、家庭、幼児教育を含む教育、企業・組織の場での取り組みについて、重層的、実践的に提言すると共に、行政や司法のあり方や取り組みについても率直に提言している著書があります。
「心」の問題は、政府や行政だけに任せられる問題ではありません。同著は、国、地方の行政、コミュニテイ作り、そして家庭、教育の場など、市民の健全な生活を構築するための触媒となるような多くの提言を行っており、そこから多くのヒントが得られると思います。上述の通り、政府内においても同著書の提言内容に沿う対応や施策が検討され、また、マスコミや民間グループなどでも心の健康や心の問題が注目され、日本社会の各分野に浸透し始めています。

「日本の倫理融解(メルトダウン)
  ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
            提言編」
“Japan’s Moral Melt-down – Regenerating the Mindset– Proposals”
            小嶋 光昭著
            内外政策評論家
            前駐ルクセンブルク大使
                 発売 星雲社
別途電子書籍(パピレス)あり。
本著は実務的、実践的ではありますが、最近の日本社会の風潮を記録する「歴史を刻む書」と言えます。主要書店でお尋ね頂くか、注文下さい。また、パピレスを通じ電子書籍としてインターネット上でもご覧頂けます。
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2008-03-26 | Weblog
動き始めた地域コミュニテイへの住民の「参加」と「関与」
 1、生かされない教訓
3月23日、青年(無職、24歳)が茨城県のJR常磐線荒川沖駅周辺で通行人など8人に無差別に刃物で切り付け、1人が死亡した。25日には、大阪府の青年(無職、18歳)が岡山市のJR山陽線岡山駅ホームで、電車を待っていた倉敷市の面識もない男性(38歳)を背後から押して線路に転落させ、入ってきた電車にはねられ死亡させた。同日、東京都板橋区では小学生男子(6年生)が卒業式の後自宅マンションから飛び降りて死亡した。
 事件はこれだけではない。幼児虐待など家庭内の暴力や、貧しさや介護疲れなどからの殺傷事件など、現在、社会の広範な分野で比類の無い事件や不正の連鎖が続いています。無論、このような事件は比率の上では少数であろうが、社会の広範な分野で起こっており、何時自分の身の回りで起こるか分らない状態です。家庭が崩壊し、学校や地域が、そして職場など、社会の各分野で事件や不祥事が起こり、止まらない。あたかも人々の倫理がメルトダウン(融解)して行くように見える。
公務員についても、社会保険庁の年金記録漏れ問題は、「名寄せ」期限の3月末までに数日を残すだけとなっているが、「不明」が数多く残り、結局のところ解決が先送りされる状況のようだ。また、年金保険料の横領問題や、守屋前防衛事務次官の過剰接待問題、多くの省庁や政府関係事業に亘る談合、収賄や税金・徴収金の浪費など、地方を含め行政の広範な分野で不正や不祥事が耐えない。事件がある毎に「綱紀粛正」が行われ、国家公務員倫理法(1999年)や倫理規定が制定、強化されても、効果には制約があるのが現実です。保身や既得権の擁護はどこの組織でも見られるところではあるが、公の仕事に奉職し、国民の秩序と利益の擁護者であるべき公務員制度でありながら、自己改革能力が欠如しているようにも映る。
これらの問題は、単に特定省庁の問題ではなく、公務員としての倫理の希薄さ、志や士気の低さを象徴していると言えます。地方公務員を含め、簡素化と倫理の再構築が強く求められています。
2、地域コミュニテイ造りへの住民の「参加」と「関与」
他方、と言うより、このような事件が起こっていることを背景として、町内会での巡回警備や児童の誘導など、特定の分野での地域活動に加え、地域レベルでのコミュニテイ造りが動き出した。東京都杉並区の区立和田中学校では、最近、校舎を利用して、大手進学塾の講師が受験対策の授業(有料)をする「夜スペシャル」の実施に踏み切った。また、同校のPTAが区のPTA協議会から自主的に脱退し、地域住民等のボランティアで作る「地域本部」の一部として参加し、保護者と地域が一体となり、生徒を支援する活動を行う。PTAは母親が中心となる場合が多く、学校内の教育問題に限定されるが、「地域本部」と合体することにより、父親などが余暇に地域コミュニテイ造りの一環として学校支援活動に参加し易くなると期待されている。
また、保育所での「保育の質」の向上のため、職員研修に積極的に取り組めるよう国が新たなガイドラインを作成し、都道府県や市町村は国のガイドラインを参考にしながら、研修内容を充実させることも検討されている。もっとも、国のこのような計画には、厚労省と文部科学省などとの横断的な連携が不可欠であるが、保育などは正に地域コミュニテイが取り組む問題なのであろう。
最近の各種の事件、不祥事を背景として、国レベルでもいろいろな取り組みが検討されている。政府の「公務員制度改革」に関する懇談会の報告書を受けて(1月末)、国家公務員の人事を一元管理し、「縦割り人事」の弊害を解消するための「内閣人事庁」(仮称)の創設や、在職中に不祥事で損害を与えた元国家公務員に対する損害賠償責任の厳格化など、公務員制度改革案について政府内で検討されています。
教育再生会議が首相官邸で開かれ総会で最終報告を決定し(1月末)、「徳育の充実」などを列挙しています。更に、「消費者保護の視点」を重視し、省庁横断的な「消費庁」創設も検討されています。これは、最近でも起こっている食品偽装や古紙再生偽装などを教訓として、企業経営のみでなく、行政においても「消費者の安全や保護」の視点を重視する流れと言えます。裁判の迅速化や経済犯罪に対し、体罰ではなく罰金の引き上げや奉仕活動などによる犯罪の抑止なども検討されているようです。
1月18日の施政方針演説において、福田総理は、「国民に新たな活力を与え、生活の質を高めるために、これまでの生産者・供給者の立場から作られた法律、制度、さらには行政や政治を、国民本位のものに改めなければなりません。国民の安全と福利のために置かれた役所や公の機関が、時としてむしろ国民の害となっている例が続発しております。私はこのような姿を本来の形に戻すことに全力を傾注したいと思います」と述べています。
しかし、社会倫理の再構築、「心の再生」の問題は、政府レベル、行政レベルの取り組みで済む問題ではなく、家庭、地域コミュニテイ、保育・幼稚園、学校、そして企業・組織など、国民レベルで取り組まれなくては、効果は短期的、局所的に終わる恐れがあります。自らの生活や家庭、地域コミュニテイは他人事ではなく、自らも参画して作り上げるという意識が望まれます。
90年代にリメイクされた映画「木枯らしの紋次郎」では、「あっしには関わりないことでござんす」という台詞が、都市のコンクリート砂漠化とバブル経済崩壊という社会的な背景の中で、ニヒルな格好良さとしてある種の社会現象となったが、結果は家庭やコミュニテイに「木枯らし」が吹く格好となった。原作者の真意は、裏社会の渡世人であり、表立っては正義を言えた柄ではないが、下積みの弱者を助けた姿や人情が共鳴を呼んだのであろう。
今必要なのは、地域コミュニテイへの住民の「参加」であり「関与」ではないだろうか。地域コミュニテイも、行政お任せ型から「住民参加型」に進化して行くべきなのであろう。

このような社会各部の事件や不正の具体的な事例を振り返り、全般的な広がりを見せ始めている倫理のメルトダウンを危惧し、安心で豊かな日本の将来のために、一人一人の「心の再生」の必要性を問い、個々人、家庭、幼児教育を含む教育、企業・組織の場での取り組みについて、重層的、実践的に提言すると共に、行政や司法のあり方や取り組みについても率直に提言している著書があります。
「心」の問題は、政府や行政だけに任せられる問題ではありません。同著は、国、地方の行政、コミュニテイ作り、そして家庭、教育の場など、市民の健全な生活を構築するための触媒となるような多くの提言を行っており、そこから多くのヒントが得られると思います。上述の通り、政府内においても同著書の提言内容に沿う対応や施策が検討され、また、マスコミや民間グループなどでも心の健康や心の問題が注目され、日本社会の各分野に浸透し始めています。

「日本の倫理融解(メルトダウン)
  ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
            提言編」
“Japan’s Moral Melt-down – Regenerating the Mindset– Proposals”
            小嶋 光昭著
            内外政策評論家
            前駐ルクセンブルク大使
                 発売 星雲社
別途電子書籍(パピレス)あり。
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 1、生かされない教訓
3月23日、青年(無職、24歳)が茨城県のJR常磐線荒川沖駅周辺で通行人など8人に無差別に刃物で切り付け、1人が死亡した。25日には、大阪府の青年(無職、18歳)が岡山市のJR山陽線岡山駅ホームで、電車を待っていた倉敷市の面識もない男性(38歳)を背後から押して線路に転落させ、入ってきた電車にはねられ死亡させた。同日、東京都板橋区では小学生男子(6年生)が卒業式の後自宅マンションから飛び降りて死亡した。
 事件はこれだけではない。幼児虐待など家庭内の暴力や、貧しさや介護疲れなどからの殺傷事件など、現在、社会の広範な分野で比類の無い事件や不正の連鎖が続いています。無論、このような事件は比率の上では少数であろうが、社会の広範な分野で起こっており、何時自分の身の回りで起こるか分らない状態です。家庭が崩壊し、学校や地域が、そして職場など、社会の各分野で事件や不祥事が起こり、止まらない。あたかも人々の倫理がメルトダウン(融解)して行くように見える。
公務員についても、社会保険庁の年金記録漏れ問題は、「名寄せ」期限の3月末までに数日を残すだけとなっているが、「不明」が数多く残り、結局のところ解決が先送りされる状況のようだ。また、年金保険料の横領問題や、守屋前防衛事務次官の過剰接待問題、多くの省庁や政府関係事業に亘る談合、収賄や税金・徴収金の浪費など、地方を含め行政の広範な分野で不正や不祥事が耐えない。事件がある毎に「綱紀粛正」が行われ、国家公務員倫理法(1999年)や倫理規定が制定、強化されても、効果には制約があるのが現実です。保身や既得権の擁護はどこの組織でも見られるところではあるが、公の仕事に奉職し、国民の秩序と利益の擁護者であるべき公務員制度でありながら、自己改革能力が欠如しているようにも映る。
これらの問題は、単に特定省庁の問題ではなく、公務員としての倫理の希薄さ、志や士気の低さを象徴していると言えます。地方公務員を含め、簡素化と倫理の再構築が強く求められています。
2、地域コミュニテイ造りへの住民の「参加」と「関与」
他方、と言うより、このような事件が起こっていることを背景として、町内会での巡回警備や児童の誘導など、特定の分野での地域活動に加え、地域レベルでのコミュニテイ造りが動き出した。東京都杉並区の区立和田中学校では、最近、校舎を利用して、大手進学塾の講師が受験対策の授業(有料)をする「夜スペシャル」の実施に踏み切った。また、同校のPTAが区のPTA協議会から自主的に脱退し、地域住民等のボランティアで作る「地域本部」の一部として参加し、保護者と地域が一体となり、生徒を支援する活動を行う。PTAは母親が中心となる場合が多く、学校内の教育問題に限定されるが、「地域本部」と合体することにより、父親などが余暇に地域コミュニテイ造りの一環として学校支援活動に参加し易くなると期待されている。
また、保育所での「保育の質」の向上のため、職員研修に積極的に取り組めるよう国が新たなガイドラインを作成し、都道府県や市町村は国のガイドラインを参考にしながら、研修内容を充実させることも検討されている。もっとも、国のこのような計画には、厚労省と文部科学省などとの横断的な連携が不可欠であるが、保育などは正に地域コミュニテイが取り組む問題なのであろう。
最近の各種の事件、不祥事を背景として、国レベルでもいろいろな取り組みが検討されている。政府の「公務員制度改革」に関する懇談会の報告書を受けて(1月末)、国家公務員の人事を一元管理し、「縦割り人事」の弊害を解消するための「内閣人事庁」(仮称)の創設や、在職中に不祥事で損害を与えた元国家公務員に対する損害賠償責任の厳格化など、公務員制度改革案について政府内で検討されています。
教育再生会議が首相官邸で開かれ総会で最終報告を決定し(1月末)、「徳育の充実」などを列挙しています。更に、「消費者保護の視点」を重視し、省庁横断的な「消費庁」創設も検討されています。これは、最近でも起こっている食品偽装や古紙再生偽装などを教訓として、企業経営のみでなく、行政においても「消費者の安全や保護」の視点を重視する流れと言えます。裁判の迅速化や経済犯罪に対し、体罰ではなく罰金の引き上げや奉仕活動などによる犯罪の抑止なども検討されているようです。
1月18日の施政方針演説において、福田総理は、「国民に新たな活力を与え、生活の質を高めるために、これまでの生産者・供給者の立場から作られた法律、制度、さらには行政や政治を、国民本位のものに改めなければなりません。国民の安全と福利のために置かれた役所や公の機関が、時としてむしろ国民の害となっている例が続発しております。私はこのような姿を本来の形に戻すことに全力を傾注したいと思います」と述べています。
しかし、社会倫理の再構築、「心の再生」の問題は、政府レベル、行政レベルの取り組みで済む問題ではなく、家庭、地域コミュニテイ、保育・幼稚園、学校、そして企業・組織など、国民レベルで取り組まれなくては、効果は短期的、局所的に終わる恐れがあります。自らの生活や家庭、地域コミュニテイは他人事ではなく、自らも参画して作り上げるという意識が望まれます。
90年代にリメイクされた映画「木枯らしの紋次郎」では、「あっしには関わりないことでござんす」という台詞が、都市のコンクリート砂漠化とバブル経済崩壊という社会的な背景の中で、ニヒルな格好良さとしてある種の社会現象となったが、結果は家庭やコミュニテイに「木枯らし」が吹く格好となった。原作者の真意は、裏社会の渡世人であり、表立っては正義を言えた柄ではないが、下積みの弱者を助けた姿や人情が共鳴を呼んだのであろう。
今必要なのは、地域コミュニテイへの住民の「参加」であり「関与」ではないだろうか。地域コミュニテイも、行政お任せ型から「住民参加型」に進化して行くべきなのであろう。

