東京リサーチ日記

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当時18歳少年は今後、本当のネットの恐ろしさが味わうことになるだろう・・・

2020-04-12 00:00:00 | 日記
 2020年4月12日、母親はこらえきれず、泣き崩れた。同級生は悲しみにむせんだ。川崎市川崎区の多摩川河川敷で刺殺された市立中学校1年の男子生徒の告別式が2015年3月3日、同区内の斎場で営まれた。同級生や保護者ら約200人が参列し、わずか13歳で命を絶たれた「人気者」に最後の別れを告げたのだ。出棺の途中、叫びにも似た野太い声が場内に響いた。再び目を覚ましてくれ、と願ったのだろうか。せきを切ったように同級生らがむせび、それまで気丈に振る舞っていた男子生徒の母親も、泣き崩れたというのだ。前日の通夜に続き、多数の報道陣が詰め掛ける中、中学校の生徒ら関係者がバス2台で斎場入り。明るく誰からも愛された男子生徒を見送ったのだ。参列者によると、式場入り口には男子生徒のスナップ写真を多数展示。小学6年生の途中まで暮らした島根県で撮影されたものも並んだのだ。告別式には、祖父母と母、きょうだい4人らがそろったという。弔問に訪れた女性(72)は「(弟や妹の)あどけない、無邪気な様子が逆にかわいそうだった」と胸を痛めた。「息子がいかに多くの皆さんに愛されていたのかがよく分かった」。遺族代表であいさつした祖父は、感謝の気持ちを伝えたという。遺体発見現場はこの日も、献花に訪れる人らが絶えなかった。東京都内から来た女性は花束とともに、「天国でもバスケをしてほしい」とシャツやズボン、靴を供えた。一方、当時18歳の容疑者は、「(男子生徒が自分を)先輩として立てないのでいらっとすることがあった」と供述していたことが2015年3月3日、川崎署捜査本部から分かった。捜査本部は、少年が男子生徒の日ごろの態度に不満を募らせ、制裁目的の暴行がエスカレートしたようだった。捜査本部によると、事件8日前の2015年2月12日、男子生徒への暴行をとがめるために男子生徒の友人数人が少年宅に押しかけて家族とトラブルになった際、駆け付けた警察官から電話で事情を聴かれた男子生徒は「仲直りしたから、もう大丈夫です」と答えていた。男子生徒は2015年1月中旬、少年から激しい暴行を受け、目や頬が腫れ上がるけがをしていたのだ。少年は逮捕後の調べに対し、この時のトラブルが殺害の動機だったと説明。「(男子生徒への暴行を友人に)ちくりやがったからやった」などと話し、殺害を認める供述をした。そのことから、ネットではリーダー格の当時18歳少年の顔写真・実名が更に世界へ広がったのである。当時18歳少年は今後、本当のネットの恐ろしさが味わうことになるだろう。当時18歳少年の家族の写真と実名が流出していることもあり、加害者本人は別として問題である・・・(井森隆)