日本の警察についてチェックが甘すぎることについて,とってもわかりやすい例が「鋭意取材中!柳原三佳・日本の検視・司法解剖の問題を斬る!」に掲載されていましたので,一部引用します。ぜひ,上記HPをご覧下さい。
■■引用開始■■
2000年7月10日、東京地裁633号法廷。ついにその日がきた。
この日、証人として証言台に立ったのは、神奈川県で長年監察医を勤めているB医師だった。彼はAさんの夫の死体検案書に「心筋梗塞」という死因を書いた本人である。B医師は、原告代理人の質問に対して、次のような証言をした。
「私は警察官立ち会いのもと、運ばれてきた死体を解剖しました。Y字切開といって、胸部の一番上から下腹部までを切開する方法です。臓器を取り出し、肉眼で病理的観察を行い、心臓はそのときに取り出し、今も保管しています。その他の臓器は組織片を切り出してから元に戻して、縫い合わせました」
ところが、その後、裁判官に質問の時間を与えられた原告のAさんは、毅然とした態度でこう詰め寄ったのだ。
「いいえ。私はその夜、夫の遺体を見ましたが、おなかには解剖された痕跡は全くありませんでした。そのことは、息子を初めとする葬儀社の方など、複数の人が目撃しています」
その瞬間、なんともいえない緊張感が法廷の中に張り詰めた。
「警察官立ち会いで解剖した」
「心臓は今も保存している」
と証言する監察医が目の前にいるのに、遺族は「遺体に傷はなかった」
と断言しているのだ。
遺族は当初、B医師から「頭部も解剖した」という言葉を聞いたと主張しているが、B医師はそれにつても「ちゃんと解剖した、とは言ったが、頭部を解剖したとは言っていない。解剖しなくても頭蓋骨内出血は完全に否定できたので、遺族感情も念頭に置き、なるべくもとの姿でお返ししたいと思った」と、証言台で全面否定した。そもそも頭部を解剖しなかったことは司法解剖の基本に照らして考え難いことである。
法廷では、さらにB医師の「解剖した」という主張を裏付ける証拠の有無についてやりとりが続いた。まず、解剖中の写真はあるのか。もし、一枚でもAさんの夫とわかる写真があれば、一目瞭然で遺族の主張は覆されるはずだ。しかし、B医師は「心臓そのものの写真は撮ったが、身体を写し込んだものは一枚も撮っていない」と答えた。
さらに、もうひとつの疑問点が浮かび上がった。B医師は午後7時40分から8時40分まで約一時間にわたって解剖を行ったと証言した。一方、Aさんは、午後7時ごろには夫の死因は「心筋梗塞」だったと聞かされ、午後8時20分には遺体が自宅に運ばれてきていたと証言する。
いったいどちらが本当なのか。ここまで両者の主張が食い違ってくると、事が事だけに、私は驚きを通り越して恐怖すら感じた。
しかし、立証の手段はまだ残されていた。それが冒頭のニュースとなったDNA鑑定である。保管されている心臓さえ証拠提出されれば、それがAさんの夫のものであるかどうかはっきりする。Aさんの代理人は法廷でこうたずねた。
「心臓を証拠としてだしていただくわけにはいかないのでしょうか」
B医師はこの質問に対して、さまざまな言い訳を述べ即答はしなかったが、最終的に
「検察からの指示によって法的な手続きがとられれば提出する準備はある」
と答えた。もし、解剖したのが事実なら、B医師から進んで提出すべき証拠だが、遺族から見れば、出せる心臓などないはずだった。
それでも、01年4月、「心臓」の一片が横浜地裁に提出された。腹部に全く傷のなかった遺体を見ている遺族にとっては、その時点で、臓器片が、「別人」のものであることはわかっていた。「臓器片は本人のDNA型と矛盾する」という今回の鑑定結果も予想通りであったのである。
それにしても、恐ろしい話だ。警察と監察医がスクラムを組めば、密室でどんな「死因」でもつくれることになる。実際に、B医師に百体近く検案を依頼したことがあるという元警察官は私にこう話してくれた。
「少なくとも私がB先生のところに運んだ死体で、解剖までいったケースは一度もありませんでした。ほとんど死体を見ないこともありましたね。先輩警察官は『死因や死亡推定時刻をこちらの言うとおりに書いてくれるので便利なんだ』とよく話していました。留置場の中で死人が出たときなどは、後が厄介ですから、実際の死亡時刻をずらしてもらうわけです。今回のケースはおそらく氷山の一角だと思います。」
