なぜなら、神はこの世界を創造(つく)ろうとしたわけではないからです。
人間をつくろうとしたのは、まちがいないのですが、この世界ではありません。
ただ、人間をつくれば、人間が住む世界、環境が必要となりますから、この世界は、人間が創造された後(のち)にできることになります。
そう、この神話でのべられています。
このあたりは、ちょっと私たちの常識とは違いますね。
でも、常識とは、いったい何なんでしょうか?
無から有は生まれないのでしょうか?
心で思うことは、さまざまな物質(もの)に影響を与えないのでしょうか?
短期的には、人の心がものとか環境に影響してないように見えても、長期的にはどうでしょうか?
たとえば、最近の環境破壊、気候温暖化は、地球に大きな変化をもたらしています。
これなど、人間一人一人の心は小さいように見えても、それぞれの心が集積した結果は、地球に大きな変化をもたらしています。
そう考えると、そして、この世界のはじまりを考えるのであれば、大きな思考転換が必要になるのだと思います。
たとえば、宇宙の誕生の瞬間を考えてみましょう。
なにも存在していない無から、半径150億光年もある、信じられないくらい広大な、宇宙というものが誕生しています。
理由はわかりません。
その宇宙からすれば、ほんのゴマ粒のような地球に、全く奇跡なような偶然が重なって、生命が誕生し、その生命からまた、奇跡のような偶然が重なり、意識を持って、それを言葉にできる人間が生まれた。
科学者は、そう説明するかもしれませんね。
でも、それは違うと思います。