内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

このブログは、広い視野から内外諸問題を分析し、提言を試みます。
Policy Essayist

施策に活かされるべき統計数値ー再掲

2022-10-07 | Weblog

施策に活かされるべき統計数値ー再掲

 5年に1度実施される国全体の人口動態(毎回10月1日現在)に関する「国勢調査」が実施される。本年は西暦年の末尾が0の年の年であり「大規模調査」とされる。国勢調査は統計法に基づき実施される国の最も重要な調査であり、円滑な実施が望まれるが、それが国政や地方行政を含む行政に適正に反映されなくては意味が無い。特に国のあり方や国民の重要な権利義務を決める国会の議員定数に公正、平等に反映するなど、統計が実質的に活用されることが期待されるところであり、本稿を再掲する。


 国土交通省は、2014年3月28日、日本の人口は2050年に約9,700 万人に減少すると共に、全国の60%以上の地域で人口が2010年と比較して半分以下になるという試算を発表した。また、居住地域の約60%について人口が半減し、無人地域は全土の約60%に広がるとしている。このような予測から、地方については「コンパクトシテイ」として集約する等としている。
 人口減に関連しては、民間有識者で構成する日本創成会議の人口減少問題検討分科会が、全国1,800市区町村の50%弱の896自治体で「20歳から39歳の女性人口」が2010年以降の30年間で50%以上減少するとの検討結果を公表した。そして2040年の人口が1万人を割る自治体が523、全体の30%弱は「消滅の可能性が高い都市」になるとしている。
 総務省統計局も、6月25日、2014年1月1日時点での人口調査を公表したが、全国1,748の市区町村の82%強の1,440の市区町村で前年より人口が減少したとしている。東京、名古屋、関西の3大都市圏が全体の約51%の人口を抱えており、都市圏への集中が明らかにされている。年齢別では2014年4月、65才以上の“高齢者”或いは‘老年人口’が歴史上始めて総人口の25%を越えた旨公表している。65才以上が3000万人超えとなる一方、生産労働人口(15~64才)は総人口の62%弱の7,836万人と過去最低を更新しており、今後この傾向が継続するものと予想される。
 1、 活かされて来なかった官民の統計数値
 少子高齢化は、1990年代初期から政府統計で明らかにされ、人口構成が欧州
型のつりがね型となることが指摘されていた。それが年金政策や医療福祉政策ばかりでなく、地方を含む日本の行政組織・制度や国会、地方議会のあり方や都市政策、地域社会政策等に十分に活かされなかったため、今日の問題となっている。年金など社会福祉予算の不足と共に、地方におけるシャッター街や限界集落の増加など、現象面での問題が先行している。農村部において、嫁の来ない村どころか、後継者がいない農家が出始めたのも90年代からである。
 何故日本で折角の統計数値が活かされないのだろうか。
 一つは、行政が縦割りで、省庁間だけでなく、各省庁内においても局部による縦割りで、統計数値が発表されるとそれで基本的には業務が完結してしまい易い体制になっているからであろう。
統計数値を施策との関係で総合的にチェックする統計ウオッチャー的部局が行政や議会に必要のようだし、民間の研究機関でも統計数値にもっと留意が必要のようだ。
 もう一つは、統計数値が尊重されず、政治的な配慮や裁量が重視される側面があることであろう。その顕著な例が国政選挙における1票の格差問題だ。本来、国勢調査は5年に1回であるが、西暦年の末尾が0の時は大規模調査行われるので、5年に1度か、少なくても大規模国勢調査後に、選挙区の区割りが調整されるべきであろう。
 有権者の1票の格差問題について、最高裁は衆議院について1972年の選挙から、また参議院については1992年の選挙から、違憲又は違憲状態との判決を出していた。しかし1票の格差が、衆議院で2倍以上、参議院では5倍以上で違憲又は違憲状態と判断されて来たため、国会での区割り調整は衆議院で2倍以下、参議院では5倍以下で微調整が繰り返されて来た。裁判所が、‘政治的な混乱’を避けるため選挙自体を無効としたことはこれまでなかったが、法の番人である裁判所が「平等」の概念を政治的な判断から非常にゆるい形で解釈して来ていることが数値に対する信頼性や判断を曖昧なものにして来ているのではなかろうか。地方から都市部への人口流出が続いている今日でも、衆院で2倍以下、参院では5倍以下で容認されている形だ。
 しかし「平等」の概念は本来1対1の関係を確保することであり、裁判所が
1票の格差が2倍以下、或いは5倍以下であれば「平等」と判断することは余りにも恣意的と言えよう。‘政治的な混乱’を避けるためということは戦後の混乱期から一定期間は必要であり、理解出来ないことではないが、3権が分立している中にあって司法が‘政治性’を配慮し、民主主義の根幹である有権者の「平等」を軽視する結果となっているように映る。その上憲法を含む法の番人である裁判所の平等性や数値に対するゆるさは、国民の数値に対する信頼性に大きな影響を与えていると言えよう。
 そして2012年12月に行われた衆議院選挙については、全国で16件の裁判が行われ、14件は格差が是正されないままで行われた選挙は違憲とされ、他2件も違憲状態とされた。特に広島高裁では選挙自体を無効とし、一定期間後に効力が発生するとし、立法府に是正の猶予を与えたが、岡山支部は猶予を与えることなく無効とした。
 だが裁判所の格差の目安は、未だに衆院で2倍以下、参院では5倍以下が踏襲されている。有権者の一票の格差が1対2でも、1対5でも「平等」と言いたいのだろうか。無論、区割り技術上、厳密に1対1にすることは困難であろうが、司法が立法府に勧告等するのであれば、1票の重みがなるべく1対1の関係に近くなるよう促すべきなのであろう。その目安は、例えば最大格差1.2倍程度であろう。そして司法の判断を尊重し、それに適正に対応することが政治の責任ではないのだろうか。また選挙管理委員会も選挙における平等性を確保する責任があるのであろう。一部に地方の声が届き難くなるなどの意見はあるが、これまで優遇されて来たために人口減への危機感や対応が遅れたとも言える。また都市人口と言っても、筆者を含め半数以上は地方出身であり、地方のことは都市でも大いに関心があるし、過度な大都市への人口集中は望ましくないと考えられるので、地方の活力が発揮され、地方の人口が増加すれば議席も増えるという好循環を作って行くことが望まれる。
 このような調整が国勢調査毎に行われていれば、急激な変化による不安定化を招くことなく対応出来たのであろう。一方、このような調整が一定期間毎に行われると、人口減少に直面する地方自治体は人口減に歯止めを掛け、人口増に繋がるよう、有効な対応策を真剣に検討せざるを得なくなるであろう。また地方自治体の統廃合についても時間を掛けて調整されるであろう。

