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時の関守

夢をみた日のこと(2)

今(これを書いていたのは、少し前のことになります)テレビをつけると、兵庫県知事の話題がよく、放映されています。
ついつい見てしまいますが、全国民が、ただただあきれて見ているのがわかります。
地方にあって、県職員はほんとうに優秀な人ばかりですし、そのトップとなれば(その側近も含めて)、超エリートということになるでしょう。

そんな優秀な人たちが、なぜ簡単な道理、常識に気づかないのか、気づいていても、引っ込みがつかないのか。
それこそ、超エリートだからこそ、わかりえないのかとさえ思います。
ここで、私がそれらのことについて、なんらかの憶測を言葉にしたところで意味はないでしょうが…
ただ、かれらの姿も人生の一縮図。
鏡のように映った自分の姿として、戒(いまし)めることも必要なことかなぁと思います。

私の心の師である、N先生は「美しい低い心に、幸せは集まってくるのだよ」といっていました。
では、どうすれば、心を低くできるのでしょうか?

「一人の人にいったい何ができますか?」と、先生は、私たちに問いかけます。
「私は人にお話しすることはできますが、そのときに着る背広一枚作ることはできません。
腕時計も作ることはできません。┉ 毎日頂く食べ物さえ作ることができません。
名前も顔も知らないたくさんの人々のお世話になっているからこそ、今こうして暮らしていられるのだなと、しみじみ感じます。
このことを考えていただきたいのです。そうすれば、自分一人では何もできない、自分が足りないということに気がつきます。

自分の足りなさがわかればわかるほど、心が低くなるのです。
┉ 人間にとって一番美しい姿は、低い心で頭をさげ、両手を合わせた合掌の姿です。
これほど美しい姿はありません。」そう、おっしゃっています。

こんなこと、わかっていても(私だったら)言えません。
先生は、心を低くすることは、意識して、努力しなければ、難しいことなのだよといっているのです。
頭のよい、優秀なひとほど難しいでしょうね。
だったらわかります。

どんなに知恵、力があり、権力を手にしたとしても、夢のように散っていってしまうのだよ。
もし、大きなもの(権力、力、大金)を動かすことができたとしても、それは、いっときの間、(天が)貸しているものであって、それをどのように使うのか、天はよくよく見ているのだ。

おおきな立場を与えられたときは、よくよく注意しなければならない。
天の目にかなわなければ、夢見たように散っていくのだから…
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