過日横浜の「シウマイ弁当」で、もりあがっていただきました。
いえ、別に「二匹目のなんとやら」をねらっているわけじゃないんですけどね、
これは今日、ジサマが買ってきてくれました。
新神戸駅発売で、箱には「N700系新幹線弁当」と書いてあります。
新型の車両N700系が、デビューしたそうで…といったって、
私はどこがどう違うのか、さーっぱりわからないんですけどね。
で、ジサマは旅行したのかといいますと、そうではなくて…。
届けてくれたのが朝の10時半、「どーしたの?これ」と聞いたら、
今朝の新聞にはいっていたチラシをみていたら、
近くの大型スーパーで「日本全国うまいもの市」と銘打って駅弁を売る、
というお知らせ…それでジサマは、開店時間に間に合うようにでかけて、
これを買ってきてくれたというわけです。
外側がプラだったらやめようと思っていたそうですが、
ちゃんと「せともの」でした。
これ、見たとおり「お子様弁当」です。
中味はこちら…、ちょっと寄っちゃったんです、すみません。
おかずは小さいハンバーグ、鶏のから揚げ、オムレツ、スパゲティ、
ごはんはチャーハンです。さめてましたけど、まぁまぁでしたよ。
チラシ見てみました。「日本全国うまいもの市」ですが、
「駅弁」「空弁」「道弁」、いま話題ですよねぇ、
「空弁」なんて飛行機に乗らない私はこんなときでないと見ることもないですね。
私は京都に行くときに「シウマイ弁当」を買うくらいですので、
こういう駅弁フェアみたいなものでないと全国のものは買えません。
でも、わずかですが「駅弁」の思い出はあります。
今からもう40年も前のことですが、高校の修学旅行のとき…。
九州一周でしたが、すでに新幹線もあったのに「修学旅行列車」でした。
なんたって朝7時半に横浜を出て、翌朝9時半に長崎着。
26時間かけていったわけで、今じゃ到底…。
で、ちゃんと三度の食事は「駅弁」が出たのですが、
それについてはまーったく記憶がない…、覚えているのは、
とてもお弁当だけでは足りなくて、どこかの駅に止まると買い込んだモノ。
新幹線と違って窓はあきますから、どこかに停車して、
そこに駅弁売りのおじさんがいようものなら、大声張り上げて
「おじさ~ん、おべんとみっつ、おかしおかし!」
なんせ300人の「女学生」です。おじさんたちは黄色い声に呼ばれて、
あっちこっち走りまくり、最後は動き出した列車に合わせて
全速力で走っておつりを渡すという離れ業!
席についてバクバク食べながら「あのおじさん、今日はもう走れないねー」
そういう中で、私と友人は「うどん」を食べました。
たぶん広島アタリではなかったかと思うのですが、
「うど~ん、あったかいおうど~ん、いかがーっすかぁ」の声!
「うどん!ふたっつ!」、どんぶりにうどんを入れて薬味を乗せて、
ポットに入ったおつゆをかける…それだけのものですが、
これが妙においしかったです。関西味ですから、だしがきいてましたねぇ。
帰りも関門海峡手前くらいで「うどん」を食べまして、
私そのどんぶり、ふたつともしっかり持って帰ってきました。
駅弁ではないのですが、旅の懐かしい思い出です。
列車は今はもうない「B(二等)寝台」、三段のベッドになるやつでした。
私は当時の資料、旅館の部屋割り表とか日程表とか、
全部とっておいて、旅行から帰って何年がかりだったか忘れましたが、
それを一冊のアルバムにまとめました。
それがこちら、
まぁ、よーっぽどヒマだったんですね、地図入り、イラスト入りです。
左上の写真は、ずっとおつきあいしてくださった運転手さんとガイドさん。
レシートは、前日みんなで買いに行った「列車内時間つぶし用おかし」のレシート
なんと物持ちのいい…。
で、修学旅行だっちゅーに、もちろん「観光気分全開」で、
こんなおバカな写真も残っております。
これは「天草本渡」の「殉教公園」にある「天草四郎像」、
アルバムのこの写真の下にはコメントが…
私 「おぉ愛しのきみよ、ねぇナントカ言ってよ」
四郎 「あっヒコーキが飛んでる」
天草の皆様、クリスチャンの皆様、四郎様、ごっごめんなさいっ!
