シャーマンの呼吸

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自傷行為の種類

2024-07-21 00:00:00 | 自傷行為

 

 

生きることが自傷行為であってはならない。

 

そう思ったとき、個人的に「自傷行為」の種類をまとめてみた。

 

 

・直接的自傷行為

自分自身を自分の意志で傷つけること

 

・自罰的自傷行為(行動選択の自傷行為)

いくつかの選択肢の内、喜びを忌避し、自分にとって苦しい方を選び取ること

 

・被害的自傷行為(犠牲的自傷行為)

傷つけられることを自ら許可し、他者の加害性を自身に向けさせることによって人間関係を築くこと

 

・他害的自傷行為(復讐的自傷行為)

他者を恨み憎むことによって自分自身を傷つけていること

(「楽しみ」や「遊び」に時間を使わず、「恨む」「憎む」ことに人生の時間を費やし、諸刃の剣であることを自覚しないまま攻撃的なエネルギーを宿すこと)

 

 

 

 

 

 

 

どれも理由や目的によって複雑に混ざり合っているだろうと思われるため、簡単に分類はできないが、自分用のメモとして。

「なんとなくツライ」っていうのを続けないために、気づいて捨てていくことも必要だから。

現状を「否定」するのではなく、「相対化」することによって、前進する。

 

 


左手からの手紙

2024-04-13 00:00:00 | 自傷行為

 

わたくし、サンダー・ウルフは、長く自傷行為をしていました。

その理由のひとつは、「見えない心の傷を、身体の傷として表し、『手当て』を現実的・具体的にしたかった」のです。

 

 

けれど、その傷跡は、今もハッキリと残り、消えることはない。

 

 

そんな左腕の『声』が、あるとき聴こえてきたのです。

 

 

以下に記すのは、当時のピチピチの文章だ。

 

 

ーー

 

【左腕】

 

「切断してしまいたいな」と思ったことがある。

思っただけだ。

でも、その時、わたしは、「精神的に切断してしまった」のだ。

 

 

いつも、自分の視界に入らないように。

いつも、誰かの視界に入らないように。

 

毎日、風呂で諦めて。

毎日、着替えで諦めて。

 

 

でも、悲しくならないように、「しょうがなかったよね」と、なけなしの気休めを集めて、自分を慰めた。

 

 

こんなに消えないものだと知っていたら、やらなかっただろうか……。

こんなことを考えても仕方がないけれど、たまに考える。

そして、「それでもやっただろうな」と、また諦める。

 

本当に、こんなことを考えても仕方がないのだが。

考える。

 

 

「切断してしまいたいな」と思ったことがある。

悩まなくて済むのだから。

悲しまなくて済むのだから。

楽なのだろうから。

 

だから、わたしは、「精神的に切断してしまった」のだ。

左腕の感覚だけじゃなく、悩みや、悲しみや、どうしようもなさ……そういう感情ごと、切り離してしまった。

 

心の一部を、切り離したのだ。

 

ピアノが弾けなくなった。

 

 

――

 

 

長年通っている、原キョウコさんのダンスセラピー。

 

いつものストレッチ。

 

 

ふいに、左腕の声が聞こえた。

 

「俺はここに居るけど」

 

とても静かな声だった。

 

「俺はいつもここに居るけど」

 

このとき初めて、わたしは自分の左腕を「わずらわしいもの」ではなく、もはや「無いものとしていた」ことを知った。

 

左腕は、いつも、いつも、いつも、踊りに参加してくれていた。

右手と絡み、頬をさすり、足を持ち上げ……いつもこの身体のために、いやわたしのために、……いや、ただ、ただ、そうすることが当然であるように、在った。

 

わたしは、咄嗟に謝った。

けれど、『謝る』ことも、ましてや『感謝』することも、違うような感じがした。

 

「俺は、ただ、いつも、ここに居るけど」

……左腕は、ただ意思を伝えてきた。

 

そして、そんな左腕の声に、頷ける柔らかさが、わたしの中に生まれていた。

 

今まで、頷くことができなかったのだ。

 

左手がこの身体とともにあることを、認められなかった。

 

久しぶりに、左手をちゃんと見た。

 

 

――

 

 

ともにある。

これまでも、これからも、ともにある。

ともにあることを、ただ、想う。

 

それだけで、よいのだった。

 

 

 

 

 

ーー