今年は暖冬だそうで、流氷が遅かったとか、雪がつもらないとか…。
う~~横浜三月のドカ雪の可能性濃厚になってきましたなぁ。
写真は「紅梅」、例のゴミ置き場のすぐ隣、ここは何本か並んで立っていまして、
今順番に満開を迎えています。ちょっと浮世絵風の構図で??
もう少し経つと、足元がちり積もる花びらでピンクになってゆきます。
先日の「デカタビ」記事の、まぁ続きといいますか、
「わき道」路線のお話しなんですが…。
あの記事にコメントをいただいた紘音様の、着付けの恩師が、
あの記事の「成人式・お直し隊」のメンバーであられたそうです。
オバサマなんて書いてしまって失礼な表現でしたが、
映像を思い出してみても、ご自分たちは動きやすいようにパンツルックで、
かの「デカタビ娘さん」にみんなで額つき合わせて「ああしたらこうしたら」と
やっておられました。なにしろ着物着たままでしたから、
着物の裾を押さえたり、縫うときも床に足つけたままですから、
かがみこむようにして一針一針…タイヘンだったと思います。
でもねぇ、実はあの日は書かなかったんですが…私はタビのこともでしたが
それより強く印象に残ったシーンがあったのです。
全部終って、女性はめでたく会場に向かうことになったわけですが、
何か入っていた荷物を「お直し隊」のお一人が笑顔で「両手で持って」差し出すと
かの「デカタビ」サンは、それをひょいと「片手で」受け取りました。
まるでコンビニのレジで缶コーヒーの入ったレジ袋でも受け取るような感じ。
彼女とっては「自分はお客様なのだ」という感覚だったのかもしれません。
テレビのリポートですから、一部しか写っていないのだし、
もしかしたらその前にきちんとお礼をしていたかもしれません。
それならそれで、そこを放送してほしかったです。
あれだけ見て勝手に決め付けるのは一方的かと思いますが、
それでもそのわずかな場面の中には「感謝」、という感じが
あまり見受けられませんでした。
ひょこっとアタマをさげて横を向いたまま言った
「ありがとうございました」という語尾がふにゃふにゃの言葉も、
これまたコンビニの店員さんが、マニュアルで言っているような…。
お直し隊のみなさんはボランティアできてくださっているのだし、
何より自分がたいへん困ったところを助けていただいたのですから、
きちんと相手の方を向いて、お辞儀をして御礼をいってほしかったし、
袋も「両手」で受け取ってほしかったと思ったのです。
美しい着物を着たマネキンさんみたいに見えちゃいました。
着物を着ているのだからというだけでなく、人として、女性として、
ステキでありたいと思ってほしいものです。
ステキということは、美しいものを身に着けているだけではかなわないことです。
ちょっとしたしぐさも、発する言葉も、全ての合計で、
着物姿がまた引き立とうというもの。
若いころは、母の言うことも年寄りの言うことも、近所のオバサンの言うことも
先生の言うことも、うっさいなー、古いのよ~と思っていました。
こういうことは順送りなのだとは思います。
でも、少なくとも私たちの年代は「基本」は叩き込まれた、気がします。
(今もきちんとした若いかたもたくさんいますけれど…)
その時は反発しても、従わなくても、きちんと親が叩き込んでくれたことは、
それが必要になったときに、ちゃんと出てきます。
今、スーパーの入り口で、しまりそうになるドアをあけて、
こちらがゆずったとき「あっすみません」とか「ありがとございます」
と言ってくれるヒトが減ってきました。
そして車を運転していて、とみに感じるのは道をゆずったとき、
ちょっとした挨拶をするヒトが、極端に減ったということです。
私の住んでいる地域は昔ながらの住宅地なので、
元々道が細い上、更に突然細くなったり、曲がり角や合流が多かったり、
一度外出すると、必ず二度や三度は譲ったり譲られたりするのです。
私は譲られたら必ず見えるように手を挙げます。
「どういたしまして」とまた手を挙げ返してくれるヒトもいます。
ここへきたころは、結構それがあったのに、
たった10年で、このごろ譲っても挨拶ナシがほとんどです。
ちゃんとしてくれるのは「宅配のおにーちゃん」か「近所の酒屋さん」。
待ってやったのに、とはおもわないのですが、
顔も見ないで通り過ぎられると「アナタは今、ヒトに『待ってもらった』と
意識しなかったのかい?」と思うのです。
お礼をいわれたくてするのではありません。お互い様、と思うからです。
そんなときに「ありがとね」というキモチをあらわすことは、
次につながる、と思うのです。そのつながる、ということが大切だと思うのです。
足が泳ぐほどのタビを直してもらったあの娘さんは、
そのことをどう記憶するのでしょうか。
「あたしの成人式のときはさー、なんかタビでかくてさー、
なんかおばさんがいてさー縫ってもらったのよー、
もぉやんなっちゃった、歩きにくくてさー、マジうざってかんじー?」
「あの時はねぇ、タビが大きくて歩けなくて、でもお直し隊のひとが、
たたみに這いつくばって縫ってくれたの、おかげでなんとか式にもでられてね」
見た目で決めてはいけません。
あの女性も、普段は優しいお嬢さんなのかもしれません。
でも、あの片手でひょいというしぐさと、気のないお礼で、
彼女の振袖姿の価値は、私の中ではどーんと下がりました。
知っていれば、おそわっていれば、たった数秒の映像の中でも、
とてもステキな女性になれるはずなのです。もったいない。
う~~横浜三月のドカ雪の可能性濃厚になってきましたなぁ。
写真は「紅梅」、例のゴミ置き場のすぐ隣、ここは何本か並んで立っていまして、
今順番に満開を迎えています。ちょっと浮世絵風の構図で??