 2、人口減を見据えた行財政モデルと統治機構の簡素化が必要
 少子化、人口の減少傾向により、現在の‘定年制’を前提とすると、将来的に労働力人口は減少し、国民の税負担能力は低下する一方、長寿化により年金受給者や受給期間が増える等、福祉関連の歳出は増加する。
 またこのような人口減は、全国一律に起こるのではなく、地方から人口が流出し、地方の人口減が起こる一方、首都圏等の大都市に人口が集中する傾向が民間の研究でも指摘されている。
 他方、経済については、グローバル化が進み、国内市場ではなく世界市場を目標として企業の大規模化、多国籍企業化が進む一方、裾野産業がそれを支えると共に、特異な技術や製品が世界市場に向かうなど、中小企業についても国際競争力が問われるものと見られる。
 このような変化の中で、2040年を一つの目標年として、中央及び地方の体制を次のように誘導して行くことが望まれる。なお、人口増について、出生率の増加や外国人労働力の受け入れなどが検討されているおり、それにより若干の効果はあろうが、日本人の人口減と長寿化は趨勢としては継続すると見られるので、それを前提とするべきであろう。
(1) 中央、地方行政組織、議会それぞれにおける適正な定員管理
人口減、労働力人口減が予測されている以上、行政組織を適正規模に調整し
て行くことが不可欠であろう。それを行っておけば、経済停滞期に行政組織で景気対策としての雇用増を行う余裕が出来ることになろう。そのためまず新規採用を着実に削減して行くことが望ましい。新卒者も減少していくのでその影響が緩和されよう。この場合、特殊法人や独立行政法人などの関連組織を含む。また、規制の原則撤廃や簡素化を進めることが望まれる。
 特に相対的に急速な人口減が予想されている市区町村については、新規採用の削減などの定員管理と共に、市区町村の統廃合を進め、持続可能な自治体規模としていく必要があろう。同様に選挙区についても定期的な整理・統合が必要となる。これを怠ると将来財政破綻となり住民は大きな被害を受けることになろう。
 なお全体の定員管理については、雇用機会の確保(ワークシェアリング)に重点を置き給与・報酬を抑える方法と、優先分野を明確にし、優先度の低い部局や効率の悪い部局やムダを削減すると共に、規制の撤廃を促進して定員を縮小する一方、給与・報酬など労働環境を改善する方法がある。将来的にはより豊かな家計、生活、即ち高所得、高消費の社会に導くことが望まれるので、後者の方法が望ましいが、中央は中央として、またそれぞれの自治体の規模や特性を踏まえ各自治体の選択に委ねられるものであろう。
 その上で、魅力あるコミュニテイ作りを進めることが望まれる。
(2) 公共施設、社会インフラの適正な管理と魅力あるコミュニテイ作り
 これまでの経済成長期、人口増を前提とした経済社会インフラ作りのための公共事業モデルは今後困難となるので、低位成長、人口減を前提とし、コミュニテイの生活インフラに重点を置いた公共事業モデルに転換して行く必要があろう。新たな公共施設や道路等は、当面の利便性を高めようが、その維持管理と修復等の後年度負担が掛かるので、人口減となる自治体にとっては将来住民への大きな負担となる可能性がある。従って、人口動態予測や適正な需要予測を実施し検討されなくてはならない。
 他方、自治体生活圏のコンパクト化については、居住の自由との関係や一部地域が原野化する一方、生活圏が縮小する恐れがある上、不動産価格が局部的に高騰し、移転費の問題等が生じるので、新たなコミュニテイ作りについて住民との協議を通じ理解と協力が不可欠であろう。同時に、折角スペースが空くことになるのに、生き苦しい狭隘なコミュニテイ作りは望ましくない。駅や公共施設はもとより、道路沿線のビルや商店などには駐車・駐輪場の設置を義務付けることなども検討することが望ましく、また移動ショップの普及なども考えられよう。
 機能的ではあるが、地域の特性を活かし、人を惹きつける魅力が有り、豊かさを感じられる特色あるコミュニテイとなるよう、グランド・デザインを作ることが望まれる。
 (3)65才以上の年長者への対応
 寿命が延び、総人口の25%以上となった65才以上の年長者を、従来通りの統計基準を当てはめて、15~64才を‘生産労働人口’とし、65才以上を労働市場から除外し、年金受給者として区分することが適当なのであろうか。
 2つ問題がある。長寿化により、年金給付総額が増加の一途を辿ることは明らかであり、そのままでは年金財源が不足するのは明らかだ。
 もう一つは、少数ではあるが65才以上でも、相当な報酬を受けて何らかの形で仕事を継続している者がいる。他方仕事、従って組織から離れて年金生活に入ると1年程度は良いが、多くの人は物足りなさや疎外感を持ち、時間の潰し方を探すことになる。平均的な寿命でも、14、5年そのような生活を強いられる。
無論それを望む者はそれで良いのだが、健康で仕事が出来る経験を持ちながら無為に過ごすことになり、また年金だけでは将来不安を感じている人も少なくないようだ。
 65才以上でも働くことを希望する者に雇用機会を開放することが望ましい。そのため画一的な定年制は廃止することが望ましい。但し、給与が年功序列的に上昇すれば賃金コストが高まるので、最も生活費が掛かる中間層の賃金を上げるために、基本給(役職手当は除く)については例えば、60才以上については直前給与の80%、65才以上では70%、70才以上で60%、75才以上で50%以下(いずれも健康保険付与)とするなどして、雇用機会を与えることが望まれる。同時に、年齢に応じた勤務形態とする。また年齢区分については、長期に固定化することは現状を反映しなくなる可能性があるので、可能であれば3年毎、少なくても5年毎に調整することが望ましい。
なお、年金については65才以上で例えば年額800万円以上の報酬を得ている者については年金給付を部分給付とし、1,200万円以上については凍結するなどの方策を検討して良いのではなかろうか。
(2014.12.9.2020.9.18.冒頭追加)(All Rights Reserved.)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国勢調査2020、1票の格差解消に反映されるか! (再掲)

