またまた「お~~むかし」のワタチでちゅ!
まわりのようすから言って、引越し直後らしいので3歳半から4歳。
このころは、母のおこのみでよく着物を着せられてました。
この着物はおぼえています。白と赤の、ごくごく細かい「矢絣」です。
着物とはんてんのセットで、母が「羽織よりあたたかく」と
綿入れに作ってくれたもの、エプロンは父のワイシャツのリフォームのはず。
いっちょまえに「べっちんのタビ」ですわ。揚げをおろしたり、
縫込みをだしたりして、確か小学校上がる前くらいまで着てたと思います。
柄の細かさからいって、たぶん元は母の着物だったのではないでしょうか。
後ろに見えている「こわもてオバサン」がその母、やっと30ってとこですね。
母のこのころの着物はあまり記憶が無いのです。今度聞いてみよ。
当然ウールのはずです。ちなみに私の着物は、たぶん「交織」。
母の着物姿の記憶は、昔になるほど「割烹着」ですね。
だから着物の記憶があまりないのかもしれません。
このころは、商店街まで行かないと「アスファルト」の道路はありませんで、
自宅の周りは普通の「道」、この写真の時期だと毎朝「霜解け道」でした。
当時のチビな私では、ゲタがはまって歩けなくなるので、
外に遊びに行くときは、天気の日でも「長靴履かなアカンで!」でしたね。
小さいころの着物の記憶というのは、どんな柄だったとか、
動きづらかったとかより「着物を(普段着でも)着た」と言うこと自体、
それが嬉しかったとか楽しかったとかなんですね。
写真というものがありますから、あっそうそうこんな柄だった、とか
思い出すわけですが、それにつながってそのころのことが、
いろいろと思い出されます。お正月になると、晴れ着の長い袂振り回しながら、
近所の友達と、羽根つきならぬバトミントンやったとか、
この矢絣のころは、食事のたびにエプロンの上から更に手ぬぐいまかれて、
醤油がたれるの味噌汁がこぼれるのと、うるさく言われていた気がします。
そしてこちらが、母が「バサマ」になって息子に縫ってくれたもの。
柄はライオンさん、アップもいっしょに。
息子は歩けないかわりに寝転がったり、足を伸ばしてのおすわりはできましたが、
そういう動きには、長着はちょっと向きませんでした。
着物より「上下」の組合せの方が、小さい子にはいいかもしれません。
特に男の子には…。でも、小さい男の子が着物で裾をはだけて遊んでいると
ちっちゃい股引に、ちっちゃいタビなんか見えて、
それがまたかわいいんですけどね。
家の作りも暮らし方も変わってしまった今は、やっぱりムリなのかな。
さて、本日のおまけです。
暖冬とはいえ、朝晩は冷えるので、朝イチで表へでて日暮れまで
オシゴトしてくれる「こーた」に、息子のちいさいときのベストを着せました。
これも「バサマ作」、きれいな模様編みでしたが、
ウール100パーセントで長年使用のため「フェルト化」しとります。
着せられるかどうか心配でしたが、前足が少し前に出た形で作られていたので、
うまく袖を通すことができました。
実際に歩くことがあったら、ちょっと短足のこーたですから、
おなかズリズリでしょうね。
ボタンは当時流行り始めの「コルクボタン」です。
こーた、ヒトコトどーぞ。
「おかーさん、あったかいよ、ありがとね。
でもさ、夕方になったら玄関へ入れてくれるのはいいけど、
それじゃ番犬になんないんじゃないの?」
ようこそおいでくださいました。
光栄でございます。
そうなんです、私の記憶の中の50のオバチャンと
今の50のおばさまは、流れる時間の早さが
違うのかと思うくらい、まだまだきゅーと!
あたしだって! ピンク着るもん!
うすいの、おねがい…。
ネルのねまき、懐かしいです。
実はもう「ハガキ」くらいしかないんですが、
その「ネル」とってあるんですよ、
もうケバケバなんて全くなくなったまいけど。
Fujipi様
はい、この髪型、ずっとしてたというより
「しなさい」とさせられてました。
ちょっとカールしてるんです。
ちっとでもかわいく見せたい「親心」ですねぇ。
さくら様
はい、25年です。こんなときもありました。
その「松島トモコちゃん」ねらいの頭です。
毎晩母が「ピンカール」ってのをしてくれました。
父がアマチャアのカメラマンで、
押入れを暗室にして現像もしてたんです。
これは自分だけ大きくするのにトリミングしました。
スナップ写真もたくさんありますが、
「モデル」もやらされましたね。
おかげて写真はものすごい量、あるんです。
よく残してくれたとおもっています。
キャット様
どこもこんな板壁の家でしたね。
この竹垣、10年後にはピラカンサスだのヒバだので
すっかり隠れてしまいました。
私のたっているすぐ右側には、コンクリートの
「ゴミ箱」がありましたよ。
私の母親も、同じようでした、確かにこの時代皆似ていたような気がしますが・・・
とすると?今の熟年は確かに若い、昔より15位若いような気がします?
商い始めた頃、どうしても母親以上の年齢の女性に、地味なものを勧めてしまい、何度と無く頭どつかれた事を愉快な思い出として思い出します!!!
自分が年を取ったら40のピンクが赦せる?(30台の母がピンク着ていたら怒った私が)今では50台にまで平気でピンク売りますから・・・灰桜のピンクですが。
・・・ところで???とんぼさんは???
あはは~こういう髪型していました!私も。(笑)
昭和だな~と言う写真ですね、ここに居るのがとんぼさんで自分ではないのに、とてもとっても懐かしいです。
横板を貼ってあるお家、白い割烹着のお母様・・・懐かしくて鼻の奥がジーンとしてしまいました。
その又下の弟(昭和25年生まれ)が4歳ごろ、遊び着はきものだったことははっきり覚えています。
とんぼさんはその弟と同世代?
割烹着のおかあさんが何気にいらっしゃるのが面白くて、こういう何気ない写真を撮っとくもんですね。
とんぼさんの写真を撮っているときに、お母さんが顔を出したというところでしょうか? 構えたところのない日常が写っていていい光景ですね。
とんぼさんの髪型がabove the Mayugeで、ワカメちゃんカットなのがまた時代を反映している気がします。
私が子供の頃はもう着物は特別な日のものになってました・・・ 洋服と違って、何度も直して着れる着物は想い出が深くなっていいですね。
私は、姉のお下がりの着物をお正月だけ着せてもらった記憶があります。悲しいかな小さい時の記憶では
ネルの寝巻きを着て寝ていたことのほうが覚えています。