このような社会各部の事件や不正の具体的な事例を振り返り、全般的な広がりを見せ始めている倫理のメルトダウンを危惧し、安心で豊かな日本の将来のために、一人一人の「心の再生」の必要性を問い、個々人、家庭、幼児教育を含む教育、企業・組織の場での取り組みについて、重層的、実践的に提言すると共に、行政や司法のあり方や取り組みについても率直に提言している著書があります。
「心」の問題は、政府や行政だけに任せられる問題ではありません。同著は、国、地方の行政、コミュニテイ作り、そして家庭、教育の場など、市民の健全な生活を構築するための触媒となるような多くの提言を行っており、そこから多くのヒントが得られると思います。上述の通り、政府内においても同著書の提言内容に沿う対応や施策が検討され、また、マスコミや民間グループなどでも心の健康や心の問題が注目され、日本社会の各分野に浸透し始めています。

「日本の倫理融解(メルトダウン)
  ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
            提言編」
“Japan’s Moral Melt-down – Regenerating the Mindset– Proposals”
            小嶋 光昭著
            内外政策評論家
            前駐ルクセンブルク大使
                 発売 星雲社
別途電子書籍(パピレス)あり。
本著は実務的、実践的ではありますが、最近の日本社会の風潮を記録する「歴史を刻む書」と言えます。主要書店でお尋ね頂くか、注文下さい。また、パピレスを通じ電子書籍としてインターネット上でもご覧頂けます。
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 1、生かされない教訓
3月23日、青年(無職、24歳)が茨城県のJR常磐線荒川沖駅周辺で通行人など8人に無差別に刃物で切り付け、1人が死亡した。25日には、大阪府の青年(無職、18歳)が岡山市のJR山陽線岡山駅ホームで、電車を待っていた倉敷市の面識もない男性(38歳)を背後から押して線路に転落させ、入ってきた電車にはねられ死亡させた。同日、東京都板橋区では小学生男子(6年生)が卒業式の後自宅マンションから飛び降りて死亡した。
 事件はこれだけではない。幼児虐待など家庭内の暴力や、貧しさや介護疲れなどからの殺傷事件など、現在、社会の広範な分野で比類の無い事件や不正の連鎖が続いています。無論、このような事件は比率の上では少数であろうが、社会の広範な分野で起こっており、何時自分の身の回りで起こるか分らない状態です。家庭が崩壊し、学校や地域が、そして職場など、社会の各分野で事件や不祥事が起こり、止まらない。あたかも人々の倫理がメルトダウン(融解)して行くように見える。
公務員についても、社会保険庁の年金記録漏れ問題は、「名寄せ」期限の3月末までに数日を残すだけとなっているが、「不明」が数多く残り、結局のところ解決が先送りされる状況のようだ。また、年金保険料の横領問題や、守屋前防衛事務次官の過剰接待問題、多くの省庁や政府関係事業に亘る談合、収賄や税金・徴収金の浪費など、地方を含め行政の広範な分野で不正や不祥事が耐えない。事件がある毎に「綱紀粛正」が行われ、国家公務員倫理法(1999年)や倫理規定が制定、強化されても、効果には制約があるのが現実です。保身や既得権の擁護はどこの組織でも見られるところではあるが、公の仕事に奉職し、国民の秩序と利益の擁護者であるべき公務員制度でありながら、自己改革能力が欠如しているようにも映る。
これらの問題は、単に特定省庁の問題ではなく、公務員としての倫理の希薄さ、志や士気の低さを象徴していると言えます。地方公務員を含め、簡素化と倫理の再構築が強く求められています。
2、地域コミュニテイ造りへの住民の「参加」と「関与」
他方、と言うより、このような事件が起こっていることを背景として、町内会での巡回警備や児童の誘導など、特定の分野での地域活動に加え、地域レベルでのコミュニテイ造りが動き出した。東京都杉並区の区立和田中学校では、最近、校舎を利用して、大手進学塾の講師が受験対策の授業(有料)をする「夜スペシャル」の実施に踏み切った。また、同校のPTAが区のPTA協議会から自主的に脱退し、地域住民等のボランティアで作る「地域本部」の一部として参加し、保護者と地域が一体となり、生徒を支援する活動を行う。PTAは母親が中心となる場合が多く、学校内の教育問題に限定されるが、「地域本部」と合体することにより、父親などが余暇に地域コミュニテイ造りの一環として学校支援活動に参加し易くなると期待されている。
また、保育所での「保育の質」の向上のため、職員研修に積極的に取り組めるよう国が新たなガイドラインを作成し、都道府県や市町村は国のガイドラインを参考にしながら、研修内容を充実させることも検討されている。もっとも、国のこのような計画には、厚労省と文部科学省などとの横断的な連携が不可欠であるが、保育などは正に地域コミュニテイが取り組む問題なのであろう。
最近の各種の事件、不祥事を背景として、国レベルでもいろいろな取り組みが検討されている。政府の「公務員制度改革」に関する懇談会の報告書を受けて(1月末)、国家公務員の人事を一元管理し、「縦割り人事」の弊害を解消するための「内閣人事庁」(仮称)の創設や、在職中に不祥事で損害を与えた元国家公務員に対する損害賠償責任の厳格化など、公務員制度改革案について政府内で検討されています。
教育再生会議が首相官邸で開かれ総会で最終報告を決定し(1月末)、「徳育の充実」などを列挙しています。更に、「消費者保護の視点」を重視し、省庁横断的な「消費庁」創設も検討されています。これは、最近でも起こっている食品偽装や古紙再生偽装などを教訓として、企業経営のみでなく、行政においても「消費者の安全や保護」の視点を重視する流れと言えます。裁判の迅速化や経済犯罪に対し、体罰ではなく罰金の引き上げや奉仕活動などによる犯罪の抑止なども検討されているようです。
1月18日の施政方針演説において、福田総理は、「国民に新たな活力を与え、生活の質を高めるために、これまでの生産者・供給者の立場から作られた法律、制度、さらには行政や政治を、国民本位のものに改めなければなりません。国民の安全と福利のために置かれた役所や公の機関が、時としてむしろ国民の害となっている例が続発しております。私はこのような姿を本来の形に戻すことに全力を傾注したいと思います」と述べています。
しかし、社会倫理の再構築、「心の再生」の問題は、政府レベル、行政レベルの取り組みで済む問題ではなく、家庭、地域コミュニテイ、保育・幼稚園、学校、そして企業・組織など、国民レベルで取り組まれなくては、効果は短期的、局所的に終わる恐れがあります。自らの生活や家庭、地域コミュニテイは他人事ではなく、自らも参画して作り上げるという意識が望まれます。
90年代にリメイクされた映画「木枯らしの紋次郎」では、「あっしには関わりないことでござんす」という台詞が、都市のコンクリート砂漠化とバブル経済崩壊という社会的な背景の中で、ニヒルな格好良さとしてある種の社会現象となったが、結果は家庭やコミュニテイに「木枯らし」が吹く格好となった。原作者の真意は、裏社会の渡世人であり、表立っては正義を言えた柄ではないが、下積みの弱者を助けた姿や人情が共鳴を呼んだのであろう。
今必要なのは、地域コミュニテイへの住民の「参加」であり「関与」ではないだろうか。地域コミュニテイも、行政お任せ型から「住民参加型」に進化して行くべきなのであろう。

このような社会各部の事件や不正の具体的な事例を振り返り、全般的な広がりを見せ始めている倫理のメルトダウンを危惧し、安心で豊かな日本の将来のために、一人一人の「心の再生」の必要性を問い、個々人、家庭、幼児教育を含む教育、企業・組織の場での取り組みについて、重層的、実践的に提言すると共に、行政や司法のあり方や取り組みについても率直に提言している著書があります。
「心」の問題は、政府や行政だけに任せられる問題ではありません。同著は、国、地方の行政、コミュニテイ作り、そして家庭、教育の場など、市民の健全な生活を構築するための触媒となるような多くの提言を行っており、そこから多くのヒントが得られると思います。上述の通り、政府内においても同著書の提言内容に沿う対応や施策が検討され、また、マスコミや民間グループなどでも心の健康や心の問題が注目され、日本社会の各分野に浸透し始めています。

「日本の倫理融解(メルトダウン)
  ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
            提言編」
“Japan’s Moral Melt-down – Regenerating the Mindset– Proposals”
            小嶋 光昭著
            内外政策評論家
            前駐ルクセンブルク大使
                 発売 星雲社
別途電子書籍(パピレス)あり。
本著は実務的、実践的ではありますが、最近の日本社会の風潮を記録する「歴史を刻む書」と言えます。主要書店でお尋ね頂くか、注文下さい。また、パピレスを通じ電子書籍としてインターネット上でもご覧頂けます。
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動き始めた地域コミュニテイへの住民の「参加」と「関与」

