シャーマンの呼吸

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『解離の特性を生かし、あるキャラクターの意識を演じることによって、身体感覚を変容させる試み』その3

2024-04-10 00:00:00 | アイツ

 

アイツを演じることで、意識の退行を防げる

 

前回の記事で、「意識の退行」について少し書いた。

今日は、それを具体的に記してみる。

 

 

 

『意識の退行によって起きること』

 

・親子関係の再演

(支配的な関係・被害的になる自分、など)

 

・自分を「非力な子ども」の立ち位置に固定してしまう

(なにもできないという諦め・傷つかないように防衛する・幼い考えに閉じこもる、など)

 

・誰に対しても常に自分を「非力な子ども」として固定化した人間関係を続けてしまう

(自覚のないまま、対等な関係性を築きにくい、など)

 

 

『ソレに付随して起きること』

 

・被害者意識の増大

 

・鬱傾向

 

・責任の範囲を超えていろんなものを背負い、自分を責める結論になりがち

相手を刺激しないよう、嫌われないよう、求められる人物像を反射かつ過度に演じる自分。ソレによる緊張や恐怖、不安と疲労)

 

 

 

 

『これからできること』

 

・意識が退行していないか、より注意深く観察し続ける

 

・大切なもの、美しいと思えるものとともに時間を過ごす

 

・人間関係は多少放っておく

 

・意識の退行を自制できた場合、正当な怒りを論理的に(乱暴でない何かしらの方法で)表現する

 

 

ーーー

 

 

ひとまずこんな感じが『落としどころ』だと信じたい

 


『解離の特性を生かし、あるキャラクターの意識を演じることによって、身体感覚を変容させる試み』その2

2024-04-09 00:00:00 | アイツ

 

わたしは、日常を楽に過ごすために、『役』を演じるということを実践している。

 

鬱々とした『ワタシ』の意識を切り替えるための手段として、『健康なキャラクター』を演じるのである。

それにより、身体の状態を楽に変化させるのが目的だ。

 

 

 

アイツについて、もう少し深掘りし、言葉にしてみようと思う。

 

 

ヤツは人を避けない。

人を怖がる『ワタシ』と違って。

むしろ、自ら近寄っていくタイプだ。

声をかけられちゃ、立ち止まるだけじゃなく、そこに歩み寄っていく。

 

「何してんのー? なんかオモシロイもんでもあったァ?」

「どしたー? なんかあったのかァ?」

 

ヤツは、他人に興味があるのだろう。

さらに、他人を気にかける余白もある。

 

たぶん、自分自身のことをテキトーに横に置いているからだと思う。

良くも悪くも、自分のことはさておくとして……という感じだからだ。

 

 

 

『ワタシ』は、自分のことで手一杯なんだと感じた。

いつもしょうもない悩みをたくさんたくさん抱え込んでいて、他人に興味を持つ余裕がないんだ。

 

アイツは、日常の些細なことで、いちいちシリアスにならない。

ワタシは、日常の些細なことで、いちいちシリアスになる。

 

 

 

 

ヤツが、自分自身の不安や悩みをネチネチ引きずらないのは、どうしてか。

 

単純に、純粋に、『目の前にいる人たちの生活の営みを眺めるのが心地いいから』なのではないか。

前の記事にも書いたが、ヤツは戦争を経験している。

目の前の景色が平和ならば、もうそれだけでいいくらいなのだ。

……本当に、その通りだ。

 

 

しかし、もっと深く探り、言い方を変えれば、ヤツは自分自身に無頓着ということでもあるだろう。

それは、どうしてか。

……戦争・過去の己について、触れたくないトラウマがあるからだ。

自分についての感覚が、一部麻痺しているのかもしれない。

ケアできるような状態ですらないのかもしれない。

 

それでも。

今日の平日にちゃんと目を向けて生きているヤツは、前向きなのだと思う。

平和を、平和と感じ、守るべきと認識しているのだから。

 

ワタシと違って、無関心にも自暴自棄にもなってない。

ワタシが、「人間が怖い」のは、意識が退行してしまうからだ。

「目の前の平和な現実を、ただ見つめる」ということができない。

どうしても、過去の意識に引きずられて、「攻撃されるんじゃないか」「傷つけられるんじゃないか」と勝手に怯えてしまうのだ。

 

 

でも、戦いは終わった。

 

ヤツは無気力ながらも、耐えて、持ち堪えて、生きている。

 

 

目の前の人々が平和に暮らしているのであれば、自分自身の悩みはどうしたってソレ以下のしょーもないもんだとわかるから、構いやしないのだ。

 