2022-10-07 | Weblog

国勢調査2020、1票の格差解消に反映されるか! (再掲)

 5年に1度の「国勢調査」が実施されている。特に2020年は10の倍数の年で、本格的な国政調査となっている。国勢調査は統計法に基づき実施される国の最も重要な調査とされ、60~70万人の調査員を雇い、多額の予算を割いて実施される。重要な国の調査であるから、その結果が行政や政治に有効に活用、反映されることが期待される。

  2016年2月、安倍晋三首相(当時)は衆院総務委員会において、衆議院議員選挙における「一票の格差」是正をめぐる質疑において、「県を越える大規模な定数是正は、10年ごとの国勢調査で行うべきだ。2015年の調査は簡易調査であって、5年後には大規模国勢調査の数字が出る。・・・」などとして、抜本的な格差是正を先送った経緯がある。

 1、国民の平等を形にするものとして、「一票の格差」是正が必要

2019年7月の参院選において、選挙区で最大3倍の「一票の格差」があったことに対し、弁護士など市民グループが全国14の裁判所に違憲として訴えていた。高松高裁は、10月16日、国民の平等を定めた憲法に違反するとして「違憲状態」と判決した。

「違憲状態」との表現は、事実上「違憲」の意味であることには変わりがない。高松高裁は、香川、愛媛、徳島・高知(合区)の3選挙区の選挙無効の訴えは棄却したが、無効とすると社会的な混乱を起こすことが懸念され、3権の一つである国会の権限を尊重し国会に対応を委ねたのであろう。しかし「違憲」は「違憲」である。裁判制度は、3権分立の中で独立の機能を持つので、本来であれば、違憲と判断するのであれば、違憲状態として対応を国会に委ねるのではなく、司法の立場から違憲は違憲とすべきであり、その上で国会の対応に委ねるべきなのであろう。

 いすれにしても、国会は3権の一つであり、同等の重みを有する司法(裁判所)の判断を厳正に受け止め、抜本的解決策を次の選挙までに出すべきであろう。これは国民の平等に立脚する基本的な権利である投票権に関するであり、基本的な政治制度であるので、衆・参両院ともに最優先事項として取り組むことが望まれる。

 国勢調査2020の調査結果が公正、適正に活用されることが望まれる。それは、与党だけの責任ではなく、野党各党の責任とも言えよう。また国勢調査は今後の日本の方向性を示す指標となるので、政府としても、その結果を内閣が一丸となって評価、共有し、就労制度、年金・医療などの福祉政策、地域行政制度、交通を含む町造、都市造りなど、行政各部の政策に反映して行くことが望ましい。