2008-03-26 | Weblog
動き始めた地域コミュニテイへの住民の「参加」と「関与」
 1、生かされない教訓
3月23日、青年(無職、24歳)が茨城県のJR常磐線荒川沖駅周辺で通行人など8人に無差別に刃物で切り付け、1人が死亡した。25日には、大阪府の青年(無職、18歳)が岡山市のJR山陽線岡山駅ホームで、電車を待っていた倉敷市の面識もない男性(38歳)を背後から押して線路に転落させ、入ってきた電車にはねられ死亡させた。同日、東京都板橋区では小学生男子(6年生)が卒業式の後自宅マンションから飛び降りて死亡した。
 事件はこれだけではない。幼児虐待など家庭内の暴力や、貧しさや介護疲れなどからの殺傷事件など、現在、社会の広範な分野で比類の無い事件や不正の連鎖が続いています。無論、このような事件は比率の上では少数であろうが、社会の広範な分野で起こっており、何時自分の身の回りで起こるか分らない状態です。家庭が崩壊し、学校や地域が、そして職場など、社会の各分野で事件や不祥事が起こり、止まらない。あたかも人々の倫理がメルトダウン(融解)して行くように見える。
公務員についても、社会保険庁の年金記録漏れ問題は、「名寄せ」期限の3月末までに数日を残すだけとなっているが、「不明」が数多く残り、結局のところ解決が先送りされる状況のようだ。また、年金保険料の横領問題や、守屋前防衛事務次官の過剰接待問題、多くの省庁や政府関係事業に亘る談合、収賄や税金・徴収金の浪費など、地方を含め行政の広範な分野で不正や不祥事が耐えない。事件がある毎に「綱紀粛正」が行われ、国家公務員倫理法(1999年)や倫理規定が制定、強化されても、効果には制約があるのが現実です。保身や既得権の擁護はどこの組織でも見られるところではあるが、公の仕事に奉職し、国民の秩序と利益の擁護者であるべき公務員制度でありながら、自己改革能力が欠如しているようにも映る。
これらの問題は、単に特定省庁の問題ではなく、公務員としての倫理の希薄さ、志や士気の低さを象徴していると言えます。地方公務員を含め、簡素化と倫理の再構築が強く求められています。
2、地域コミュニテイ造りへの住民の「参加」と「関与」
他方、と言うより、このような事件が起こっていることを背景として、町内会での巡回警備や児童の誘導など、特定の分野での地域活動に加え、地域レベルでのコミュニテイ造りが動き出した。東京都杉並区の区立和田中学校では、最近、校舎を利用して、大手進学塾の講師が受験対策の授業(有料)をする「夜スペシャル」の実施に踏み切った。また、同校のPTAが区のPTA協議会から自主的に脱退し、地域住民等のボランティアで作る「地域本部」の一部として参加し、保護者と地域が一体となり、生徒を支援する活動を行う。PTAは母親が中心となる場合が多く、学校内の教育問題に限定されるが、「地域本部」と合体することにより、父親などが余暇に地域コミュニテイ造りの一環として学校支援活動に参加し易くなると期待されている。
また、保育所での「保育の質」の向上のため、職員研修に積極的に取り組めるよう国が新たなガイドラインを作成し、都道府県や市町村は国のガイドラインを参考にしながら、研修内容を充実させることも検討されている。もっとも、国のこのような計画には、厚労省と文部科学省などとの横断的な連携が不可欠であるが、保育などは正に地域コミュニテイが取り組む問題なのであろう。
最近の各種の事件、不祥事を背景として、国レベルでもいろいろな取り組みが検討されている。政府の「公務員制度改革」に関する懇談会の報告書を受けて(1月末)、国家公務員の人事を一元管理し、「縦割り人事」の弊害を解消するための「内閣人事庁」(仮称)の創設や、在職中に不祥事で損害を与えた元国家公務員に対する損害賠償責任の厳格化など、公務員制度改革案について政府内で検討されています。
教育再生会議が首相官邸で開かれ総会で最終報告を決定し(1月末)、「徳育の充実」などを列挙しています。更に、「消費者保護の視点」を重視し、省庁横断的な「消費庁」創設も検討されています。これは、最近でも起こっている食品偽装や古紙再生偽装などを教訓として、企業経営のみでなく、行政においても「消費者の安全や保護」の視点を重視する流れと言えます。裁判の迅速化や経済犯罪に対し、体罰ではなく罰金の引き上げや奉仕活動などによる犯罪の抑止なども検討されているようです。
1月18日の施政方針演説において、福田総理は、「国民に新たな活力を与え、生活の質を高めるために、これまでの生産者・供給者の立場から作られた法律、制度、さらには行政や政治を、国民本位のものに改めなければなりません。国民の安全と福利のために置かれた役所や公の機関が、時としてむしろ国民の害となっている例が続発しております。私はこのような姿を本来の形に戻すことに全力を傾注したいと思います」と述べています。
しかし、社会倫理の再構築、「心の再生」の問題は、政府レベル、行政レベルの取り組みで済む問題ではなく、家庭、地域コミュニテイ、保育・幼稚園、学校、そして企業・組織など、国民レベルで取り組まれなくては、効果は短期的、局所的に終わる恐れがあります。自らの生活や家庭、地域コミュニテイは他人事ではなく、自らも参画して作り上げるという意識が望まれます。
90年代にリメイクされた映画「木枯らしの紋次郎」では、「あっしには関わりないことでござんす」という台詞が、都市のコンクリート砂漠化とバブル経済崩壊という社会的な背景の中で、ニヒルな格好良さとしてある種の社会現象となったが、結果は家庭やコミュニテイに「木枯らし」が吹く格好となった。原作者の真意は、裏社会の渡世人であり、表立っては正義を言えた柄ではないが、下積みの弱者を助けた姿や人情が共鳴を呼んだのであろう。
今必要なのは、地域コミュニテイへの住民の「参加」であり「関与」ではないだろうか。地域コミュニテイも、行政お任せ型から「住民参加型」に進化して行くべきなのであろう。

このような社会各部の事件や不正の具体的な事例を振り返り、全般的な広がりを見せ始めている倫理のメルトダウンを危惧し、安心で豊かな日本の将来のために、一人一人の「心の再生」の必要性を問い、個々人、家庭、幼児教育を含む教育、企業・組織の場での取り組みについて、重層的、実践的に提言すると共に、行政や司法のあり方や取り組みについても率直に提言している著書があります。
「心」の問題は、政府や行政だけに任せられる問題ではありません。同著は、国、地方の行政、コミュニテイ作り、そして家庭、教育の場など、市民の健全な生活を構築するための触媒となるような多くの提言を行っており、そこから多くのヒントが得られると思います。上述の通り、政府内においても同著書の提言内容に沿う対応や施策が検討され、また、マスコミや民間グループなどでも心の健康や心の問題が注目され、日本社会の各分野に浸透し始めています。

「日本の倫理融解(メルトダウン)
  ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
            提言編」
“Japan’s Moral Melt-down – Regenerating the Mindset– Proposals”
            小嶋 光昭著
            内外政策評論家
            前駐ルクセンブルク大使
                 発売 星雲社
別途電子書籍(パピレス)あり。
本著は実務的、実践的ではありますが、最近の日本社会の風潮を記録する「歴史を刻む書」と言えます。主要書店でお尋ね頂くか、注文下さい。また、パピレスを通じ電子書籍としてインターネット上でもご覧頂けます。
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動き始めた地域コミュニテイへの住民の「参加」と「関与」
 1、生かされない教訓
3月23日、青年(無職、24歳)が茨城県のJR常磐線荒川沖駅周辺で通行人など8人に無差別に刃物で切り付け、1人が死亡した。25日には、大阪府の青年(無職、18歳)が岡山市のJR山陽線岡山駅ホームで、電車を待っていた倉敷市の面識もない男性(38歳)を背後から押して線路に転落させ、入ってきた電車にはねられ死亡させた。同日、東京都板橋区では小学生男子(6年生)が卒業式の後自宅マンションから飛び降りて死亡した。
 事件はこれだけではない。幼児虐待など家庭内の暴力や、貧しさや介護疲れなどからの殺傷事件など、現在、社会の広範な分野で比類の無い事件や不正の連鎖が続いています。無論、このような事件は比率の上では少数であろうが、社会の広範な分野で起こっており、何時自分の身の回りで起こるか分らない状態です。家庭が崩壊し、学校や地域が、そして職場など、社会の各分野で事件や不祥事が起こり、止まらない。あたかも人々の倫理がメルトダウン(融解)して行くように見える。
公務員についても、社会保険庁の年金記録漏れ問題は、「名寄せ」期限の3月末までに数日を残すだけとなっているが、「不明」が数多く残り、結局のところ解決が先送りされる状況のようだ。また、年金保険料の横領問題や、守屋前防衛事務次官の過剰接待問題、多くの省庁や政府関係事業に亘る談合、収賄や税金・徴収金の浪費など、地方を含め行政の広範な分野で不正や不祥事が耐えない。事件がある毎に「綱紀粛正」が行われ、国家公務員倫理法(1999年)や倫理規定が制定、強化されても、効果には制約があるのが現実です。保身や既得権の擁護はどこの組織でも見られるところではあるが、公の仕事に奉職し、国民の秩序と利益の擁護者であるべき公務員制度でありながら、自己改革能力が欠如しているようにも映る。
これらの問題は、単に特定省庁の問題ではなく、公務員としての倫理の希薄さ、志や士気の低さを象徴していると言えます。地方公務員を含め、簡素化と倫理の再構築が強く求められています。
2、地域コミュニテイ造りへの住民の「参加」と「関与」
他方、と言うより、このような事件が起こっていることを背景として、町内会での巡回警備や児童の誘導など、特定の分野での地域活動に加え、地域レベルでのコミュニテイ造りが動き出した。東京都杉並区の区立和田中学校では、最近、校舎を利用して、大手進学塾の講師が受験対策の授業(有料)をする「夜スペシャル」の実施に踏み切った。また、同校のPTAが区のPTA協議会から自主的に脱退し、地域住民等のボランティアで作る「地域本部」の一部として参加し、保護者と地域が一体となり、生徒を支援する活動を行う。PTAは母親が中心となる場合が多く、学校内の教育問題に限定されるが、「地域本部」と合体することにより、父親などが余暇に地域コミュニテイ造りの一環として学校支援活動に参加し易くなると期待されている。
また、保育所での「保育の質」の向上のため、職員研修に積極的に取り組めるよう国が新たなガイドラインを作成し、都道府県や市町村は国のガイドラインを参考にしながら、研修内容を充実させることも検討されている。もっとも、国のこのような計画には、厚労省と文部科学省などとの横断的な連携が不可欠であるが、保育などは正に地域コミュニテイが取り組む問題なのであろう。
最近の各種の事件、不祥事を背景として、国レベルでもいろいろな取り組みが検討されている。政府の「公務員制度改革」に関する懇談会の報告書を受けて(1月末)、国家公務員の人事を一元管理し、「縦割り人事」の弊害を解消するための「内閣人事庁」(仮称)の創設や、在職中に不祥事で損害を与えた元国家公務員に対する損害賠償責任の厳格化など、公務員制度改革案について政府内で検討されています。
教育再生会議が首相官邸で開かれ総会で最終報告を決定し(1月末)、「徳育の充実」などを列挙しています。更に、「消費者保護の視点」を重視し、省庁横断的な「消費庁」創設も検討されています。これは、最近でも起こっている食品偽装や古紙再生偽装などを教訓として、企業経営のみでなく、行政においても「消費者の安全や保護」の視点を重視する流れと言えます。裁判の迅速化や経済犯罪に対し、体罰ではなく罰金の引き上げや奉仕活動などによる犯罪の抑止なども検討されているようです。
1月18日の施政方針演説において、福田総理は、「国民に新たな活力を与え、生活の質を高めるために、これまでの生産者・供給者の立場から作られた法律、制度、さらには行政や政治を、国民本位のものに改めなければなりません。国民の安全と福利のために置かれた役所や公の機関が、時としてむしろ国民の害となっている例が続発しております。私はこのような姿を本来の形に戻すことに全力を傾注したいと思います」と述べています。
しかし、社会倫理の再構築、「心の再生」の問題は、政府レベル、行政レベルの取り組みで済む問題ではなく、家庭、地域コミュニテイ、保育・幼稚園、学校、そして企業・組織など、国民レベルで取り組まれなくては、効果は短期的、局所的に終わる恐れがあります。自らの生活や家庭、地域コミュニテイは他人事ではなく、自らも参画して作り上げるという意識が望まれます。
90年代にリメイクされた映画「木枯らしの紋次郎」では、「あっしには関わりないことでござんす」という台詞が、都市のコンクリート砂漠化とバブル経済崩壊という社会的な背景の中で、ニヒルな格好良さとしてある種の社会現象となったが、結果は家庭やコミュニテイに「木枯らし」が吹く格好となった。原作者の真意は、裏社会の渡世人であり、表立っては正義を言えた柄ではないが、下積みの弱者を助けた姿や人情が共鳴を呼んだのであろう。
今必要なのは、地域コミュニテイへの住民の「参加」であり「関与」ではないだろうか。地域コミュニテイも、行政お任せ型から「住民参加型」に進化して行くべきなのであろう。

このような社会各部の事件や不正の具体的な事例を振り返り、全般的な広がりを見せ始めている倫理のメルトダウンを危惧し、安心で豊かな日本の将来のために、一人一人の「心の再生」の必要性を問い、個々人、家庭、幼児教育を含む教育、企業・組織の場での取り組みについて、重層的、実践的に提言すると共に、行政や司法のあり方や取り組みについても率直に提言している著書があります。
「心」の問題は、政府や行政だけに任せられる問題ではありません。同著は、国、地方の行政、コミュニテイ作り、そして家庭、教育の場など、市民の健全な生活を構築するための触媒となるような多くの提言を行っており、そこから多くのヒントが得られると思います。上述の通り、政府内においても同著書の提言内容に沿う対応や施策が検討され、また、マスコミや民間グループなどでも心の健康や心の問題が注目され、日本社会の各分野に浸透し始めています。