■■引用終了■■
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2000年7月10日、東京地裁633号法廷。ついにその日がきた。
この日、証人として証言台に立ったのは、神奈川県で長年監察医を勤めているB医師だった。彼はAさんの夫の死体検案書に「心筋梗塞」という死因を書いた本人である。B医師は、原告代理人の質問に対して、次のような証言をした。
「私は警察官立ち会いのもと、運ばれてきた死体を解剖しました。Y字切開といって、胸部の一番上から下腹部までを切開する方法です。臓器を取り出し、肉眼で病理的観察を行い、心臓はそのときに取り出し、今も保管しています。その他の臓器は組織片を切り出してから元に戻して、縫い合わせました」
ところが、その後、裁判官に質問の時間を与えられた原告のAさんは、毅然とした態度でこう詰め寄ったのだ。
「いいえ。私はその夜、夫の遺体を見ましたが、おなかには解剖された痕跡は全くありませんでした。そのことは、息子を初めとする葬儀社の方など、複数の人が目撃しています」
その瞬間、なんともいえない緊張感が法廷の中に張り詰めた。
「警察官立ち会いで解剖した」
「心臓は今も保存している」
と証言する監察医が目の前にいるのに、遺族は「遺体に傷はなかった」
と断言しているのだ。
遺族は当初、B医師から「頭部も解剖した」という言葉を聞いたと主張しているが、B医師はそれにつても「ちゃんと解剖した、とは言ったが、頭部を解剖したとは言っていない。解剖しなくても頭蓋骨内出血は完全に否定できたので、遺族感情も念頭に置き、なるべくもとの姿でお返ししたいと思った」と、証言台で全面否定した。そもそも頭部を解剖しなかったことは司法解剖の基本に照らして考え難いことである。
法廷では、さらにB医師の「解剖した」という主張を裏付ける証拠の有無についてやりとりが続いた。まず、解剖中の写真はあるのか。もし、一枚でもAさんの夫とわかる写真があれば、一目瞭然で遺族の主張は覆されるはずだ。しかし、B医師は「心臓そのものの写真は撮ったが、身体を写し込んだものは一枚も撮っていない」と答えた。
さらに、もうひとつの疑問点が浮かび上がった。B医師は午後7時40分から8時40分まで約一時間にわたって解剖を行ったと証言した。一方、Aさんは、午後7時ごろには夫の死因は「心筋梗塞」だったと聞かされ、午後8時20分には遺体が自宅に運ばれてきていたと証言する。
いったいどちらが本当なのか。ここまで両者の主張が食い違ってくると、事が事だけに、私は驚きを通り越して恐怖すら感じた。
しかし、立証の手段はまだ残されていた。それが冒頭のニュースとなったDNA鑑定である。保管されている心臓さえ証拠提出されれば、それがAさんの夫のものであるかどうかはっきりする。Aさんの代理人は法廷でこうたずねた。
「心臓を証拠としてだしていただくわけにはいかないのでしょうか」
B医師はこの質問に対して、さまざまな言い訳を述べ即答はしなかったが、最終的に
「検察からの指示によって法的な手続きがとられれば提出する準備はある」
と答えた。もし、解剖したのが事実なら、B医師から進んで提出すべき証拠だが、遺族から見れば、出せる心臓などないはずだった。
それでも、01年4月、「心臓」の一片が横浜地裁に提出された。腹部に全く傷のなかった遺体を見ている遺族にとっては、その時点で、臓器片が、「別人」のものであることはわかっていた。「臓器片は本人のDNA型と矛盾する」という今回の鑑定結果も予想通りであったのである。
それにしても、恐ろしい話だ。警察と監察医がスクラムを組めば、密室でどんな「死因」でもつくれることになる。実際に、B医師に百体近く検案を依頼したことがあるという元警察官は私にこう話してくれた。
「少なくとも私がB先生のところに運んだ死体で、解剖までいったケースは一度もありませんでした。ほとんど死体を見ないこともありましたね。先輩警察官は『死因や死亡推定時刻をこちらの言うとおりに書いてくれるので便利なんだ』とよく話していました。留置場の中で死人が出たときなどは、後が厄介ですから、実際の死亡時刻をずらしてもらうわけです。今回のケースはおそらく氷山の一角だと思います。」
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