誕生という瞬間。
それを私たちは、偶然に身をまかせてよいのでしょうか?
一見(いっけん)それは、私たちがかかわりたくてもかかわれない、天からの授かり物のようにもみえますが…。
このことについて、私がとても考えてさせられた本があります。
「輪廻(りんね)する赤ちゃん」という本です。
この本では、赤ちゃんは「産まれたい」という意志をもって生まれてきたという、
そのことを、
さまざまな実例をあげ、
科学的にも検証してみたりして、かなり説得力をもって、
問いかけています。
そのなかで、私たち人間の誕生の神秘にかかわる、とても示唆にとんだ記述があります。
それは、セラピストによって導かれた、催眠状態による、胎児期にさかのぼったときの(記憶の)証言です。
ある女性の証言です。
その女性か胎児期に戻ったとき、母親が自分を生みたくないと強く思っていたことがわかります。
なぜなら、母親の妊娠中に、父親になるべく男性が逃げ出し、
母親はこの先、
幸せの未来を描くことができなかったからなのです。
ところが、その女性は次に、驚くようなことを言うのです。
女性はお腹のなかで、母親に「ふたりだけで生きていこうよ。」
と励ましたかったといいます。
そして、
「私は、人間はひとりでも生きていけるのだということを、
弱い人間に見てもらうために生まれたいと思った。
そのために、母親のような弱い人の子どもとして生まれることを望んだんです。」
と語ります。
松本さん(セラピスト)はいいます。
胎児期、授精前、前世と、戻っていった人の証言には、
「いつもその英知には、いつもびっくりさせられるんです。
とても巧みに計画し、
その計画の背後には、
その人に対する
絶対的な愛情を感じる。
その人がもっとも楽に、
もっとも深く人生を体験できるように配慮された、
強い愛情のようなものを感じるんです。」と。
かなり、飛躍していると思われてもしかたがないことをいいます。
宇宙のはじまりでも、生命のはじまりでも、
そこにたましいとか、
意識がもつ、
(私たちからみると、とんでもないと思うような)叡智(えいち)がひそんでいる。
それに比べ、
科学的叡智は、
確かに驚異的に思えるほどの、物質的繁栄をもたらしてはいますが、
(一人一人の人生をどう照らしていくのかと考えたとき)、
底が浅いといわざるえません。
科学は宇宙の誕生、生命の誕生という人間にとって、大切な瞬間に、科学的慣例をすて、
意識という叡智を取り入れるべきなのだと思います。
どのような証言であっても、ちゃんと吟味されれば、
一つの科学的事実、証拠になるのだと思います。
∗「輪廻する赤ちゃん」平野勝己
人文書院