もう少し経つと、足元がちり積もる花びらでピンクになってゆきます。
先日の「デカタビ」記事の、まぁ続きといいますか、
「わき道」路線のお話しなんですが…。
あの記事にコメントをいただいた紘音様の、着付けの恩師が、
あの記事の「成人式・お直し隊」のメンバーであられたそうです。
オバサマなんて書いてしまって失礼な表現でしたが、
映像を思い出してみても、ご自分たちは動きやすいようにパンツルックで、
かの「デカタビ娘さん」にみんなで額つき合わせて「ああしたらこうしたら」と
やっておられました。なにしろ着物着たままでしたから、
着物の裾を押さえたり、縫うときも床に足つけたままですから、
かがみこむようにして一針一針…タイヘンだったと思います。
でもねぇ、実はあの日は書かなかったんですが…私はタビのこともでしたが
それより強く印象に残ったシーンがあったのです。
全部終って、女性はめでたく会場に向かうことになったわけですが、
何か入っていた荷物を「お直し隊」のお一人が笑顔で「両手で持って」差し出すと
かの「デカタビ」サンは、それをひょいと「片手で」受け取りました。
まるでコンビニのレジで缶コーヒーの入ったレジ袋でも受け取るような感じ。
彼女とっては「自分はお客様なのだ」という感覚だったのかもしれません。
テレビのリポートですから、一部しか写っていないのだし、
もしかしたらその前にきちんとお礼をしていたかもしれません。
それならそれで、そこを放送してほしかったです。
あれだけ見て勝手に決め付けるのは一方的かと思いますが、
それでもそのわずかな場面の中には「感謝」、という感じが
あまり見受けられませんでした。
ひょこっとアタマをさげて横を向いたまま言った
「ありがとうございました」という語尾がふにゃふにゃの言葉も、
これまたコンビニの店員さんが、マニュアルで言っているような…。
お直し隊のみなさんはボランティアできてくださっているのだし、
何より自分がたいへん困ったところを助けていただいたのですから、
きちんと相手の方を向いて、お辞儀をして御礼をいってほしかったし、
袋も「両手」で受け取ってほしかったと思ったのです。
美しい着物を着たマネキンさんみたいに見えちゃいました。
着物を着ているのだからというだけでなく、人として、女性として、
ステキでありたいと思ってほしいものです。
ステキということは、美しいものを身に着けているだけではかなわないことです。
ちょっとしたしぐさも、発する言葉も、全ての合計で、
着物姿がまた引き立とうというもの。
若いころは、母の言うことも年寄りの言うことも、近所のオバサンの言うことも
先生の言うことも、うっさいなー、古いのよ~と思っていました。
こういうことは順送りなのだとは思います。
でも、少なくとも私たちの年代は「基本」は叩き込まれた、気がします。
(今もきちんとした若いかたもたくさんいますけれど…)
その時は反発しても、従わなくても、きちんと親が叩き込んでくれたことは、
それが必要になったときに、ちゃんと出てきます。
今、スーパーの入り口で、しまりそうになるドアをあけて、
こちらがゆずったとき「あっすみません」とか「ありがとございます」
と言ってくれるヒトが減ってきました。
そして車を運転していて、とみに感じるのは道をゆずったとき、
ちょっとした挨拶をするヒトが、極端に減ったということです。
私の住んでいる地域は昔ながらの住宅地なので、
元々道が細い上、更に突然細くなったり、曲がり角や合流が多かったり、
一度外出すると、必ず二度や三度は譲ったり譲られたりするのです。
私は譲られたら必ず見えるように手を挙げます。
「どういたしまして」とまた手を挙げ返してくれるヒトもいます。
ここへきたころは、結構それがあったのに、
たった10年で、このごろ譲っても挨拶ナシがほとんどです。
ちゃんとしてくれるのは「宅配のおにーちゃん」か「近所の酒屋さん」。
待ってやったのに、とはおもわないのですが、
顔も見ないで通り過ぎられると「アナタは今、ヒトに『待ってもらった』と
意識しなかったのかい?」と思うのです。
お礼をいわれたくてするのではありません。お互い様、と思うからです。
そんなときに「ありがとね」というキモチをあらわすことは、
次につながる、と思うのです。そのつながる、ということが大切だと思うのです。
足が泳ぐほどのタビを直してもらったあの娘さんは、
そのことをどう記憶するのでしょうか。
「あたしの成人式のときはさー、なんかタビでかくてさー、
