今年はまだ?喪中のハガキは届いていません。これから10日くらいの間にくるのでしょう。
質問サイトで「喪中」は何をしてはいけないか…というような質問がありました。
こりゃ難しいですよね。時代年代でかわっているし、地方地域でも違うし…。
新興住宅地では、いろんな地方のいろんな年代の人がいますから、
だんだんうるさいことを言わない…が増えてきて、とりあえずなんか昔から言われてること、だけ。
まず「喪」と「忌」の違いがわからない…。「喪」は神様仏様の区別はあまりなくて、
例えばヨーロッパなどでも、喪に服すということは行なわれます。
ちょっと古い外国小説など読むと、まだ若くて美人の未亡人が、夫のためにずっと黒以外のドレスを着ない…
などという場面があります。そうなると何十年も、喪に服すわけですが、
要するに「喪」というのは失うことですから、家族や親しい人がなくなり、
その喪失感を感じながら、その人の冥福を祈り、故人を偲んだり悼んだりすることです。
本来は、その人その人で、長さも深さも違うものであるわけですが、
便宜上期間を決めて、その間はみんなそうしようね…ということですね。
喪の期間、というと、今は一周忌までの一年…という仏教式が一般的でしょうか。
私などはこれでやっていますが…だから一周忌はまだ黒の衣装で…というのだと教わりました。
「忌」の方は、元を正せば神教からきたこと。
何度か書いていますが、神教と仏教では、元々が「人の死」「人の死後」についての考え方が違います。
日本は、元々神教の国でしたが、仏教伝来とともにそれも受け入れたわけです。
なにしろ長い年月をかけてきたことだし、そのつど時代も社会も違いますから、
神教と仏教が対立したり許容したり、しまいに融合したり…お寺の中に神社があったり、
神社のなかにお寺があったり…珍しくもなかったのです。
明治の廃仏毀釈、これで、仏教がずいぶん叩かれたんですね。
元々天皇家は「神教」ですが、それを言うなら仏教を迎え入れたのも、天皇の先祖だよ…なのですけれど。
とりあえず、神と仏が日本に同居するようになってから、忌はどうの、喪はどうのと、
いろいろかわったわけで、昔はお上が「服忌令」という形で、決めていました。
神教では、人の死は「穢れ」と考えられています。以前何かで読んだのですが、
「穢れ、けがれ」の語源は「気枯れ」、つまり人として生きる「気」というものが枯れるために、
体が枯れる…死を迎える、ということだそうです。気力の「気」ですね。
仏教では「亡くなった人のこと」を考えて、その霊を弔い…となりますが、
神教では、神様第一ですから、人が亡くなれば「神事は行なわぬ」になります。
神教では「忌」があけるのは「忌明け」で50日目。
人がこの世にとどまるのはなぜか神仏両方四十九日、なのですが、
神教では、この間は霊がまだまわりをさまようから、神事は行なわない、なので神棚にも半紙をさげますね。
本来は家人は精進ものだけを食し、外出も控える…そんなこと、今はやっていられませんね。
お通夜の「通夜ぶるまい」に刺身もえび天も出ますしねぇ。
仏教では、四十九日かけてこの世への未練を断ち切り、あの世へ行く準備をする…とされます。
穢れという考え方ではないので、生きているものは比較的自由です。
どちらも死者に対しては、失って悲しいわけですから、喪に服す心は変わらないというわけです。
神教でこまかいことを言うならば、穢れの出た家、つまり葬儀の出た家は、家中ケガレだらけ。
そこに列席した親戚も、お悔やみにいったご近所の人も、みんな穢れるわけです。
その人が家に戻れば、ケガレをつれてかえるわけで…。
そんなこといってたら、それこそインフルエンザのように、あちこち伝染してしまうわけです。
穢れという言い方はなんか汚らしい感じですが、要するに病気などに対して、
どうにも手のうちようがなかった昔は、例えば病気がうつったりする…と、そういうイミもあったと思います。
時代がどんどん変わりましたから、意味が薄れたり、逆に強く残ったり…そういうことがあるわけで、
例えば「喪中」と言っても、故人との親等がどうのこうので、喪中にしなくてもいい場合もあるわけです。
今、日本人は、けっこうな確率で「仏式」の葬儀だと思います。
そうすると、やはり仏式のきまりごと…が、多く使われるわけで、みんなの知識もそれに偏ります。
なので、喪に服するのは1年、喪中ならばその年の年賀状はご辞退する…。
それだけでいいはずですが、やはり家に神棚があれば半紙を提げるし、初詣や神参りは控えます。
だったらお寺に初詣にいく…ならいいわけですよね。
我が家にも神棚、仏壇、両方あります。母の葬儀のときは、自宅の葬儀ではありませんでしたが
やはり親のことでしたから、我が家の神棚も半紙を提げて、とじました。
年賀状は、私のお付き合い上…ということを目安に、いつもよりは少なかったですが出しました。
お参り系は元々初詣にいかれない状況ですから行きませんでしたが、実家にいたころから、
初詣は墓参り…でした。そのあと、近くの神社に行ったり…。いいかげんなもんです。
結婚式にはでていいのか、お歳暮はおくっていいのか…。
私も全部知っているわけではありませんので、本当は…というところは知りませんが、
