シャーマンの呼吸

自然と人を繋ぐ

シャーマンの弟子

【2023年・からだ大賞】【とてつもないデトックス】

2024-03-31 00:00:00 | 日記

他にタイミングが思いつかないんだ。

さて、年度末ということで、この機会に載せておきます。

年末年始の個人的な記録。

 

 

 

 

【2023年・からだ大賞】

 

「司会進行役の、右手です。」

「実況は、ハート(心臓)です♡」

「解説の、脳ミソです。」

 

右手「それでは、早速ですが、トントンと参りましょう。」

ハート「まずは、優秀賞の発表でぇーす!」

脳「これは、書くタイミングが無かったけど、どこかに書いておきたい、身体の不思議体験でしたね」

ハート「どぅるるるるるぅ~」

脳「ドラムロール……口で言うんか。」

ハート「じゃじゃん!!!」

 

右手「優秀賞は……、シャンプーとコンディショナーを無事に買えた、あの夏の出来事です!」

 

脳「あー、うんうん。ハッキリと面白い出来事だったのに、あまりにも些細なコトだったから、書くタイミングがなかったんだよね」

ハート「すぐにでも誰かに話したかったヤツ!!」

 

右手「具体的に、どんな出来事だったんですか?」

 

脳「シャンプーとコンディショナーを買いに行った日。シャンプーとコンディショナーを手に取ったつもりだった。」

 

右手「ええ。」

 

脳「でも、それをカゴに入れることが、どうしても、できなかったんだ。」

 

右手「あら、なぜ?」

 

ハート「右手がね、動かないの。どうしても、身体が、ソレをカゴに入れたくないの。」

 

脳「シャンプーとコンディショナーって、パッケージが微妙に違う感じでしょ。だから、ちゃんと2種類のものを手にしてたはずなんだ。何度見ても、2種類のものを手に取ってたんだよ」

 

右手「それで、それで?」

 

脳「よーーーく見たらさ、……両方、コンディショナーだった。」

 

右手「ん? でも、微妙に違うパッケージだったんでしょ?」

 

脳「しっとりタイプのコンディショナーと、さっぱりタイプのコンディショナーだったんだよ。」

 

ハート「そーゆーことーぉぉぉ!! 危うく、コンディショナーをふたつ買っちゃうところだったの!!!」

 

右手「なんと!! だから、身体はソレをカゴに入れたくなかったわけですね!」

 

脳「あの時は、自分の身体に感心したね。」

 

ハート「感心を通り越して、なんか、面白かったね。だって、コンディショナーだよ。」

 

右手「身体の感覚と、そのわずかな違和感をキャッチできたおかげで、シャンプーとコンディショナーを無事に買えた。そんな出来事だったワケですねぇ。」

 

脳「ええ。マジにコレを書く場面が無かったのですが……。今回《優秀賞》という形で発表する機会を得て、結果として年末を盛り上げるエピソードになろうとは、……夢にも思いませんでした。」

 

ハート「からだマジありがたし♡」

 

 

 

右手「さて、続いては、《最優秀賞》の発表に移ってゆきたいと思います……え、次で終わりってコト?」

 

ハート「ド年末だもの。あんまり書いても、読むのが大変だよ。」

 

脳「そうそう。今回は、特別アワード企画なんだよ。」

 

右手、「じゃ、じゃあ、発表しちゃいますね。」

 

脳・ハート「「うぇ~い!!」」

 

 

右手「【2023年・からだ大賞】は……、今年1年間生きた《からだ》です!!!」

 

 

 

ハート「フゥ~!! そーこなくっちゃ!!」

 

脳「まあ、妥当っていうか、わかってたっていうか。」

 

右手「なんだか、『生きてきてえらい』って、心底思えるようになりましたよね。」

 

脳「うん。でも、良い変化がいくつもある分、〈揺り戻し〉も結構あって、ぶっちゃけしんどい感じも否めないけどな。」

 

ハート「ちょっとぉ~、水差さないでよォ~。お祝いムードで締めくくろうよォ~。」

 

脳「イイコトだけ書いたってタメになんないでしょうが」

 

右手「はい、はい。喧嘩は後でやってね、おふたりさん。」

 

 

右手「さて、改めまして、【今年1年間生きた《からだ》】に、大きな拍手を!!!」

 

パチパチパチパチ~☆

 

ハート「マジすげぇ」

 

脳「マジすげぇよな」

 

 

 

右手「と、いうわけで。」

 

右手「以上、【2023年・からだ大賞】でした!!」

 

脳「今年は、本当に、ありがとうございました。」

 

ハート「来年もよろぴくぅ~♡」

 

 

 

 

 

 

 

 

【とてつもないデトックス】

 

「丹田に愛を」

この呪文で身体の深層部がゆるむ。

呼吸のしやすさよ。

 

 

 

大晦日。

前日から少し違和感はあったが、それが筋肉痛としてハッキリ出てきた。

ゆるむと、痛みが出てくることがある。

全身が筋肉痛。

ドコっていうか、身体の深層部が痛む。

まさに、「丹田に愛を」でゆるむ、深層部。

 

