拓のフォト日記

写真付きで日記や趣味や日々の出来事等を
自分なりに判断し感想を記載してますので
どうぞお気軽にお越しください。

妹婿との別れ

2024年07月23日 | 日記
7月19日(金)晴れ


前日熊本に住む妹(次女)から妹婿の訃報が届き
20日同じ和歌山に住む妹(三女)と一緒に九州熊本へ向かう
早い飛行機にするか?便利な新幹線にするか迷ったけど?
新幹線に決めて和泉砂川駅から「特急くろしお」新大阪迄行き
新大阪から山陽新幹線のぞみと九州新幹線つばめを乗り継いで新玉名
新玉名駅には妹(次女)が車で迎えに来てくれていた。



妹(長女)は聾唖者で結婚した旦那も聾唖者
聾唖者同士の夫婦で日常生活や子育てと厳しい前途?
周りはいろいろ心配し危惧していたが?

二人で仲良く協力し合って3人の子供に5人の孫に恵まれ
子や孫たちは優しく賢い立派な大人に成長してる
娘には夫婦でグァム等海外旅行に連れて行って貰ったり
孫は札幌雪まつりに連れて行ってくれたり
私など他の兄妹は誰も行ったこともない国内旅行へも!
妹(三女)が「お姉さんが一番幸せな人生を送ってるなぁ~」
その旦那が94歳で亡くなっての通夜と葬式でした。


葬儀会場に珍しい物が現れた。「蜘蛛がいてる怖い~!」
妹が言うので見たが全長2cm位で逃げて行き何か分からない?



すると聾唖者の妹(長女)が「カニ!カニ!」と言って
聾唖者なので発音がぎこちなくて分かり難い!
掴まえて持って来てくれたので良く見るとやっぱりカニだ!

リニューアルオープンした会場にカニが来るなんて?
川が近いので時々入って来るらしい?


近くに菊池川が流れている



菊池川の高瀬大橋です。ここは幼い想い出があります。
昭和20年戦時中に空襲が激しくなり住居が危ない!
家財道具を積んでるリヤカーを父親が曳き!
母は二歳の長女を背負い私の手を引き
お腹には子供を身ごもってた。


住んでいた荒尾市から3里(12km)あまり歩いて
この橋を渡っていた時に空襲警報の鐘がなって米軍機が襲来
慌てて渡って土手の藪に隠れたことを思い出します。
ここから約1里(4km)程の所にある実家へ疎開途中でした。
その数日後に大牟田・荒尾が空襲に遭いました。





JR鹿児島本線の鉄橋の向こうの背景に雲に隠れてる雲仙


帰宅途中の新玉名駅のホームから見える雲仙です。
九州新幹線つばめで博多迄行き、博多から新大阪迄はのぞみ


「特急はるか」の車内




「特急はるか」の車窓から夕景


新大阪からは「特急はるか」へ乗車



耳が聞こえない!言葉が話せない!障害者夫婦!
住んでる町から金婚式のお祝いと記念写真を貰っていました。
結婚当時の昔は今と違って聾唖者夫婦に対しては
「つんぼ」や「おし」と陰口や後ろ指差され
世間の風当たりが厳しい時代もあったようだが
二人で力を合わせて素晴らしい人生で
幸せであったと思いながら!

〇〇さん妹の〇〇と幸せな人生を
送って頂きありがとうございました。


昨夜(22日)のお月さん

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16 コメント

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Unknown (1kamakura)
2024-07-23 08:22:24
江戸の秋

ジーンとしました。
妹さんご夫妻、苦労されながらもお子さん、お孫さんに恵まれ、幸せな人生を歩んでこられたのですね。
94歳、拓さんよりだいぶ上ですね。
義弟さんのご冥福をお祈りします。
返信する
Unknown (anrinana)
2024-07-23 08:30:51
お悔やみ申し上げます。
お暑い中ご苦労様でした。

子供さんやお孫さんに恵まれ良い人生だったのですね。
そして、戦争のお話し。
今は聴く事が少なくなってしまいましたが、貴重なお話しを聞かせていただきありがとうございます。

お疲れ出ませんように、涼しくしてお過ごし下さい。
返信する
Unknown (のり)
2024-07-23 08:44:00
切なくもとても温かなお話に胸打たれております。 戦後の困難を共に乗り越えられた妹さんご夫婦だったのですね。 義弟さんのご冥福を心からお祈りしております。 
拓さんもお疲れが出ませんように・・・
返信する
妹婿との別れ (cyicyikatsuko)
2024-07-23 09:45:49
taku様 おはようございます~♪
朝からウルウルのお話、身に沁みます~😢💦
素敵なお話ですね~神様っておられますね~🌞
心温まるお話に、人生ってホント分からないもんですね~
妹様ご夫婦が、素晴らしい人だからこそですね~
健常者であることが恥ずかしいような~💦
いいお話をありがとうございます~👍
返信する
Unknown (vell24fire1)
2024-07-23 15:37:44
こんにちは。
妹婿さんのご冥福をお祈りいたします。