 2、国民の平等を前提とする民主主義、男女平等などが遅れている日本

 ところで、「平等」とは基本的には1対1の関係に近づけることが期待されるが、選挙区割り等の技術的な制約から若干の幅は仕方ないものの、原則として1.5倍以下で極力1.0に近い数値に収まるよう努力すべきだろう。1.9倍なら良い、1.6倍ならよいなど、恣意的に判断されるべきことではない。特定の選挙区が4捨5入で2倍以上の格差となることは平等概念に反すると言えよう。人口の多い地域の1票の重みが半人前になるようではもはや平等などとは言えない。また人口の少ない地方の有権者がいつまでも投票権において過度に保護される状態では、地方はいつまで経っても自立できないのではなかろうか。また議員の質を維持する上でも公正、公平な競争を確保することが望ましい。いずれにしても人口の少ない地域への若干の上乗せは残り、配慮されるが、地方の自立があってこそ発展があり、それを支援することによる効果も大きい。

  裁判所は、これまで選挙毎に争われてきている1票の格差問題で、衆議院では2倍以上、参議院では3倍以上(つい最近まで5倍以上)を違憲、違憲状態として来ているが、格差を原則1対1に近づけてこそ平等と言える。

 世界の政治民主化度 国別ランキング(出典:世銀2018年)では、世界204国・地域中で日本は41位、G-7(主要先進工業国)中最下位となっている。因みに、世界の「男女平等ランキング2020(2019年時点の数値)」では日本は121位で史上最低となっている。また2019年の労働生産性ランキングは、「経済大国」と言われながら世界187国・地域中で36位、世界の報道の自由2020では、世界187国・地域中で66位でしかない。

 世界でこのように見られていることは残念だが、戦後75年、視野を広げ、公正、公平な民主主義の構築に向けて一層の努力が必要なのだろう。(2020/10/1)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北朝鮮は米韓共同軍事演習への対抗措置を画策か!?  (総合編)再掲

2022-10-07 | Weblog

シリーズー北朝鮮は米韓共同軍事演習への対抗措置を画策か!?  (総合編)再掲

 北朝鮮は、昨年12月、金正恩体制への反逆行為として張成沢国防副委員長を処刑するなど、その関係者、親族を粛清し、その後の動向が注目されていた。その中で1月16日、北朝鮮国防委員会は、南北朝鮮間に良好な環境を作り出すためとして、旧正月が始まる1月30日以前に相互に批判し挑発し合うことを止め、軍事的な行為を中止するよう提案すると共に、米韓両国の共同軍事演習の中止を訴えた。

 更に1月24日、北朝鮮国防委は、国防委委員長でもある金正恩第一書記の特別な指示として、祖国統一の新たな段階を開くため上記の提案に言及しつつ韓国当局ほか関係方面に宛てた公開書簡を公表した。

 韓国政府はこれを誠意あるものではないとして拒否したが、北朝鮮は池在中国大使が記者会見を行い、この提案は真摯なものであり支持するよう訴えた。中国当局からもプレッシャーが掛けられていることが伺える。

 その後北朝鮮は、韓国との南北離散家族再開事業を実施(2月20日から6日間)した他、日朝間においても、日朝赤十字会談(3月19日)や日朝政府間協議(3月30日、31日)を行うなど、融和姿勢を示す一方、短、中距離のミサイルの日本海向け発射などの示威行為を行い、硬軟両用の姿勢を示しており、その真意が注目されている。

 1、米韓合同軍事演習への反発をあらわにする北朝鮮の狙い

 このような北朝鮮側の米韓共同軍事演習の中止提案に対し、北朝鮮側が張成沢国防副委員長他の血の粛清後国際的に孤立化していることを受けての融和策、或いは経済的困難を回避するための和解姿勢など、ステレオタイプのコメントが多く聞かれた。

無論そのような狙いがあることは否定するものではない。しかし上記の2度に渡る提案を読み進めると、具体的には次の2点を要求している。

(1)  南北間に良好な環境を作り出すため、当面、米韓合同軍事演習(フオール・イーグル、及びキー・リゾルブ)を中止すること。

(2)  北朝鮮としては‘朝鮮半島の非核化’を共通の目標と考えるが、朝鮮半島に‘第3国の核’を持ち込まないこと。北朝鮮の核は米国の核の抑止のためであり、自衛のためにほかならない。

 この要求から分かるように、北朝鮮の当面の狙いは2月下旬から実施されている米韓合同軍事演習の中止である。提案が北朝鮮の軍事委員会の名でなされていることも、軍事的な思惑からであることを物語っている。そもそももし北朝鮮側が、真に韓国側との融和を希望するのであれば、公式ルートを通じ静かに接触し、韓国側が対話に応じた時点で公表するであろう。

 米韓合同軍事演習は、長年に亘り実施されているもので、韓国内及びその周辺で行われる大規模な演習であるが、北朝鮮側はその都度最大級の批判を繰り返して来ている。国内的にも、TVや労働党機関紙その他で米国、及び韓国による北朝鮮侵略の準備であり、北朝鮮はそのような攻撃があれば南を焦土とするなどとして、過剰とも思える反応を行っている。2013年においても同様だ。

 2、北朝鮮の融和姿勢は本当か

 このような中にあって北朝鮮は、2月20日から6日間、南北離散家族再開事業を3年ぶりに実施した。また日朝間においても、3月19日、瀋陽において日本人遺骨収集等に関する日朝赤十字会談を行い、また2012年11月以降中断していた日朝政府間協議を3月30日、31日に北京で行うと共に、横田めぐみさんの両親と孫に当たるヘギョンさんとの面会をモンゴルで実現するなど、融和姿勢を示している。

