見出し画像

時の関守

父のみそおにぎり

たまに話しをする先輩がいます。
あるとき、とつぜん「おまえは、マザコンか?」と聞かれました。
(なにを失礼な😒、還暦過ぎた人間にと、一瞬思いましたが、よくよく考えると、まったくまとはずれともいえません。)

このブログでも、母のことは書きましたが、父を話題にしたことはありません。
(そう言われてみると、母の影響のほうが、かなり強いなぁとそう思います。)
「おれは(先輩)どちらかというと、ファザコンなんだよな。」
先輩はそう話しを続けましたので、私をただからかっていたわけでもないようです。

父の思い出で、強烈に残っていることといえば、一つしかありません。
父は昭和3年生まれですので、当時の男性ですから、もちろん、台所に立つなどということはありませんでした。
ですから、父に料理を作ってもらったなどということはありませんが、生涯で二度だけ作ってもらったのは、よく覚えています。
一度はみそおにぎりです。(もう一度はみそうどんでした。)
生涯で二度ですから、よく覚えています。

いつか、テレビを見ていたら、みそおにぎりには、生と、焼きみその二つがあって、地方によって別れるのだそうです。
父が作ってくれたのは、
生みそおにぎりですから、私はだんぜん、生みそ派です。

たった一回、作ってもらったおにぎりがたまに、とてもなつかしくなって、作ってたべたくなります。
疲れて帰ってきたとき、
なにも食べるものがないときなど、無性に食べたくなるときがあります。
なにか、不思議ですね。

父が亡くなったのは元旦の日です。その2~3ヶ月ほどまえに、ガンが見つかり、もう立ち上がるだけの体力も残ってはいませんでした。
私たち夫婦が昼頃、いつものように病院に見舞いに行ったときです、
ちょうど、看護師さんがあわてて出てきて、私たちを見ると、驚いたように、
「(お父さんは)息子さんを待ってたんですね。今、息をひきとりました。」
と、告げられました。

姉が大阪から大みそかに来て、元旦の朝も元気な状態を確認し、まだ当分だいじょうぶね、と言って、帰っていったところでした。
姉に電話すると、
まだ、東京だとのこと、喪服を用意してないので、大阪にいったん帰ってから、また来るとのことでした。

父は普段、べらべらしゃべるほうではありませんでしたが、
酒がはいると、かなりくどくなるほうで、酒がきらいな私は、父に付き合うこともありませんでした。
そんなふうで、私が父を喜ばせることもありませんでした。
そのことを今思うと、親孝行であったとはいえないなと思います。
80歳でした。
ただ、年齢に不足はありませんでした。

冒頭の先輩の言葉は、少し使い方がまちがっています。🤨
テレビに出てくるようなマザコンを連想しないでください。😅
どちらかというと、
父より母に強く影響を受けたということを、マザコンと言っているだけなので、誤解されないことを願います。





コメント一覧

tokinosekimori-kitaiwahara
@aka21112 さんへ
おにぎりにみそをつけるのに、男
の私は技術がいりますね。
何も食べるものがないときなど、とても重宝します。
おいしくて、手軽で、日本にうまれてよかった。(おおげさでした。)
次男には4~5回作ったので、歳とったら思いだすでしょうか…。
aka21112
こんにちわ、
お父様との思い出を共有していただきありがとうございます。何だかミソおにぎりが食べたくなってきました。

ポチありがとうございました♪
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る