「日本の倫理融解(メルトダウン)
  ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
            提言編」
“Japan’s Moral Melt-down – Regenerating the Mindset– Proposals”
            小嶋 光昭著
            内外政策評論家
            前駐ルクセンブルク大使
                 発売 星雲社
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 1、生かされない教訓
3月23日、青年(無職、24歳)が茨城県のJR常磐線荒川沖駅周辺で通行人など8人に無差別に刃物で切り付け、1人が死亡した。25日には、大阪府の青年(無職、18歳)が岡山市のJR山陽線岡山駅ホームで、電車を待っていた倉敷市の面識もない男性(38歳)を背後から押して線路に転落させ、入ってきた電車にはねられ死亡させた。同日、東京都板橋区では小学生男子(6年生)が卒業式の後自宅マンションから飛び降りて死亡した。
 事件はこれだけではない。幼児虐待など家庭内の暴力や、貧しさや介護疲れなどからの殺傷事件など、現在、社会の広範な分野で比類の無い事件や不正の連鎖が続いています。無論、このような事件は比率の上では少数であろうが、社会の広範な分野で起こっており、何時自分の身の回りで起こるか分らない状態です。家庭が崩壊し、学校や地域が、そして職場など、社会の各分野で事件や不祥事が起こり、止まらない。あたかも人々の倫理がメルトダウン(融解)して行くように見える。
公務員についても、社会保険庁の年金記録漏れ問題は、「名寄せ」期限の3月末までに数日を残すだけとなっているが、「不明」が数多く残り、結局のところ解決が先送りされる状況のようだ。また、年金保険料の横領問題や、守屋前防衛事務次官の過剰接待問題、多くの省庁や政府関係事業に亘る談合、収賄や税金・徴収金の浪費など、地方を含め行政の広範な分野で不正や不祥事が耐えない。事件がある毎に「綱紀粛正」が行われ、国家公務員倫理法(1999年)や倫理規定が制定、強化されても、効果には制約があるのが現実です。保身や既得権の擁護はどこの組織でも見られるところではあるが、公の仕事に奉職し、国民の秩序と利益の擁護者であるべき公務員制度でありながら、自己改革能力が欠如しているようにも映る。
これらの問題は、単に特定省庁の問題ではなく、公務員としての倫理の希薄さ、志や士気の低さを象徴していると言えます。地方公務員を含め、簡素化と倫理の再構築が強く求められています。
2、地域コミュニテイ造りへの住民の「参加」と「関与」
他方、と言うより、このような事件が起こっていることを背景として、町内会での巡回警備や児童の誘導など、特定の分野での地域活動に加え、地域レベルでのコミュニテイ造りが動き出した。東京都杉並区の区立和田中学校では、最近、校舎を利用して、大手進学塾の講師が受験対策の授業(有料)をする「夜スペシャル」の実施に踏み切った。また、同校のPTAが区のPTA協議会から自主的に脱退し、地域住民等のボランティアで作る「地域本部」の一部として参加し、保護者と地域が一体となり、生徒を支援する活動を行う。PTAは母親が中心となる場合が多く、学校内の教育問題に限定されるが、「地域本部」と合体することにより、父親などが余暇に地域コミュニテイ造りの一環として学校支援活動に参加し易くなると期待されている。
また、保育所での「保育の質」の向上のため、職員研修に積極的に取り組めるよう国が新たなガイドラインを作成し、都道府県や市町村は国のガイドラインを参考にしながら、研修内容を充実させることも検討されている。もっとも、国のこのような計画には、厚労省と文部科学省などとの横断的な連携が不可欠であるが、保育などは正に地域コミュニテイが取り組む問題なのであろう。
最近の各種の事件、不祥事を背景として、国レベルでもいろいろな取り組みが検討されている。政府の「公務員制度改革」に関する懇談会の報告書を受けて(1月末)、国家公務員の人事を一元管理し、「縦割り人事」の弊害を解消するための「内閣人事庁」(仮称)の創設や、在職中に不祥事で損害を与えた元国家公務員に対する損害賠償責任の厳格化など、公務員制度改革案について政府内で検討されています。
教育再生会議が首相官邸で開かれ総会で最終報告を決定し(1月末)、「徳育の充実」などを列挙しています。更に、「消費者保護の視点」を重視し、省庁横断的な「消費庁」創設も検討されています。これは、最近でも起こっている食品偽装や古紙再生偽装などを教訓として、企業経営のみでなく、行政においても「消費者の安全や保護」の視点を重視する流れと言えます。裁判の迅速化や経済犯罪に対し、体罰ではなく罰金の引き上げや奉仕活動などによる犯罪の抑止なども検討されているようです。
1月18日の施政方針演説において、福田総理は、「国民に新たな活力を与え、生活の質を高めるために、これまでの生産者・供給者の立場から作られた法律、制度、さらには行政や政治を、国民本位のものに改めなければなりません。国民の安全と福利のために置かれた役所や公の機関が、時としてむしろ国民の害となっている例が続発しております。私はこのような姿を本来の形に戻すことに全力を傾注したいと思います」と述べています。
しかし、社会倫理の再構築、「心の再生」の問題は、政府レベル、行政レベルの取り組みで済む問題ではなく、家庭、地域コミュニテイ、保育・幼稚園、学校、そして企業・組織など、国民レベルで取り組まれなくては、効果は短期的、局所的に終わる恐れがあります。自らの生活や家庭、地域コミュニテイは他人事ではなく、自らも参画して作り上げるという意識が望まれます。
90年代にリメイクされた映画「木枯らしの紋次郎」では、「あっしには関わりないことでござんす」という台詞が、都市のコンクリート砂漠化とバブル経済崩壊という社会的な背景の中で、ニヒルな格好良さとしてある種の社会現象となったが、結果は家庭やコミュニテイに「木枯らし」が吹く格好となった。原作者の真意は、裏社会の渡世人であり、表立っては正義を言えた柄ではないが、下積みの弱者を助けた姿や人情が共鳴を呼んだのであろう。
今必要なのは、地域コミュニテイへの住民の「参加」であり「関与」ではないだろうか。地域コミュニテイも、行政お任せ型から「住民参加型」に進化して行くべきなのであろう。

このような社会各部の事件や不正の具体的な事例を振り返り、全般的な広がりを見せ始めている倫理のメルトダウンを危惧し、安心で豊かな日本の将来のために、一人一人の「心の再生」の必要性を問い、個々人、家庭、幼児教育を含む教育、企業・組織の場での取り組みについて、重層的、実践的に提言すると共に、行政や司法のあり方や取り組みについても率直に提言している著書があります。
「心」の問題は、政府や行政だけに任せられる問題ではありません。同著は、国、地方の行政、コミュニテイ作り、そして家庭、教育の場など、市民の健全な生活を構築するための触媒となるような多くの提言を行っており、そこから多くのヒントが得られると思います。上述の通り、政府内においても同著書の提言内容に沿う対応や施策が検討され、また、マスコミや民間グループなどでも心の健康や心の問題が注目され、日本社会の各分野に浸透し始めています。

「日本の倫理融解(メルトダウン)
  ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
            提言編」
“Japan’s Moral Melt-down – Regenerating the Mindset– Proposals”
            小嶋 光昭著
            内外政策評論家
            前駐ルクセンブルク大使
                 発売 星雲社
別途電子書籍(パピレス)あり。
本著は実務的、実践的ではありますが、最近の日本社会の風潮を記録する「歴史を刻む書」と言えます。主要書店でお尋ね頂くか、注文下さい。また、パピレスを通じ電子書籍としてインターネット上でもご覧頂けます。
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 1、生かされない教訓
3月23日、青年(無職、24歳)が茨城県のJR常磐線荒川沖駅周辺で通行人など8人に無差別に刃物で切り付け、1人が死亡した。25日には、大阪府の青年(無職、18歳)が岡山市のJR山陽線岡山駅ホームで、電車を待っていた倉敷市の面識もない男性(38歳)を背後から押して線路に転落させ、入ってきた電車にはねられ死亡させた。同日、東京都板橋区では小学生男子(6年生)が卒業式の後自宅マンションから飛び降りて死亡した。
 事件はこれだけではない。幼児虐待など家庭内の暴力や、貧しさや介護疲れなどからの殺傷事件など、現在、社会の広範な分野で比類の無い事件や不正の連鎖が続いています。無論、このような事件は比率の上では少数であろうが、社会の広範な分野で起こっており、何時自分の身の回りで起こるか分らない状態です。家庭が崩壊し、学校や地域が、そして職場など、社会の各分野で事件や不祥事が起こり、止まらない。あたかも人々の倫理がメルトダウン(融解)して行くように見える。
公務員についても、社会保険庁の年金記録漏れ問題は、「名寄せ」期限の3月末までに数日を残すだけとなっているが、「不明」が数多く残り、結局のところ解決が先送りされる状況のようだ。また、年金保険料の横領問題や、守屋前防衛事務次官の過剰接待問題、多くの省庁や政府関係事業に亘る談合、収賄や税金・徴収金の浪費など、地方を含め行政の広範な分野で不正や不祥事が耐えない。事件がある毎に「綱紀粛正」が行われ、国家公務員倫理法(1999年)や倫理規定が制定、強化されても、効果には制約があるのが現実です。保身や既得権の擁護はどこの組織でも見られるところではあるが、公の仕事に奉職し、国民の秩序と利益の擁護者であるべき公務員制度でありながら、自己改革能力が欠如しているようにも映る。
これらの問題は、単に特定省庁の問題ではなく、公務員としての倫理の希薄さ、志や士気の低さを象徴していると言えます。地方公務員を含め、簡素化と倫理の再構築が強く求められています。
2、地域コミュニテイ造りへの住民の「参加」と「関与」
他方、と言うより、このような事件が起こっていることを背景として、町内会での巡回警備や児童の誘導など、特定の分野での地域活動に加え、地域レベルでのコミュニテイ造りが動き出した。東京都杉並区の区立和田中学校では、最近、校舎を利用して、大手進学塾の講師が受験対策の授業(有料)をする「夜スペシャル」の実施に踏み切った。また、同校のPTAが区のPTA協議会から自主的に脱退し、地域住民等のボランティアで作る「地域本部」の一部として参加し、保護者と地域が一体となり、生徒を支援する活動を行う。PTAは母親が中心となる場合が多く、学校内の教育問題に限定されるが、「地域本部」と合体することにより、父親などが余暇に地域コミュニテイ造りの一環として学校支援活動に参加し易くなると期待されている。
また、保育所での「保育の質」の向上のため、職員研修に積極的に取り組めるよう国が新たなガイドラインを作成し、都道府県や市町村は国のガイドラインを参考にしながら、研修内容を充実させることも検討されている。もっとも、国のこのような計画には、厚労省と文部科学省などとの横断的な連携が不可欠であるが、保育などは正に地域コミュニテイが取り組む問題なのであろう。
最近の各種の事件、不祥事を背景として、国レベルでもいろいろな取り組みが検討されている。政府の「公務員制度改革」に関する懇談会の報告書を受けて(1月末)、国家公務員の人事を一元管理し、「縦割り人事」の弊害を解消するための「内閣人事庁」(仮称)の創設や、在職中に不祥事で損害を与えた元国家公務員に対する損害賠償責任の厳格化など、公務員制度改革案について政府内で検討されています。
教育再生会議が首相官邸で開かれ総会で最終報告を決定し(1月末)、「徳育の充実」などを列挙しています。更に、「消費者保護の視点」を重視し、省庁横断的な「消費庁」創設も検討されています。これは、最近でも起こっている食品偽装や古紙再生偽装などを教訓として、企業経営のみでなく、行政においても「消費者の安全や保護」の視点を重視する流れと言えます。裁判の迅速化や経済犯罪に対し、体罰ではなく罰金の引き上げや奉仕活動などによる犯罪の抑止なども検討されているようです。
1月18日の施政方針演説において、福田総理は、「国民に新たな活力を与え、生活の質を高めるために、これまでの生産者・供給者の立場から作られた法律、制度、さらには行政や政治を、国民本位のものに改めなければなりません。国民の安全と福利のために置かれた役所や公の機関が、時としてむしろ国民の害となっている例が続発しております。私はこのような姿を本来の形に戻すことに全力を傾注したいと思います」と述べています。
しかし、社会倫理の再構築、「心の再生」の問題は、政府レベル、行政レベルの取り組みで済む問題ではなく、家庭、地域コミュニテイ、保育・幼稚園、学校、そして企業・組織など、国民レベルで取り組まれなくては、効果は短期的、局所的に終わる恐れがあります。自らの生活や家庭、地域コミュニテイは他人事ではなく、自らも参画して作り上げるという意識が望まれます。
90年代にリメイクされた映画「木枯らしの紋次郎」では、「あっしには関わりないことでござんす」という台詞が、都市のコンクリート砂漠化とバブル経済崩壊という社会的な背景の中で、ニヒルな格好良さとしてある種の社会現象となったが、結果は家庭やコミュニテイに「木枯らし」が吹く格好となった。原作者の真意は、裏社会の渡世人であり、表立っては正義を言えた柄ではないが、下積みの弱者を助けた姿や人情が共鳴を呼んだのであろう。
今必要なのは、地域コミュニテイへの住民の「参加」であり「関与」ではないだろうか。地域コミュニテイも、行政お任せ型から「住民参加型」に進化して行くべきなのであろう。