 これらの動きから、北朝鮮は、国内での食糧不足や経済困難、中国との関係の後退などから、韓国や日本との関係改善を狙っていると言われている。特に日本については、日朝交渉を通じる拉致被害者問題の進展や制裁措置の部分的な緩和による交流の促進などが期待されていると言われている。

 しかし日朝政府間協議は、‘真摯で率直な協議’が行われ、協議の継続で合意したものの、再開時期にも合意していない。政府間関係で‘真摯で率直な協議’との表現は、それぞれの立場、問題点を言い合うことを意味しており、それぞれの思惑で進展を期待しつつも、基本的に一致点がなかったことを意味している。政府間協議後の4月1日、北朝鮮側の代表宋氏は記者の質問に対し、朝鮮総連本部の入札による売却決定を許可したことに対し、‘この問題の解決なくして、日本との関係進展は必要ない’とのコメントを日本語で行っている。北朝鮮側の当面の関心が朝鮮総連本部の建物にあったことが明らかだ。既に落札され承認されているので、売却自体は実施されることになろうが、賃貸への便宜や代替地の提供などを求めて来る可能性がある。朝総連は、かねてより北朝鮮の日本での大使館或いは代表部としての機能を果たしていたとされているが、日朝両国には正式な外交関係はないので、朝総連のこのような機能、活動は認められるべきではない。朝総連のあり方等は、平和条約交渉の過程で協議されるべきであろう。

一方、国連人権理事会が設置した北朝鮮人権調査委員会は、2月に報告書を公表し、北朝鮮の拉致を含む人権侵害行為に対し人道に対する罪」として非難すると共に、安全保障理事会に対し、国際的な刑事司法の枠組みで北朝鮮指導者の責任追及を検討するよう促した。そして人権理事会は3月28日、北朝鮮の人権侵害を非難する決議を採択した。このように北朝鮮の人権侵害、人道違反に関しては、2013年12月の粛清を含め国際世論の批判が強まっていることから、国際世論を和らげるための融和姿勢が必要だったとも言える。また北朝鮮は、国連専門機関から毎年のように受けている食料などの人道支援を確保するためにも融和姿勢を示す必要がある。もっとも、一方で経済制裁を行いながら、北朝鮮への食料などの人道支援を実施することには、矛盾があり、実施するにしても、実際に貧困層の人々の口に届くような確実且つモニターシステムを確立することが不可欠と言えよう。

 3、北朝鮮の真の狙いは核、ミサイル開発の促進?!

 今回の北朝鮮側の一連の米韓合同軍事演習の中止要求が韓国側により拒否され、米韓合同軍事演習が行われたため、北朝鮮側は、米韓による戦争準備が行われているなどとして非難を強め、自国防衛の一環と称して長距離ロケットや核兵器の開発、実験を加速する可能性が強い。既に北朝鮮側は、日本海に向け短距離ミサイルの発射(2月27日)、そして中距離ミサイル・ノドンの発射(3月26日)を実施すると共に、黄海に向けロケット砲の発射(3月31日)を行っている。また、長距離ロケットの発射台を設置し始めており、ウラン濃縮も再開されているなどと伝えられているので、北朝鮮は、今後の重要日程に合わせてミサイル、核実験を強行する恐れが強い。

 南北間の環境改善に向けての北朝鮮の提案は、強硬姿勢を合理化するための国際世論向けのジェスチュアーと見られる。北朝鮮が今回中距離ミサイルの発射を行ったことに関し、国連安保理は2013年1月の安保理制裁決議に反するとして非難したことに対し、北朝鮮はこれに抗議した上、‘新たな形の核実験を行うことも排除されない’との外務省声明を発表している。

 確かに南北朝鮮は未だに“休戦状態”であるので、軍事的には合同軍事演習は必要であろう。しかし北朝鮮側の極端な反応が予想されるのにも拘らず、何故朝鮮半島周辺で毎年のように大規模な軍事演習を行うのか。北朝鮮側も、軍事演習自体を否定はしていない。米国内か朝鮮半島から遥か離れたところで行うように促している。北朝鮮の核及びミサイルの開発実験問題については、1990年代中頃より各種の努力がなされているが、朝鮮半島周辺における大規模な米韓合同軍事演習は、北朝鮮側に核、ミサイル開発加速への口実を与え、既成事実を重ねさせ、事態を悪化させて来ているのではないだろうかろうか。

 それだけでなく、1953年7月に締結された南北間休戦協定以来60年を越える休戦状態が継続し、和平が成立しない限り北朝鮮の先軍政治が継続するので、毎年行われる米韓の合同軍事演習は、北朝鮮に先軍政治を継続する格好な口実を与える結果ともなっている。

 軍事的観点だけでなく、総合的な判断が求められよう。

(2014.04.10.)(All Rights Reserved.)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国民1人1人の命を大切にし、安全な国造りを目指そう

