別サイトでのニュースで「今はもうなくなったお菓子」というのがありました。
みましたけれど、だいたいなくなるより前に、発売されたのが私が大人になってから!?
私にとって今はもうないお菓子と言ったら…若い人は「そんなの知らない」ものばかりでしょうね。
トップ写真は「えっなくなったの?」のサイコロキャラメル。
あのころはいろんなキャラメルがあって、よく買ってもらったのが「フルヤ製菓のウィンター・キャラメル」
画像見つけました、お借りします。
記憶では「かっこいいスキーヤーの写真」…だったのですが、ちょっとヘタウマなイラストだったんですね。
パッケージの絵がスキーだし、ウィンターというのは「冬」のことだと父に教えられましたが
「冬のキャラメルなのに、夏でも売ってる」…なんて考えてました。
製造会社が北海道だったのですね。今でも北海道では、なにやら限定であるとか。
そして不二家では「フランス・キャラメル」これ確か「バニラ・チョコ・コーヒー」の三種。
コーヒーは今でも苦手ですが、このころもいくら甘くしてあってもコーヒーが苦手で、
買ってもらっても必ずコーヒー味だけ残す…母に叱られてましたっけ。
ニュースからたどって画像を見て「そうそう、ちょっと大きくなってからこれ食べてたわ」というのが
「ハイ・クラウン・チョコレート」と「メロディ・チョコレート」。
このころはもうテレビCMが盛んでしたから、大手のものが主流になりましたね。
CMソングと共に覚えているのは「大きいことはいいことだ」の「エール・チョコ」、
初代ジャニーズのダンスもはいった「ルック・チョコ」、あれっチョコばっかしだわ。
実は私、子供のころからせっかちで、ずっとなめていなければならない「飴」が嫌いだったのです。
なので、名前で憶えているのは、母が自分用に買っていた「佐久間の缶入りドロップ」、
それとどうしても缶がほしくて、中身は友達にあげてしまった「コーヒータップ」これ。
佐久間では「チャオ」なんてのもありましたね。大人になってからかしら「小梅ちゃん」、たべたことありまへん。
思えば私が子供のころはお菓子に不自由しませんでしたが、その少し前までは、
お菓子なんて夢のまた夢…だったのですよね。
父などは、甘いものがなかったから「アケビ」の種のところをたべたもんだ…なんて言ってました。
里山のあるところの子供たちは、木の実や草の実で甘さを味わっていたわけで…。
今はお菓子でさえ「大人用」なんてのがある時代です。
幸せですよね。とはいえ、ダイエットには大敵…だもんで、これだけ書いても甘いものは「食べてません!」
あぁもう長いことチョコレート食べてないよぅぅぅ。あ、この前チョコプリンたべたわ…すんませんっ。
サイコロキャラメルもなくなったんですか!
しらなかったあ~
いつの間にかひっそりと姿を消してしまうのですね。なんだかさみしい。。。
甘いものは時として欲しくなりますよね。
本当に目の毒です。
我が家は来客が多いのでお菓子は必需品として置いてあるのですが、本当はだれのために?と時々自問自答しています(笑)。
妹にも見てもらいたいです(* ´艸`)
ちなみにワタクシ昭和26年生まれ、夫は25年、妹と義妹は29年生まれでゴザイマス(^^;)
サイコロキャラメル、つい数年前まであったそうなんです。
コンビニのレジの横なんかにありましたよね。
買わないので気にもしていませんでしたが、
なくなったと知ると「惜しい」…!?
栄養的にも「甘いもの」は大事だといいますが、
いくらでもってわけにはいかないんですよねぇ。
あると手が伸びる…魔力を持つものですわぁ。
私は25年ですよぉ。同世代、話がツーカーで通じますねぇ。
ならば「ブタブタ子ブタ おなかがすいた、ブゥ」も、
「わっわっわぁ 輪が三つ」も「ハヤシもあるでよぉ」も
おわかりでしょうねぇ。
最近のCMは、ドラマみたいにオシャレなものが多いです。
パラソルチョコとか、宣伝はなかったようですが、
お米屋さんが配達するプラッシー、「はっぱふみふみ」、
「あー愛のスカイライン~」
いくらでも出ます。楠トシエさん、どうしていらっしゃるんでしょうか・・・
出ますねぇ、あのころのコマソンはパッと思い出して唄えます。
オリエンタルカレーはもう売ってないのかな。
プラッシーはすっぱかったー。やっぱ「リボンちゃんリボンジュース…でしょう。
あっかるーいナショナール、なんである、アイデアル…
あららキリがないですね。
楠トシエさんはは母との年の違いから数えると、今年90とか
それくらいではないかと思います。
かっぱっぱ、るんぱっば…真っ先に思い出しました。
コマソンの女王様ですよね。
10年前にCD出してますしね。まだお元気のようですよ。頼もしいですね。
キリが無いので控えますが、
ナショナルと言えば、プライスクイズ。
かっぱっぱ~♪と言えば小島功さん。
銀行に勤めていた当時、某支店から転勤してきた人が、功さん担当だったそうです。
奥さんが亡くなられて、愛妻家で有名だった功さん、気落ちして筆を執るのがなかなか…という状態で憔悴しておられたので、彼は毎日通い励ましたとか。
お色気たっぷりなのに上品で美しい絵でしたよね。
最近のCMは、確かに映像的にはきれいだし、
世界中の観光スポットや、美人イケメンばっかりだし、
CGなども駆使して、映画のワンシーンみたいなのも多いけれど、
なぜか印象に残らなくて、ハテ、あれは何のCMだっけ…なんて。
私の記憶力の減退かもですが…。
小島功さん、いい絵でしたね。お酒に縁のない我が家でしたが、
あの絵を見るのは好きでした。
スーパーで5個入りだったかありましたよね。
懐かしいなあ。
私24年 丑で~す。
母子手帳みると、晒、石鹸など配給と書いてあります。
ビックリです。
本当でしょうか?
叔父が子供がいなかったせいでしょうか良く来てました。
サクマのドロップもって。
飴無くなると、お水入れて飲んだものです。
「蛍の墓」みたいにね。
先日友人と子供のころの食生活の話になりました。
友人のところは特に変わらないらしい。
私は麦御飯、お芋が入ってたりしました。
はだしで学校いく子が居たり。
友人いわく「田舎は置いてけぼりだったのね」
裕福な家庭だったのかしらと思うことでしたよ。
遊覧船に乗ったら、父が奮発して森永のおまけ付きキャラメル20円也を買ってくれました。
食べ物のことになるとしつこく覚えています(笑)
都市と地方ではいろいろ違いもあったと思います。
母は京都で、大した空襲も知らず農家でしたから、
麦飯でも食べること等困らず
横浜へ出てきたら「焼野原」でびっくりしたと。
配給も、さすがに「さらし」などは私は知りませんが、
お米の通帳は、20代になってもありましたね。
有名無実のものでしたけど。
私は幸い麦飯も知りませんが、おかずはささやかなものだったし、
おやつはふかしイモもありました。
なんでもある現代は、幸せなのでしょうけれど、
やたらと給食を残したり、ファミレスで注文しすぎて手付けずとか…
何か忘れてしまっているなぁと感じます。