さざんか、今年も咲いています。少し遅いかなぁ。
一昨日11月20日は、母の誕生日でした。そして今日22日は、主人の誕生日です。
もう祝う席を設けることもなく、たとえケーキやプレゼントを用意しても、
それを食べたり喜んでくれたりする人もいないわけです。
それでも忘れず気になるのは、やはり家族にとっての記念日だからなのでしょうね。
命の始まった日、そして命の終わった日、人は誰でもこれをもつわけです。
20日も今日も、特別好物を供えることもなく、まったく親不孝ダンナ不幸の私ですが、花は飾りました。
それがまた生協さんの配達日だったのでぴったり、とか、庭に咲いたからとかいう
とんでもない手抜きなんですが…。
幸いにも今の季節だと、母の好きなアルストロメリアが入るのと、
先週のカタログでピンクのバラが入っていたので、楽しみにしていました。いつもよりちょっと華やかです。
主人に供えたさざんかは、ここへ越してきたとき、主人の実家の庭にあったものを移したもの。
主人は、自分の実家の玄関わきにあったこのさざんかを見ながら、毎日通学していました。
こちらの庭に移してからは、ちゃんと見ることもなく過ごしていましたが、
花は毎年ちゃんと咲いてくれています。
この花を見て、主人は自分の中学高校、大学に通っていたころのことを思い出しているでしょうか。
母を送ってもう7年、主人は3年、あっという間でした。
誕生日も命日も思い出をたどる日となりましたが、不思議なことに誕生日に思い出して懐かしむことと、
命日に思い出して懐かしむことが、微妙に違います。
誕生日は、その人の「生きた暮らし」のあれこれ、命日はその人の「生きていた暮らし」のあれこれ…。
同じようでいてちょっと違う…うまく言えないんですけどね。
主人は元気でいたなら今年から年金…でした。私のために残してくれてありがとう・・・です。
サッカー、熱帯魚、音楽、釣り、カメラと…趣味の多い人でしたが、なにひとつ私が続けてあげることもできずにいます。
カメラは主人は始めたばかりで、結局最後のベトナム行きでわずかに写した観光写真だけが残りました。
ん~~カメラセンスは私のほうが絶対上だ、と思う!
もう少し時間があったら、互いの写真の批評などできたかもしれません。
母の思いやぬくもり、主人の思い出や共に過ごした時間のあれこれ、
遺されたものには辛くも悲しくもあり、また嬉しくも楽しくもあります。
二人がもう迎えることができなくなった「年を重ねる」ということ、それをまだできる身であることに感謝し、
長生きしたろやないの…と、気合いを入れている私です。
干し柿、そろそろ仕上がりということで、お正月に神棚、仏壇に上げる分をラップして冷凍しました。
小さいけどけっこううまくできたかな?
お誕生日というのはその方とのいろいろなことが思い出されるものですよね~
とんぼさんの文章を読みながら私がこちらのブログを知った時はまだお母様もお元気でいらしたと、、つくづくと時間のたつ速さに驚くばかりです。
どうぞお二人の分、うんと長生きしてくださいね。
ほんとにあっという間ですね。
なんかついこの前…という気もするんですが、
月日の経つのはほんとに早いですね。
いなくなってみてから、あれこれ細かいことなど
思い出したり考えたりしています。
母は病気で長く寝付いていましたけれど、
主人はある日突然だったので、また違う感慨があります。
二人の分、頑張って長生きしたいと思っています。