痛むと気が落ちるけど。

これは気を落とさなくていい痛みだ。

「痛みがあること」と「気落ちすること」を、安易にイコールで結んではならない。

 

これは、パターンを崩すことでもある。

 

痛みがあっても、前を向けるか、ということ。

 

痛みがあっても、目の前にある平和を見つめられるかということ。

 

これは、痛みを観察し続けてきたからこそ、「大丈夫な痛み」がわかるようになってきたのかもしれない。

あえて平たく言うと『好転反応』かな。

 

 

 

 

元旦。

 

痛みが悪寒に変わった。

自律神経だな。

体温調節が下手になってる。

痛かった筋肉が、今度は悪寒に震えた。

汗が、寝汗がすごかった。

 

それでも。

不調の中にいても、身体の健康な部分に感謝できるかということ。

 

身体の深層に愛のバイブレーションを。

いつも、どこでも、誰といても。

 

 

 

 

2日。

 

呼吸で中心軸に戻ること。

身体のバランスの中心を感覚すること。

『♪それが〜いちばんだいじ〜』

ふいに脳裏に流れた歌。

大事なメッセージだった。

 

『呼吸で中心軸に戻れる練習』を、コツコツ積んでる甲斐があったってもんだぜ。

 

 

それはそうと、頭痛がしてきた。

頭の前側が痛い。

フラワーエッセンスのボディマップで見ると、『スイートチェストナット』……『魂の危機と解放』……ああ、またかよ、やっぱりか、あんまり驚かないね、わかっているさ。

 

しかし、頭の前側が痛いなんて、いつもの頭痛と違う。

患部にハチミツを垂らすとジュッてなるくらい、熱くなってる。

さぁて、何で冷やしてあげようか。

ひんやりしたハチミツ(練った気)で包んで冷やしてあげようか。

 

…結局、いろんなもので冷やしてみたけど、「羊羹」がなかなか効いた。

 

これが遊びに変化して、最終的にはエメラルドで冷やしちゃったよ。

エメラルドで、おでこの少し上を冷やしたくて。

でっかいエメラルドでティアラ作っちゃったりして。

 

エメラルドティアラ。

エジプトの女王。

 

 

 

 

3日。

 

喉が痛い。

フラワーエッセンスのボディマップだと『クラブアップル』…『浄化』…だ。

 

細部に囚われて全体性を失っている。

 

 

【意識のスケール】

自分を見下ろす眼を、遥か地球まで広げても、まだ足りない。

太陽系まで広げて、やっと、だな。

まだヒリヒリする。

 

それならば、銀河まで広げよう。

 

『銀河の片隅で、俺がすることは、ちっぽけだ。』

 

この天の川銀河まで、意識の全体としよう。

 

 

 

大きくすることができるなら、小さくすることもできる。

 

臓器、血液、赤血球、一つの細胞、細胞核、染色体。

このグラデーション、もっと丁寧に探索してみたいな。

 

【意識のスケール】

・細胞核、DNAの螺旋

・銀河

 

 

喉の痛みは、弱っちい蚊に刺されたくらいの感じで、すぐに治った。

なんせ俺、喉が痛いのはスゴイ嫌なので、必死に意識の拡張をしてた。

 

 

 

 

 

4日。

 

全身倦怠感

筋肉痛と悪寒で疲弊した身体が、倦怠感を訴えた。

身体の深層部、あと僧帽筋と前ももに溜まってた『緊張と毒素が』が放出された感じ。全身に回ってる感じ。

 

 

 

それでも。

気づけるか。

 

健康と平和を前に。

身体に愛を灯せるか。

 

気づけるか。

愛は丹田にある。

 

目の前の当たり前を大切にできるか。

目の前にある当たり前に感謝できるか。

 

 

 

 


メッセージ⑥

2024-03-24 00:00:00 | メッセージ

 

『一人じゃないから』

 

 

思い浮かぶのは、……。

 

 

 

 

 

最近、管理画面に全然ログインできない。

 

でも、「あぁ、そうなんだ」と思って、ウラにある意味を探る。

 

今は一生懸命更新しなくていいよ、ってコトかな。

今は丁寧に文章を書いて、寝かせておけよ、ってコトかな。

今はタイミングじゃない、今やり出したら止まんねぇだろ、ってコトかな。

 

色々、想いを巡らせる。

 

こういうときに、ふと思い出すのだ。

見えない存在たちのことを。

 

 

見えない存在たちのサポートを、感じてみる。

 

人智を越えたところで、神々のサポートが降り注いでいる。

 

 

 

『一人じゃないから』

かさなる影/Hearts Grow

 

 


浅い呼吸・深い呼吸・労る呼吸

2024-03-17 00:00:00 | 仮説・プロセス

 

近頃、わたしのボキャブラリーに追加された言葉がある。

「労わるように」だ。

 

 

