写真がないので、いっぱい開いた「啓翁桜」を…。かわいいですねぇ。まだ満開手前です。
元々連休も何も関係なく、あれこれやっておりましたところ、休み明けに父から「指令」が…。
いえいえ、別にコキ使われているわけではないのですが、仏事がまだ終わっていませんから、
その流れで「次の段階」…ですね。四十九日は月末なのですが、
その前には「分骨」したほうの、母のふるさとのほうの納骨もあります。
直後にこちらの納骨で、お互いあっちに行ったりこっちに来たり。
今は、雪で新幹線が止まるとか、そういうことのないようにと祈るばかりです。
今年は寒いですからねぇ。
そんなわけで、お返しモノなどの「担当」をしておりますので、毎日カタログと電卓と仲良くしています。
それにしても「ひとさまにモノを差し上げる」「お礼の気持ちをモノに託す」というのは、難しいものですね。
我が家などは、小さな葬儀でしたから、それほど数も多いわけではありませんが、
もっと多人数だったら「もういいやこれで」なんてことになってしまうのではないかと思いました。
また、しきたり、というのも違いまして、母の田舎では、なにしろこまごまとこまかいものが届きます。
いまやこちらでは初七日のお経も、告別式のときに一緒にやってしまうし、
三十五日、つまり五七日もほとんどしないようですが、母の田舎では、まだまだ「お逮夜(たいや)」をします。
(お逮夜というのは、日が落ちてからする七日ごとの法要、といいますか近所の人が集まって…なのですが)
そして、四十九日のときは、どうやら近い親族がみんなで「お礼」を持ち寄り、
それをまとめてわけて、例えば私のように参列できなかったものや、遠くから来てくれたものに対して、
お礼として届くわけです。「持ち寄り」であることと、これは決まりごとというより「そういうものがいいだろう」という
暗黙の了解と言いますか、今の暮らしにあわせたのだと思いますが、ほとんどが「日曜雑貨」や「調味料」のたぐい。
だから「粗供養」という、こちらで言うと「志」にあたる表書きですね、それを取ってあけると、
ラップが2本、アルミホイルが3本、てんぷら油、ダシの素…と、ばらばら出てくるわけです。
実はこういう方が使いやすいですよね。
そうはいいましても、こちらはこちら…で、カタログと格闘しているわけです。
だいたい結婚式の引き出物、とか法事のお返しとか、悩みのもとですよね。
いただいたもので気に入って使っているというものは、実をいうとそんなにはありません。
趣味的なものはよけいですねぇ。器とか…。
以前、船橋でバスに乗ろうとしたら、留袖のおばさまが、ものすごい大きな引き出物の袋を
二つぶら下げて乗ってきました。座っても膝の上にも置けず、私が座っていた一番後ろまできましたので、
手伝って座席の後ろのわずかなスペースに乗せてあげました。
「大荷物ですね」と言うと「なんたってあーた、甥っ子(どうやら甥ごさんの結婚式だったらしいです)の親も
お嫁さんの親もみえっぱりで、何もこんなところではりあわなくたっていいものを、
引き出物が『土鍋セット』と『すき焼きナベセット』」のふたつだったのよ」…。そりゃ重いわ。
「どうせ使やしないわよ、ウチにだってあるもの」…どうやら式場からの大荷物に腹を立ててたらしく、
お聞きしたわけじゃないのに、そのくせ料理はたいしたことなかったとか、あれこれ聞かせてくれました。
私より少し手前で「ありがとございました」と言って、ナベの箱をあちこちガンガンぶつけながら降りていきました。
土鍋、割れてなきゃいいがと…。
タオルなどは、自分でも使いますが、ヒトサマにも上げられるという点でいいかと…。
小さい子がいる家庭では「バザー用にありがたいの」と言われました。
何かだすといっても、最近はお店でタオルや石鹸をくれるということがありませんから、
息子の学校では、バザーの献品で出すものがないので買ってくる…という人もいましたねぇ。
大切な友人などのクリスマスや誕生日のプレゼントとなると、何日もかかって考えるのが楽しみでもありますが、
こういう場合のお返しと言うのは、あまり懲りすぎても数が多いのでややこしくなるし、
母のことですから、私の感覚よりも「両親からのお礼」と言うことになりますし…。
結局は使っていただくことも、別のことに使いまわしもしていただけるもの…という無難路線におさまりました。
母のことも、もう1ヶ月過ぎたわけですが、今までに二度、夢に出てきました。
ここで「私を見ながら、元気でがんばるんだよ、と言ってくれた…」なんてことなら、
ほろりと「えぇ話しやぁ」になるのですが、そーんなことになるわけがない。
夢の中で私は、だれのものはわからないのですが、着物を引っ張り出して整理しておりまして、
これいいなぁなんてやってたら母が「似合わへんで…それ」…。
どこまでもマンガなとんぼんちです。
この辺でも最近はカタログで選ぶお返しが
多くなってきました。その中から選ぶのも
結構悩む訳でして・・・
逮夜参りはこういう字だったんですか。
こちらでは逮夜参りも濃い親戚以外は
初七日と中逮夜、四十九日にお供えを持って
お参りします。
町内と親戚にお下がりと言って、ジュースに
果物、お菓子、乾物ものなど分けるだけでも大変です。
こればっかりは地域によって色々ですね。
「経費」と「親戚づきあいが薄い家」だったせいもあるでしょうが、珍しくもないようです。
しきたりは面倒でもありますけど、故人を偲ぶ機会になったりするので、もう生きてる人の都合と世間体だけしかないような現実が見えると、すごい淋しい気分になりますね。。。
お世話になった葬祭センターで、ということで
ますますカタログが限られまして…。
どうしても似たり寄ったりのものになりますよね。
関東でも自宅で葬儀をしていたころは、
なんかもっと細かくいろいろでしたが、
今はなんとなく体裁ばかりのような…。
加減って難しいですね。
核家族化して、祖父母とか親戚とか、
何かないと会わない…で、なんか薄いですね。
簡素でもいいから、思いのあることをしたい、
そう思ってもウチの法事なのに
「だれそれはこない」とか身内同士で文句言ってたり、
やたらお金のことで口出してきたり…。
わずらわしいこともいろいろです。
さみしいですね、そういうのって。