まずは…まーた自分で地雷を埋めて、自分で踏んじゃったみたいで~。
はい、毎年のゆかた談義ですね。すみません。
先日の「ゆかた」のお話で、いろいろコメントいただきました。
途中まではお返事書いていたのですが、後の方々のお返事は、長くなりそうでしたので、
今日、こちらでお返事も含めて…もう一度書かせていただくことで
個々への細かいお返事はお許し下さい。
まず、長く私のブログを読んでくださっているかたは
ご存知のことと思いますが、私はずーっとおなじことを書き続けています。
最近のゆかたや着物の着方を「あれは悪い」とか「あれはだめだ」と
アタマっから全面否定しているわけではありません。
いただいたコメントで「全否定されたら」とあって、
ありゃゃこらいかん…と読み直しまして、
要するに私の舌ッ足らずお話しがいけなかったのだと思いました。
あのお話しは、ほとんど「売り手、作り手」に対しての思いです。
いつも私の考えていることをご存知の方ばかり…などという思い込みによる
情報の提供不足?です。
私は持論を押し付けているつもりもありませんし、
古いものだけがいいと思っているわけでもありません。
そう思われるような書き方をしてしまったのは、私の不徳の致すところです。
私は、ただ「知ってたほうがおとくだし、知らずにいるのはもったいない」と、
そう思っているわけです。そのためにも、売り手作り手が、買い手に対して、
もっと責任を持ってほしいと思うわけです。
あの記事を書く前に、あちこちのHPを覗いていました。
そのことを書かなかったのも、理解していただくためには不足だったなと思っています。
改めて書きますが、ある大阪の商社のHPで、やはり絵羽柄ゆかたを販売していたのですが
その最初の紹介ページに、えーっとこれは「要約すると」ですが
「昔は染めの技術やコストの問題で、ゆかたには小紋柄しかなかった。
今は新しい技術で、振袖や訪問着に劣らない絵羽柄を染めることができるようになった」
うぅ~~~そりゃ違う!
ゆかたは、江戸時代に庶民の夏の着物として定着したころには、
それこそ競って柄が作り出され、型紙やさまざまな染めの技術や絞りの技術などの発達も
たくさんあったわけです。元々木綿しか許されなかった庶民にとって、
縞や絣の木綿ではなく、染め柄の映える夏のゆかたはとても楽しみなものだっったでしょう。
そして「絵羽柄」は江戸時代からありました。元々は役者からはじまったものですが、
ゆかたという自由な染めを楽しめるもののなかで、小紋よりも割高でも派手な絵羽柄を、
粋でいなせを好む男たちが、祭礼などでいわば「ゆかたの晴れ着」として着ていました。
そう、元々は男性が多かったんです。
コメントで「首抜き」が着たい…とおっしゃってました。私も!
「首抜き」というのは、たとえば番傘の大きな柄を首を頂点としてぐるりと染める…。
ちょうどケープをかけたような感じの柄付けです。
これを着ると、傘の石突(てっぺん)から首が出るわけで…
私が着たら「妖怪破れ傘」になりそうですが…。
江戸時代のこんな風情も着物の流れの一部、それがお祭りなどで、華やかに着られる…
つまりは盆踊りや芸事の発表会などでお揃いの浴衣として着られる、
というようなカタチで残ってきたわけです。
だからといって、踊らないのに着るなとはもちろん申しません。
ただ、昔はなかったの、染めの技術がなかったのという間違った情報では、
これから着ようという人に対して失礼だと思うわけです。
そのHPでは、振袖と同じ、フォーマルで着られる、ともありました。
お願いですから振袖と同じに位置づけないでほしいのです。
ゆかたはゆかたという一番いい「立ち居地」があるのです。
突然ですが歌舞伎のお話しをします。
歌舞伎は日本が誇る「伝統民俗芸能」です。
庶民の中から生まれ、数々の迫害を受けながらも、カタチをかえて残ってきました。
1980年の終わりころだったと思いますが、猿之助さんがスーパー歌舞伎というものを
新しく生み出しました。伝統を重んじる歌舞伎界の中では、賛否両論、
今に至るも好き嫌いが分かれるところです。
