
今年はおせちナシのため…重箱のみの写真です。
ネットみていたらおせちのニュースがあり、そこから飛びましたら…
http://www.asahi.com/national/update/0102/TKY201101020111.html
いや、ひどいもんですねぇ…。結局この会社の社長が辞任したそうです。
「関連」の記事を利用したブログへ行くと動画もついてますが、箱にスカスカ状態が写っています。
注文が殺到しすぎて対応しきれず…というらしいのですが、それにしてもこれはないですね。
ネット販売の読みの甘さだと思いますが、信じられない大ポカです。
お恥ずかしいことに「横浜」ですがな…。
だだ私なんかは、元々おせちって買うものではなかったから、
こういうニュースを眼にすると、今はこういう時代なんだなぁと、そちらのほうに驚きます。
まぁ年に一度の「特別な日のご馳走」ってことで、何万もするおせちを買うのでしょうけれど、
本当は「特別の日」ではなく「新しい歳を迎える日」なんですよね。
歳神さまをお迎えするとか、歳がかわるのではなく「歳があらたまる」のだという感覚、
つまり「めでたい」より先に敬虔なキモチを持って…ってのが土台ムリ??
確かに現代の主婦は仕事を持つヒトも多いし、年末の忙しいときにおせちを作るのは手間だし、
実際私なんかも、それほど敬虔な気持ちがあるかといわれたら…えーと、いやゴメンナサイなんですが、
それだからこそ「歳が改まる」と思う気持ちを、ほんの一種でも手間のかかる料理を作る…みたいなところあります。
こりゃ「贖罪」ですわねぇ…ごめんなさーい。
生活といいますか、お正月の状況もすっかり変りました。私が20代のころは、デパートだって三日間休みでした。
三が日に出かけると、どこも全部閉まっていて、開いているのはいつもの3倍高い喫茶店と映画館だけ。
それがいまや大晦日でも元旦でも、お店は開いてるし、繁華街はいつも以上の賑わいです。
冷蔵冷凍が発達して、保存食の必要もない。お正月に家族が集まるより、友達同士でパーティーのほうがいいとか。
食べ物そのものだって嗜好がすっかり変わっています。
様変わりしていくのは仕方のないことだと思うのですけれど、
今でもお宮参りをしたり、桃の節句、端午の節句にはかざりつけをしたり。
そういう気持ちはちっとも変わっていないのですから、お正月のおせちの意味も、なくなってほしくはないと思いますねぇ。
元々おせちは「節(せち)」の日のご馳走、で神様に奉げるもの。
それを下げさせていただいて、私たちが頂くもの…だから「日持ちするもの」が作られたわけです。
言葉の文化の豊かな日本では、ひとつひとつにめでたい字を当てたり、
その食材の成育や、名前から「福」をもらおうとしました。
えびは腰が曲がるくらいの長寿、数の子は見たまんま「子沢山」つまり子孫繁栄。
昆布は「子生婦(こんぶ)」とあてたり「よろこぶ」とあてたり。結納にも使われますね。
きんとんは「金団」と書くので、財運や富を願うもの。
同じ黄色系の「伊達巻」は金という色が神様への供物としてふさわしいもの(卵も貴重で高価なものでしたし)、
形が巻物ですから「反物」と見立てて衣装にこまらないように、また「書物」に見立てて知恵がつくように、
文化的な恵みの祈りですね。
「やつがしら」は人のかしらとなるように、またイモ類は地下にたくさん子芋をつけますから「子宝、子沢山」
黒豆は「日に焼けてまっくろになるくらいまめに働けますように」(いまじゃUVカット最優先…)
「田作り」は…これ若い方から何回か質問されたことがあります。「魚なのになんで田んぼ?」
これは「片口いわし」が肥料に使われたことに由来します。これを肥料に使うといいお米がたくさんとれる…。
「ごまめ」と呼ぶのは「五万米」、つまり「五穀豊穣・豊作」の祈願、農業国日本ならではの祈りですね。
