ここにないものを、ここに在るかのように、ありありとイメージし、それによる身体の反応を感覚すること。
イメージの力を育んでいくこと。
『自分のための時間を持つ』ということは、
自分のケアをすること・癒しの時間をとることだけにとどまらない。
『自分のための時間を持つ』ということは、
現実逃避することとも区別しておくべきだろう。
『自分のための時間を持つ』ということは、
やりたいこと・やるべきことに時間を当てることだ。
企画を明確に、具体的にしておくと、やりやすい。
人間というのは迷子になりやすいし、知らぬ間に後戻りしてしまうなんてこともよくあるからな。
ある程度、明確なビジョンを描き、書き留めておくことだ。
やりたいことが、あるだろ。
今生でやるべきことが、あるだろ。
今生でやらなきゃいけないことが、あるだろ。
それを、もう、とっくに知っているだろ。
それを実現をするために必要なことを、
ひとつひとつ失敗して積み重ねてきたんじゃないのか。
進め
鍛錬とともに
もっと深みへ
更なる高みへ!
わたしにとって、遥かな救い
『観察』は
自分に対する『思考』ではない
『評価』でも『ジャッジ』でもない
観察は、ただ観察ということでしかありえない
このことは、わたしにとって、遥かな救いだ
それで、観察の視点には、何があるのか
静かな実感
身体にある事実
……なんとでも言えるが、なんとも言葉にならない
(今度一生懸命言葉にしてみるよ)
丁寧に、観察すること
観察の精度を、より細やかにすること
日々、誤魔化せない自分との、鍛錬のよう
……これを『修行』と呼ぶんだろうか?
観察は、日頃自分を貶める『思考』とは一線を画する
『評価』とも『ジャッジ』とも、似て非なるものだ
観察は、ただ観察ということでしかありえない
しかし、そこには、自分に対する『思いやり』のような時間が流れている
これらのことは、わたしにとって、遥かな救いだ
*追記
この地味で地道な探求は、ひとりではできない。
自分の身体に丁寧に触れることによって、『麻痺していた痛み』が蘇る瞬間が、幾度となく訪れる。
それは、とても孤独な体験である場合が多い。
けれども、わたしはこのような地道な稽古・修行を続けていこうと思えるようになった。
孤独な痛みの先に、「癒し」という言葉じゃ足りないくらいの平和があるのだと、身体がわかっている。
そして、このような体験を積み重ねてゆくことができる場を、つくり続けてくれている師匠が居る。
さらに、その場に集う仲間たちが居る。
ひとりじゃできない。
たった今この瞬間、『ひとりじゃできない』と書いた自分に感動している。
自分を観察することでしか、世界は変わらない。
『変わろうとしなくていい』『そのままでいい』というのが、【甘い毒】だと気づくのは、いつだろう。
自分自身を放置していいのだと勘違いして……。
都合のいい作用だけを盲信して……。
同じ苦しみを飽きるほど繰り返して……。
ついに……死を予感した時。
かもしれない。
わたしの薬は、庭仕事。
土を触る。
ふっくら柔らかければ、安心する。
固ければ、どうすればいいかを考える。
身体を触る。
ふっくら柔らかければ、安心する。
固ければ、どうすればいいかを考える。
よく、「変わろうとしなくていい」「そのままでいい」という言葉を耳にする。
この言葉の、うわ澄みだけを啜ってしまったならば、毒だ。
だって、自分を傷つけ続ける自分は、変わらなくていいのだろうか。
固く締まった土を、変えずに、いったい何を育てようというのか。
身体だろうと、土だろうと、放置して良くなることは、ない。
あまりの固さに、どうしようもなくて、逃げたとして。
そのあと、時が経って自然に柔らかくなっているなんてことは、きっとない。
丁寧に触れ、注意深く観察し、働きかける。
そういう積み重ねでしか、変わらない。
人は面倒くさがりで、か弱くて、怖がりだから、「嫌な感じがするとき」ほど目をそらし、観察を怠る。
あるいは、痛みが大きくなりすぎてしまって、観察すること自体、怖くなる。
えてして、疲れ果て、劇薬の市場をうろつく。
そこにあるのはたいてい、緻密さ複雑さや深さを欠いた、うわ澄みだ。
うわ澄みは口当たりがよく、スッと飲める。
ときには、激変する自分を錯覚することさえある。
ある種の解放感、快感の要素もある。
だから、あらゆるビジネスのカモになる。
「楽に生きたい」という切実な思いは、搾取されてしまう。
『変わろうとしなくていい』『そのままでいい』というのが、【甘い毒】だと気づくのは、いつだろう。
土を触る。
身体を触る。
そして、言葉を咀嚼する。
天に任せたつもりで自棄になっていないかい。
何もせず柔らかくなるなんてことは、ない。
不調を自覚するとき、つらいとき、もう逃げたいと思うときにこそ、
己に触れ、注意深く観察し、働きかける。
そういう積み重ねでしか、自分は変わらない。
自分を観察することでしか、きっと世界は変わらない。