修学旅行の宿というと、その専門みたいなお宿が多いのですが、
二泊目の水俣の近く「湯の児温泉」での宿「三笠屋」はりっぱな旅館でした。
私たちのグループが泊まった部屋は「蘇峰の間」といって、
昭和27年に「徳富蘆花」の兄「徳富蘇峰」が泊まった部屋で、部屋の前が海!
広くてとてもいいお部屋でした。しかし泊まったのがとんぼですからねぇ
蘇峰直筆の「額」の前で「徳富蘆花ってさ、ホラなんか鳥の名前
『あけがらす』じゃなくて『はまちどり』じゃなくて…」
「とんぼ、そりゃ『ほととぎす』だよ」
「あーそれそれ、それ書いたヒトだよねー、んでにーちゃんは何したヒト?」
徳富家ご一族様、宿の女将さん、ごっごめんなさいっ!
この「三笠屋」さん、もっとワイドになって現在も営業中、
私が行ったときのパンフはこちら、
ちなみにこのパンフにある部屋料金は、一番高くて4500円、
今はネットで調べたら、4倍くらい…そりゃ無理もありませんね。
ジサマの届けてくれた駅弁を食べながら、
ふっと思い出した遠い日の旅、駅弁ではなく「駅うどん」だったけど、
懐かしい思い出です。皆様はどこのどんな駅弁の思い出がおありでしょうか。
いえ、別に「二匹目のなんとやら」をねらっているわけじゃないんですけどね、
これは今日、ジサマが買ってきてくれました。
新神戸駅発売で、箱には「N700系新幹線弁当」と書いてあります。
新型の車両N700系が、デビューしたそうで…といったって、
私はどこがどう違うのか、さーっぱりわからないんですけどね。
で、ジサマは旅行したのかといいますと、そうではなくて…。
届けてくれたのが朝の10時半、「どーしたの?これ」と聞いたら、
今朝の新聞にはいっていたチラシをみていたら、
近くの大型スーパーで「日本全国うまいもの市」と銘打って駅弁を売る、
というお知らせ…それでジサマは、開店時間に間に合うようにでかけて、
これを買ってきてくれたというわけです。
外側がプラだったらやめようと思っていたそうですが、
ちゃんと「せともの」でした。
これ、見たとおり「お子様弁当」です。
中味はこちら…、ちょっと寄っちゃったんです、すみません。
おかずは小さいハンバーグ、鶏のから揚げ、オムレツ、スパゲティ、
ごはんはチャーハンです。さめてましたけど、まぁまぁでしたよ。
チラシ見てみました。「日本全国うまいもの市」ですが、
「駅弁」「空弁」「道弁」、いま話題ですよねぇ、
「空弁」なんて飛行機に乗らない私はこんなときでないと見ることもないですね。
私は京都に行くときに「シウマイ弁当」を買うくらいですので、
こういう駅弁フェアみたいなものでないと全国のものは買えません。
でも、わずかですが「駅弁」の思い出はあります。
今からもう40年も前のことですが、高校の修学旅行のとき…。
九州一周でしたが、すでに新幹線もあったのに「修学旅行列車」でした。
なんたって朝7時半に横浜を出て、翌朝9時半に長崎着。
26時間かけていったわけで、今じゃ到底…。
で、ちゃんと三度の食事は「駅弁」が出たのですが、
それについてはまーったく記憶がない…、覚えているのは、
とてもお弁当だけでは足りなくて、どこかの駅に止まると買い込んだモノ。
新幹線と違って窓はあきますから、どこかに停車して、
そこに駅弁売りのおじさんがいようものなら、大声張り上げて
「おじさ~ん、おべんとみっつ、おかしおかし!」
なんせ300人の「女学生」です。おじさんたちは黄色い声に呼ばれて、
あっちこっち走りまくり、最後は動き出した列車に合わせて
全速力で走っておつりを渡すという離れ業!
