シャーマンの呼吸

自然と人を繋ぐ

シャーマンの弟子

メッセージ④

2024-01-28 00:00:00 | メッセージ

『コツコツ生きてきたあなたへ』

 

楽しんでね

 

ーー

 

燃やし尽くしてきた「古い自分」

真っ白な灰が、土の上に広がる。

 

灰は、自分。

コツコツ分解する微生物たちも、自分。

 

栄養満点の土壌。

 

あとは、この養分を吸い上げるだけ。

光を求めて、枝葉を伸ばしてゆこう。

どんなへんてこな形になろうとも。

 

貪欲に、光を目指して。

 

 


平和の循環(後編)

2024-01-21 00:00:00 | 仮説・プロセス

前回の記事の続き

 

 

そうとなれば、初心に帰ろう。

 

グラウンディングだ。

 

 

 

 

わたしは、睡眠について、『意識領域から無意識領域への移行』という感じを抱くようになっていた。

けれども、純粋な意識の移行というよりも、非現実世界へ、ともすれば逃避のような、もっと言えば「身体を置いて行ける世界」であってほしいという願い……、解放と快楽の世界がそこに在ると信じるような……。

 

わたしは、睡眠を、避難所と位置付けていたのかもしれなかった。重ねて、最近になって自覚できたのだが、このような逃避の瞬間でさえ、自分自身を『被害者』の位置に固定し、夢の中で誰かに癒してもらう様を自作自演していたのだった。

 

 

 

 

そして。

 

ふと、やっと、気づくのである。

 

……あれ? グラウンディングすりゃ、眠れるんじゃねぇか……?

 

 

 

 

このとき、グラウンディングという言葉を、ほかの言葉で補った。

 

自分のために、もう少し分かりやすくするためだ。

 

わたしは、ひとつの呪文を編み出した。

 

『睡眠時のグラウンディング・脱力・鎮静』

 

毎晩、この呪文を唱えた。

 

 

 

 

 

 

 

では、あらためて、これらの体感を、言葉にしてみよう。

 

「わたしは、わざわざ被害者を自作自演し続けずとも、夢の中に癒しを求めずとも、今ここにこそ平和があるではないか」

 

 

 

【睡眠時のグラウンディング・脱力・鎮静……そこから広がっていく感覚について】まとめ

 

①平和へ意識を向ける

②身体のグラウンディング・脱力・鎮静が深まる

③より平和を感じられる

 


平和の循環(前編)

2024-01-14 00:00:00 | 仮説・プロセス

【睡眠時のグラウンディング・脱力・鎮静……そこから広がっていく感覚について】

 

 

 

地味に続けている、睡眠時の研究。

 

バイブレーションの在り方の探求から始まったそれは、ほんの僅かずつではあるものの、感覚の広がりを現し始めた。

 

日々、様々なメッセージを受け取る。が、その中でも、最近味わった深い感覚は『平和の循環』だ。

 

 

まず、平和へ意識を向ける。

 

 

①平和へ意識を向ける

②身体のグラウンディング・脱力・鎮静が深まる

③より平和を感じられる

 

 

この循環だ。

 

 

 

本当は、もっと夢に近い感覚で「平和の循環」というキーワードを感じた。

 

起きて言葉にすると、こんな感じだ。

 

 

 

―――

 

 

 

せっかくなので、経過を詳細にまとめておく。

 

 

 

 

最初は、リラックスタイムのバイブレーションの在り方の探求だった。

 

どうも神経が昂ったまま筋緊張が続いて、睡眠の質がよろしくない日々が続いていた。

 

ともかく、入眠がうまくいかなかった。

 

だから、『夜の振動数・周波数と同調する』チャレンジをしてみた。

 

夜を感覚するのみでなく、わたしのバイブレーションとの一体化を試みた。

 

わたしはわたしではなくなり、夜そのものになるのだ。

 

 

 

 

自分と夜を繋ぐ過程には、様々な試行錯誤があった。

 

自分の身体と夜空を有線で繋いでみたり、空ではなく土と同期してみたり。

 

 

 

 

最終的に心地よいと感じたのは、第七チャクラと宇宙(星空)を繋ぐイメージだ。

大きなものと繋がっている安心感。孤独感が溶けて消え、ここに自分たったひとりだとしても大丈夫な感じ。

 

 

 

 

ただし、その日の自分のコンディションによって、スムーズだったり、まるっきりできなかったり、ムラがある。(ムラがあるのは当然ともいえる)

 

 

 

 

そこで、登場するのが、アイツだ。

 

先に少し『アイツ』の説明をする。

 

 

わたしは、日常を楽に過ごすために、『役』を演じるということを実践している。

 

鬱々とした『わたし』の意識が入った身体は、緊張や疲労でバキバキの状態が癖になっている。だから、『健康なキャラクター』の意識を身体に入れて、身体の状態を楽に変化させるのである。

 

