病というのは心と繋がっています。
心の不調和からも来ています。
それで病の原因はスピリチャル的にも考えることができます。
私がいま患っている目の疾患というのは(近眼・遠視・乱視・白内障・緑内障・飛蚊症などのあらゆる目の疾患全部について同じですが)物の見方に関連している場合があります。
目の疾患はスピリチャル的には、
物事をいつも懐疑的に見ていないか、人を監視していたり敵視していたりしていないか、未来を心配していないか、人を羨んでいたりしていないか、物事の信じを知ることを恐れていないかなどを探ってみる必要があります。
白内障や緑内障のように視界に幕が張ることは物事の真実を見たくないという意識が働いている場合があります。
(後述するように一概には言えませんが)近視もそうですが、これらの原因にまったく気づかずに手術をして回復させてしまうと、逆にギャップが生じる場合もあるようです。
つまり、手術を受ける場合でも、本来は先に目が見えなくなってきたことで否応なく内面を観るという方向性ができなければならないでしょう。
また唯物論的な見方から離れられなかったり、自分が条件付けている宇宙の法則の決めごとから物事を見るという狭い観念から離れられなかったりということなどがあります。
これを書きながら思ったのですが、メガネやコンタクトをしている人は支障のないときに時々それを外して現実を受け入れ、自分の内面を観るということをしてみたらどうでしょうか?
病は本来の自分を思い出させるためのものなのですから。
いずれにしても目の病は物の見方すべてですからその因子は膨大なのです。
それだけに現代人には目の病が多いということも納得なのです。
しかし何事も病を直ぐに心の欠点と結びつけるのも気を付けなければなりません。
特に人の病をスピリチャル的な知識から 「あの人はこういう心の持ち方だからこの病になった」 などと考え批判するような評論家には絶対になってはいけないでしよう。
人によって使命・役割も異なります。
この観念にも余り捉われていると病を楽しむことができません。
何度も書いていますが、ベートーベンやヘレンケラーの重度の疾患からイエスの磔の刑まで、すべての病も不幸現象もその論理で通すのは無理があります。
なかなか結論を出すことは難しいのです。
私たちはそんな偉人とは別としても、病の原因をマイナスに考えるのではなくてプラスに考える必要もあるでしょう。
「この欠点(病の原因)を是正すると私ははもっと飛躍的に成長する」というようなメッセージとして受け取るということです。
いまの位置を「低い」と短絡的に考えないことです。
それには如何に前向きな姿勢で現象の理を信じて理解し、無の中で前向きの姿勢を保てるかがカギとなります。
物事をマイナスに考えていると観えるものも観えなくなります。
また「病を楽しむ」という観点に立つ こともできないのです。
病を楽しむという観点に立つことは、捉われから離れて神様としての自分本来の「目」に戻らないとなかなか難しいのです。
「ものごとを問題としてとらえるのではなくて、乗りこえるための自分じしんへの挑戦として解釈しているんだよ。だからここではみんな元気だ」
http://blog.goo.ne.jp/tobira2002/e/03e0e53ef8f4c17c7a93b5b2c204da03
( 「アミ 小さな宇宙人」より)
病を楽しむという観点はとても前向きな意識の在り方ですから、悲観的でいるよりも目覚めも早く病は改善に向かいます(病の必要性がなくなるから)。
仮に治らなくてもそのハンデキャップを補助してくれる環境設定が進んでサポートされ生きやすくなるでしょう。
これは病に限らずすべての苦難・艱難で言うことができます。
昨日も埼玉県越谷市や千葉県で竜巻が発生して大変な被害が起きています。
「新しい地球」に向けて病などを含めて自分の内面、環境の変化、天変地異といった現象が益々増えます。
これらに対してただ知識を深めたり、未来を知ろうとして予言書を読んで怖れおののいたり、怖れを撒き散らしたりするのではなくて、万人が遅かれ早かれ経験しなくてはならないハードルを乗り越えられるように、前向きの心を保ちながら心を洗い魂を磨き、準備を進めていきましょう。
欲が求めたあらゆる知識は、ほとんど役に立ちません。
もっと無になって宇宙の声(大我の声)を聞けるよう、純粋無垢にゆったりと生きること、そのことの方がずっと大切なのです。
心の不調和からも来ています。
それで病の原因はスピリチャル的にも考えることができます。
私がいま患っている目の疾患というのは(近眼・遠視・乱視・白内障・緑内障・飛蚊症などのあらゆる目の疾患全部について同じですが)物の見方に関連している場合があります。
目の疾患はスピリチャル的には、
物事をいつも懐疑的に見ていないか、人を監視していたり敵視していたりしていないか、未来を心配していないか、人を羨んでいたりしていないか、物事の信じを知ることを恐れていないかなどを探ってみる必要があります。
白内障や緑内障のように視界に幕が張ることは物事の真実を見たくないという意識が働いている場合があります。
(後述するように一概には言えませんが)近視もそうですが、これらの原因にまったく気づかずに手術をして回復させてしまうと、逆にギャップが生じる場合もあるようです。
つまり、手術を受ける場合でも、本来は先に目が見えなくなってきたことで否応なく内面を観るという方向性ができなければならないでしょう。
また唯物論的な見方から離れられなかったり、自分が条件付けている宇宙の法則の決めごとから物事を見るという狭い観念から離れられなかったりということなどがあります。
これを書きながら思ったのですが、メガネやコンタクトをしている人は支障のないときに時々それを外して現実を受け入れ、自分の内面を観るということをしてみたらどうでしょうか?