私はいいと思いますがねぇ、元々ケレンも歌舞伎の魅力の一つですし、
昔のものにはない宙乗りや早代わりなど、観客を楽しませるという本分まっとうしていると思います。
また、今始まっていると思いますが「ラップ歌舞伎」
あれです、私が過去に羽裏生地で、大ドジ勘違いをして(大恥の大笑い!)、
「あれはこっちのお芝居だと思います」と教えていただいた「佐倉義民傳」、
テレビで、あれはゲネプロだと思いますが、ちょっとだけ放送しました。
なかなかのものでしたね。
で、スーパー歌舞伎であれ、ラップ歌舞伎であれ、「歌舞伎」と名がついている以上、
きちんと歌舞伎の基礎、土台は踏襲しています。
歌舞伎には伝統としていろいろな約束事があります。
男だけ、とか役による呼び方とか(たとえばきれいなお姫様役は「赤姫」と言います)、
役による隈取の色や書き方とか、内容で言えば和事、荒事…とか。
たくさんの決まりごとがあります。
そういうことをちゃんと大切にしているものが歌舞伎であって、
歌舞伎役者が何人も出ている映画でも、それだけでは歌舞伎とは言いませんね。
つまり、基本というものを大切にして、そこからいろんな新しいものを生み出していくのは
文化の発展になるのでしょうが、なんでもいいじゃない、と
歌舞伎役者が主演だからこれは歌舞伎映画、そーだそーだ…というのは、
どっか違う方向に流れると思うし、伝統や文化もなし崩しだと思うわけです。
着物もにたところがあって、古いものがいい、のではなく、きちんとした流れに乗って、
そこからあたらしいものを生み出してもらいたいと思うのです。
何度も言うようですが、着物は一時期着られなくなってしまいました。
その時に、それまでずっと着物を着て暮らしていた人たちが積み上げてきたものが、
次の世代にちゃんとわたらなかったわけです。
だからこそ、着物に目を向けてくださる若い方が増えてきたのなら、
それまでに積み上げたこともちゃんと知らせて、更にそこからの積み重ねを
続けていってほしいと思うのです。
以前のことも知って、それを踏まえたうえでの選択であるほうが、
選択する基準も気持ちも、もっと豊かになると思うのです。
時々投書欄などで、外国にホームステイしたり、外国の友人たちと話していて、
着物の歴史や、そのとき着ていた着物の説明を求められて、
何もしらないことに気づいた…というようなお話しを見ることがあります。
「これは、絵羽柄ゆかたといって、振袖と同じでフォーマルにも着られるんです」なんて
そんな説明をされたら、ゆかたもそのかたもかわいそうです。
着物はひとつのファッションかもしれませんが、民族衣装でもあります。
「国の誇り」だの「愛国心」だのというような言葉は、
ナニきどってんのよ、と言われそうですが、歌舞伎の世界が伝統を重んじるというのも
一つには「誇り」や「愛情」だと思います。
私は毎年春先になると「入学式、この着物でいいですか」
「色無地にこの帯は合いますか」と、写真つきでメールを下さる方々がいると、
あぁやっぱり「着物はきちんと着なきゃ」とおもってくださっているのだなと、
嬉しくなります。ゆかたなんだから何でもいいじゃん、ではなく、
ゆかたも着物のひとつですから、たくさん知って、本当の選択する楽しさや、
冒険する醍醐味を味わってほしいと思うわけです。
ちなみに私はポリは高いとは書いておりません。
これも言葉足らずで申しわけありませんでしたが、ポリで4万も出すなら、
木綿や麻でいいゆかた素材があるのにな、という気持ちです。
私もポリは着ています。実は夏物も持っています。
何年も前ですが「これは新しいポリで涼しいです」と言われて買ったものです。
でも暑かったです。通気性が悪いのではなく通気の感じが違うのかなと思っています。
コメントのお返事にも書きましたが、この「セオ…」という素材、
興味あります。ほんとに涼しいなら着てみたいです。
でも私はポリはゆかたまで進出せずに、ポリ絽やポリ紗、の夏着物で、
勝負してほしいと思っています。
ゆかたはどうがんばっても絹の絽や紗よりは下です。
シャレた夏着物として通用するポリなら、