レンコンはさきを見通す、見通しがいいから。(じゃ、からしレンコンは?って聞かないでぇ)
こんなふうに、ひとつひとつに意味を持たせ、それを神様にお供えして、それのお下がりを頂くことで
家族の幸せや健康をお守りください、という祈りや願いを託した食べ物なんですね。
実は母は料理は得意ではありませんでした。いわゆる料理オンチです。
あれだけ器用な人だったんですけどねぇ、料理は「食べる専門」…。
それでも「おせち」のいくつかは当然のように手作りしていました。
黒豆はいつも皮が破れてましたし、お煮しめは毎年味が違ったし…。
それでもおせちを作りながら、並べながら「これはこういう意味があるねんで」と教えてくれました。
嫌いだなぁと思っていても「縁起もんやし、一口でも食べとき」とか…。
ちなみに父は伊達巻も自分で作る人…。
もう10年くらい前ですが、当時やっと30歳の若い友人がいまして、
毎年できるだけおせちを手作りしているといいました。えらいねぇというと「いや子供が小さいうちだけの予定です」と。
彼女の子供は女の子二人で、当時まだ小学生と保育園児。
彼女は「小さいうちに、こうやっておけば、大人になって『おせち』も知らないのかと恥をかかないと思うし、
女の子だから、若いうちは文句言ってても、いずれ自分にも子供ができたら、
『そういえばおかぁちゃんが毎年こうやってたよね』と、続けてくれるのではないかと思うから」と言いました。
「子供のころのお正月の記憶や思い出の中に、おせちというものを残してやりたいんです」とも。
あぁこういう若いヒトもいるのだと、嬉しくなりました。
あれから10年、下の子も去年高校生になったはず。彼女はまだ手作りしているでしょうか。
それとも「おかあさん、おせちいらない、ローストチキンがいい」なんていわれているのでしょうか。
でも、七五三にちゃんと着物を見せにきてくれた子です。きっと記憶の中にはちゃんと残っているでしょう。
「日本の」「日本人の」お正月、として、伝えていってほしいと思うものは着物だけではありません。
私たちは、何を残してあげられるのでしょうねぇ。
食べかけをわざと撮影して載せたイタズラかと…。
ちがうとわかって、傷つきました。
我が家は諸事情で店主さんお手製おせちをいただいています。
仕様をかえたら、想定外の注文数となってしまい
自信がないの…とおっしゃられてたお品は、今はもう口にできない
「大家族家庭」のなつかしい味わい、おせちとはこういうものだと
もうありがたいやら、あたまのさがる想いをした後だけに
二重に衝撃でした。ネット、通販、システム、外食ほか
人としての根源を傷つけられました。怒りよりかなしさむましさが先にたってしかたがありません。
二度と起こってほしくないです。
わたしもそのご友人と同じですね~子供が小さい間はお正月の雰囲気だけは味わえるようにと。
毎年どったんばったんしながら用意しています。
やっぱり子供が成人した後に、おせちやお雑煮「どんなだった?」という会話に参加できないのって淋しいですよね。
「フツーだよ」って皆言うんですよね^^
自分ちのお雑煮が標準だと思ってて、聞くと皆バラバラ(笑)って。
たしかに買う方が楽だし安いのかも・・・;;
とも思うんですが、通販はやですねえ・・・。
夫婦ふたりだけにでもなれば、近所の美味しい小料理屋さんで作ってもらったおせちで。なんてのも贅沢でいいなあ。と淡い楽しみを思い描いたりしています。
静かなお正月はまだまだ縁遠いようです><
そろそろお餅を水に漬けてきます。
今年も何卒よろしくお願い致します~
ないのですが、顔が見えない分信用が
第一なのに、こういうのってひどいですね。
やっぱり出来る分だけの注文をとるべき
ですね。
結構おいしかったですが、冷静に考えて「おせち」じゃ無ければもっと安いんだろうな、、、
