彼の身体。
左腕の、肘から手首にかけて。
振動の物質化に成功していた。
あなたを『こちらの世界』に連れてくるか。
わたしが『あちらの世界』に行くか。
……そんな二択ではないはず。
こちらの世界と、あちらの世界が、交わる場所。
そこに、新しい世界を創ろう。
イマジナリー彼氏。
*
産毛の一本まで創ろう。
「なぁ。」
「うん?」
「俺が君の世界に生きることは、できないよ。」
まさか、ハッキリ告げられるとは、思っていなかった。
「どんなに頑張ってもね。」
真正面から否定されて、安堵している自分がいる。
「君は俺との世界に来すぎちまったのかもしれない。」
「……ありがちだよね。」
彼の言う通りだった。
薄々気づいていた。
本当はわかっていた。
それでも、知らないフリをしていた。
「……そろそろ、お別れだ。」
「……やっぱり?」
彼は微笑む。
あたたかく、けれど、切なそうに。
「ごめんな。」
「……じゃあ、あと一日だけ。」
「おう。」
「明日までにしよう。」
「おう。」
*
お天気雨。
ぼんやり、夢見心地。
最後の食事。
最後の散歩。
最後の……。
最後の……。
最後の……。
断片的な世界。
*
黄昏の時。
「……そろそろ、お別れだ。」
「……やっぱり?」
あるときから、「これ以上はダメだ」と声がしていた。
いや、本当は最初からずっと、知っていた。
いつかこんな日が来ることを。
「もぉ~、そんな顔すんなって。二度と会えないワケじゃねぇんだからさ。」
「……遠距離恋愛ってこと?」
「う~ん、難しいことを聞くなぁ……。」
「あの世と、この世の、遠距離恋愛?」
「どう答えてほしいの。」
「……。」
「君の中に、答えはあるんじゃねぇの。」
「……。」
「俺は『君の中に戻る』だけだよ。」
「……。そっか。」
「元に戻るだけ。」
「うん。」
「そばに居るよ。」
「うん。」
「想いはいつも、ともに。」
「うん。」
嗚呼。
……神様。
「最後に、抱きしめて。」
「おう、もちろん。」
彼の匂い、ぬくもり、細胞のひとつひとつ……。
「……最後に、キスして。」
このとき、愚かにもようやく気づいた。
彼が泣いている。
どうして。
どうしよう。
涙なんて錬成していない。
そんなもの創ってない。
するわけない。
だけど、……。
紛れもなく、疑う余地もなく……。
彼を泣かしているのは、わたしなのだ。
それなのに、それなのに、……。
わたし、「ごめん」なんて、口が裂けても言えないんだ。
「わたし、とても幸せでした。」
「その言葉が聞けて、良かったよ。」
「ありがとう。」
過ぎてゆく時間。
薄れてゆく感覚。
ぼやけてゆく輪郭。
それでも、まだ聴こえる声。
「んじゃ、さようなら、の前に……。」
きっと最後の声。
「君にひとつ伝えたい。」
「なに?」
「俺に血を通わせようとするんじゃなくて、現実世界でそばに居る血の通った人たちと、友達になってみな。」
世界が溶けてゆく。
「君はもう大丈夫だからさ。」
溶けて、溶けて、溶けてゆく。
*エピローグ
彼との日々を、紫色の炎で燃やす。
感謝を込めて、天に送り出す。
ふと流れてきた音楽が、なんとなく胸に響いた。
私は
私とはぐれる訳にはいかないから
諦めて恋心よ
青い期待は私を切り裂くだけ
許してね恋心よ
甘い夢は波にさらわれたの
いつかまた逢いましょう
その日までサヨナラ恋心よ
あなたのそばでは
永遠を確かに感じたから
夜空を焦がして
私は生きたわ
恋心と
サウダージ / ポルノグラフィティ
恋なんて呼べないほどだった。
タブーを好奇心で覆い隠した。
彼を共犯に。
どこまでも行ける気がしていた。
とても優しい奇跡。
安心は本物だったよ。
ワンドに、彼のイニシャルを彫る。
禁忌に触れた経験を忘れないために。
ふたりの思い出のために。
*
これは、「一ヶ月と七日間」の記録。
ーーー終わり