そっちでがんばってほしいなぁと思うのです。涼しいといいなぁ。
着物がいったんすっぽりと伝承が抜け落ちた時期は、
私の親の年代から始まっています。
そういう意味でも、今、私程度の知識のあるものは、
それまで先人たちが着物の暮らしの中で積み上げてきたものを、
少しでもそのままお渡しして、そのうえに新しいものを積み重ねていただく、
そうすれば今の「着物を教えてもらわなかった世代」も、
話や知識だけでも、きちんとした「伝承」の変化として、
つなげていくことができるのではないかと思うのです。
しらないままではもったいない、というのはそういうことで、
先日の記事は、作り手売り手の気遣いのなさを考えてのお話しがメイン、
ということだったのですが、あっさりそのときの気持ちだけ書いてしまったために、
否定している…と思われてしまいました。
先日の記事に
一般的に広めるなら、まずオーソドックスなところをしっかり押さえて、
その上でイレギュラーなものにいってください。
と書きました。
これもあのお店だけに言っているわけではなく、
あちこち覗いてみた「絵羽柄ゆかた」の販売店で、
ほとんどは宣伝文句ばかりで、ちゃんとした説明がなかったからです。
ただの目新しいもの、として売らないでほしい、という思いです。
だから「しらないということにつけこんでいるように見える」し、
売れりゃなんでもいい、みたいに見えるとコメントのお返事にも書いたわけです。
本当にカッコいいのは「基本を知っている」ということで、
そこから自分探しができるということだと思います。
この気持ちは今も変わりません。
ゆかたの楽しさ、紬の気楽さ、小紋の重宝さ…それぞれに積み重ねがあっての今の姿を
もっと知ってほしいなぁ…が、私の基本です。
お返事になったかどうかはわかりませんが、
今の私の偽りのない気持ちです。
長い文におつきあいくださって、ありがとうございました。
おしまいになりましたが、写真は我が家の紫陽花の鉢です。
大ボケこいて「なんで一本なのに、いろんな色があるのだろ」
葉っぱで隠れていたのですが、のぞいてみて思い出しました。
3本植えたんでした…忘れるなってば…。
はい、毎年のゆかた談義ですね。すみません。
先日の「ゆかた」のお話で、いろいろコメントいただきました。
途中まではお返事書いていたのですが、後の方々のお返事は、長くなりそうでしたので、
今日、こちらでお返事も含めて…もう一度書かせていただくことで
個々への細かいお返事はお許し下さい。
まず、長く私のブログを読んでくださっているかたは
ご存知のことと思いますが、私はずーっとおなじことを書き続けています。
最近のゆかたや着物の着方を「あれは悪い」とか「あれはだめだ」と
アタマっから全面否定しているわけではありません。
いただいたコメントで「全否定されたら」とあって、
ありゃゃこらいかん…と読み直しまして、
要するに私の舌ッ足らずお話しがいけなかったのだと思いました。
あのお話しは、ほとんど「売り手、作り手」に対しての思いです。
いつも私の考えていることをご存知の方ばかり…などという思い込みによる
情報の提供不足?です。
私は持論を押し付けているつもりもありませんし、
古いものだけがいいと思っているわけでもありません。
そう思われるような書き方をしてしまったのは、私の不徳の致すところです。
私は、ただ「知ってたほうがおとくだし、知らずにいるのはもったいない」と、
そう思っているわけです。そのためにも、売り手作り手が、買い手に対して、
もっと責任を持ってほしいと思うわけです。
あの記事を書く前に、あちこちのHPを覗いていました。
そのことを書かなかったのも、理解していただくためには不足だったなと思っています。
改めて書きますが、ある大阪の商社のHPで、やはり絵羽柄ゆかたを販売していたのですが
その最初の紹介ページに、えーっとこれは「要約すると」ですが
「昔は染めの技術やコストの問題で、ゆかたには小紋柄しかなかった。
今は新しい技術で、振袖や訪問着に劣らない絵羽柄を染めることができるようになった」
うぅ~~~そりゃ違う!
