今日は時間なくて、写真が大ざっぱです。すみません。
からし系銘仙、色使いは少ないですが、大きな柄です。
なんか野球のダイヤモンド…真ん中ピッチャーマウンド…に見えなくもない?
アップしてみました。
銘仙の柄は「もどき」が多くて、たとえば「バラの花に見える」とか
「舟に見える」とか、けっこうそういうのがあります。
先日外出のおり、下りのエスカレーターで前に立った方の髪に、
銘仙の古布をはめこんだ「バレッタ」をとめているかたを見ました。
けっこう大きい楕円形で、いかにも銘仙、という感じの黒と赤の幾何柄。
樹脂コーティングなどしていないようすでしたので、お手製かもしれません。
なかなかポップでかわいかったです。それに触発されたわけではないのですが、
たまたま続けて「銘仙着物」を何枚か入手しました。
とんぼのところには「銘仙」はたくさんあるのですが、
実は「材料用」のものなので、シミがたくさんとか、穴やらヤケやらで、
部分取り用ばかり。着物として着られるのは、あまり無いのです。
もう一枚はこちら、ちょっと重さがあります。
これはけっこうはっきり具象柄ですね、牡丹の花と思います。
アップと一緒にどうぞ。
八掛は薄いサーモンピンクです。
銘仙の場合、八掛が木綿や化繊だったりするものもけっこうあります。
時代背景ですね。また、どうも今の感覚でいくと「なぜこの色?」と
首をかしげるような色の八掛がついていることが多いのですが、
これは時代と個人の好みかな?
さてそれでは「銘仙」について。
銘仙といえば「秩父地方」が一番有名でしょうか。
銘仙は江戸時代から織られた絹織物、というと、今「銘仙」といわれるものとは
イメージあいませんね。それもそのはず、元々銘仙と言うのは紬と同じで、
養蚕農家が、規格外の繭などからとった絹で作った「自家用の織物」のことで、
それが市にだされたりして人々に親しまれるようになりました。
あちこちの紬と違うのは、元々は素朴な縞や格子柄だったものが、
明治になってさまざまな染料や技術が入り、それをいち早く取り入れて
更に特徴的な織り方を編み出し、あの独特の色柄が考え出され
「銘仙」という、独特の色柄のひとつのジャンルを作り出したことです。
「一世を風靡」したものは五大産地と言われる「秩父・伊勢崎・桐生・八王子・
足利」で作られたものです。元々絹織物の盛んなところだったわけですが、
「銘仙」と呼ばれるようになったのは昭和にはいってからのことです。
銘仙は産地によってもそれぞれ特徴があったりしますが、
私はそこまで詳しくしらないのです。すみません。
とりあえずわかる範囲でお話致します。
まずは、銘仙と呼ばれてたいへんな人気を博したわけですが、
結局「戦争」によって、他の着物と同様「着物どころではない」状況、
さらにはハデさが時節にそぐわなかったわけで、衰退しました。
戦後復興の兆しもありましたが、銘仙に限らずの「着物離れ」と、
和装の中では「ウール」の台頭によって、いつしか表舞台からは去りました。
その後、産地によっては衰退したままのところもありますが、
別の形で残ったり、或いは最近の「アンティーク着物ブーム」で
「復活」したところもあります。
ただ、復刻版を見ますと、どうしても「現代テイスト」の味付けで、
かつての「どうするとこんな柄が」「こんなの着たのか?」というような
ビックリドッキリ銘仙は、ちょっと見られません。
大きな流れはそんなところなのですが、実は銘仙ほど短い期間に
ピンキリの変遷をしたものは、他にないのではないか、
というのが、私の個人的な思いです。
たとえば、糸も最初は普通の紬のように、真綿から手で糸を紡ぎだしたものを
使っていましたが、後年は質のよい糸を使うようになったり、
また絹紡糸(けんぼうし)なども使われるようになりました。
「絹紡糸」というのは、繭から生糸をとるときに、フィラメント、
つまり長繊維として一本、ずーっと引き出すわけですが、
これを「正緒」という…なんてぇお話をお蚕さんのところでしましたね。
この正緒を引き出すまでに、周りにくっついている繭のもやもやとした外側部分、
これだとか、傷繭、蚕が自分で出てしまった繭など、いわゆる「くず繭」
と呼ばれるものを集めたものから糸を作る、これが絹紡糸です。
つまりフィラメントに対して「ステープル状態」ですね。
以前のおさらいになりますが(なんのおさらいじゃ!)蚕から糸をつくるのに、
繭から直接引き出すのを「績(う)む」、真綿にしてから、手指で引いて
糸を作るのが「紡(つむ)ぐ」、両方で「紡績」ですね。
使われた糸が、この「紡」もありの「績」もありのになったわけです。
元々、生活着中心の織物でしたから、ちりめんなどの高級な絹織物より、