席についてバクバク食べながら「あのおじさん、今日はもう走れないねー」
そういう中で、私と友人は「うどん」を食べました。
たぶん広島アタリではなかったかと思うのですが、
「うど~ん、あったかいおうど~ん、いかがーっすかぁ」の声!
「うどん!ふたっつ!」、どんぶりにうどんを入れて薬味を乗せて、
ポットに入ったおつゆをかける…それだけのものですが、
これが妙においしかったです。関西味ですから、だしがきいてましたねぇ。
帰りも関門海峡手前くらいで「うどん」を食べまして、
私そのどんぶり、ふたつともしっかり持って帰ってきました。
駅弁ではないのですが、旅の懐かしい思い出です。
列車は今はもうない「B(二等)寝台」、三段のベッドになるやつでした。
私は当時の資料、旅館の部屋割り表とか日程表とか、
全部とっておいて、旅行から帰って何年がかりだったか忘れましたが、
それを一冊のアルバムにまとめました。
それがこちら、
まぁ、よーっぽどヒマだったんですね、地図入り、イラスト入りです。
左上の写真は、ずっとおつきあいしてくださった運転手さんとガイドさん。
レシートは、前日みんなで買いに行った「列車内時間つぶし用おかし」のレシート
なんと物持ちのいい…。
で、修学旅行だっちゅーに、もちろん「観光気分全開」で、
こんなおバカな写真も残っております。
これは「天草本渡」の「殉教公園」にある「天草四郎像」、
アルバムのこの写真の下にはコメントが…
私 「おぉ愛しのきみよ、ねぇナントカ言ってよ」
四郎 「あっヒコーキが飛んでる」
天草の皆様、クリスチャンの皆様、四郎様、ごっごめんなさいっ!
修学旅行の宿というと、その専門みたいなお宿が多いのですが、
二泊目の水俣の近く「湯の児温泉」での宿「三笠屋」はりっぱな旅館でした。
私たちのグループが泊まった部屋は「蘇峰の間」といって、
昭和27年に「徳富蘆花」の兄「徳富蘇峰」が泊まった部屋で、部屋の前が海!
広くてとてもいいお部屋でした。しかし泊まったのがとんぼですからねぇ
蘇峰直筆の「額」の前で「徳富蘆花ってさ、ホラなんか鳥の名前
『あけがらす』じゃなくて『はまちどり』じゃなくて…」
「とんぼ、そりゃ『ほととぎす』だよ」
「あーそれそれ、それ書いたヒトだよねー、んでにーちゃんは何したヒト?」
徳富家ご一族様、宿の女将さん、ごっごめんなさいっ!
この「三笠屋」さん、もっとワイドになって現在も営業中、
私が行ったときのパンフはこちら、
ちなみにこのパンフにある部屋料金は、一番高くて4500円、
今はネットで調べたら、4倍くらい…そりゃ無理もありませんね。
ジサマの届けてくれた駅弁を食べながら、
ふっと思い出した遠い日の旅、駅弁ではなく「駅うどん」だったけど、
懐かしい思い出です。皆様はどこのどんな駅弁の思い出がおありでしょうか。
横浜の人間だからなのか、シウマイ弁当は
おいしいと思いますー。時々買ってます。
列車に乗って、ゴトゴト揺られながら、
お弁当を食べるってのも、旅の楽しみですねぇ。
おいしいとかなんとかよりも、
そのシチュエーションですよね。
「記録」、昔は好きだったんですが、
私の性格ですから、たいがい途中で…なんですー。
これも「旅の手記」は、原稿用紙にかきなぐったまま
40年ですわ…。
武者子様
ははは、小さい子って、そういうのありますよね。
「峠の釜飯」って今も人気ですよね。
なんか新幹線が通って、実際の駅では、
売られなくなったとか…なんだかなぁですね。
ところで「お茶」、私の時代は「うっすーいプラ」
その前です。「せともの」でしたよ。
できの悪い萩焼みたいな色した陶器製で、
ぶらさげるところは針金だったと思います。
いやー、年がバレますなーって、バレてるか。
蝸牛様
やーっぱり、どこも似たり寄ったりだったんですね。
やることまで…あははですねぇ。
何を見たか見学したかなんてことより、
友達とのふざけっこやイタズラの方を、
よく覚えています。そんなもんですね。
のんこ様
旅って、する前も、そのときも、その後も、
楽しいものですよね。
父は、旅以外でもどこからか何かもらった、
どっかで食事した…なんていうと、
小さな説明書だの、シールだの、箸袋だのを
全部取っておいて、日記にペタペタ貼ってます。
見ると面白いものですね。
あの三段ベッド、固くて幅が狭くて寝にくかった!