ゆかたは、江戸時代に庶民の夏の着物として定着したころには、
それこそ競って柄が作り出され、型紙やさまざまな染めの技術や絞りの技術などの発達も
たくさんあったわけです。元々木綿しか許されなかった庶民にとって、
縞や絣の木綿ではなく、染め柄の映える夏のゆかたはとても楽しみなものだっったでしょう。
そして「絵羽柄」は江戸時代からありました。元々は役者からはじまったものですが、
ゆかたという自由な染めを楽しめるもののなかで、小紋よりも割高でも派手な絵羽柄を、
粋でいなせを好む男たちが、祭礼などでいわば「ゆかたの晴れ着」として着ていました。
そう、元々は男性が多かったんです。
コメントで「首抜き」が着たい…とおっしゃってました。私も!
「首抜き」というのは、たとえば番傘の大きな柄を首を頂点としてぐるりと染める…。
ちょうどケープをかけたような感じの柄付けです。
これを着ると、傘の石突(てっぺん)から首が出るわけで…
私が着たら「妖怪破れ傘」になりそうですが…。
江戸時代のこんな風情も着物の流れの一部、それがお祭りなどで、華やかに着られる…
つまりは盆踊りや芸事の発表会などでお揃いの浴衣として着られる、
というようなカタチで残ってきたわけです。
だからといって、踊らないのに着るなとはもちろん申しません。
ただ、昔はなかったの、染めの技術がなかったのという間違った情報では、
これから着ようという人に対して失礼だと思うわけです。
そのHPでは、振袖と同じ、フォーマルで着られる、ともありました。
お願いですから振袖と同じに位置づけないでほしいのです。
ゆかたはゆかたという一番いい「立ち居地」があるのです。
突然ですが歌舞伎のお話しをします。
歌舞伎は日本が誇る「伝統民俗芸能」です。
庶民の中から生まれ、数々の迫害を受けながらも、カタチをかえて残ってきました。
1980年の終わりころだったと思いますが、猿之助さんがスーパー歌舞伎というものを
新しく生み出しました。伝統を重んじる歌舞伎界の中では、賛否両論、
今に至るも好き嫌いが分かれるところです。
私はいいと思いますがねぇ、元々ケレンも歌舞伎の魅力の一つですし、
昔のものにはない宙乗りや早代わりなど、観客を楽しませるという本分まっとうしていると思います。
また、今始まっていると思いますが「ラップ歌舞伎」
あれです、私が過去に羽裏生地で、大ドジ勘違いをして(大恥の大笑い!)、
「あれはこっちのお芝居だと思います」と教えていただいた「佐倉義民傳」、
テレビで、あれはゲネプロだと思いますが、ちょっとだけ放送しました。
なかなかのものでしたね。
で、スーパー歌舞伎であれ、ラップ歌舞伎であれ、「歌舞伎」と名がついている以上、
きちんと歌舞伎の基礎、土台は踏襲しています。
歌舞伎には伝統としていろいろな約束事があります。
男だけ、とか役による呼び方とか(たとえばきれいなお姫様役は「赤姫」と言います)、
役による隈取の色や書き方とか、内容で言えば和事、荒事…とか。
たくさんの決まりごとがあります。
そういうことをちゃんと大切にしているものが歌舞伎であって、
歌舞伎役者が何人も出ている映画でも、それだけでは歌舞伎とは言いませんね。
つまり、基本というものを大切にして、そこからいろんな新しいものを生み出していくのは
文化の発展になるのでしょうが、なんでもいいじゃない、と
歌舞伎役者が主演だからこれは歌舞伎映画、そーだそーだ…というのは、
どっか違う方向に流れると思うし、伝統や文化もなし崩しだと思うわけです。
着物もにたところがあって、古いものがいい、のではなく、きちんとした流れに乗って、
そこからあたらしいものを生み出してもらいたいと思うのです。
何度も言うようですが、着物は一時期着られなくなってしまいました。
その時に、それまでずっと着物を着て暮らしていた人たちが積み上げてきたものが、
次の世代にちゃんとわたらなかったわけです。
だからこそ、着物に目を向けてくださる若い方が増えてきたのなら、
それまでに積み上げたこともちゃんと知らせて、更にそこからの積み重ねを