このような社会各部の事件や不正の具体的な事例を振り返り、全般的な広がりを見せ始めている倫理のメルトダウンを危惧し、安心で豊かな日本の将来のために、一人一人の「心の再生」の必要性を問い、個々人、家庭、幼児教育を含む教育、企業・組織の場での取り組みについて、重層的、実践的に提言すると共に、行政や司法のあり方や取り組みについても率直に提言している著書があります。
「心」の問題は、政府や行政だけに任せられる問題ではありません。同著は、国、地方の行政、コミュニテイ作り、そして家庭、教育の場など、市民の健全な生活を構築するための触媒となるような多くの提言を行っており、そこから多くのヒントが得られると思います。上述の通り、政府内においても同著書の提言内容に沿う対応や施策が検討され、また、マスコミや民間グループなどでも心の健康や心の問題が注目され、日本社会の各分野に浸透し始めています。

「日本の倫理融解(メルトダウン)
  ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
            提言編」
“Japan’s Moral Melt-down – Regenerating the Mindset– Proposals”
            小嶋 光昭著
            内外政策評論家
            前駐ルクセンブルク大使
                 発売 星雲社
別途電子書籍(パピレス)あり。
本著は実務的、実践的ではありますが、最近の日本社会の風潮を記録する「歴史を刻む書」と言えます。主要書店でお尋ね頂くか、注文下さい。また、パピレスを通じ電子書籍としてインターネット上でもご覧頂けます。
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動き始めた地域コミュニテイへの住民の「参加」と「関与」

2008-03-26 | Weblog
動き始めた地域コミュニテイへの住民の「参加」と「関与」
 1、生かされない教訓
3月23日、青年(無職、24歳)が茨城県のJR常磐線荒川沖駅周辺で通行人など8人に無差別に刃物で切り付け、1人が死亡した。25日には、大阪府の青年(無職、18歳)が岡山市のJR山陽線岡山駅ホームで、電車を待っていた倉敷市の面識もない男性(38歳)を背後から押して線路に転落させ、入ってきた電車にはねられ死亡させた。同日、東京都板橋区では小学生男子(6年生)が卒業式の後自宅マンションから飛び降りて死亡した。
 事件はこれだけではない。幼児虐待など家庭内の暴力や、貧しさや介護疲れなどからの殺傷事件など、現在、社会の広範な分野で比類の無い事件や不正の連鎖が続いています。無論、このような事件は比率の上では少数であろうが、社会の広範な分野で起こっており、何時自分の身の回りで起こるか分らない状態です。家庭が崩壊し、学校や地域が、そして職場など、社会の各分野で事件や不祥事が起こり、止まらない。あたかも人々の倫理がメルトダウン(融解)して行くように見える。
公務員についても、社会保険庁の年金記録漏れ問題は、「名寄せ」期限の3月末までに数日を残すだけとなっているが、「不明」が数多く残り、結局のところ解決が先送りされる状況のようだ。また、年金保険料の横領問題や、守屋前防衛事務次官の過剰接待問題、多くの省庁や政府関係事業に亘る談合、収賄や税金・徴収金の浪費など、地方を含め行政の広範な分野で不正や不祥事が耐えない。事件がある毎に「綱紀粛正」が行われ、国家公務員倫理法(1999年)や倫理規定が制定、強化されても、効果には制約があるのが現実です。保身や既得権の擁護はどこの組織でも見られるところではあるが、公の仕事に奉職し、国民の秩序と利益の擁護者であるべき公務員制度でありながら、自己改革能力が欠如しているようにも映る。
これらの問題は、単に特定省庁の問題ではなく、公務員としての倫理の希薄さ、志や士気の低さを象徴していると言えます。地方公務員を含め、簡素化と倫理の再構築が強く求められています。
2、地域コミュニテイ造りへの住民の「参加」と「関与」
他方、と言うより、このような事件が起こっていることを背景として、町内会での巡回警備や児童の誘導など、特定の分野での地域活動に加え、地域レベルでのコミュニテイ造りが動き出した。東京都杉並区の区立和田中学校では、最近、校舎を利用して、大手進学塾の講師が受験対策の授業(有料)をする「夜スペシャル」の実施に踏み切った。また、同校のPTAが区のPTA協議会から自主的に脱退し、地域住民等のボランティアで作る「地域本部」の一部として参加し、保護者と地域が一体となり、生徒を支援する活動を行う。PTAは母親が中心となる場合が多く、学校内の教育問題に限定されるが、「地域本部」と合体することにより、父親などが余暇に地域コミュニテイ造りの一環として学校支援活動に参加し易くなると期待されている。
また、保育所での「保育の質」の向上のため、職員研修に積極的に取り組めるよう国が新たなガイドラインを作成し、都道府県や市町村は国のガイドラインを参考にしながら、研修内容を充実させることも検討されている。もっとも、国のこのような計画には、厚労省と文部科学省などとの横断的な連携が不可欠であるが、保育などは正に地域コミュニテイが取り組む問題なのであろう。
最近の各種の事件、不祥事を背景として、国レベルでもいろいろな取り組みが検討されている。政府の「公務員制度改革」に関する懇談会の報告書を受けて(1月末)、国家公務員の人事を一元管理し、「縦割り人事」の弊害を解消するための「内閣人事庁」(仮称)の創設や、在職中に不祥事で損害を与えた元国家公務員に対する損害賠償責任の厳格化など、公務員制度改革案について政府内で検討されています。
教育再生会議が首相官邸で開かれ総会で最終報告を決定し(1月末)、「徳育の充実」などを列挙しています。更に、「消費者保護の視点」を重視し、省庁横断的な「消費庁」創設も検討されています。これは、最近でも起こっている食品偽装や古紙再生偽装などを教訓として、企業経営のみでなく、行政においても「消費者の安全や保護」の視点を重視する流れと言えます。裁判の迅速化や経済犯罪に対し、体罰ではなく罰金の引き上げや奉仕活動などによる犯罪の抑止なども検討されているようです。
1月18日の施政方針演説において、福田総理は、「国民に新たな活力を与え、生活の質を高めるために、これまでの生産者・供給者の立場から作られた法律、制度、さらには行政や政治を、国民本位のものに改めなければなりません。国民の安全と福利のために置かれた役所や公の機関が、時としてむしろ国民の害となっている例が続発しております。私はこのような姿を本来の形に戻すことに全力を傾注したいと思います」と述べています。
しかし、社会倫理の再構築、「心の再生」の問題は、政府レベル、行政レベルの取り組みで済む問題ではなく、家庭、地域コミュニテイ、保育・幼稚園、学校、そして企業・組織など、国民レベルで取り組まれなくては、効果は短期的、局所的に終わる恐れがあります。自らの生活や家庭、地域コミュニテイは他人事ではなく、自らも参画して作り上げるという意識が望まれます。
90年代にリメイクされた映画「木枯らしの紋次郎」では、「あっしには関わりないことでござんす」という台詞が、都市のコンクリート砂漠化とバブル経済崩壊という社会的な背景の中で、ニヒルな格好良さとしてある種の社会現象となったが、結果は家庭やコミュニテイに「木枯らし」が吹く格好となった。原作者の真意は、裏社会の渡世人であり、表立っては正義を言えた柄ではないが、下積みの弱者を助けた姿や人情が共鳴を呼んだのであろう。
今必要なのは、地域コミュニテイへの住民の「参加」であり「関与」ではないだろうか。地域コミュニテイも、行政お任せ型から「住民参加型」に進化して行くべきなのであろう。

このような社会各部の事件や不正の具体的な事例を振り返り、全般的な広がりを見せ始めている倫理のメルトダウンを危惧し、安心で豊かな日本の将来のために、一人一人の「心の再生」の必要性を問い、個々人、家庭、幼児教育を含む教育、企業・組織の場での取り組みについて、重層的、実践的に提言すると共に、行政や司法のあり方や取り組みについても率直に提言している著書があります。
「心」の問題は、政府や行政だけに任せられる問題ではありません。同著は、国、地方の行政、コミュニテイ作り、そして家庭、教育の場など、市民の健全な生活を構築するための触媒となるような多くの提言を行っており、そこから多くのヒントが得られると思います。上述の通り、政府内においても同著書の提言内容に沿う対応や施策が検討され、また、マスコミや民間グループなどでも心の健康や心の問題が注目され、日本社会の各分野に浸透し始めています。

「日本の倫理融解(メルトダウン)
  ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
            提言編」
“Japan’s Moral Melt-down – Regenerating the Mindset– Proposals”
            小嶋 光昭著
            内外政策評論家
            前駐ルクセンブルク大使
                 発売 星雲社
別途電子書籍(パピレス)あり。
本著は実務的、実践的ではありますが、最近の日本社会の風潮を記録する「歴史を刻む書」と言えます。主要書店でお尋ね頂くか、注文下さい。また、パピレスを通じ電子書籍としてインターネット上でもご覧頂けます。
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動き始めた地域コミュニテイへの住民の「参加」と「関与」

