誰かはわからないのですが、黒いシルエットの人物から、こう言われました。
「あなたは心を定めました。
そして、それを今楽しんでいます。
結果、それは成就するでしょう。」
元旦の日(もしくは二日の朝方かもしれません。)でもあり、とても不思議な気がしました。
ただ、ばくぜんとした言葉でもあり、それからも、その夢にあてはまるようなことはありませんでした。
それから、十数年がたったわけですが、それは心のかたすみにずっと残っています。
ただ、このブログを書くにあたって、このことを思い出していました。
私はあれから、どんな心が定まったのだろうか?(いや、何も定まっていない。ただ、最近、たましいの声に従うと、そう誓ったのは事実だ。)
今の私に、もう残り少ない人生に、全てを投げ捨ててもやりとげたいことがあるのだろうか?
夢は、私がそう望めば、それを成就させてくれると約束しているのだが…
芹沢光治良(せりざわこうじろう)先生の「大自然の夢」から、一部抜粋させていただきます。
(文章を、ちょっとだけ変えています。)
神は大きな夢を持って、この世界をはじめかけられました。
神の大きな夢のなかに、我々の世界がある。
人間の一生も、また、大きな夢。
国家も大きな夢。
時を越えて、それぞれの国の世も、夢のように去っていきました。
まさに、国は夢。
夢のなかの夢。時が過ぎれば、又、移りゆく夢。
すべて、心という思いが、心という大きなものを夢みている。
自分はお金持ちになったと、大きな顔をしている者でも、心がにぶれば、いつかはそのお金もにげてしまう。
まさに、これも夢。
人間の地位や権力など、一時の夢。みな、大きな夢を神にみせてもらっている。
余りに、大仰に、高慢に、生きていれば、神がその夢を奪いさってしまう。
起こされてしまう。
起きて、自分の力量がわかってくる。
人間の権力や、大きな顔して、自分は総理大臣とか、大統領とかいうてる者も、一時の夢をみているようなもの。
神に起こされたら、一人の人間にすぎないことに、気づきます。
夢をみた日のこと1~3を、終えます。ありがとうございました。