続けていってほしいと思うのです。
以前のことも知って、それを踏まえたうえでの選択であるほうが、
選択する基準も気持ちも、もっと豊かになると思うのです。
時々投書欄などで、外国にホームステイしたり、外国の友人たちと話していて、
着物の歴史や、そのとき着ていた着物の説明を求められて、
何もしらないことに気づいた…というようなお話しを見ることがあります。
「これは、絵羽柄ゆかたといって、振袖と同じでフォーマルにも着られるんです」なんて
そんな説明をされたら、ゆかたもそのかたもかわいそうです。
着物はひとつのファッションかもしれませんが、民族衣装でもあります。
「国の誇り」だの「愛国心」だのというような言葉は、
ナニきどってんのよ、と言われそうですが、歌舞伎の世界が伝統を重んじるというのも
一つには「誇り」や「愛情」だと思います。
私は毎年春先になると「入学式、この着物でいいですか」
「色無地にこの帯は合いますか」と、写真つきでメールを下さる方々がいると、
あぁやっぱり「着物はきちんと着なきゃ」とおもってくださっているのだなと、
嬉しくなります。ゆかたなんだから何でもいいじゃん、ではなく、
ゆかたも着物のひとつですから、たくさん知って、本当の選択する楽しさや、
冒険する醍醐味を味わってほしいと思うわけです。
ちなみに私はポリは高いとは書いておりません。
これも言葉足らずで申しわけありませんでしたが、ポリで4万も出すなら、
木綿や麻でいいゆかた素材があるのにな、という気持ちです。
私もポリは着ています。実は夏物も持っています。
何年も前ですが「これは新しいポリで涼しいです」と言われて買ったものです。
でも暑かったです。通気性が悪いのではなく通気の感じが違うのかなと思っています。
コメントのお返事にも書きましたが、この「セオ…」という素材、
興味あります。ほんとに涼しいなら着てみたいです。
でも私はポリはゆかたまで進出せずに、ポリ絽やポリ紗、の夏着物で、
勝負してほしいと思っています。
ゆかたはどうがんばっても絹の絽や紗よりは下です。
シャレた夏着物として通用するポリなら、
そっちでがんばってほしいなぁと思うのです。涼しいといいなぁ。
着物がいったんすっぽりと伝承が抜け落ちた時期は、
私の親の年代から始まっています。
そういう意味でも、今、私程度の知識のあるものは、
それまで先人たちが着物の暮らしの中で積み上げてきたものを、
少しでもそのままお渡しして、そのうえに新しいものを積み重ねていただく、
そうすれば今の「着物を教えてもらわなかった世代」も、
話や知識だけでも、きちんとした「伝承」の変化として、
つなげていくことができるのではないかと思うのです。
しらないままではもったいない、というのはそういうことで、
先日の記事は、作り手売り手の気遣いのなさを考えてのお話しがメイン、
ということだったのですが、あっさりそのときの気持ちだけ書いてしまったために、
否定している…と思われてしまいました。
先日の記事に
一般的に広めるなら、まずオーソドックスなところをしっかり押さえて、
その上でイレギュラーなものにいってください。
と書きました。
これもあのお店だけに言っているわけではなく、
あちこち覗いてみた「絵羽柄ゆかた」の販売店で、
ほとんどは宣伝文句ばかりで、ちゃんとした説明がなかったからです。
ただの目新しいもの、として売らないでほしい、という思いです。
だから「しらないということにつけこんでいるように見える」し、
売れりゃなんでもいい、みたいに見えるとコメントのお返事にも書いたわけです。
本当にカッコいいのは「基本を知っている」ということで、
そこから自分探しができるということだと思います。
この気持ちは今も変わりません。
ゆかたの楽しさ、紬の気楽さ、小紋の重宝さ…それぞれに積み重ねがあっての今の姿を
もっと知ってほしいなぁ…が、私の基本です。
お返事になったかどうかはわかりませんが、
今の私の偽りのない気持ちです。
長い文におつきあいくださって、ありがとうございました。