和歌山から九州まであっと言う間にって感じです。

大昔東野英信さんが自転車屋さんで耳の聞こえない話せない夫婦の役のドラマをされていたのを思い出します。

子供ながらになんて理不尽な!って憤りを感じました。

妹さんご夫婦は苦労されたとは思いますがtakuさんにもこんなに愛されて感謝されて幸せな人生を送られてたと思います。
返信する
拓さま (1948of)
2024-07-23 16:59:49
義弟さんのご冥福をお祈りいたします
遠方のお葬式、大変だったと思います。
お疲れは出ていませんか?

人生を振り返れば悲喜こもごもの思いがありますね。
それぞれの運命に、あるがままの日常を寄せて生きてきたと思います。支え合える家族、兄弟姉妹、友人、
絆の灯が繋がっていますね。
返信する
Unknown (taku)
2024-07-24 09:01:15
江戸の秋 さん おはようございます。

 早々にお越し頂き嬉しいコメントありがとうございます。
 仰る通りに若い頃は苦労したと思われますが?
 聾唖者乍ら誰にも頼らず夫婦で共働きしながらの生活でしたが?
 戸建ての立派な住まいも建てて
 子や孫にも恵まれてその子や孫も立派に成長し
 周りの人から羨ましがられるような孝行者の子や孫です。
 弟と言いましても妹の婿で僕より一つだけ年上です。
返信する
Unknown (taku)
2024-07-24 09:36:38
anrinana さん おはようございます。

 早々にお越し頂きお悔やみのお言葉と共に
 嬉しいコメントと共にありがとうございます。

 通夜の夜 葬儀会場での仮眠でしたが?
 その時に小さなカニが出てきてビックリ!
 近くに川があるとお聞きして翌朝チョット歩こうかと外に出かけたら
 直ぐ傍に菊池川があり橋を渡ったりしてたら
 戦時中に家族全員でリヤカーでこの橋を渡ってた時に
 空襲警報の鐘が鳴り飛行機が飛んで来たなぁ~
 幼い4歳の時であるが?怖かったのか今でも鮮明に覚えています。
 その後一月もしない内に住んでいた荒尾や大牟田が一斉攻撃され
 それを疎開先から近所の人たち見ながら
 夜空を焦がすその光景は花火のようでした。

 ありがとうございました。
返信する
Unknown (taku)
2024-07-24 10:22:25
のり さん おはようございます。

 早々にお越し頂きお悔やみのお言葉と共に
 嬉しいコメントと共にありがとうございます。

 長男の私が足が悪く大きな手術したが完治せずに跛(チンバ}となり
 長女の妹は生れて耳が聞こえない?難聴?に気が付くのが遅れたのか?
 病院へ行き治療したが治らず完全に耳が聞こえない聾唖者となり
 耳で聞いて覚える言葉を覚えないままに成長したので
 耳が聞こえない「聾(ツンボ)」と言われ
 言葉をしゃべれないので「唖(オシ)」と言われて
 差別の対象とされていた。跛・聾・唖は現在は禁句になっているそうですが?
 妹は聾唖学校に行ったので簡単な文字は読み書きや意味も分かりますが、
 旦那の方は聾唖学校へ行かれてないので文字は全く読めない人でした。
 それでも何時もニコニコと明るくて真面目に働く人でした。

 お気遣い戴きありがとうございました。
 
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Unknown (taku)
2024-07-24 10:51:24
cyicyikatsuko さん おはようございます。

 早々にお越し頂き嬉しいコメントありがとうございます。
 
 朝から「うるうる」とさせてしまって申し訳ございません。
 夫婦二人とも真面目で明るくて良く働く人でした。
 家族間のお付き合いも手落ちなく何でもこなしてやってくれて
 数年に一度ぐらいでしたが家にお邪魔してもよく動き気が利いて
 色々と手際よく世話してくれるので
 生前の家内にそれを見ながら「お前もチョット見習えよ!」と言ったら
 「ホンマによう気がつく妹やなぁ~」と感心してました。
 その姿を見て育った子や孫が又優しくて素晴らしい。
 「人生ってホント分からないもんですね~」
 仰る通りに人生ってホントに分からないものですね。

 温かいお言葉頂戴しありがとうございました。
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