誰の上にも青い空

実父と義父は要介護、弟は重度精神障害者。息子は小5→中3まで不登校、2024年春から高校生。飼い猫がカウンセラーです。

真冬の小さな旅...国営武蔵丘陵森林公園へ(埼玉県比企郡滑川町)

2023-01-27 17:50:01 | 写真
ブログ更新、久しぶりです。

昨日、10年に一度レベルの寒波が過ぎ去りました。

我が家の辺りは、氷点下3度まで下がりました。

これほどの冷え込みは首都圏暮らしでは初めてです。


積雪はゼロ、空は晴れか曇り。

地面も空気も乾燥しています。



武蔵丘陵森林公園・西口...自宅から電車とバスで約2時間30分かかりました。


自宅→最寄り駅(JR線)→品川→池袋

→(東武東上線)→森林公園駅→(バス)→森林公園西口バス停



公園内はとても広大です。武蔵丘陵の名の通り、起伏が大きく坂道だらけ。

歩くのが好き、あるいは健脚でないと厳しいかも。


人影はとても少なく、ボクの前を老夫婦がウォーキングを楽しんでいました。


ここ一週間ほど体調(というか心調)不良で寝込んでいました。

身体は疲れていないのに、脳が疲弊しているようで...

これって『冬季うつ』でしょうか。

まるで自宅で入院しているかのようでした。


最強寒波が過ぎ、空気が綺麗な場所を歩きたくて

以前から気になっていた武蔵丘陵森林公園へ行きました。


道路脇は落ち葉だらけ。



真冬の景色は茶色と黒と緑がメインとなっています。


『古鎌倉街道』先人たちの通った道が保存されていました。



これが、その古鎌倉街道。辿っていけば神奈川方面へ帰れるのかな?


ドングリさん!!


やっと出会えた『色のある景色』


森と丘の公園...松の樹々を観ると、どことなく昭和の懐かしさを感じます。



公園へ着いたのが11:15頃。その時間から歩き回ってお腹が空きました。


冬のおさんぽランチ『埼玉県産野菜のとん汁うどん+天ぷらセット』

凍えた体にあつあつうどん♪

天ぷらをとん汁につけて食べるのはなんか合わないような...

それでも、空腹は最高の調味料...美味しく頂きました。


展望レストランの屋上にて。良く晴れていれば秩父方面の山々が見えます。


美しい形の木。自然が作った芸術です。



展望レストランを振り返ったところ。



数か月もすると、一面の芝が緑に変わるのかな。

桜の木が多いのでお花見するには素晴らしいところです。



帰りは登山道のようなルートを使います。


フカフカの落ち葉の絨毯...足に優しい。


3時間ほど歩いて西口→南口へ...最後に彩り豊かなお花に出会えました。


1枚目の写真にそっくりですが、公園南口です。バスで駅に向かいます。


東武東上線・森林公園駅。東上線には初めて乗りました。



電車が空いているので、のんびり帰れそうです。

ここから2時間超かけて帰宅です。





心地よく歩けたおかげで、いい気分転換になりました(^^)/


※写真は国営武蔵丘陵森林公園で撮影しました。



冬の小樽(北のウォール街と呼ばれた街)

2023-01-11 22:16:59 | 写真
年末年始の小樽旅行。

天候が悪く、全てコンデジで撮影しました。


一眼カメラを持って行きましたが

雪道でボクが転ぶので使えませんでした(>_<)

壊れてしまいそうなので...


元日に小樽市街地を歩いた時の写真です。

(主に歴史的建造物=小樽らしさを感じる?)

寒々しく、かつ平凡な写真ばかりです。


歴史的建造物を見ると嬉しくなる

昭和の頃、都内の某大学工学部建築学科を中退しているとちかです。


旧北海道拓殖銀行小樽支店:大正12年(1923年)年築
現在は似鳥美術館。近現代の日本画や西洋画、彫刻などのコレクションを展示してます。



小樽の街は明治期から昭和初期まで繫栄しました。

北海道で区制が施行後、第一回国勢調査:大正9年(1920年) では

函館区に次ぎ、小樽区は札幌区を抑え

道内では第二位の人口を誇っていたということです。


函館は本州との交通の要衝として

小樽は経済の中心、札幌は行政の中心として栄えていきました。


海の玄関口である小樽にヒトやモノが集まるように なり

大富豪が闊歩していた時代...