おしまいになりましたが、写真は我が家の紫陽花の鉢です。
大ボケこいて「なんで一本なのに、いろんな色があるのだろ」
葉っぱで隠れていたのですが、のぞいてみて思い出しました。
3本植えたんでした…忘れるなってば…。
先日の、コメントもすべて拝読させていただきましたが、あれだけみなさんがご意見を述べられるってことは、みなさんがご自身なりに考えをもっていらして、着物やゆかたについて真剣に向き合っているってことですよね喜んで参戦いたします
いろいろ話題の(笑)浴衣ブームのターゲットである若者の一人として意見させていただくと(二十歳です)、レースがついてたり、アクセサリーついたりしていたりっていう広告を見ると、私の感覚ではかわいいなって思います。着てみたいと思って、衿にレースを縫い付けてみたこともあります(笑)
私は、浴衣の本来の着方を知っています。小さい頃着物で育てられたこともありますし、昔着ていた浴衣は誰かのお古の古いものでしたし、今もかなり家にある浴衣や着物を着ていますので、とんぼさんのおっしゃる本来の(従来の?)浴衣の生地も着心地も、常識もわかっているつもりだと思います。
浴衣は歩いていける範囲まで、浴衣は日が傾いてから、というのを思ってはいるのですが、やっぱり、浴衣でお出かけの概念が変わってきてるんだと思います。昔はお祭りは近所の氏神さまの大祭とかが一大イベントだったのが、現在はやれ隅田川だ、東京湾だ、鎌倉だ、箱根だ、お祭りや花火大会が(もともとおっきいイベントだったんでしょうけれどさらに)大規模化して、交通網などの発達により、それが電車で一時間や二時間で行ける距離になってしまったんだと思います。広告も大規模だから、若干遠距離の人も「二時間なんだから、せっかくだから行ってみようか」となる。
そうすると、現地に夕方につくとすると地元を出発するのは真っ昼間で、花火の場所取りとかするんだと朝出発、なんていうのがざらだと思います。とすると、浴衣で歩くのはおかしい?と思って、単みたいな浴衣(大義名分は浴衣として売られてたさる有名デザイナーの浴衣ですが、私にはかわいい木綿の単にしか見えません(笑。)に衿をつけてみて、やっぱり違うと思って、襦袢を着てみたり、足袋をはいてみたり、最終的にやっぱりおかしいってなって絽とか紗を着る、帯も変えるって、これ毎年やってます(笑)
訪問着とか振袖がわりに浴衣をつかう、みたいなのはやりすぎ?だと思うけれど、浴衣単(またはちょっとしたおでかけ着)が公認?されたら便利だなーって思いますねまだやらないけど
とんぼさんの毎年おっしゃるのは、とりあえずベースを知ってほしい、その上で自分で考えて好きにやってみたらいいと思うよってことですよね
若い浴衣世代対象の、正しい知識を伝えるブログかなんかあればいいんですよねー。私つくろうかなとんぼさんの受け売りで(笑)
ちなみにポリで絽とか紗があったらいいのにって切実におもいます!同じぐらい涼しいなら。だって汗かくし汚れるんだもん。。。
長文になってしまいました。ごめんなさいっ
参戦?、ありがとうございます。あはは。
「ゆかたを着る場所や概念がかわった」
これについても過去に書いています。
本来素足でゲタってのは、昔は近所周りのことで、
つっかけサンダルと同じランクです。
でも、最近は近隣でお祭りがない…情報がいきわたって、
遠くの花火大会もわかる。
素足にゲタで電車もバスも、たまにや新幹線も、
乗るのはアリでしょう。
それにはこちらも合わせていかないと、
それこそただの石頭ですよね。
私もちょっと赤い帯なんか出してみています。
古い常識を越えて、私の年でもコレくらいかわいいの
いいじゃん、とそれが楽しいですよ。
比較するものがあるというのは、
見る範囲が広がるってことなんです。
あっポリの絽も紗もありますよ。
「ポリ絽」で検索すると出てきます。
私のは4年前くらいのかな、ナンタラいう繊維で
涼しいんですよーといわれて買いましたが
オナカ周りにあせもができました。
たんに年取って皮膚が弱いだけかも?