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動き始めた地域コミュニテイへの住民の「参加」と「関与」
 1、生かされない教訓
3月23日、青年(無職、24歳)が茨城県のJR常磐線荒川沖駅周辺で通行人など8人に無差別に刃物で切り付け、1人が死亡した。25日には、大阪府の青年(無職、18歳)が岡山市のJR山陽線岡山駅ホームで、電車を待っていた倉敷市の面識もない男性(38歳)を背後から押して線路に転落させ、入ってきた電車にはねられ死亡させた。同日、東京都板橋区では小学生男子(6年生)が卒業式の後自宅マンションから飛び降りて死亡した。
 事件はこれだけではない。幼児虐待など家庭内の暴力や、貧しさや介護疲れなどからの殺傷事件など、現在、社会の広範な分野で比類の無い事件や不正の連鎖が続いています。無論、このような事件は比率の上では少数であろうが、社会の広範な分野で起こっており、何時自分の身の回りで起こるか分らない状態です。家庭が崩壊し、学校や地域が、そして職場など、社会の各分野で事件や不祥事が起こり、止まらない。あたかも人々の倫理がメルトダウン(融解)して行くように見える。
公務員についても、社会保険庁の年金記録漏れ問題は、「名寄せ」期限の3月末までに数日を残すだけとなっているが、「不明」が数多く残り、結局のところ解決が先送りされる状況のようだ。また、年金保険料の横領問題や、守屋前防衛事務次官の過剰接待問題、多くの省庁や政府関係事業に亘る談合、収賄や税金・徴収金の浪費など、地方を含め行政の広範な分野で不正や不祥事が耐えない。事件がある毎に「綱紀粛正」が行われ、国家公務員倫理法(1999年)や倫理規定が制定、強化されても、効果には制約があるのが現実です。保身や既得権の擁護はどこの組織でも見られるところではあるが、公の仕事に奉職し、国民の秩序と利益の擁護者であるべき公務員制度でありながら、自己改革能力が欠如しているようにも映る。
これらの問題は、単に特定省庁の問題ではなく、公務員としての倫理の希薄さ、志や士気の低さを象徴していると言えます。地方公務員を含め、簡素化と倫理の再構築が強く求められています。
2、地域コミュニテイ造りへの住民の「参加」と「関与」
他方、と言うより、このような事件が起こっていることを背景として、町内会での巡回警備や児童の誘導など、特定の分野での地域活動に加え、地域レベルでのコミュニテイ造りが動き出した。東京都杉並区の区立和田中学校では、最近、校舎を利用して、大手進学塾の講師が受験対策の授業(有料)をする「夜スペシャル」の実施に踏み切った。また、同校のPTAが区のPTA協議会から自主的に脱退し、地域住民等のボランティアで作る「地域本部」の一部として参加し、保護者と地域が一体となり、生徒を支援する活動を行う。PTAは母親が中心となる場合が多く、学校内の教育問題に限定されるが、「地域本部」と合体することにより、父親などが余暇に地域コミュニテイ造りの一環として学校支援活動に参加し易くなると期待されている。
また、保育所での「保育の質」の向上のため、職員研修に積極的に取り組めるよう国が新たなガイドラインを作成し、都道府県や市町村は国のガイドラインを参考にしながら、研修内容を充実させることも検討されている。もっとも、国のこのような計画には、厚労省と文部科学省などとの横断的な連携が不可欠であるが、保育などは正に地域コミュニテイが取り組む問題なのであろう。
最近の各種の事件、不祥事を背景として、国レベルでもいろいろな取り組みが検討されている。政府の「公務員制度改革」に関する懇談会の報告書を受けて(1月末)、国家公務員の人事を一元管理し、「縦割り人事」の弊害を解消するための「内閣人事庁」(仮称)の創設や、在職中に不祥事で損害を与えた元国家公務員に対する損害賠償責任の厳格化など、公務員制度改革案について政府内で検討されています。
教育再生会議が首相官邸で開かれ総会で最終報告を決定し(1月末)、「徳育の充実」などを列挙しています。更に、「消費者保護の視点」を重視し、省庁横断的な「消費庁」創設も検討されています。これは、最近でも起こっている食品偽装や古紙再生偽装などを教訓として、企業経営のみでなく、行政においても「消費者の安全や保護」の視点を重視する流れと言えます。裁判の迅速化や経済犯罪に対し、体罰ではなく罰金の引き上げや奉仕活動などによる犯罪の抑止なども検討されているようです。
1月18日の施政方針演説において、福田総理は、「国民に新たな活力を与え、生活の質を高めるために、これまでの生産者・供給者の立場から作られた法律、制度、さらには行政や政治を、国民本位のものに改めなければなりません。国民の安全と福利のために置かれた役所や公の機関が、時としてむしろ国民の害となっている例が続発しております。私はこのような姿を本来の形に戻すことに全力を傾注したいと思います」と述べています。
しかし、社会倫理の再構築、「心の再生」の問題は、政府レベル、行政レベルの取り組みで済む問題ではなく、家庭、地域コミュニテイ、保育・幼稚園、学校、そして企業・組織など、国民レベルで取り組まれなくては、効果は短期的、局所的に終わる恐れがあります。自らの生活や家庭、地域コミュニテイは他人事ではなく、自らも参画して作り上げるという意識が望まれます。
90年代にリメイクされた映画「木枯らしの紋次郎」では、「あっしには関わりないことでござんす」という台詞が、都市のコンクリート砂漠化とバブル経済崩壊という社会的な背景の中で、ニヒルな格好良さとしてある種の社会現象となったが、結果は家庭やコミュニテイに「木枯らし」が吹く格好となった。原作者の真意は、裏社会の渡世人であり、表立っては正義を言えた柄ではないが、下積みの弱者を助けた姿や人情が共鳴を呼んだのであろう。
今必要なのは、地域コミュニテイへの住民の「参加」であり「関与」ではないだろうか。地域コミュニテイも、行政お任せ型から「住民参加型」に進化して行くべきなのであろう。

このような社会各部の事件や不正の具体的な事例を振り返り、全般的な広がりを見せ始めている倫理のメルトダウンを危惧し、安心で豊かな日本の将来のために、一人一人の「心の再生」の必要性を問い、個々人、家庭、幼児教育を含む教育、企業・組織の場での取り組みについて、重層的、実践的に提言すると共に、行政や司法のあり方や取り組みについても率直に提言している著書があります。
「心」の問題は、政府や行政だけに任せられる問題ではありません。同著は、国、地方の行政、コミュニテイ作り、そして家庭、教育の場など、市民の健全な生活を構築するための触媒となるような多くの提言を行っており、そこから多くのヒントが得られると思います。上述の通り、政府内においても同著書の提言内容に沿う対応や施策が検討され、また、マスコミや民間グループなどでも心の健康や心の問題が注目され、日本社会の各分野に浸透し始めています。

「日本の倫理融解(メルトダウン)
  ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
            提言編」
“Japan’s Moral Melt-down – Regenerating the Mindset– Proposals”
            小嶋 光昭著
            内外政策評論家
            前駐ルクセンブルク大使
                 発売 星雲社
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 1、生かされない教訓
3月23日、青年(無職、24歳)が茨城県のJR常磐線荒川沖駅周辺で通行人など8人に無差別に刃物で切り付け、1人が死亡した。25日には、大阪府の青年(無職、18歳)が岡山市のJR山陽線岡山駅ホームで、電車を待っていた倉敷市の面識もない男性(38歳)を背後から押して線路に転落させ、入ってきた電車にはねられ死亡させた。同日、東京都板橋区では小学生男子(6年生)が卒業式の後自宅マンションから飛び降りて死亡した。
 事件はこれだけではない。幼児虐待など家庭内の暴力や、貧しさや介護疲れなどからの殺傷事件など、現在、社会の広範な分野で比類の無い事件や不正の連鎖が続いています。無論、このような事件は比率の上では少数であろうが、社会の広範な分野で起こっており、何時自分の身の回りで起こるか分らない状態です。家庭が崩壊し、学校や地域が、そして職場など、社会の各分野で事件や不祥事が起こり、止まらない。あたかも人々の倫理がメルトダウン(融解)して行くように見える。
公務員についても、社会保険庁の年金記録漏れ問題は、「名寄せ」期限の3月末までに数日を残すだけとなっているが、「不明」が数多く残り、結局のところ解決が先送りされる状況のようだ。また、年金保険料の横領問題や、守屋前防衛事務次官の過剰接待問題、多くの省庁や政府関係事業に亘る談合、収賄や税金・徴収金の浪費など、地方を含め行政の広範な分野で不正や不祥事が耐えない。事件がある毎に「綱紀粛正」が行われ、国家公務員倫理法(1999年)や倫理規定が制定、強化されても、効果には制約があるのが現実です。保身や既得権の擁護はどこの組織でも見られるところではあるが、公の仕事に奉職し、国民の秩序と利益の擁護者であるべき公務員制度でありながら、自己改革能力が欠如しているようにも映る。
これらの問題は、単に特定省庁の問題ではなく、公務員としての倫理の希薄さ、志や士気の低さを象徴していると言えます。地方公務員を含め、簡素化と倫理の再構築が強く求められています。
2、地域コミュニテイ造りへの住民の「参加」と「関与」
他方、と言うより、このような事件が起こっていることを背景として、町内会での巡回警備や児童の誘導など、特定の分野での地域活動に加え、地域レベルでのコミュニテイ造りが動き出した。東京都杉並区の区立和田中学校では、最近、校舎を利用して、大手進学塾の講師が受験対策の授業(有料)をする「夜スペシャル」の実施に踏み切った。また、同校のPTAが区のPTA協議会から自主的に脱退し、地域住民等のボランティアで作る「地域本部」の一部として参加し、保護者と地域が一体となり、生徒を支援する活動を行う。PTAは母親が中心となる場合が多く、学校内の教育問題に限定されるが、「地域本部」と合体することにより、父親などが余暇に地域コミュニテイ造りの一環として学校支援活動に参加し易くなると期待されている。
また、保育所での「保育の質」の向上のため、職員研修に積極的に取り組めるよう国が新たなガイドラインを作成し、都道府県や市町村は国のガイドラインを参考にしながら、研修内容を充実させることも検討されている。もっとも、国のこのような計画には、厚労省と文部科学省などとの横断的な連携が不可欠であるが、保育などは正に地域コミュニテイが取り組む問題なのであろう。
最近の各種の事件、不祥事を背景として、国レベルでもいろいろな取り組みが検討されている。政府の「公務員制度改革」に関する懇談会の報告書を受けて(1月末)、国家公務員の人事を一元管理し、「縦割り人事」の弊害を解消するための「内閣人事庁」(仮称)の創設や、在職中に不祥事で損害を与えた元国家公務員に対する損害賠償責任の厳格化など、公務員制度改革案について政府内で検討されています。
教育再生会議が首相官邸で開かれ総会で最終報告を決定し(1月末)、「徳育の充実」などを列挙しています。更に、「消費者保護の視点」を重視し、省庁横断的な「消費庁」創設も検討されています。これは、最近でも起こっている食品偽装や古紙再生偽装などを教訓として、企業経営のみでなく、行政においても「消費者の安全や保護」の視点を重視する流れと言えます。裁判の迅速化や経済犯罪に対し、体罰ではなく罰金の引き上げや奉仕活動などによる犯罪の抑止なども検討されているようです。
1月18日の施政方針演説において、福田総理は、「国民に新たな活力を与え、生活の質を高めるために、これまでの生産者・供給者の立場から作られた法律、制度、さらには行政や政治を、国民本位のものに改めなければなりません。国民の安全と福利のために置かれた役所や公の機関が、時としてむしろ国民の害となっている例が続発しております。私はこのような姿を本来の形に戻すことに全力を傾注したいと思います」と述べています。
しかし、社会倫理の再構築、「心の再生」の問題は、政府レベル、行政レベルの取り組みで済む問題ではなく、家庭、地域コミュニテイ、保育・幼稚園、学校、そして企業・組織など、国民レベルで取り組まれなくては、効果は短期的、局所的に終わる恐れがあります。自らの生活や家庭、地域コミュニテイは他人事ではなく、自らも参画して作り上げるという意識が望まれます。
90年代にリメイクされた映画「木枯らしの紋次郎」では、「あっしには関わりないことでござんす」という台詞が、都市のコンクリート砂漠化とバブル経済崩壊という社会的な背景の中で、ニヒルな格好良さとしてある種の社会現象となったが、結果は家庭やコミュニテイに「木枯らし」が吹く格好となった。原作者の真意は、裏社会の渡世人であり、表立っては正義を言えた柄ではないが、下積みの弱者を助けた姿や人情が共鳴を呼んだのであろう。
今必要なのは、地域コミュニテイへの住民の「参加」であり「関与」ではないだろうか。地域コミュニテイも、行政お任せ型から「住民参加型」に進化して行くべきなのであろう。

このような社会各部の事件や不正の具体的な事例を振り返り、全般的な広がりを見せ始めている倫理のメルトダウンを危惧し、安心で豊かな日本の将来のために、一人一人の「心の再生」の必要性を問い、個々人、家庭、幼児教育を含む教育、企業・組織の場での取り組みについて、重層的、実践的に提言すると共に、行政や司法のあり方や取り組みについても率直に提言している著書があります。
「心」の問題は、政府や行政だけに任せられる問題ではありません。同著は、国、地方の行政、コミュニテイ作り、そして家庭、教育の場など、市民の健全な生活を構築するための触媒となるような多くの提言を行っており、そこから多くのヒントが得られると思います。上述の通り、政府内においても同著書の提言内容に沿う対応や施策が検討され、また、マスコミや民間グループなどでも心の健康や心の問題が注目され、日本社会の各分野に浸透し始めています。