2022-10-07 | Weblog

  国民1人1人の命を大切にし、安全な国造りを目指そう

  7月8日の安倍晋三議員(元首相)への銃撃事件は、日本だけでなく国外にも銃規制が厳格で安全と見られていた日本で起こった惨事として大きな衝撃を与えた。

  人の尊厳を傷つけ、命を奪うような行為は決して許されない。

  1、警備強化、規制・制限強化で終わらせてはならない

  このような暴力行為は決して許されるべきではない。現在要人警護の強化の強化が検討されているが、党派を超えて公正、安全な活動の確保を念願する。 他方、昨今身勝手な理由で生徒や幼児を含む一般国民が殺傷事件に巻き込まれ、多くの尊い命が失われているのも事実である。人を殺める行為はそれが誰であれ許されるものでなく、国民1人1人の安全への取り組みが不可欠である。

  その対応として規制・罰則の強化や警備の強化などで終わらせることなく、時間は掛るが、家庭、義務教育課程、専門学校・大学、各組織・団体レベルにおいて、心の問題として人の尊厳を傷つけ、ましてや命を奪うような行為は決して許されないとの意識の向上を図ることが必要と見られる。

  今回のような事件が起こると、ともすると警備の強化の他、街頭演説の規制や道路規制などで終わってしまう可能性がある。例えば駐停車禁止や駐輪禁止についても、駐停車禁止等の区域が急速に拡大することに加え、規制対象に「放置」という新たな概念を加わり、数分でも車や自転車を離れると「放置違反」となる。車にしても自転車にしても、目的地で止めておかなければ用をたすことが出来ず、駐停車や短時間車や自転車を離れなければならない需要があるにも拘わらず、至便で料金の安い駐車場や駐輪場、例えば短時間であれば無料で置ける場所は提供されておらず、規制・規制が増え続け、自由な生活空間が年々狭められ、市民生活はどんどん窮屈で閉塞感を増し、行政になっているように見える。以前公衆トイレや町中の公園等に多数の禁止事項が貼り出されていたが、最近は少し改善したものの、未だに10項目以上の禁止事項を貼り出している施設、公園なども少なくない。都内の幹線道路等には禁止事項をはじめとする看板、パネルが増え続けている。一向に減る様子もなく、「事件発生=規制強化」という行政姿勢が定着しているように映る。学校も同様で、校則が40、50にも及ぶのは普通になっているようだ。覚えようもなく、自主性も削がれる。

  多分今回も選挙活動中の街頭利用に規制・制限が加えられ窮屈で閉塞感を増すのではないかと危惧される。規制・制限により一定の目的は達成できるものの、必要な活動が自由に出来なくなり、至便性や自由な行動を犠牲にすることになる。それで終わるのではなく、必要とされる目的、活動が達成できる代替の場所や施設を提供しなくては適正な行政を行っていることにはならない。規制・禁止等を行う場合、同時に必要な救済、対応策を提供するという意識が警察を含む行政に不可欠になっているようだ。「事件発生=規制強化+代替措置の提供」という新しい社会方程式にして行くことが不可欠だ。それにより社会経済的効率は改善し、市民の閉塞感やストレスが癒えることが期待される。それが出来ないと、規制が増えれば増えるだけ、違反者も増え続けるけることになる。

  歩道を含む道路の管理については、県道、国道などにより所管する官庁(警察、国土交通省)や自治体(都道府県、市町村区等)が異なり煩雑のようだ。しかし高速道路等を除き、自治体に出来るだけ多くの管理、改善の役割を持たせることが望ましい。都市を走る幹線道路沿いは、至便性から住宅やコンビニ、スーパー、病院等の施設、商店が増え、「通過のための道路」が「生活道路」に性格を変えているところが多い。警察行政がその変化に気付いておらず、従来通りの対応に終始しているように映る。今回のコロナウイルス対策では、地方自治体が大活躍し、市民に近い行政活動として評価される。都市の市街を走る道路はもはや「通過のための道路」ではないので、信号の敷設を含め、市民生活に近い地方自治体に業務、管理を移管することが望ましい。

  規制・禁止等の強化は一定期間必要とすることはあろう。他方、そのような規則、法律が増えれば増えるほど、違反者も増え、取り締まり強化がされる一方、そのような規制・制限等は何時か破られ事件となり、更なる規則強化という悪循環が繰り返されるので、規制を強化をすれば良いということでもない。国民のニーズに応える措置も不可欠のようだ。「事件発生=規制強化+代替措置の提供」という新たな社会経済方程式の実践が望まれる。

 


  2、教育課程を通じたマナーや倫理教育、人間関係と社会教育の充実が必要

  (1)ブッダの不殺生・非暴力の教えは今や刑法となっている

 紀元前5世紀頃、ヒマラヤ南麓(現在のネパール ルンビニ郡)で生まれたブッダ(漢字の仏陀は、サンスクリット語を音写したもの)はシャキア部族王国のシッダールタ王子としてカピラ城で育ったが、病・老・死で苦しむ城外の人々を目の前にして、悟りを求めて29才で城を出て、南方のブッダガヤ(現在のインド ビハール州)で悟りを開いた。シッダールタ王子は悟りを開いてブッダ(サンスクリット語の悟りを開いた者・賢者の意)となり、人類平等の思想に立脚し、生きていなければ悟もないことをまず悟り、生きることを前提として人類共通の課題である病・老・死への向き合い方を説き、不殺生・非暴力等を唱えた。

