とても短い文章です。
作者は当時、突発性難聴を発症し、その病気が難病であること、3分の1しか完治しないこと、3分の1は治らないことを知り、その不安感の中で、電車に乗るのです。
そこで、一人の青年に出会います。
その青年は、小麦粉のにおいをただよわせ、左手は真っ赤で、指の節にはタコができていて、パン職人を思わせました。
その青年の前に、腰の曲がった老婆が立ちます。
青年はすぐ立ち上がって、席を譲るのですが、老婆は譲られることをなぜかためらいます。
なぜなら、青年の右腕が義手であることに気づいたからです。
「あんたさんこそ、不自由なお体でしょ」
すると、青年は「何の不自由なものですか、まだ左腕がありますから」と答えます。
その言葉に、作者は赤面し、ショックを受けます…。
私は何年かぶりに、このエッセイを読んでわかったのですが、その後の作者の心の動きがみごとで、とても心に残ったのです。
作者はその後も、青年の言葉に感動しつつも、ウジウジと悩み続けます。
悩み続けながらも、少しずつ、そして、だんだんと、「先に進め」「生きる勇気を持て」、また、
「自分の弱さの殻をやぶれ」と、自分に言い聞かせます。
そう思えたのは、心の深いところで、「まだ左腕がありますから」という青年の言葉が、響いていたからに他なりません。
私はずっと、わからないながらたましいのことを考え続けてきました。
それは、自由でありたい、自由であれば、弱い自分をかかえていても、不恰好でかっこわるい自分でも、ニコニコ笑って、気にせず突き進むようになれる、そんな自分であれという、心の欲求だったのだと思います。
この青年のように…。
この文章を書いた作者のように…。
本当は、私の要約のような文章より、原文を読むほうが、100倍よいと思います。
原文はPHP「生きる」平成24年12月号に載っています。作者は後藤順という方です。