「日本の倫理融解(メルトダウン)
  ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
            提言編」
“Japan’s Moral Melt-down – Regenerating the Mindset– Proposals”
            小嶋 光昭著
            内外政策評論家
            前駐ルクセンブルク大使
                 発売 星雲社
別途電子書籍(パピレス)あり。
本著は実務的、実践的ではありますが、最近の日本社会の風潮を記録する「歴史を刻む書」と言えます。主要書店でお尋ね頂くか、注文下さい。また、パピレスを通じ電子書籍としてインターネット上でもご覧頂けます。
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 1、生かされない教訓
3月23日、青年(無職、24歳)が茨城県のJR常磐線荒川沖駅周辺で通行人など8人に無差別に刃物で切り付け、1人が死亡した。25日には、大阪府の青年(無職、18歳)が岡山市のJR山陽線岡山駅ホームで、電車を待っていた倉敷市の面識もない男性(38歳)を背後から押して線路に転落させ、入ってきた電車にはねられ死亡させた。同日、東京都板橋区では小学生男子(6年生)が卒業式の後自宅マンションから飛び降りて死亡した。
 事件はこれだけではない。幼児虐待など家庭内の暴力や、貧しさや介護疲れなどからの殺傷事件など、現在、社会の広範な分野で比類の無い事件や不正の連鎖が続いています。無論、このような事件は比率の上では少数であろうが、社会の広範な分野で起こっており、何時自分の身の回りで起こるか分らない状態です。家庭が崩壊し、学校や地域が、そして職場など、社会の各分野で事件や不祥事が起こり、止まらない。あたかも人々の倫理がメルトダウン(融解)して行くように見える。
公務員についても、社会保険庁の年金記録漏れ問題は、「名寄せ」期限の3月末までに数日を残すだけとなっているが、「不明」が数多く残り、結局のところ解決が先送りされる状況のようだ。また、年金保険料の横領問題や、守屋前防衛事務次官の過剰接待問題、多くの省庁や政府関係事業に亘る談合、収賄や税金・徴収金の浪費など、地方を含め行政の広範な分野で不正や不祥事が耐えない。事件がある毎に「綱紀粛正」が行われ、国家公務員倫理法(1999年)や倫理規定が制定、強化されても、効果には制約があるのが現実です。保身や既得権の擁護はどこの組織でも見られるところではあるが、公の仕事に奉職し、国民の秩序と利益の擁護者であるべき公務員制度でありながら、自己改革能力が欠如しているようにも映る。
これらの問題は、単に特定省庁の問題ではなく、公務員としての倫理の希薄さ、志や士気の低さを象徴していると言えます。地方公務員を含め、簡素化と倫理の再構築が強く求められています。
2、地域コミュニテイ造りへの住民の「参加」と「関与」
他方、と言うより、このような事件が起こっていることを背景として、町内会での巡回警備や児童の誘導など、特定の分野での地域活動に加え、地域レベルでのコミュニテイ造りが動き出した。東京都杉並区の区立和田中学校では、最近、校舎を利用して、大手進学塾の講師が受験対策の授業(有料)をする「夜スペシャル」の実施に踏み切った。また、同校のPTAが区のPTA協議会から自主的に脱退し、地域住民等のボランティアで作る「地域本部」の一部として参加し、保護者と地域が一体となり、生徒を支援する活動を行う。PTAは母親が中心となる場合が多く、学校内の教育問題に限定されるが、「地域本部」と合体することにより、父親などが余暇に地域コミュニテイ造りの一環として学校支援活動に参加し易くなると期待されている。
また、保育所での「保育の質」の向上のため、職員研修に積極的に取り組めるよう国が新たなガイドラインを作成し、都道府県や市町村は国のガイドラインを参考にしながら、研修内容を充実させることも検討されている。もっとも、国のこのような計画には、厚労省と文部科学省などとの横断的な連携が不可欠であるが、保育などは正に地域コミュニテイが取り組む問題なのであろう。
最近の各種の事件、不祥事を背景として、国レベルでもいろいろな取り組みが検討されている。政府の「公務員制度改革」に関する懇談会の報告書を受けて(1月末)、国家公務員の人事を一元管理し、「縦割り人事」の弊害を解消するための「内閣人事庁」(仮称)の創設や、在職中に不祥事で損害を与えた元国家公務員に対する損害賠償責任の厳格化など、公務員制度改革案について政府内で検討されています。
教育再生会議が首相官邸で開かれ総会で最終報告を決定し(1月末)、「徳育の充実」などを列挙しています。更に、「消費者保護の視点」を重視し、省庁横断的な「消費庁」創設も検討されています。これは、最近でも起こっている食品偽装や古紙再生偽装などを教訓として、企業経営のみでなく、行政においても「消費者の安全や保護」の視点を重視する流れと言えます。裁判の迅速化や経済犯罪に対し、体罰ではなく罰金の引き上げや奉仕活動などによる犯罪の抑止なども検討されているようです。
1月18日の施政方針演説において、福田総理は、「国民に新たな活力を与え、生活の質を高めるために、これまでの生産者・供給者の立場から作られた法律、制度、さらには行政や政治を、国民本位のものに改めなければなりません。国民の安全と福利のために置かれた役所や公の機関が、時としてむしろ国民の害となっている例が続発しております。私はこのような姿を本来の形に戻すことに全力を傾注したいと思います」と述べています。
しかし、社会倫理の再構築、「心の再生」の問題は、政府レベル、行政レベルの取り組みで済む問題ではなく、家庭、地域コミュニテイ、保育・幼稚園、学校、そして企業・組織など、国民レベルで取り組まれなくては、効果は短期的、局所的に終わる恐れがあります。自らの生活や家庭、地域コミュニテイは他人事ではなく、自らも参画して作り上げるという意識が望まれます。
90年代にリメイクされた映画「木枯らしの紋次郎」では、「あっしには関わりないことでござんす」という台詞が、都市のコンクリート砂漠化とバブル経済崩壊という社会的な背景の中で、ニヒルな格好良さとしてある種の社会現象となったが、結果は家庭やコミュニテイに「木枯らし」が吹く格好となった。原作者の真意は、裏社会の渡世人であり、表立っては正義を言えた柄ではないが、下積みの弱者を助けた姿や人情が共鳴を呼んだのであろう。
今必要なのは、地域コミュニテイへの住民の「参加」であり「関与」ではないだろうか。地域コミュニテイも、行政お任せ型から「住民参加型」に進化して行くべきなのであろう。

このような社会各部の事件や不正の具体的な事例を振り返り、全般的な広がりを見せ始めている倫理のメルトダウンを危惧し、安心で豊かな日本の将来のために、一人一人の「心の再生」の必要性を問い、個々人、家庭、幼児教育を含む教育、企業・組織の場での取り組みについて、重層的、実践的に提言すると共に、行政や司法のあり方や取り組みについても率直に提言している著書があります。
「心」の問題は、政府や行政だけに任せられる問題ではありません。同著は、国、地方の行政、コミュニテイ作り、そして家庭、教育の場など、市民の健全な生活を構築するための触媒となるような多くの提言を行っており、そこから多くのヒントが得られると思います。上述の通り、政府内においても同著書の提言内容に沿う対応や施策が検討され、また、マスコミや民間グループなどでも心の健康や心の問題が注目され、日本社会の各分野に浸透し始めています。

「日本の倫理融解(メルトダウン)
  ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
            提言編」
“Japan’s Moral Melt-down – Regenerating the Mindset– Proposals”
            小嶋 光昭著
            内外政策評論家
            前駐ルクセンブルク大使
                 発売 星雲社
別途電子書籍(パピレス)あり。
本著は実務的、実践的ではありますが、最近の日本社会の風潮を記録する「歴史を刻む書」と言えます。主要書店でお尋ね頂くか、注文下さい。また、パピレスを通じ電子書籍としてインターネット上でもご覧頂けます。
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破綻状態の「新銀行東京」の行く末

2008-03-26 | Weblog
破綻状態の「新銀行東京」の行く末
 1. 経営難の原因
新銀行東京は、2003年の都知事選において、石原慎太郎知事が設立を公約したもので、撤退を検討していたBNPパリバ信託銀行を買い取り、2004年に開業された。しかし貸付金の回収率が悪く資金難に陥っていることから、東京都による400億円の追加出資が検討されている。
 同銀行は、株式会社形態で、東京都が当初1,000億円を出資し、資本金等1,200億円弱で発足した。民間企業もNTTコミュニケーションズ、日立、あいおい損保など9社が出資しているが、84%強の株式を東京都が保有し、店舗数は9店であった。
 当時は90年代のバブル経済崩壊後、都市銀行による不良債権処理の出口がまだ見えておらず、貸し渋り等から多くの中小企業が資金調達に悩んでいた時代であり、中小企業対策として設立の意義はあったのであろう。都議会も、自民、公明、民主の3党が賛成した。それにより多くの中小企業が救われたのであろう。
 しかし、開業初年度06年3月の営業損益は209億円の赤字で、その後も赤字決算を続け、07年11月の中間決算では3年間の累積赤字が936億円にも及んでいる。08年3月期の経常損益も80億円弱の赤字が予想されており、累積赤字は1,000億円を越えることは確実視されている。また、07年9月末時点の貸出残高は約2,200億円強である一方、預金残高は4,284億円であり、貸し金が全額回収されない限り、預金元本は保証されない可能性が出てくる。と言うより、現状では貸し倒れ比率が高いので、全額は保証出来ない可能性が強い。
 経営難の原因は次の通りである。
(1) 放漫な貸付け規律。
資金調達の難しい中小企業支援を目的としていたので、「無担保・無保証」の貸付を行
ったこと自体については、ある程度仕方がなかった面がある。しかし、そのため貸し倒れの危険が高くなるので、少なくても事業所の所在を含む経営実体の把握と共に、事業の将来性がかなり期待できるか、経営内容や意識が十分信頼できるかなどが十分見極められなくてはならない。
 しかし、開業当初、融資を進めた職員に対し、融資回収の可能性の有無を問わず「最大200万円の報奨金」を出していたとの報道もあり、開業当時の経営陣(トヨタ自動車出身の代表執行役仁司泰正他、07年6月退任)の下での「乱脈融資」が回収不能や不良債権を積み上げた原因と伝えられている。この点については、3月10日、津島隆一現代表執行役(前東京都港湾局長、既に3代目)が旧経営陣の経営振りに関する調査報告書を公表したが、その中で指摘されている。同銀行が公開している資料(新中期経営計画)では、07年度の「貸し倒れ引当金」が316億円と予想しており、「乱脈融資」振りを物語っている。
 東京都が3月11日に明らかにしたところによると、07年12月末現在の融資先は約13,000社であるが、その内、経営赤字や債務超過の企業が43%の5,635社で、回収見通しの悪い融資額は415億円にも上る。その内訳は、赤字企業1,671社(約156億円)、債務超過に陥っている企業1,886社(約106億円)、赤字経営で債務超過状態の企業2,078社(約153億円)であり、債務超過企業は合計3,964社(約259億円)にも上る。それぞれの企業は、それぞれ努力をしているところではあろうが、将来への展望がある事業については支援するとしても、展望のない事業については、気の毒ではあるが転業や廃業などをアドバイスすべきではないだろうか。
東京都にも多くの失業者、ホームレスなど生活困窮者がおり、納税者への負担となるような中小企業支援には自ずから限界があろう。それだけの資金があれば、多くの人々を救済できる。例えば、生活困窮者を対象とする小額、低利の融資(1回1万円以下、1週間以内は無利子、それ以上は期間により利子1~2%内外のマイクロ・ファイナンス。但し相応の担保又は保証人を条件等)や無利子の奨学金なども検討可能となろう。
 新銀行東京は金融ビジネスとして成り立っておらず、旧経営陣の高額の損失に対する経済的責任がまず問われると共に、株主である東京都他、従って納税者である都民に多大の損失を与えた法的な責任も問われなくてはならなそうだ。
 同時に、不払いの企業については、法的手段を含め、回収努力がなされなくてはならない。特に、経営実体がない融資先については、詐欺の疑いもあり得るので、刑事告訴を含め、徹底した回収努力がなされるべきであろう。
(2) 過大なシステム構築経費と営業費
新銀行東京は、東京都が作成した基本計画に基づき、預金・融資などの管理システムに76億円、ATM等を取り扱うシステムに46億円など、システム構築に総額約124億円を投じ、物件費や人件費を含めると累積損失の4割近くが営業経費で、500億円規模に達していると伝えられている。それでも収益が上がれば良いが、ATM等を取り扱うシステムについては、利用率が低く、ATMの撤去に追い込まれるなど、ずさんな計画と放漫な経営が明らかになっている。          