たとえば呼吸。

「浅い呼吸」を「深い呼吸」にするときに、一生懸命に深い呼吸をしようとする自分に戸惑っていた。

ふっと脱力できる時もあるのだが、たいていは、一生懸命に呼吸を深くしようとするのだった。

 

ところが、「労わるように呼吸する」と言葉にすればどうだろう。

 

『深い呼吸』と『労わる呼吸』
表から見れば、一見同じ動作か。

 

でも、身体の内側で起こる動きのニュアンスが、まったく違っている。

こういう微細な踊りを、いかに感覚していけるか、ということなんだろう。

 

 

ところで。

わたしは今まで、「労る」という言葉に不信感を抱いていたようだった。

どこか胡散臭いとうか、信用ならんというか。ふんぞり返ったヤツに「労われ」と強制される胸糞悪さ……のような。

 

なにかこれまでの経験の中で「労わる」という言葉に偏見を持ったのだろう。

 

 

しかし、その感覚がガラリと変わったのだった。

 

このキッカケは、野口三千三の『原初生命体としての人間』という著書にある。

何気なく、しかしとても大切に、「労わるように」と。体操の手順について述べられていた部分だった。

 

そのとき、わたしのボキャブラリーに、「労わるように」という言葉がスッと入ったのだった。

 

 

 

 

 

不思議なもので、『原初生命体としての人間』を、かれこれ半年以上かけて読んでいる。

というのも、最初の数ページを3日かけて繰り返し読んだ時、「読むタイミングがあるな」と感じたのだ。

それからは、無理に読み進めることをせず、思うまま気まぐれに手に取っては、「あぁー、ここまでかぁー」と感じるところまでを読むのである。

数ページずつ読み、読み返し、を繰り返してきた。

実に面白いのだが、たった数行の文章が、この身体にとっては数ヶ月あるいはもっとたくさんの時間を要する体験となるのである。

そして、身体の探究は生涯を通して続くのだろう、と自然に思わせてくれる。

 

今は、やっと、半分ほど読んだか、というところだ。

 

 

やっぱり、わたしはひとりじゃないのだ。

 

 


『自分のための時間を持つ』

2024-03-10 00:00:00 | 備忘録

『自分のための時間を持つ』ということは、

自分のケアをすること・癒しの時間をとることだけにとどまらない。

 

『自分のための時間を持つ』ということは、

現実逃避することとも区別しておくべきだろう。

 

『自分のための時間を持つ』ということは、

やりたいこと・やるべきことに時間を当てることだ。

 

企画を明確に、具体的にしておくと、やりやすい。

人間というのは迷子になりやすいし、知らぬ間に後戻りしてしまうなんてこともよくあるからな。

 

ある程度、明確なビジョンを描き、書き留めておくことだ。

 

 

 

やりたいことが、あるだろ。

今生でやるべきことが、あるだろ。

今生でやらなきゃいけないことが、あるだろ。

 

それを、もう、とっくに知っているだろ。

 

それを実現をするために必要なことを、

ひとつひとつ失敗して積み重ねてきたんじゃないのか。

 

 

進め

鍛錬とともに

もっと深みへ

更なる高みへ!

 

 

 


【観察について】その2

2024-03-03 00:00:00 | 備忘録

 

わたしにとって、遥かな救い

 

 

『観察』は

 

自分に対する『思考』ではない

 

『評価』でも『ジャッジ』でもない

 

観察は、ただ観察ということでしかありえない

 

このことは、わたしにとって、遥かな救いだ

 

 

 

それで、観察の視点には、何があるのか

 

静かな実感

 

身体にある事実

 

……なんとでも言えるが、なんとも言葉にならない

 

(今度一生懸命言葉にしてみるよ)

 

 

 

 

 

丁寧に、観察すること

 

観察の精度を、より細やかにすること

 

日々、誤魔化せない自分との、鍛錬のよう

 

……これを『修行』と呼ぶんだろうか?

 

 

 

 

観察は、日頃自分を貶める『思考』とは一線を画する

 

『評価』とも『ジャッジ』とも、似て非なるものだ

 

観察は、ただ観察ということでしかありえない

 

しかし、そこには、自分に対する『思いやり』のような時間が流れている

 

これらのことは、わたしにとって、遥かな救いだ

 

 

*追記

 

 

この地味で地道な探求は、ひとりではできない。

自分の身体に丁寧に触れることによって、『麻痺していた痛み』が蘇る瞬間が、幾度となく訪れる。

それは、とても孤独な体験である場合が多い。

 

けれども、わたしはこのような地道な稽古・修行を続けていこうと思えるようになった。

 

 

孤独な痛みの先に、「癒し」という言葉じゃ足りないくらいの平和があるのだと、身体がわかっている。

そして、このような体験を積み重ねてゆくことができる場を、つくり続けてくれている師匠が居る。

さらに、その場に集う仲間たちが居る。

 

ひとりじゃできない。

 

たった今この瞬間、『ひとりじゃできない』と書いた自分に感動している。