ただし、いやだからこそ、「自分を含めた目の前の平和」を守ろるために、ここぞと、身体が動いちまう。

だって、もう二度と失うのは御免なのだ。

その原動力・価値観は、『国という概念』よりも、『時代という正当化』よりも、『目の前の平和』を守るための、生き様。

 

生命力が強い、と形容して憚らない。

ワタシとしては、ひとことでまとめてしまいたくはないのだが、それを押しても「生命力が強い」という感じが強くある。

 

 

 

 

嗚呼、きっと。

ヤツの生命力は、ワタシにとって、よきヒントなのだろう。

 

 

 

そんなヤツの意識については、ワタシの所感だけにとどまらなかった。

ヤツの意識で散歩していると、現実の人間関係もそのように動いたのである。

 

いつもすれ違うだけの人に、「おはようございます」と声が出たワタシの身体。

いつも挨拶だけしてすれ違う人と、「あのさ」なんて立ち話をしたこの身体。

 

 

 

清々しかったよ、ソイツの意識。

 

 

傷跡を抱えながら、目の前の平和を愛し、それを守ろうとするヤツの意識。

 

生命力。

 

 

 


『解離の特性を生かし、あるキャラクターの意識を演じることによって、身体感覚を変容させる試み』その1

2024-04-08 00:00:00 | アイツ

【新キャラの役作り・その1】

 

わたしは、日常を楽に過ごすために、『役』を演じるということを実践している。

解離でブッ飛んでいた頃と比べて、『演じる』ことも『役』も自覚的に感覚できるようになってきた。

(自己否定や現実逃避の度合いが下がったので、だいぶ安全に演じられるようになった)

 

鬱々とした『わたし』の意識が入った身体は、緊張や疲労でバキバキの状態が癖になっている。

だから、『健康なキャラクター』の意識を身体に入れて、身体の状態を楽に変化させるのである。

 

そのために練ってある『役』が、ふたりいる。さらに、補助的に、もうふたり、いる。

最近、そこに『新キャラ』が浮かんできて、ソイツがとてもいい仕事をするのである。

今日は、ソイツについて書こうと思う。

 

無論、身体のケアを自分自身で丁寧にすることが大前提である。

 

 

 

ソイツは、どちらかというと、めちゃくちゃなヤツにしか見えなかった。

いいかげんで、下品で、だらしないヤツだと思っていた。

 

でも、ふとした拍子に、その役に入ってしまった夜があった。

すると、ヤツは、なんとも大きな『安心感』の持ち主なのであった。

 

「夜なんだから、もう寝ようぜ」

「メシくらい、ゆっくり食わせろよ」

「風呂なんだから、まったりしようや」

 

無気力っぽい声で、至極真っ当なコトを考える。

ヤツでいると、身体の力がどんどん抜けていく。

『わたし』に欠けた感覚を、ごく自然に持つ人物なのだった。

 

 

 

ヤツの根源は、「目の前が平和である」という、安心感なのだと思う。

言い換えれば、「目の前が戦場ではない」という、ホッとした脱力感だ。

そう、ヤツは戦争を経験している。

それは、「わたしの世界の戦争」の経験と、気持ちよく同調するのであった。

 

ヤツは、大切なものを失くした哀しみがあるから、「積極的に元気に生きよう」とは思わないし。

金欠だし、仕事も全然ないし、やる気もないし、やりたいこともないし。

過去も今も引きずってるものが、結構いろいろあるし。

 

でも、大好きなイチゴ牛乳を飲んで。

毎日フラフラなんとなく生きて。

 

今、目の前に、食えるメシがある有り難さとか。

布団で眠れるあったかさとか。

面倒くさい人間がそばに居る愛おしさとか。

 

それがどんなに大切で尊いものか、儚いものなのかを知ってしまっている。

 

戦場じゃない今日は、身体にとって、圧倒的な安心感をもたらしている。

 

 

わたしの、今日の平和は果たして幸せなのかという思考・疑問なんてものは薄っぺらくて。

ヤツの、ただ「生きているな」という実感が、たとえどんな哀しみの伴ったものであったとしても、どうしたって心地いい。

 

これは、文字列の不幸との比較による相対的な幸せの感覚ではなくて。

経験したから感じられる絶対的な幸せの感覚、と表現した方がいい気がしていて。

だって、風が吹いて、空が青くて、草が揺れている。

なんて平和な景色。

それを前にしては、ただただ安心感が身体を満たしていくのである。

 

 

『わたし』のちっぽけな不安や悩みなど、ヤツにとっては、まさしく「どーでもいい」のだ。

重低音のように安心した身体感覚にとって、『わたし』の心配など軽すぎて消し飛んでしまうだけだ。

 

 

で。

ヤツは、べつにやることもやりたいこともないからぐうたらするだけなんだが。

それができる今日があまりにも平和で、ただただ身体がホッとするのだ。