なんかおばさんがいてさー縫ってもらったのよー、
もぉやんなっちゃった、歩きにくくてさー、マジうざってかんじー?」
「あの時はねぇ、タビが大きくて歩けなくて、でもお直し隊のひとが、
たたみに這いつくばって縫ってくれたの、おかげでなんとか式にもでられてね」
見た目で決めてはいけません。
あの女性も、普段は優しいお嬢さんなのかもしれません。
でも、あの片手でひょいというしぐさと、気のないお礼で、
彼女の振袖姿の価値は、私の中ではどーんと下がりました。
知っていれば、おそわっていれば、たった数秒の映像の中でも、
とてもステキな女性になれるはずなのです。もったいない。
するのではなく、感謝の気持ちがあれば自然に
できるものだと思うんですけどね~
家族にだって他人様にだって同じ事、今は
過保護に育って、してもらうのが当たり前と
思っているのでしょうか。
私たちの年代は道徳教育があって、目上の人には敬語を使うとか、きちんとしなければ親が
笑われると言って育ちましたけどね~
そうそうそうなんです。
なにかあると「親の顔が見たい」とか
「子供をみれば親がわかる」なんて、
いわれたものです。
当たり前の基準なんて、そうそう
変わるもんじゃないと思うのですが、
知らん顔とか無視とか、他人なんだから
当たり前でしょ、見たいな感じで、
さみしいですね。
幕が降りて(閉まって、かな?)、会場が明るくなるとみんな拍手をして、それから席を立つ、って感じでしたね。
関係ないかも知れませんが、ふと思い出してしまいました。
面と向かって、はっきり自分に言われている挨拶なんですよねぇ。
マニュアル言葉にしても。
それに無言で対応できるって・・・なんだか怖い感じすらします。
こちらでは逆にほとんどのお客は笑顔で答えてます。
こちらが良いということでは無いのですが、面と向かって挨拶されて知らん顔よりよほど自然な反応なんじゃないでしょうか?
そういう大人を子供たちは見て育ってきているんですよねぇ。
知り合いじゃない人はどうでも良い、ってのは、それこそダサい価値観だと思うんですけど・・・・
仕事をしていた経験から思うのは…
「教える大人がいなかった」これにつきますね。
決して心がないばかりではないと、思います。
そして、それがないばかりに
「教わるこころがまえのない人間ばっかりになった」と
痛感しています。
行儀、しぐさはマニュアル(真似)から入って、だんだん
「伝える」ことを体感してゆくものなので
身につきやすい若いうちに…とおもうことしきりです。
とんぼさんのおっしゃる通り、礼を受けるアンテナがないので
返す事自体が抜け落ちているのだと思いますね。大人になった側として
はずかしいかぎりです。
張り木を扱っているお店ですが、一般の方が利用されているお店で(田中直)で検索されますと出ると思いますよ。
2009年版のカタログが2月に出るそうですから 取り寄せられてはいかがですか・・
又、お邪魔させていただきます。
昔はなんでも「それを作った人」とか
「それを売ってる人」に感謝するように、
日常の中で教えられました。
よく言われたでしょ「ご飯は残しちゃ
いけません、お百姓さんが汗水たらして
作ってくれたんだから」とか…。
あれってつまり全てのことはつながっていて、
お互い様なんだよ、ということなんですよね。
映画も「楽しませていただきました、
ありがとう」って、
そういう気持ちだったんですよね。
私は、スーパーのレジでは必ず返事をするし
会計終ると「ありがと」と言います。
中には挨拶やお礼を言うと、
逆にびっくりしたような顔でこっちを見る
若い人もいますね。楽しい?です。
毎日家の前を通っていくとか、同じ建物の中で
仕事してるとか、それだったら会釈ぐらい
してもおかしくないと思うんです。
それが、そうするとおどろかれる…、
それだけ他人とは関わらない、というキモチが
つよいんですかねぇ…。
まずは家庭から、と思うのですよね。
たとえば悪さをする小学生に注意したら、
「くそばばぁ」といわれたり、
あやまろうともせずにふてくされたり。
私はもう子供を叱ることもないので、
せめて近所のうるさいオバサンでいたいと
そうは思うのですが、中学生にすごまれたら
正直こわいですもん。
悲しいですねぇ。
ありがとうございました。
染屋さんからたどればよかったのですね。
おかげさまで、新品が手に入りそうです。
私は和裁もロクにできない、
ただの着物好きでして、思いつくままに
書いております。何かおきづきのことが
ありましたら、またご教授下さい。