母は、お歳暮はめでたいめでたくないのはなしではなく、お世話になったお礼だから送ってよし。
結婚式は、あんまり日付が近かったら、相手に聞いてから…と言いました。
結局日本人は、自分たちでややこしいことにしてしまっているわけですね。
ちなみに「清め塩」は、本来は神教の方のしきたり。
つまり「穢れ」ととらえるから、清める…で、家の中に穢れを持ち込まないように、
家に入る前にまいて、その上を踏んで家に入ります。
仏教は、故人は今度は極楽浄土に生まれ変わる…いわば「お祝い」の意味合いがつよいわけで、
元々穢れたり忌み嫌ったりするものではないので、清め塩はいらないのです。
でも葬儀に参列すると、お茶やお酒、ハンカチなどと一緒に会葬御礼のカードがあり、
その中に必ず入ってますよね。一説には葬儀屋さんの「陰謀」なんて話もありますが、
人によっては神教のお宅もあったり、我が家のように神棚も仏壇もあります…の場合は、
神様の手前、やっぱりやろう…があるからでしょうね。
かつては、お寺と檀家のつながりは、今よりずっと深かったですから、その宗派によっての、
それぞれの細かいしきたりの違いなど、それはそれで親から子へと伝わったわけですが、
時代が変わり、いまや自宅の仏壇が何宗の仏壇かも知らない人もいるくらい…。
更には、自宅での葬儀が、都会ではほとんどありません。
結局は葬儀屋さんの教えてくれることや、ベルトコンベアー式の「こうして、こうして、こう」で、
一律みんな同じようにまねっこ、になってしまっていますよね。
我が家も、実父のころは父の考えで「何妙法蓮華経」の方だったのですが、母の実家は浄土宗、
実父のお骨は自分の先祖の墓にはいりましたので、そちらは確か先祖代々真宗。
そして、母は自分はイナカの墓にも、前夫の墓にも入れないから…と、
買ったお墓が「曹洞宗」のお寺の墓地。葬儀も曹洞宗でお願いしました。
我が家の仏壇のご本尊をどうしたらいいかと、ご住職さんにお尋ねして、
穏便に「お取替え」…いまやお釈迦様の軸が下がっています…が、もともとの仏壇になれた父は、
たまに「なんみょーほうれん…あ、ちがった、なんまんだぶつ…」…お釈迦様は心が広いと聞きます。
どうか仏罰はかんべんしてやってくださいまし。
なんにしても、一番大事なのは、故人への思い。
私は今日も母の写真にむかって「このごろ地震おおいよね、いざってときは守ってよ」…オイオイ。
主人の兄が亡くなったときは、半年後に一人息子の披露宴しましたよ。決まってたしね。なんか気持ちは複雑でした。
寒くなりました今朝方具合悪くダウン。
ととさんもお体お気をつけてください
亡くなられて学会のお葬式をされました。
ご近所みんな何をお手伝いしたらいいのか
さっぱり分からずでした。
1ヶ月後、今度はお父さんが亡くなられて・・・
その時は一般的なお葬式でした。
同じお家でそんな事も有りなんだと当時は
驚きでした。
神仏どちらもこの世にとどまるのは49日
なんですね。
神棚に半紙はしますね。
若い頃は祖父母、その後父母になり、
そして、友人本人・・・
だんだんショックの度合いが上がります。
年末ぎりぎりに亡くなった場合は
仕方ありませんが
年前半に亡くなったのに
欠礼のハガキの到着がとても遅いと
すでに年賀状を書いていることもあり、
自分にふりかかったときは
早めにしようと思ったりしますが
思っただけにならないようにしないと・・・
という事は もう少し早く書いて出す という事
これから1週間ほど 旦那様に付き合って出掛ける私は
喪中葉書が出せない
無宗教 で 家族葬 を望んだ母
葬儀が終わったら 誰それへ知らせる事。
あとは 年賀状の欠礼葉書で知らせれば良い と
言っていたので 喪中葉書は出すけれど・・・
11月中に届けば良いかな とのんびり構えていたけれど
出先でアドレスのチェックだけでもしておかないと。
ほんとに急に冷えを感じるようになりましたね。
お互いきをつけましょうね。
郵便受けに喪中ハガキを見つけると、手が止まります。
年末に、改めてその人のいないことを感じますから。
身内でなくとも、友人のお母様だったりすると、
元気なころをふと思い出したりします。
寂しいものですね。
義母のとき、行ったら突然葬儀屋さんがきて
「喪主(義父)様が、突然宗旨を変更なさったので、
お寺さんは断わりましたので」と、
憮然としていったのです。
聞けばいつのまにか学会葬になっていて…。
なんだか落ち着かない葬儀になりました。
昔ながら…といってもお手伝いもなくなりましたから、
なんだかサッパリしたもんですね。
少し若いころは叔父伯母、友人の親…だったものが、
友人本人になっていく…これはこたえますね。
母がそうでした。
特に親しくしていた幼馴染が、70そこそこで逝ったときには
もう里へ戻っても楽しみがない…と。
順送りのことではありますが、今の時期、
郵便受けに喪中ハガキをみつけると、
ちょと気が重くなります。
いまや10月に「年賀状の予約」にきますからねぇ。
早くから書く人もいますから、早いめがいいかなと。
私は図柄と賀詞、自分の住所氏名などだけは
先に刷りますが、宛名と文面はあとから入れるので、
結局出すのが遅くなる…ですが。