写真は我が家のお重、左が以前使っていたもの、今は右側です。
ボールペンは大きさ比較。
家中、全部きれいにしようなんぞという「夢物語」はやめて、
とりあえず「お正月」の雰囲気でたしー、このへんでいいかぁ…のワタシです。
明日は9のつく日ですから、お飾りと門松は30日に。
やっぱり「節目」ですから、メリハリはつけます。
これだけはってとこは残したいですから。
実家の事情もあって、毎年お互い作ってはわけっこしていたおせちも、
年々レパートリーは減るし、お店はすぐにあくし、だいたい脂っこいものや
こってりしたものに弱くなりましたし…。
結婚当初に使っていたお重は用がなくなってきました。
写真の左側のものは実家からもらったものなのですが、
すでにそんなにいらなくなって…塗りは気に入っているのですが、
中身少なくなってから一度も使っていません。これの前は、当時子供もいなくて、
独身の友達などもきていたので、料理も多くプラ製の安い三段重を使っていました。
ここ数年は右の小さいものを使っています。
それを出して磨きながら、昔のお正月を思い出していました。
ブログを始めてまだそんなにたっていないころに書いた記憶があるのですが、
しつこくもう一度…。
母の田舎は、京都の今で言う長岡京市です。
昔は「京都府乙訓(おとくに)郡」と言いました。
今でもわずかに田んぼの残る田舎です。
その母の在所では、正月三が日に
「女が台所に立たない」「刃物類は使わない」「掃除をしない」という、
みっつの決まりごとがありました。
母は末っ子で、長兄と16歳も違いましたから、
物心ついたころから、元日から三日間は父親と長兄、次兄が台所に立ち、
おせちもお雑煮も全部用意したそうです。
刃物は包丁はもちろん、はさみも爪切りもだめ。髭剃りはどうしたんだろ…。
掃除は「三が日は家の中に神さんがいてはるから、掃き出したらあかん」です。
思うにこれは、女の仕事はキリも休みもないし、特に農家でしたから、
土日祭日も関係ありません。そういう女性に対する「お休み」だったのだと思います。
よく「女正月」とか「小正月」なんていって、15日ごろですが、
女性だけ集まって…っていうのもありますね。
そんなわけで、横浜暮らしがどんなに長くなっても、
母は全部でなくとも「守れるだけのこと」は守りました。
まぁ男がやる、といっても、父しかいませんから、そのあたりは
私も一緒にみんなでお雑煮作ったりしましたが、刃物は一切使いません。
そのため、大晦日のうちに、お雑煮に使う野菜も鶏肉もみんな「カット」状態で
容器に入れられて保存。そのほかお漬物にしろ、おせちの補充分にしろ、
何から何まで、下準備を全部済ませました。
別に出かける用事がないから、などと縫い物なんぞしようものなら
「縁起が悪い」としかられるし、うっかりなにかこぼしたりして、
どうしても掃除をしなければならなくなると、もーたいへん。
母はまず、掃除機は使わずほうきを使って、こぼれたものを掃き寄せながら
「すんまへん、神さんおいやしたらちょっとだけ、
どいとくりゃっしゃ(どいてくださいね)」と
神さんを塵取りに掃き入れてしまわないように、ブツブツいいながら、
掃除していました。
私も嫁に出て、食生活も暮らしぶりもかわってきて、
いつしか忠実にはやらなくなりましたが、
子供のころから教えられたことというのは、体の芯にしみこんでいるようで、
三が日は刃物を使いながら、掃除をしながら「神さん、ごめんやっしゃ」と
心の内で、つぶやいています。
さて、ゆうべは雨が降りました。
カラカラでしたから、ありがたいですね。
さてさて、手抜きとはいえ、もう少しなんかしなくちゃ…。
よぉし動くぞぉ!お茶飲んでから…(だみだ、こりゃ)。
ボールペンは大きさ比較。
家中、全部きれいにしようなんぞという「夢物語」はやめて、
とりあえず「お正月」の雰囲気でたしー、このへんでいいかぁ…のワタシです。
明日は9のつく日ですから、お飾りと門松は30日に。
やっぱり「節目」ですから、メリハリはつけます。
これだけはってとこは残したいですから。
実家の事情もあって、毎年お互い作ってはわけっこしていたおせちも、
年々レパートリーは減るし、お店はすぐにあくし、だいたい脂っこいものや
こってりしたものに弱くなりましたし…。
結婚当初に使っていたお重は用がなくなってきました。
写真の左側のものは実家からもらったものなのですが、
すでにそんなにいらなくなって…塗りは気に入っているのですが、
