人は、責められると、自分に非があると
分かっていても、自分を守ろうとします。
強く責められたら、相手より強く守りを固めます。
さらに責め続けたら、今度は反撃してきます。
自分を有利にするには、
相手を不利にすればいいのだから。
そうやって争っているうちに、どちらも傷つきます。
・・・争いからは、何も生じない・・・ですね。
ひとつ引くと、相手も、ひとつ引く気になります。
(たぶん・・・そのはず・・・)
しかし、よくあるのは「相手が引くなら」。
残念ながら、非のない人の方からしか、引けません。
守っている方は、守る事に必死になってますから。
自分の非を、なんとか正当化しようと
してしまうんですね。
お互いが幸せになる方向は・・・ないでしょうか?
相手を責めないで、利を得る道は、ないでしょうか?
何が正しいのか。
誰が正しいのか。
というのは、争いのモトにしか
ならないのですね。
分かっていても、自分を守ろうとします。
強く責められたら、相手より強く守りを固めます。
さらに責め続けたら、今度は反撃してきます。
自分を有利にするには、
相手を不利にすればいいのだから。
そうやって争っているうちに、どちらも傷つきます。
・・・争いからは、何も生じない・・・ですね。
ひとつ引くと、相手も、ひとつ引く気になります。
(たぶん・・・そのはず・・・)
しかし、よくあるのは「相手が引くなら」。
残念ながら、非のない人の方からしか、引けません。
守っている方は、守る事に必死になってますから。
自分の非を、なんとか正当化しようと
してしまうんですね。
お互いが幸せになる方向は・・・ないでしょうか?
相手を責めないで、利を得る道は、ないでしょうか?
何が正しいのか。
誰が正しいのか。
というのは、争いのモトにしか
ならないのですね。
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