だけどやはり基礎を知らないで着物や浴衣を着るなと言うのは和装独特の正論ですよね。
前にも書きましたが私は洋服の企画をしています。ですが業界のどれだけの人が洋服の歴史とTPOを知っているかと言ったら私を含め殆どが無知の集団ですよ。
最近は結婚披露宴もレストランでとかが多いせいかデニムにジャケットで堂々と主席する人も珍しくありません。
ちょっとマナー違反かなとは思いますがデニムを履くなにはならない訳ですよ。
だって洋服は作り手も切る側も日々進化していますから。
あと情報が偏って捕らえているようのも感じます。
浴衣と遊衣についても書きましたがこんな事ちょっと調べれば分かるはずだしきもの情報誌にも沢山載ってます。
遊衣振袖や絵羽遊衣も浴衣じゃないんですよ。
きちんと区別されています。
浴衣→遊衣→単のよう図式なのでは?
それを一色単にして浴衣は浴衣はと主張されても堂々巡りですよね。
あとポリが涼しいとの知識は間違いです。
涼しいのはセオα素材でポリですが特殊繊維でスポーツ用品とかに使われているものだそうです。ネットで調べれば詳しく出ていますよ。
商品には必ず表示されているので信頼出来る店員さんでないなら買うときには確認された方がいいですよ。
私もセオαの夏着物が欲しくて買い求めにいきましたが絽も紗も品質的に難しいとの事でないそうです。空羽はあったような…
ポリエステルも絽も紗も洗えるだけで涼しくありません。むしろ暑いのはあたりまえかと。
いろいろと情報をありがとうこざいました。
洋服の企画をなさっておられるのですね。
そのような服飾のプロの方に、
いろいろと現場の情報をお聞かせいただけることは、
ありがたいことです。
狭い偏りは、一介の主婦ですので、
申し訳ありませんがなかなかひろげられなくて…。
なるほど…と勉強させていただきました。
せめてネットで少しでも世界を広げる努力を致します。
ひとつだけ、私は「基礎を知らずに着るな」という
紋切り型の思いではなく、知ってるほうがいいよ…
という程度です。
何によらず、ただの着物好きオバサンですから
ただ古いことをしっているだけが、
とりえみたいなもんですから。
よいお仕事をなさってください。
ありがとうございました。
ブログ拝読してますと、とんぼさんのお好みはおとなしすぎですよ(笑。赤い帯だって、趣味がよいものだったらお年を召したって大丈夫なはずですから
そのうちupしてくださいね。
あらら、そうですか。
この前の「カンレキ振袖」で、
ちっと目覚めたかも??
母は、私くらいの年でも、朱系の帯を
上手につかっていましたっけ。
まっまけないぞっ!
おそれいりますが、ここは私のブログですので
私の判断で、お二人のコメントは保留にさせていただきました。
確かにコメントは意見交換ではありますが、
やはり「文字」でしか表せない場では、
一つの表現が、
話すことで言えば「売り言葉に買い言葉」に
なりかねませんので。
ほかのお客様も賛否両論かと思いますが、
元記事の「ゆかた」のお話しは
私も考えを述べさせていただきましたし、
そのお返事も戴いておりますので、
これで一度終結とさせていただきます。
ご了承下さい。
人様のブログで大人げなく熱くなった事を反省しております。
この度はとんぼ様に不愉快に思いをさせた事をお詫びいたします。
わざわざありがとうございます。
ブログ管理ということで、
このようにさせていただきましたが、
いろんなご意見あってしかるべきと思っております。
着物でも洋服でも暮らしの中にあるべきもの、
お互い切磋琢磨したり、悩んだりして、
よいものを後世の人に残せていけたらいいですね。