ランクが下だったわけですが、その中でも、技術の発達で
ランクが更に分かれたわけです。更に更に「戦争」のおかげで、
よい絹がはいらなくなり、もっと質の悪い絹を使わなければならなくなって、
「リーズナブル」であった銘仙は、たたんだところから切れる、などと
酷評される「粗悪品」の代名詞のように呼ばれるいう、
悲しい運命もたどりました。実際私の手持ちの銘仙でも、
紙のようにかさついて薄いものやら、手にもってクシャミしたら裂けた、
なんてぇマンガみたいな銘仙もあります。
しかし、銘仙の名誉のために申し上げますと、
「元々最高級の絹よりはリーズナブルではあったが、品質は決して悪くなく
昔の銘仙は丈夫で長持ちがウリであった」ということです。
独特の織りと染のために、裏表の別がなく、汚れたら裏返して仕立て直せる、
といわれたものなのです。
この独特の織りと染というのは「ほぐし捺染」と呼ばれるもので、
まず仮織りした経糸に、小紋のように型紙を置いて糸を染める、
次に仮織りの緯をほぐしながら無地の緯を織り込む、なんですが、
すみません、実際に織っているところをみたことがないので、
自分でもこうなってこうするんだな、と想像しているだけです。
りくつでいえば、緯の無地と元々の経糸の染め糸がクロスすることで、
あの独特のかすれ具合がでるのだなと…。
ともあれ、元々地元の織物から華やかな銘仙にと変身し、
日本中の女性の身を飾り、そして粗悪品と呼ばれ、ウールに押しのけられて
座布団のサイズに名前を残すだけになった…この間約100年足らず。
まさに流星のようだったわけですね。
今復刻したものは、おとなしいめの色柄が多いですが、それでも、
織りの着物のなかでは、手頃で華やかであることはかわっていません。
私も現代銘仙を一枚ほしいなぁと思っています。
おしまいに「手持ちの銘仙」、一番右なんか、これだけハデな上に片身代わり!
真ん中のなんて、夏のブラウスなんかによさそうですね。
70過ぎのお友達は娘時代や結婚してからも
銘仙は普段によく着ていたと聞いています。
20年も変わらないのに私の若い頃はウールが
普段着でしたものね。
今の若い人には銘仙の派手さが斬新な感じでまた
好まれるのかもしれませんね。
一番右の反物もう少し若ければ着てみたいと思います。
ほんとにびっくりするような色柄がありますね。
初めて銘仙の着物をいくつか見たときは、
こんなの本当に本当に、着て外を歩いたんだろうか
なんていうことを思ったんですが、
更にすごいのがどんどんでてきて、
あーこれで普通なんだわーと納得。
一番右の、一反はないんですが、
「もう少し若かったら」なんぞとおっしゃらず、
ブラウスかなんかでいかがですか?!
男物は黄八丈の綿入れ丹前、これはダン之助さまにおあげしました。
全部母が縫ったもの、意味もなく持ってます。銘仙の小さな柄の着物も持ってます。身幅窮屈なのですが、すごくすべりがよくって、お茶の稽古着としてたまにきます。ですので銘仙、まだそんなに昔のこととは思わないのです。
それから私のブログ、第二部としてはじめました。またお遊びにいらして下さい
http://shijimiko.cocolog-nifty.com/
うらやましいです。
お母さまの心のこもったお道具なんですね。
着倒して、もしご不要になられましたら、
お引取りさせてください。
ブログ、拝見いたしました。
また新たな旅立ちで、楽しみにしております。
またおじゃまさせていただきます。
銘仙について勉強することができました。
思えば母の3姉妹はいつも着物をきていました。それも
朝用、お昼間、父が帰ってくるころにはまた、着替えて
いる母の姿を思い出しました。私のころは普段着に
ウールを作ってもらい、今でもとってありますが、娘は
興味はないようです。 今は亡き主人も嫁いだときは
お勤めから帰ってくると着物に着替えていましたが、
子どもが生まれた頃からはお正月は家族で着物で過ごしましたが
それもいつのまにか...ですね。
銘仙は横にしか裂けませんので、織るときはところどころに
節のようなところがでるのですが、裂き織りの味はそんなところ
にもあるのかもしれません。
これからもいろいろな生地でチャレンジしてみたいと
思いますのでこれからも情報をお願いいたします。
銘仙も、初期のしっかりしたものはいいですね。
古いものはさけるというより解ける感じでぼろぼろ。
私くらいの年代まででしょうか、父親が
夕食のときは「どてら」だったのは。
母の割烹着姿や、お正月の枕元の晴れ着、
懐かしいですね。
私でお役に立てれば幸いです。
何かありましたら、いつでもメールください。