うまこ様
昔から「ボケ・ドジ・おっちょこちょい」ですー。
ほんとにこのお弁当あけてみて笑いました。
写真に見えている「赤と黄色」が
ピーマンなんですよ。ほんとは左側にスパゲッティが
まとめてあったんですけど、
せめて彩りにレタスの半ぴれでもほしかったですね。
ゆん様
はい、たのしー学生生活でしたー。
いや、武者子さまのお返事にも書いたのですが、
私の年代は「お茶はせともの」が、まだありました。
みかんはかわりませんねぇ、
ネットの素材がかわったくらい?
「イイダコの煮付け」ひとつでも楽しみな味があると
それにしますよね、ここでしか食べられないって。
紐も、今のはそうそう縦に裂けますね。
私の若い頃は真ん中緑で両端しろっていう紐が
多かった気がします。あれって紙だったのかな。
駅弁の歴史もおもしろいものですね。
とんぼさん、娘時分からパワフルだったんですね~!!楽しい修学旅行だったんでしょうね!!
駅弁というと、武者子さんが書いておられる・
環境ホルモン丸呑み!
・・だったろう、あの、やたら熱いお茶と冷凍みかんを思い出します。
毎年、母の実家に帰るときに、琵琶湖が見える辺りから売られる幕の内に「いいだこの煮つけ、3匹串刺し」が嬉しくて嬉しくて・・。
アト、あの、紙ともプラともつかないとじ紐を縦に裂く作業も楽しみでした。
とんぼさんのコメント・・・
それにしても子供用のN700系駅弁は楽しいけど、
野菜が不足しすぎだっちゅ~の!
子供の健康をもっと考えてあげようね、お弁当屋さん。
やっぱり、女子高で・・300人
同じくだったので・・・
出来たばかりの新幹線で、大阪まで行ってそこから夜行寝台、帰りは寝台夜行で24時間の旅でした。
駅弁騒動は・・似たようなこと・・してましたよ~~
『 名物 うどんすき そばすき ○○庵 』
それを見た、その頃まだ幼い弟がヒトコト。。。
『 うどんすき? そばすき? だって。うん好きだよー 』
って言ってました。
もうすぐ一児の父ですけどね、今や。
その頃の駅弁。。。
今でも有名ですけど、お気に入りは『 峠の釜飯 』かな。
それと、ペコペコの四角いプラスチック(ビニールに近いくらい薄い)の容器に入ったお茶、ありましたよね。
ほら、取手が付いてて、フタがコップにもなる、ちっちゃいお茶です。
あと、ネットに入ったみかん。。。
懐かしいな。。。
懐かしいです。。。
suzukaさまにご馳走になったシウマイ
弁当とっても美味しかった事を思い出します。
なかなか駅弁を食べてのんびり旅行なんて
めったにしませんから、たまにはいいものですね。
それにしてもよく40年も前の修学旅行の記録
残してありますね~。
物持ちもいいし記憶力もいいと感心いたします。