交感神経が優位になりがちな状態の朝。
夢の世界から身体に戻りにくい。
『夢から身体へ』ではなく『夢から思考へ』と移行する自分がいる。
ここでは、夢から現実へ移行するためのグラウンディングについての経過観察を記す。
まず、夢から『思考』へと移行すると何が問題になるのか。
・その日一日、解離しやすくなる
・気が昇りやすい状態が昼に向かって進み、夕方や夜の鎮静が困難となる
・この状態が何日も続くと、身体の感覚が徐々に失われてゆく
これらは悪循環を作る。
身体の感覚が失われると、心という空虚なものを埋めようと必死になり、アディクションに陥ったりして、身体を壊してしまうこともある。
さて、今回のイメージは……
朝、身体の輪郭を感じるグラウンディング
まどろみのなか、つぶつぶ拡散する命
まどろみのなか、あいまいに集まる命
まどろみのなか、身体の輪郭をつくる命
睡眠の「個」から「全体」になる感覚だった状態から
覚醒の「全体」から「個」になる感覚をつくる
皮膚をつくるような、皮膚を感じるような
世界との境目をつくるような、感じるような
こうして、拡散と凝集を行き来する
鍛錬を積み重ねる
これは「わたし」への戻り方
身体(地球)へのグラウンディングであり「命の凝集力」だ
【1日目】
夢から思考に入るのではなく
夢から身体に入る
うつ気味でも、昂っていても
夢から思考に移りがちだ
夢から醒めたとき、身体に戻ること
「夢から現実に戻るルート選択」
これは選択だ。
【2日目】
カフェインの影響か、中途覚醒から朝まで眠れず、「起きる」という感覚がなかった。
毎日飲めないことはわかっていたが、3日に一度が2日に一度になり、最近では毎日になり、「慣れたな」と油断していた。
もともとカフェインに敏感な体質だということを思い出す。
それでも、カフェインに依存気味になる。
身体感覚よりも、心の空虚を埋めようとして、見せかけの元気で活動してしまう。
【3日目】
夢から身体ではなく、思考に入る癖が顕著に出た。
呼吸によって「思考」から「リラックスした身体」への変化に努めた。
【4日目】
夢から思考へ、地続きのように移行してしまう。
夢から思考を経て身体に戻る感じ。
本当は、夢から身体に戻ってきたい。
それでも「思考したい心」がある。
焦燥感だ。
クールダウンできないのは、『いい感じのハイ』への執着である。
本当は疲れている、ということに気づきたくないのだ。
ただ休めばいいだけなのに。
目に力が入ってしまう。
【5日目】
夢の中で、幼馴染がマッサージしてくれた。
現実世界では全然会ってないが、夢の中にたびたび出てきてくれる友人だ。
マッサージしてくれた部分が、「そこは痛いから無理」という場所だった。
でも、少しすると、「あ、ほぐれてるんだ、気持ちいいな」という感覚に変わった。
そこで夢は途切れた。
起きてから、友がしてくれた部分を自分でマッサージした。
夢で感じた「気持ちいいな」という感覚を、現実で探した。
やっと、ここほぐす時が来たのだ。
しばらくほぐしてから立ってみると、立位の状態ですでに硬まっていることがわかった。
その部分に手を当てながら歩いてみると、やはり硬いまま動いている状態だった。
ここは全く動いていないのだ。
触れて、ほぐし、その筋肉の位置を感覚する。
ここは、「ちゃんとしなきゃ」という姿勢に関係する筋肉だ。
【6日目】
今日の夢のメッセージは『継承』『口伝』
起きてすぐメッセージについていろいろ考えようとしたけど、先にグラウンディング。
だけど、最近は、起きるよりも、まず眠るとき(現実から夢への移行)が最初から拡散の意識になりがち。
起きる時と同じく、眠るときも、グラウンディングから入ること。
【7日目】
挫折。
【数週間後】
グラウンディングは心地よい感覚だ、ということを忘れてしまい、義務感でグラウンディングのワークを行ってしまった。
日課の身体のケアをしていても、体感が薄いため、カフェインで心の元気を保つようになった。
当然のことながら、体調を崩して、寝込む羽目になった。
回復への道のりで、「ああ、このくらいならまだ行けると思ってコーヒー飲んだんだよな」など、自分の「ルート選択」を遡った。
「夢から現実に戻るルート選択」
「心や思考から身体に戻るルート選択」
あるいはこの「ルートの強化」
タイトルの【夢から現実へ移行するためのグラウンディングについての研究】の開始は、シンプルな原点へ戻るためのステップだったのかもしれない。
なぜ、身体に戻るのか、という根本的な問い。
「身体に戻らなきゃいけないから」じゃないはずだ。
グラウンディングは心地よいものである。
身体のケアは気持ちいいからやるのである。
身体の奥には地球がある。
身体の内には光が満ちている。
そういうシンプルな体感。
これは、原点の感覚を深めるための旅だったのかもしれない。
そして、体感を超越した、全てとのつながりが、身体の奥に秘められている。