この港町は『北のウォール街』と呼ばれていたそうです。


旧第一銀行小樽支店:大正13年(1924年)築
現在は服飾工場として活用されています。



経済の中心となった小樽には銀行の進出が著しかったようです。

最盛期には25行もの銀行がひしめいていました。


特に経済の中心としての象徴が

旧日本銀行小樽支店:明治45年(1912年)築 の設置です。

(残念ながら写真撮れませんでした)


銀行...そのどれもが西洋建築の重厚な造りとなっています。

現代の銀行って殆どが何処にでもありそうな建物が多いですが

発展途上にある時代の『銀行』という建物は

特別な意味や価値、希望があったのでしょうね。


また、明治44年(1911年)国立の高等教育機関である

小樽高等商業学校(現在の小樽商科大学)開校は

(北海道においては北海道帝国大学に次いで2番目に設立)

当時、いかにこの港町が日本経済の重要拠点であったかを物語ります。


旧百十三銀行小樽支店 :明治41年(1908年) 築
現在は『小樽 浪漫館』となっています。天然石やアクセサリー、ガラス雑貨等を扱うお店となっており中を見ることも出来ます。 


旧金子元三郎商店 :明治20年(1887年) 築
明治・大正期に海陸物産、肥料販売および海運業を営んでいました。 
現在は『小樽瑠璃工房 』というガラス細工ショップになっています。


カクマル堂小樽店。建物についての詳細は不明です。
天然石や天然石アクセサリーのお店。 


雪の路面はとても滑りやすく、ボクは合計3回転びました(>_<)


大勢の観光客が踏み固めた歩道は、あらゆる方が転びます(#^.^#)
外国人も尻もちをつくし、転倒して泣いている子どももいました。


らーめん『みそら』 氷点下の散策では、温かいラーメンが恋しい~(T_T)
この大雪の中、じいちゃんを連れて歩くのは大変。
写真右端の『マリモすくい』の看板がシュールで草...


写真を撮ろうとカメラを構えているボクは転倒(/o\)

転倒した瞬間に指が何らかのスイッチに振れたのか

いつの間にかカメラのモードがモノクロになっていました。


以下2枚のモノクロ写真は

ホテルに戻ってから気がつくことになります。


明治・大正期を思わせるノスタルジックな世界が、そこにはありました。







一枚目:ガラス工芸の有名店『北一硝子』
源次郎はここでお土産を買いました。
ガラスケースに入った小さなオルゴール。曲は米津玄師の《Lemon》


二枚目:旧共成株式会社: 大正4年(1915年) 築
明治24(1891)年創業の共成(株)は北海道有数の精米、米穀商でした。
現在は『小樽オルゴール堂』としてオルゴール専門店となっています。


上記2枚はボクらしからぬ写真ですね。

偶然以外では撮れません...コケて良かった。


最後の1枚だけ夜の写真です。

小樽最後の晩に行ったフレンチレストランの前に重厚な建物がありました。


旧三井銀行小樽支店:昭和2年(1927年)築
現在は一般公開されており、重厚な昭和初期の銀行建築物の内部まで見学することが出来るようになっています。
最近ではプロジェクションマッピングによる演出も館内で行われ人気を集めています。



戦後、ニシン漁の不漁や樺太の喪失、石炭需要の減少、

道内他都市の港湾施設整備などによって卸商が衰退し

札幌市が北海道の中心都市として発展すると

小樽市は衰退の一途を辿るようになりました。 


最盛期には25行あった銀行も、街の衰退とともに多くが廃止され

現在では北洋銀行、北海道銀行、北陸銀行の3行のみになりました。

(ゆうちょ、信金は除く)


人口は昭和39年(1964年)に207,093人の最大値を記録後は減少が続き

昨年、令和4年(2022年)11月には108,713人となっています。



小樽の名店『政寿司』で源次郎が注文した《サーモン・イクラ丼》


過去に栄華を誇った街...札幌市内から日帰りで容易に観光する事ができ、

市内に100店舗以上を構える寿司の街として知られることなどから

観光都市として人気が高く、毎年700万人以上の観光客が訪れています。


市町村の魅力度ランキング調査では小樽は

トップ10にランクインする都市になっているそうです。


歴史的建造物を見るならば

道都・札幌を遥かに超える建物があるように思います。



ボクが注文した握り《すずらん》

このお寿司はボク個人の

『これまでの人生、美味しい寿司ランキング1位』でした。

って...ほとんど回転寿司しか食べたことが無い(?)とちかの評価ですから

アテにはならないかも...ですね♪


小樽は、また行ってみたい街です。

また行く機会があれば

時間をかけて観光をして、自由に写真を撮りたいですし

美味しいお寿司を飽きるまで(?)+ラーメンも

た~くさん食べたいと思っています。


小樽の街よ、ありがとう(#^.^#)