中身少なくなってから一度も使っていません。これの前は、当時子供もいなくて、
独身の友達などもきていたので、料理も多くプラ製の安い三段重を使っていました。
ここ数年は右の小さいものを使っています。
それを出して磨きながら、昔のお正月を思い出していました。
ブログを始めてまだそんなにたっていないころに書いた記憶があるのですが、
しつこくもう一度…。
母の田舎は、京都の今で言う長岡京市です。
昔は「京都府乙訓(おとくに)郡」と言いました。
今でもわずかに田んぼの残る田舎です。
その母の在所では、正月三が日に
「女が台所に立たない」「刃物類は使わない」「掃除をしない」という、
みっつの決まりごとがありました。
母は末っ子で、長兄と16歳も違いましたから、
物心ついたころから、元日から三日間は父親と長兄、次兄が台所に立ち、
おせちもお雑煮も全部用意したそうです。
刃物は包丁はもちろん、はさみも爪切りもだめ。髭剃りはどうしたんだろ…。
掃除は「三が日は家の中に神さんがいてはるから、掃き出したらあかん」です。
思うにこれは、女の仕事はキリも休みもないし、特に農家でしたから、
土日祭日も関係ありません。そういう女性に対する「お休み」だったのだと思います。
よく「女正月」とか「小正月」なんていって、15日ごろですが、
女性だけ集まって…っていうのもありますね。
そんなわけで、横浜暮らしがどんなに長くなっても、
母は全部でなくとも「守れるだけのこと」は守りました。
まぁ男がやる、といっても、父しかいませんから、そのあたりは
私も一緒にみんなでお雑煮作ったりしましたが、刃物は一切使いません。
そのため、大晦日のうちに、お雑煮に使う野菜も鶏肉もみんな「カット」状態で
容器に入れられて保存。そのほかお漬物にしろ、おせちの補充分にしろ、
何から何まで、下準備を全部済ませました。
別に出かける用事がないから、などと縫い物なんぞしようものなら
「縁起が悪い」としかられるし、うっかりなにかこぼしたりして、
どうしても掃除をしなければならなくなると、もーたいへん。
母はまず、掃除機は使わずほうきを使って、こぼれたものを掃き寄せながら
「すんまへん、神さんおいやしたらちょっとだけ、
どいとくりゃっしゃ(どいてくださいね)」と
神さんを塵取りに掃き入れてしまわないように、ブツブツいいながら、
掃除していました。
私も嫁に出て、食生活も暮らしぶりもかわってきて、
いつしか忠実にはやらなくなりましたが、
子供のころから教えられたことというのは、体の芯にしみこんでいるようで、
三が日は刃物を使いながら、掃除をしながら「神さん、ごめんやっしゃ」と
心の内で、つぶやいています。
さて、ゆうべは雨が降りました。
カラカラでしたから、ありがたいですね。
さてさて、手抜きとはいえ、もう少しなんかしなくちゃ…。
よぉし動くぞぉ!お茶飲んでから…(だみだ、こりゃ)。
おせちも年々手抜きになってくると
お重に詰めるほどでもないか・・と
出番があるような無いような不安定な
立場のお重です。
うちも元旦のお雑煮は主人がしてくれる
のですが、お野菜を茹でて切って、白みその
味付けもして、準備をしてありますから、
お餅を焼いて温めたらいいだけなので、してくれて喜んでいいのかどうかとず~っと思っています。
地方の出身だけあって、どんなことがあっても杵と臼を出していました。
大晦日前にお雑煮を食べてしまうのは当たり前のように思っていました。
それが今年はなにやら雲行きがあやしそうで…。やらないなら
やらないとはっきり伝えてくれればいいものを、あいまいなため
来年のお餅をどうしていいのやら…。聞けばそれをダシに
無理矢理にやってしまうでしょうしで、戦々恐々です。
錦玉子だけは購入してもう食べております^^;
ああ風情はどこへ…です。
そうなんです。我が家は全部集まっても
5人ですから、この大きさは用がなくなりました。
よくきていた身内が、やっぱり親の介護だの
娘が遠くへ嫁に行っただの…
おつきあいというものは、少しずつ
かわっていくものなんですよね。
我が家も主人にやってと言えば、
嫌がらずにやってはくれるのですが、
「なべどこだ」「皿どこだ」から始まるので
もーいいわ…です。
実家とはエライ違いですわ。
まぅ臼と杵なんて懐かしい…。
あの、餅をつける人がいないそうで。
私まだできますが、相方も難しいんですよね。
町内会で、大人たちが餅つきやってたころが
懐かしいです。
告白します…私も紅白かまぼこに、
テをつけちまいました。
まだもう一個あるしーあははー。