病は本来の自分を思い出させるためのものなのですから。
いずれにしても目の病は物の見方すべてですからその因子は膨大なのです。
それだけに現代人には目の病が多いということも納得なのです。
しかし何事も病を直ぐに心の欠点と結びつけるのも気を付けなければなりません。
特に人の病をスピリチャル的な知識から 「あの人はこういう心の持ち方だからこの病になった」 などと考え批判するような評論家には絶対になってはいけないでしよう。
人によって使命・役割も異なります。
この観念にも余り捉われていると病を楽しむことができません。
何度も書いていますが、ベートーベンやヘレンケラーの重度の疾患からイエスの磔の刑まで、すべての病も不幸現象もその論理で通すのは無理があります。
なかなか結論を出すことは難しいのです。
私たちはそんな偉人とは別としても、病の原因をマイナスに考えるのではなくてプラスに考える必要もあるでしょう。
「この欠点(病の原因)を是正すると私ははもっと飛躍的に成長する」というようなメッセージとして受け取るということです。
いまの位置を「低い」と短絡的に考えないことです。
それには如何に前向きな姿勢で現象の理を信じて理解し、無の中で前向きの姿勢を保てるかがカギとなります。
物事をマイナスに考えていると観えるものも観えなくなります。
また「病を楽しむ」という観点に立つ こともできないのです。
病を楽しむという観点に立つことは、捉われから離れて神様としての自分本来の「目」に戻らないとなかなか難しいのです。
「ものごとを問題としてとらえるのではなくて、乗りこえるための自分じしんへの挑戦として解釈しているんだよ。だからここではみんな元気だ」
http://blog.goo.ne.jp/tobira2002/e/03e0e53ef8f4c17c7a93b5b2c204da03
( 「アミ 小さな宇宙人」より)
病を楽しむという観点はとても前向きな意識の在り方ですから、悲観的でいるよりも目覚めも早く病は改善に向かいます(病の必要性がなくなるから)。
仮に治らなくてもそのハンデキャップを補助してくれる環境設定が進んでサポートされ生きやすくなるでしょう。
これは病に限らずすべての苦難・艱難で言うことができます。
昨日も埼玉県越谷市や千葉県で竜巻が発生して大変な被害が起きています。
「新しい地球」に向けて病などを含めて自分の内面、環境の変化、天変地異といった現象が益々増えます。
これらに対してただ知識を深めたり、未来を知ろうとして予言書を読んで怖れおののいたり、怖れを撒き散らしたりするのではなくて、万人が遅かれ早かれ経験しなくてはならないハードルを乗り越えられるように、前向きの心を保ちながら心を洗い魂を磨き、準備を進めていきましょう。
欲が求めたあらゆる知識は、ほとんど役に立ちません。
もっと無になって宇宙の声(大我の声)を聞けるよう、純粋無垢にゆったりと生きること、そのことの方がずっと大切なのです。
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近視の上に最近、ちょっと老眼が入って来ているようです。飛蚊症と言う言葉はとびらさんのブログで初めて知りましたが、一瞬ビビりました。私も小学生の頃からずっと続いています。1~3個くらい、時々、飛んで見えるくらいです。ネットで調べてみると、軽度のものから重度のものまであるようで、要因も複雑ですね。
この記事の7行目~思い当たる節がいくつかあります。物事の見方の誤りに氣付いて、一つ一つ乗り越えてクリアして行く事が、自分の課題ですね。勿論、とびらさんの言うように「病を楽しむ」事も忘れずに、ですね。
感謝☆
網膜剥離だって本当のところどうなんでしょうか。
病でも何でもおなじだと思いますが、どれだけ自分から離れて、困難を創造している側(理性・全体)に立てるかでだと思います。
もうそれだけですね。
ありがとうございました。