 2. 「再建計画」の概要
 このようなことから新銀行東京は、2月20日、東京都(筆頭株主)による400億円の追加出資を柱とする「再建計画」を発表したが、経営面で次のような合理化を行うこととしている。
1) 本店を新宿出張所の場所に移転し、従来の9店舗体制を1店舗(1店舗内支店並存制)に集約する。
2) 2012年3月末までに人員を120人(従来の4分の1)まで削減する。
3) 4月以降、無担保・無保証融資を原則廃止する。その上で、今後は担保や保証が付いた融資を中心にする計画としている。
4) また08年度以降、預金残高を200億円まで段階的に削減する方針など。

3.  薄れる新銀行東京存続の意義と第3の選択肢
 上記の通り、新銀行東京をいわば縮小均衡させながら、400億円の追加出資をする意義はあるのだろうか。
 )経営改善への不透明性
 店舗を1店舗に集約しても、システムは維持され、毎年約10億円のシステム運用経費が掛かる上、当初の出資1,000億円のうち、700億円を都債で調達しているので、利子支払いが総額100億円に達するとも言われており、相当な営業経費を必要としている。
 その上、融資先約13,000社の内、07年末の時点で経営赤字や債務超過の企業が5,635社、融資額415億円に上っており、これらを含め今後回収がどの程度進むかは不明である。存続の適否の鍵は、融資の回収見通しに掛かっていると言えよう。400億円の追加出資により、収益が黒字化しない場合には、存続させることにより更に赤字が累積し、預金者や納税者等により多額の損害を与える恐れがある。その点につき明確な計画が示される必要があろう。
 これまでの業績が示している通り、それぞれの立場で努力をしているのであろうが、経営陣等が金融のプロフェッショナル集団では必ずしもないので責任が重過ぎるのではないだろうか。同銀行設立時に、民業を圧迫するとの理由で大手都市銀行が設立に反対した経緯から、全銀協の協力を十分に得られていないことも人材確保その他での制約要因になっているようだ。
)薄れる存続の意義
収益性以上に問題なのは、新銀行東京存続の目的と意義であろう。資金調達に困っている中小企業に資金調達の機会を与えること自体には意義がある。しかし「再建計画」では、無担保・無保証融資を原則廃止し、担保や保証が付いた融資を中心に貸し付けられることになると、回収率、収益性においては改善するが、中小企業支援という目的は薄れ、一般の銀行や貸付機関と差がほとんどなくなる。
それでも存続させるということであれば確実に収益を挙げられる経営モデルとなっていなくてはならないが、上記の通りその可能性は低い上、そうであればリスクを犯してまで東京都が金融業務を続ける必要はなく、市中の金融機関に任せれば良いということになる。
また金融の専門家の中には、400億円注入された途端、各種の支払いや預金引き出しなどであっという間に消えて行くとの見方もある。確かに金融事業において400億円という資金では決して多くを期待出来ない。
3. 追加出資の前提となる責任の明確化
上記にも拘わらず追加出資することは政治的選択肢の一つとしてあり得る。しかし、その場合には、更に損失が増えた場合の経済的な責任を明確にすると共に、法的責任は別としても、都民に対し政治責任を明らかにする必要があろう。
 同銀行が債務超過に近い状態にあることなどを考慮すると、いずれかの金融専門機関に譲渡し、経営を委ねることが最も経済的被害が少ないと思われる。追加出資の前にその可能性を模索することが望ましい。
 また、経済上の被害を拡大しないということであれば、同銀行の目的は達成されたこととし、廃業し清算することも選択肢の一つであろう。同銀行の預金のかなりの部分は、1,000万円以下の預金と見られており、小口預金者の多くには被害はないと思われる。融資先の企業については、政府系金融への借り換えを含め、借り換えの斡旋や無利子の猶予期間(1~2ヶ月程度)を設けるなど、借り手が混乱しないよう配慮することは可能であろう。  (Copy Right Reserved.)                    
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 破綻状態の新銀行東京の行く末(その2)

2008-03-26 | Weblog
 破綻状態の新銀行東京の行く末(その2)
 2. 「再建計画」の概要
 このようなことから新銀行東京は、2月20日、東京都(筆頭株主)による400億円の追加出資を柱とする「再建計画」を発表したが、経営面で次のような合理化を行うこととしている。
 1)本店を新宿出張所の場所に移転し、従来の9店舗体制を1店舗(1店舗内支店並  存制)に集約する。
 2)2012年3月末までに人員を120人(従来の4分の1)まで削減する。
 3)4月以降、無担保・無保証融資を原則廃止する。その上で、今後は担保や保証  が付いた融資を中心にする計画としている。
 4)また08年度以降、預金残高を200億円まで段階的に削減する方針など。

3.  薄れる新銀行東京存続の意義と第3の選択肢
 上記の通り、新銀行東京をいわば縮小均衡させながら、400億円の追加出資をする意義はあるのだろうか。
 )経営改善への不透明性
 店舗を1店舗に集約しても、システムは維持され、毎年約10億円のシステム運用経費が掛かる上、当初の出資1,000億円のうち、700億円を都債で調達しているので、利子支払いが総額100億円に達するとも言われており、相当な営業経費を必要としている。
 その上、融資先約13,000社の内、07年末の時点で経営赤字や債務超過の企業が5,635社、融資額415億円に上っており、これらを含め今後回収がどの程度進むかは不明である。存続の適否の鍵は、融資の回収見通しに掛かっていると言えよう。400億円の追加出資により、収益が黒字化しない場合には、存続させることにより更に赤字が累積し、預金者や納税者等により多額の損害を与える恐れがある。その点につき明確な計画が示される必要があろう。
 これまでの業績が示している通り、それぞれの立場で努力をしているのであろうが、経営陣等が金融のプロフェッショナル集団では必ずしもないので責任が重過ぎるのではないだろうか。同銀行設立時に、民業を圧迫するとの理由で大手都市銀行が設立に反対した経緯から、全銀協の協力を十分に得られていないことも人材確保その他での制約要因になっているようだ。
 )薄れる存続の意義
 収益性以上に問題なのは、新銀行東京存続の目的と意義であろう。資金調達に困っている中小企業に資金調達の機会を与えること自体には意義がある。しかし「再建計画」では、無担保・無保証融資を原則廃止し、担保や保証が付いた融資を中心に貸し付けられることになると、回収率、収益性においては改善するが、中小企業支援という目的は薄れ、一般の銀行や貸付機関と差がほとんどなくなる。
それでも存続させるということであれば確実に収益を挙げられる経営モデルとなっていなくてはならないが、上記の通りその可能性は低い上、そうであればリスクを犯してまで東京都が金融業務を続ける必要はなく、市中の金融機関に任せれば良いということになる。
 また金融の専門家の中には、400億円注入された途端、各種の支払いや預金引き出しなどであっという間に消えて行くとの見方もある。確かに金融事業において400億円という資金では決して多くを期待出来ない。
 3.追加出資の前提となる責任の明確化
 上記にも拘わらず追加出資することは政治的選択肢の一つとしてあり得る。しかし、その場合には、更に損失が増えた場合の経済的な責任を明確にすると共に、法的責任は別としても、都民に対し政治責任を明らかにする必要があろう。
 同銀行が債務超過に近い状態にあることなどを考慮すると、いずれかの金融専門機関に譲渡し、経営を委ねることが最も経済的被害が少ないと思われる。追加出資の前にその可能性を模索することが望ましい。
 また、経済上の被害を拡大しないということであれば、同銀行の目的は達成されたこととし、廃業し清算することも選択肢の一つであろう。同銀行の預金のかなりの部分は、1,000万円以下の預金と見られており、小口預金者の多くには被害はないと思われる。融資先の企業については、政府系金融への借り換えを含め、借り換えの斡旋や無利子の猶予期間(1~2ヶ月程度)を設けるなど、借り手が混乱しないよう配慮することは可能であろう。  (Copy Right Reserved.)                                   
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 破綻状態の新銀行東京の行く末(その2)

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 破綻状態の新銀行東京の行く末(その2)
 2. 「再建計画」の概要
 このようなことから新銀行東京は、2月20日、東京都(筆頭株主)による400億円の追加出資を柱とする「再建計画」を発表したが、経営面で次のような合理化を行うこととしている。
 1)本店を新宿出張所の場所に移転し、従来の9店舗体制を1店舗(1店舗内支店並  存制)に集約する。
 2)2012年3月末までに人員を120人(従来の4分の1)まで削減する。
 3)4月以降、無担保・無保証融資を原則廃止する。その上で、今後は担保や保証  が付いた融資を中心にする計画としている。
 4)また08年度以降、預金残高を200億円まで段階的に削減する方針など。

3.  薄れる新銀行東京存続の意義と第3の選択肢
 上記の通り、新銀行東京をいわば縮小均衡させながら、400億円の追加出資をする意義はあるのだろうか。
 )経営改善への不透明性
 店舗を1店舗に集約しても、システムは維持され、毎年約10億円のシステム運用経費が掛かる上、当初の出資1,000億円のうち、700億円を都債で調達しているので、利子支払いが総額100億円に達するとも言われており、相当な営業経費を必要としている。
 その上、融資先約13,000社の内、07年末の時点で経営赤字や債務超過の企業が5,635社、融資額415億円に上っており、これらを含め今後回収がどの程度進むかは不明である。存続の適否の鍵は、融資の回収見通しに掛かっていると言えよう。400億円の追加出資により、収益が黒字化しない場合には、存続させることにより更に赤字が累積し、預金者や納税者等により多額の損害を与える恐れがある。その点につき明確な計画が示される必要があろう。
 これまでの業績が示している通り、それぞれの立場で努力をしているのであろうが、経営陣等が金融のプロフェッショナル集団では必ずしもないので責任が重過ぎるのではないだろうか。同銀行設立時に、民業を圧迫するとの理由で大手都市銀行が設立に反対した経緯から、全銀協の協力を十分に得られていないことも人材確保その他での制約要因になっているようだ。
 )薄れる存続の意義
 収益性以上に問題なのは、新銀行東京存続の目的と意義であろう。資金調達に困っている中小企業に資金調達の機会を与えること自体には意義がある。しかし「再建計画」では、無担保・無保証融資を原則廃止し、担保や保証が付いた融資を中心に貸し付けられることになると、回収率、収益性においては改善するが、中小企業支援という目的は薄れ、一般の銀行や貸付機関と差がほとんどなくなる。
それでも存続させるということであれば確実に収益を挙げられる経営モデルとなっていなくてはならないが、上記の通りその可能性は低い上、そうであればリスクを犯してまで東京都が金融業務を続ける必要はなく、市中の金融機関に任せれば良いということになる。
 また金融の専門家の中には、400億円注入された途端、各種の支払いや預金引き出しなどであっという間に消えて行くとの見方もある。確かに金融事業において400億円という資金では決して多くを期待出来ない。
 3.追加出資の前提となる責任の明確化
 上記にも拘わらず追加出資することは政治的選択肢の一つとしてあり得る。しかし、その場合には、更に損失が増えた場合の経済的な責任を明確にすると共に、法的責任は別としても、都民に対し政治責任を明らかにする必要があろう。
 同銀行が債務超過に近い状態にあることなどを考慮すると、いずれかの金融専門機関に譲渡し、経営を委ねることが最も経済的被害が少ないと思われる。追加出資の前にその可能性を模索することが望ましい。
 また、経済上の被害を拡大しないということであれば、同銀行の目的は達成されたこととし、廃業し清算することも選択肢の一つであろう。同銀行の預金のかなりの部分は、1,000万円以下の預金と見られており、小口預金者の多くには被害はないと思われる。融資先の企業については、政府系金融への借り換えを含め、借り換えの斡旋や無利子の猶予期間(1~2ヶ月程度)を設けるなど、借り手が混乱しないよう配慮することは可能であろう。  (Copy Right Reserved.)                                   
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