  ブッダは、自らそれを実践した。ブッダは、コーサラ国のヴイルダカ王が王子の頃シャキアの村人に侮辱されたことを恨み、シャキア王国を攻撃するとの知らせを受け、進軍する路沿いに座り、ヴイルダカ王の進軍を何度も止めようとした。王は一旦引き返すが、再三に亘り進軍を繰り返し、遂にシャキア部族王国を殲滅した。ブッダは一人身を挺して進軍を阻み、その間多くの人々に避難する時間を与えと見られる。他方ヴイルダカ王は凱旋後、火災に巻き込まれ苦痛の中で命を失い、地獄に落ち、そこであらゆる形の苦痛を受け続けているとされている。その200年以上後に、アショカ王はインド地域の統一を果たしたが、その過程で隣国との「カリンガの戦い」で大量殺戮したことから、ビルダカ王のような末路、殺戮の報いを恐れ、平和と不殺生を誓い、ブッダ教に帰依すると共に、ブッダの教えの普及に努めた。東の中国方面だけでなく、西はギリシャ、エジプト等まで伝わっている。

  紀元前10世紀頃よりイラン高原周辺からインド亜大陸へアーリアンの諸部族が長期にわたり大量 に流入し、土着のドラビダ族等との支配を巡る激しい抗争と融合を経て、16大国時代という相対的な安定期の中でブッダは誕生した。しかし16大国が割拠しており、支配を巡る潜在的な対立が存在する一方、各部族の域内では人口融合が進展したと見られる。

  そのような激動の時代を経て16大国が割拠する時代に不殺生・非暴力を唱えたことは、先駆的ではあるが非現実的と捉えられても仕方ないが、不殺生、非暴力の教えは、弟子が受け継ぎ、その後部族の掟となり、人類の基本的な倫理規範となり、また国家組織が発展するにつれ、秩序維持のための刑法等へと制度化して来た。しかしこれがひとたび法制化すると、法律、制度で禁じられ刑罰を受けるから人は殺めてはならないとの他律的、受け身的な姿勢となり勝ちで、自らの心の問題、倫理観は薄れる。そうなると刑罰を受けても良いと考える人や刑務所に入りたいと望む者には、自らの心や倫理観による抑止が薄れ、犯罪に走り易くなるのではないだろうか。

   時間が掛るが今行うべきことは、上記でも触れた通り、子供の頃から大学等までの教育課程において、それぞれの年代に応じて基本的な倫理・思想、人間関係や社会性の開発、マナー教育を充実させることではなかろうか。大学等への進学制度の一環として大学入学共通テスト制度が導入されたことは、機会の公平を確保する上で効果がある一方、義務教育課程や高等学校がいわば共通テストで良い成績を取るために予備校化し、人間として、社会人として必要な基本的なマナーや相互の尊重と心の豊かさ、そして他人の尊厳を傷つけ、命を奪うような行為は決して許されないというような精神面や基本的倫理の学習の余裕を失わせているのではないだろうか。  

  この点は、家庭が核家族化し、或いは共働き等で親などとの接触が少なくなって来ているので、これを教育の場や課外活動等で補う必要がより強くなっているようにも思われる。もう一つの問題は、長期の経済停滞、コロナ禍の下で、成人の仕事の機会、活動の場所が狭まっており、その確保の必要性である。好ましい仕事も活動の場もなく、長期に実家や一人暮らしで社会から引きこもっている層が多くなっているように見える。最近、登校拒否生へのきめ細かい対応が出来てきたが、それらの学生に円滑な進学や就職が出来るようにすると共に、成人の引きこもり者への就職、活動の場の照会、斡旋・提供に加え、何でも相談できるソシアル・サービスの充実も必要であろう。それぞれ個人の問題と言えばそうなのであるが、社会が多様で豊かになる一方、生きがいを見つけられず悩んでいる人たちが何でも躊躇無く相談できる場がもっと身近にあって良いのではないか。その場で答えを出せなくても良い。市民生活に近い区や市町村レベルで、本庁だけでなく支所や関係施設にも窓口を設け、夜間もメール等でアクセス出来るシステムが望ましい。

  事件が起きれば取り締まりを強化することになるが、社会から様々な理由で引きこもっている人々を社会に復帰させることによる犯罪の防止と家族・社会に与えている社会的コスト削減となるなど、効果は遙かに大きいので、そのようなソシアル・サービスを拡大することを優先すべきであろう。

 


 3、戦後の新興宗教団体の監査と誰でも何処でも相談できる場が必要

  また今回の事件の背景にあった新興宗教団体による問題については、信条、信仰の自由に立脚しつつ、信者への寄付金要請や帰宅・外出などの事実上の拘束などについては、少なくても一定の基準や報告義務を設ける必要がありそうだ。また「合同結婚式」については、当日まで相手知らない場合も多々あり、韓国人に日本国籍を取得するだめの事実上の偽装結婚や暗示、群集心理を利用した半強制的な結婚など、いわば「心の拉致」、「精神的拉致」とも言えるケースが多数存在し、人権侵害と見られる場合もあるので、これを防ぐための措置を検討する必要がありそうだ。また第2世代以降への対応については、表面上は家庭内の問題となるので難しい側面があるが、何らかの救済措置が必要と思われる。

