写真は、先日父がくれた「アルストロメリア」、
花をもらうのはうれしいもので「きれいだねぇ、なんかあったの」と聞いたら、
ジサマシレッと「花やのバーゲンだったから」…あっそぉ…ありがとね。
今日は実家の母のところへ行って、時間使いまして…。
すみませんが、母の話題です。
なかなかゆっくりはできないのですが、やはり気になります。
幸い落ち着いていますが、「波」があるのがわかります。
とてもサエていたかと思うと、急に頼りなくなる…。
この前は、午前中に姪から電話があった、といったので、
「そぅ、そんでなんだって?」と聞いたら「…わからへん」…と。
つい2時間くらい前の電話なのですがねぇ。
そうかと思うと、「この前お前が来たときに…」なんて。
覚えていること、覚えていられる時間、覚えられる能力、
そういうものに波があるんですね。話しをするときも注意しないと、
「この前のあれやけど…」といって不機嫌な顔をされる。
あっ覚えてないんだ、と思い「ほら、なんやったっけ」と、
自分も忘れたふりをして「言ってへんかったなぁ、あのさ」と、
さりげなく説明するとか、気を使います。
今日はサエてました。聞くのは息子の状態ばかり。
「元気で行ってるよ」というと、「そりゃええ、アノ子さえ元気やったら、
おまえはどーでもええねん」(おっ出た出た皮肉、今日は絶好調やぁ)。
玄米茶をいれてもらって、なくなったおじいさんのたびもパッチも縫った話し、
初めての銘仙がうれしかった話、箸置のコレクションの話、
いろいろ話題も飛びましたが、母は楽しそうでした。
薄塩のたらこを持っていったので、今夜はおかずにしたでしょう。
そうそう「たけのこ」の話しも出ました。母は京都の片田舎育ちで、
幼馴染は「たけのこやの建ちゃん」ですから、
いっつもおいしいたけのこしか食べてません。
「関東のたけのこはかとうて食べられへん」と、いいます。
来月またおくられてくることでしょう。
普段は「建ちゃんとこの缶詰たけのこ」常用です。
やっこいんですよね、ほんとに。たらこと一緒に「えんど」も持参したので、
今夜は「建ちゃん缶詰たけのことえんど」の味噌汁でしょうかねぇ。
母の老いは悲しいです。最近はいついっても不安そうな顔をしています。
すぐに表情は変わりますが、耳が遠くなって、私がはいっていっても
「ちわつ」というまで気がつきません。
そのときの母の顔が不安そうなのです。まだまだ「わかる」母は、
自分の病気もわかっているようで、不安なのだと思います。
少しでも穏やかな気持ちで日がすぎていきますようにと、それを願うだけです。
皮肉やいやみがバンバン出る日が、一日でも長く続きますように。
花をもらうのはうれしいもので「きれいだねぇ、なんかあったの」と聞いたら、
ジサマシレッと「花やのバーゲンだったから」…あっそぉ…ありがとね。
今日は実家の母のところへ行って、時間使いまして…。
すみませんが、母の話題です。
なかなかゆっくりはできないのですが、やはり気になります。
幸い落ち着いていますが、「波」があるのがわかります。
とてもサエていたかと思うと、急に頼りなくなる…。
この前は、午前中に姪から電話があった、といったので、
「そぅ、そんでなんだって?」と聞いたら「…わからへん」…と。
つい2時間くらい前の電話なのですがねぇ。
そうかと思うと、「この前お前が来たときに…」なんて。
覚えていること、覚えていられる時間、覚えられる能力、
そういうものに波があるんですね。話しをするときも注意しないと、
「この前のあれやけど…」といって不機嫌な顔をされる。
あっ覚えてないんだ、と思い「ほら、なんやったっけ」と、
自分も忘れたふりをして「言ってへんかったなぁ、あのさ」と、
さりげなく説明するとか、気を使います。
今日はサエてました。聞くのは息子の状態ばかり。
「元気で行ってるよ」というと、「そりゃええ、アノ子さえ元気やったら、
おまえはどーでもええねん」(おっ出た出た皮肉、今日は絶好調やぁ)。
玄米茶をいれてもらって、なくなったおじいさんのたびもパッチも縫った話し、
初めての銘仙がうれしかった話、箸置のコレクションの話、
いろいろ話題も飛びましたが、母は楽しそうでした。
薄塩のたらこを持っていったので、今夜はおかずにしたでしょう。
そうそう「たけのこ」の話しも出ました。母は京都の片田舎育ちで、
幼馴染は「たけのこやの建ちゃん」ですから、
いっつもおいしいたけのこしか食べてません。
「関東のたけのこはかとうて食べられへん」と、いいます。
来月またおくられてくることでしょう。
普段は「建ちゃんとこの缶詰たけのこ」常用です。
やっこいんですよね、ほんとに。たらこと一緒に「えんど」も持参したので、
今夜は「建ちゃん缶詰たけのことえんど」の味噌汁でしょうかねぇ。
母の老いは悲しいです。最近はいついっても不安そうな顔をしています。
すぐに表情は変わりますが、耳が遠くなって、私がはいっていっても
「ちわつ」というまで気がつきません。
そのときの母の顔が不安そうなのです。まだまだ「わかる」母は、
自分の病気もわかっているようで、不安なのだと思います。
少しでも穏やかな気持ちで日がすぎていきますようにと、それを願うだけです。
皮肉やいやみがバンバン出る日が、一日でも長く続きますように。
日によってもひと月単位でも、
波があるということがわかってきました。
よくなることはないのだとおもうとつらいですが、
少しでも穏やかにすごしてくれたら
いいと思っています。
皮肉はきついですけど、父と「おっ出た出た」と
わらっています。
心細そうな顔をして、トンチンカンな事を言っていた
のを思い出すたび今でも辛い気持ちになります。
自分の親がそんな風になるなんて想像も出来ませんでしたから・・・
皮肉でも返してくれると嬉しいものですよね。
「眼のちから」、ほんとに、かわっていきますね。
母は白内障の手術をして視力はよくなったのに、
もう、疲れる、とか面倒、とか…
テレビはつけてるだけ、みたいなところがあります。
それでも本は読んでいるようなので一安心ですが、
いろいろなことを吸収しようという気力も
なえていくのでしょうね。
お父様もお大事に。
言葉が出なくなりました。
休みに見舞いに行くものの
このところめっきり目に力が無くなりました。
老いはみんなの行く道ではありますが
病が重なると特に辛いものがありますね。