そのために練ってある『役』が、数人いる。そして、つい最近、そこに『新キャラ』が浮かんできて、ソイツがとてもいい仕事をするのであった。

 

 

 

 

ソイツは、どちらかというと、めちゃくちゃなヤツにしか見えなかった。

 

いいかげんで、下品で、だらしないヤツだと思っていた。

 

でも、ふとした拍子に、その役に入ってしまった夜があった。

 

すると、ヤツは、なんとも大きな『安心感』の持ち主なのであった。

 

「夜なんだから、もう寝ようぜ」

 

無気力っぽい声で、至極真っ当なコトを考える。

 

ヤツでいると、身体の力がどんどん抜けていった。

 

『わたし』に欠けた感覚を、ごく自然に持つ人物なのだった。

 

 

 

 

ヤツの根源は、「目の前が平和である」という、安心感なのだと思う。

 

言い換えれば、「目の前が戦場ではない」という、ホッとした脱力感だ。

 

そう、ヤツは戦争を経験している。

 

それは、「わたしの世界の戦争」の経験と、気持ちよく同調するのであった。

 

 

 

 

布団で眠れるあったかさとか。

 

面倒くさい人間がそばに居る愛おしさとか。

 

それがどんなに大切で尊いものか、儚いものなのかを知ってしまっている。

 

戦場じゃない今日は、身体にとって、圧倒的な安心感をもたらしている。

 

わたしの、今日の平和は果たして幸せなのかという思考・疑問なんてものは薄っぺらくて。

 

ヤツの、ただ「生きているな」という実感が、たとえどんな哀しみの伴ったものであったとしても、どうしたって心地いい。

 

これは、文字列の不幸との比較による相対的な幸せの感覚ではなくて。

 

経験したから感じられる絶対的な幸せの感覚、と表現した方がいい気がしていて。

 

 

ヤツの意識でいると、今日があまりにも平和で、ただただ身体がホッとするのだった。

 

 

 

こうして、冒頭の『平和の循環』へと繋がっていくのである。

 

 

 

しかし。

 

これもまたムラがあった。

 

 

そうとなれば、初心に帰ろう。

 

グラウンディングだ。

 

―――続く

 


この存在が、祈り。

2024-01-13 00:00:00 | 仮説・プロセス
深夜に目が覚めた時のことだ。
 
普段なら、考え事をグルグルしだすところ。
 
「呼吸の祈りをして、寝よう。」
 
闇は、まだ深い。
 
 
祈りを呼吸でする。
 
……けれども、なかなか寝付けず、浅い覚醒状態が続いた。
 
 
そんな時だ。
 
 
おもむろに。
 
じんわりと、意識が移り変わる。
 
祈りの領域が、〈呼吸〉から〈存在〉に、移りゆく。
 
花がらが落ちて、小さな実が顔を出すように、ささやかな新世界。
 
 
 
 
 
もはや、祈りは、呼吸ではなかった。
 
 
祈りは、この存在。
 
 
存在が、祈りなのだ。
 
 
 
―――
 
 
 
以前、「ここに居るだけでいい」ということを理解しようと、励んでいた。
 
 
たとえば
「愛されるための何かをしなくても、すでに愛されている」
「一生懸命にしていなくても、ここに居ていい」
「ただ居ることが、何にも代えがたく尊い」
 
こういう、自分の〈大切さ〉を、理解したかった。
 
けれども、根底には「何かをしていなければ、何かができなければ、わたしには居場所も価値もない」という呪いがあった。
 
だから、矛盾や葛藤で雁字搦めになってしまった。
 
ときには、反動のように、傲慢になり、ワガママになった。
 
 
こんなわたしにとって、自分の〈大切さ〉みたいなものは、雲のようで。
そこにあるはずなのに、つかみどころがないのだった。
 
 
ーー
 
 
先述した、深夜の祈り。
そこで感じたものは、まさに「ここに居るだけでいい」という感覚だ。
 
けれども、言葉にしようとすると、どうにも「雲のようなもの」なのだった。
文章にできる自信が、まるでなく。
 
 
『頭で理解する』こととは、まったく別次元の感覚で。
 
矛盾や葛藤、埋まらない溝、ズレなど、微塵もない。
 
けれども、『言葉』もない。
 
 
 
わたしは、ここに居る。
 
ただ『事実』だけが、身体にある。
 
 
……存在は、祈りなのだ。
 
 
 
---
 
 
 
追記
 
あの感覚を忘れたくなくて、言葉にしたのだが。
感覚が、思考になり、思い込みへと変化した。
 
そうすると、『この存在が祈りである』という思い込みにより、動作や行為としての祈りが疎かになる。
 
「だって、この存在が祈りだもん」
 
どこか開き直ったような感覚へと、変化してしまう。
 
ゆえに、いまいちど、丁寧な所作を取り戻すことが必要になった。
 
感覚を言葉にするというのは、思うより難しいのだなぁ。