と思って今年は頼みませんでした。
祖母が生きてた時はにしんの昆布巻きとか作るのを手伝っていました。
くわいはおいしくなかったけど、私が目が出るようにと作ってくれるので食べてました。
おせち自体はすっごい御馳走じゃないと思うんですよ。現代では。
やっぱり手作りしてくれた味が御馳走であって贅沢だったなと思います。
小さなお店の手作りなら近いのかもと思いますけど。
どうするとああいうことになるのか…。
確かにお正月までにつかなければ
意味のないものですから、
あせるのはわかりますが、だからって
えぇーい送っちゃえ…はないですよね。
誰か止める人はいなかったのかと思います。
なんかしごとにたいする誇りとかって
薄れてますよね。
こちらこそ、今年もよろしくお願いします。
丸々昔のまんまじゃなくていいと思います。
我が家も、昔からのものは伊達巻とか
ごまめ、たたきごぼうにお煮しめくらいで、
あとは好きなもの作って入れてます。
ひとつでも二つでも、ちょっとそれらしいものをいれて
「おせち」でいいと思うんです。3万とか5万って言われると、
だったら中華街に食事に行った方がいいわって。
お雑煮、ウチは関西と関東が交互に出ました。
白みその甘さ、どうしても慣れません!
結婚してからは関東風の我が家流。
ちなみにさとうの切り餅です。
ほんとに夫婦二人なら、それこそちょっといいものを
ちょこっとね…ですよね。
家族がいっぱいとか、お客様いっぱいなら
利用価値もあるのでしょうね。
ご馳走の用意するより早いし。
でも、少しでも家庭の味の方が…なんて思います。
こういうお店って、こういうことで信用なくしたら、
致命的だと思います。
なにがどうしちゃったんでしょうね。
時代も暮らし方もかわって、
手作りの料理よりケータリング…みたいなところありますからね。
私はごまめときんとんを作らされてましたから
食べるときはいとおしかったですよ。
あれはあそこがおいしいってとこを見つけておいて
使うのも手ですよね。
昆布巻きは夫婦で好きじゃないので、
けっこんしてからは一度もおせちにいれてません。
その家のおせちっていいと思うんですけどねぇ。
毎年、今年は頼もうかしら、なんて高島屋のDMを
読みながら考えるのですが、やはり作れるうちは、と、
思い、お野菜の皮をむき、昆布でお出汁を
たくさん用意して...ですね。
昆布巻きは老舗のものに、きんとんは栗の甘煮に、と、
かえているところもありますが、今は作れる自分を
確かめているところもあるかもしれません。
毎年ちょっとの後ろめたさが後押ししてくれて
頑張っていますし、<おいしい~>のひと言も
生きがいに感じるのです。
出来るかぎり...が、払えるんだから...に
かわってしまう、面倒だから...にかわる、って
寂しく思えるのは歳だけではないような...。
その家庭の味!!っていわれるものがない、
伝承しないが当たり前になっては子ども手当てなど
支給しても...って思えるのは
年寄りの愚痴でも僻みでもなく本心なのです。
家族のごちそうって、きんとんとか昆布巻きなどを
有名店のおいしいものにするのは、
いいんじゃないかと思うんですけど
有名店の海鮮揃えとか
三ツ星シェフの世界三大珍味とかでは
ないと思うんです。
中華おせち、なんていうと「どこのおせち?」と
首をひねります。
日本の味っていうものを大切にしたいと
そんなふうに思うんです。
私は、きんとんをりんごとサツマイモにしてから、
どうもそっちです。子供の味ですねぇ。
それでなくともなんでもできあい、冷凍食品。
家庭の味をいうのに「ウチのシウマイは味の○」、
「ウチはニッス○」…なんてわびしいです。
今年用は作りませんでしたが、
来年のお正月用には、いつもより品数多く
作ってみようかなと思っています。
なんて先の長い話なんでしょ…。