 特に宗教は、人々の心の安らぎや拠り所等を与えるものであるので、その目的に反し、信仰の力を装って、個人に経済的その他の過度の負担を課し、或いは人権を侵害するような非社会的活動をすることは、決して許されてはならない。このような行為や活動を霊感商法の禁止に加え、精神的強要罪或いは宗教詐欺罪などの罪として刑法に規定することが望ましい。

 また統一家庭連合(旧統一教会)と政治家との関係については、特定議員による関連団体票の割り当てや、同団体票を得て今回当選した参議院議員との関係などが指摘されている。宗教団体を支持母体とする政党には公明党があり、それが与党の一角を形成しているので、他の宗教団体も政党との関係を強めたい、基盤を拡大する傾向にある一方、旧オウム真理教のように殺傷事件を起こす場合には取り締まれるが、そうでもないと規制することはなかなか難しいところがある。しかし宗教団体やその関連団体の票を特定候補に割り当てるなどの行為は、個人の自由な選択を阻害するものであるので、公職選挙法などで禁止が検討されても良いのではなかろうか。

 宗教法人は認可を受け、税金優遇措置などを受けているので、戦後、現行憲法の下で認可、承認を受けた一定規模以上の宗教団体については、その活動が届けられている目的や活動に適合しているかなど、信者からの聞き取りを含めて、定期的に監査することが必要のように思える。

 

 更に、旧統一教会が戦後日本で行ってきた日本国民の精神的支配と政界との関係拡大の構図は、日本国民の安寧な生活を精神的、経済的に破壊し国家安全保障を損なうものであることが明らかになって来たので、外国の宗教団体及びその関連団体の日本支部組織については、認可、承認において厳格に審査すると共に、政治活動を禁止する方向で検討する必要がありそうだ。

(2022.7.25. 同7.29.一部補足)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Exert more Wisdom than Weapons for Ukraine!

2022-10-07 | Weblog

Exert more Wisdom than Weapons for Ukraine!

 Over three-months long armed conflicts persist in Ukraine, and the Russian military forces seem to focus on the consolidation of the control in the two eastern provinces, namely Donetsk and Luhansk, in collaboration with the pro-Russian groups there. At the initial stage, the Russian leadership misjudged that the Ukrainian military might be unwilling to fight back against the Russian troops, keeping distance from President Zelensky, and decided to invade in Ukraine towards Kiev immediately after the air strikes on their Air Force facilities. But the Russian troops met severe resistance as they marched forward to Kiev and resulted in unforeseen damages. The Russian leadership, noticing their misjudgment based on some inaccurate information or wishful analysis, decided to withdraw the troops from the western front and shifted their attack in the eastern provinces and the southern provinces adjacent to Crimea. That would have been the initial military objectives after the expiration on 21st January, 2022, of the Minsk Truce Agreement of 2014.

During the eight-year long Truce Agreement, it was designed to settle the autonomy issue of the two eastern provinces. But such efforts failed, and President Zelensky, instead, openly expressed his intention to become a member of NATO. 

For Russian, the constant east-bound expansion of NATO has been seen as a threat. President V. Putin expressed his view at a press conference in April, 2008, on the occasion of the NATO summit that “any attempt to expand NATO to the Russian borders would be seen as a direct threat”. At that time, NATO expanded its membership from 16 to 26 after the Soviet Union, therefore the East-West Cold War, was over. Now it is embracing 30 countries with the U.S. military bases and the THAAD missiles in Romania.

  1. No justification for the Russian aggression in Ukraine

 Russian invasion in Ukraine cannot be tolerated and should be condemned. In particular, the initial Russian invasion in the western region leading to Kiev invited a strong criticism in the World, in addition to the damages inflicted on the Russian troops.

Every sovereign country has the right to defend itself against any aggression.

In support of such Ukraine’s efforts to defend itself, many NATO member countries including the U.S. and others have been sending weapons after weapons together with other civil support upon request from Ukraine. Also a wide range of economic sanctions against Russia have been imposed by many countries.

Such a support is necessary. But we should exert more wisdom than weapons. Wisdom to stop the armed conflicts and the bloodshed. And wisdom to bring about a peaceful settlement in Ukraine. Further military support, in particular,  sophisticated missiles and other weapons from the NATO countries to Ukraine seems to lower a threshold to a war in Europe. Also a wide ranging sanctions against Russia would adversely affect the World economy sooner or later like a boomerang.

 

  1. Needed recognition of the Co-Existence in the face of the differences in basic values and governing systems in the World

At a time of apparent differences in basic values and governing systems in the World seen in such cases as the Russian invasion in Ukraine and the trade issue with China, we need a practical philosophy governing the World now. There are basically 3 alternatives. Namely, 1) defeat the opponent, completely, if possible, 2) accept the domination by the opponent, or 3) co-existence with different values and governing systems.

The first two alternatives will not be accepted by the other side. The World is divided in these two cases, and a fear of a war lingers. If the World is to be one globe, therefore, Co-Existence seems to be the only realistic alternative.

Democracy is based on human equality, acceptance of diverse values and belief, and pluralism. And given the present nation-to-nation relations which are based on the territorial sovereignty with its own basic values and governing systems, Co-Existence is the realistic philosophy governing the present international relations, if a democratic method is to be applied in handling international affairs as well.

And sometime in the future, the World of Co-Prosperity may happen.

(2022.6.10. All Rights Reserved.)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする