「君は(君の隣にいる)この女性と結婚するつもりなのかね?」
と尋ねられました。
私はすこし面食(めんく)らいましたが、とっさに、
「はい。そうです。」
と答えました。
妻とは紆余曲折(うよきょくせつ)ありましたが、当時は、結婚もほぼ決まっていて、その点は自信をもって答えることができました。
すると、先生は次に、
「君は信仰しているのかね。」
と、聞きますので、
「はい、信仰しております。」
と、答えました。
「その信仰は人が助かることが目的なのだから、まず、一番最初に、この(あなたの妻になる)女性を真っ先にたすけなさい。」
と、おっしゃったのです。
瞬間、わたしの頭のなかは、こんなでした。
「なんて俺はばかなのだろうか。
わざわざ先生にお会いするために、東京にまできて、
先生の貴重な時間を使って、
なんてばかな質問をしていたのだろうか。
神さまは当然、
そんなつまらない質問など無視(スルー)して、
お前が今しなければならないのは、そんな空虚(くうきょ)な神学論議ではないだろう、といっているのです。
お前にとって今大切なのは、
たましいのパートナーとのことなのだよ。
妻には子供のころからの持病もありましたので、
そう言われていることが、瞬時に理解できました。
私は恥ずかしさでいっぱいになりました。
そのあとも、すこしのあいだ、お話しいただいたのですが、
ほとんど記憶にありません。
ただ、今書きましたことは脳裏(のうり)に焼きついています。
妻は終始黙ったままで、
しかし、私に妻を気づかう余裕はありませんでした。
帰りの車のなかで、妻は
「わたし、ずっと先生の手を見ていたの。
先生の手がとてもきれいで、
高齢のかたで、あんなきれいな手、はじめて見たわ。」
そう言っていました。
私は、そんなところを見る余裕など、
ありませんでしたので、
よくそんなところを見ていたものと、感心しました。