写真は「お手玉用に」と、ひっぱりだしてきたハギレです。
無地は黒をあわせようかと…ほかにも絣木綿とか考えています。
作り方は、はじめたら写真とって載せたいと思っています。
上の方に写っているのがこちら。ハギレというより身頃分あるのですが、
いまどきのレーヨンちりめん風の柄ですけど正絹モノ。どんな娘さんがきてたんですかねぇ。
量があるので、出来上がったお手玉を入れる袋にしようかなとか…思っています。
友人に頼まれまして、いくつか作るのですが、使うのは「おばあちゃん」だそうです。
老人施設で使うからとのことでした。
そういうところでは、まぁリハビリもかねたりして、いろいろ手を使うゲームといいますか、
今風のものをやるのだそうですが、あまり楽しそうでもない…。
そんなとき、たまたまお手玉を出したら、もうかなりいろいろわからなくなっているおばあちゃんが、
ひょいと3個とって、お手玉をやりだしたそうで…そのとき目がキラキラしていたと。
いやーお手玉というのは「ジャグリング」ですからねぇ。自慢じゃござんせんが、私2個がやっとです。
お手玉って、なんとなく「和」のイメージで、昔は日本で生まれたものだと思っていたのですが、
実は、生まれは西洋…なのだとか。諸説ありまして、ギリシャともエジプトとも…。
いずれにしても、何千年も前からあるもので、元は「硬いもの」を使っていました。
たとえば動物の骨とか石とか。日本に伝わったのは、奈良時代だそうですが、そのときも硬いもの。
お手玉の基本技はふたつ、「振り技」と「拾い技」で、振るのはいわゆるジャグリングです。
拾い技は、よくやる「おーさらい」のあれ。つまり、一個放り上げて落ちてくるまでに、下においてあるものを拾う。
どっちにしても、やわらかい必要はないわけで、だから石や骨でもよかったわけですね。
日本で今のような形になったのも、江戸時代だそうです。
外国では木製、竹製、編んだものなど、それぞれの土地で調達できるものが使われています。
さて、形ですが、一番お手玉らしいのは、あの二枚の布を十文字に縫い合わせた「座布団型」でしょうか。
縫うのは一番手がかかるんですけどねぇ。あとは俵とかカマスとか…。
大事なのは、手に握りやすく、掴み取りやすく…あまり上手でない私には、そこがわからない~。
とりあえず、一種類ずつ作ってみようと思います。
記憶が薄れ行くことを、とどめるともできずに老いていく人の、少しでも足を止め、
ひととき子供のころの懐かしい思い出を楽しんでいただけたら…そんな風に思います。
母は、自分で作っていました。教えもしないくせに「アンタでけへんの、かんたんやんかぁこんなの」と、
お手玉3個をひょいひょいとやりおってからに…悔しかったっけなぁ…などと、私は私で、思い出しています。
さて、どんな布を使いますかねぇ…。
中身ですか?本来は小豆や数珠玉ですが、今は虫がわくとか、カビがはえるとかを防止するために
「樹脂ペレット」を使います。世知辛い気もしますが、実はしっかり縫っておけば洗える…という利点があります。
チクチクチクと、久しぶりの手仕事です。わーいわーい。(落ち着けって)
おじゃみは、関西圏ですね。母もおじゃみでしたよ。
実際これで遊んだのは、私より少し後くらいまでではないでしょうか。
おはじき、ゴムとび、缶けり、剣玉、メンコ…何にもなくなりましたねぇ。
広島のほうでは(おじゃみ)いいますのよん。
中には小豆が入ってたり、はと麦が入ってたのもあった記憶があります。
玩具として扱う年代から言うと私は中途半端で、しっかり遊んだ事はないんですけど。
はいはい、そういいましたね。
実際取るそうです。通気性もいいということなんでしょうね。
今「アイピロー」で小豆入りのものを売っていますね。
昔の人の知恵、無駄なことはないはず…です。
私の祖母からの話なので いまでは いつの時代だいという感じですが
よーく思い出してみると、私の周囲の女の子、いつもあそんでいた女の子たち、年下ばかり4人いたんですが、
みんなヘタだったような気がします。
一人ちょっと年が上で、たまにしか遊ばないお姉さんがいまして、
その人はうまかったですね。ちょっとした年齢にもよるのでしょうか。
昔は子供を奉公に出すときなど、お手玉や枕にして、大豆や小豆を持たせたそうです。
おなかがすいたらこれ出して食べなさいと。
非常食でもあり、親心でもあったんですね。
私は近くに数珠玉があったので、それで作ってもらってました。
ミシンを出すまでもなくできるので、ただいまあれこれ思索してます。
中身のペレットが少なくて通販で申し込み。早くついてぇ。
昔の中身は非常用でもあったんですよね。平和な時代に生まれてよかったです。
お手玉はほんとにはがきくらいのハギレで作れますから、
色柄みているだけで楽しいです。
3個いけますかぁ。私はおはじき得意だったんですけどねぇ。
子供のころやったことって、何十年たってもできますよ。
つまり何十年たっても、私はお手玉できないわけで…。
作ったら、ヒソカにやってみようと思っています。
遊び道具があまり無いという事もあったのでしょうが
祖母や母は上手でした
なんで その血が途絶えたのか
不器用な私は 上に投げるばかりで 拾えず
二つ
お手玉の中味は小豆
万が一の為 なのだそうです。
そういえば 私の子供の為に作ってくれた小さな枕にも
小豆が入っていました。
それも 万が一の為 なのだそうです。
何(十)年も経ってから 枕を解いて中味を出して見たのですが
虫もつかず しっかり「小豆」してました。
でも さすがに食べる気にはならなかった
ウチの母も、端布でお手玉を作ってくれました。
風車みたいに布を配置して作る…あれは難しくて私は作れなくて、単純に筒状にして上下を縫い縮める俵型を作りましたね~。
中身は小豆か米でした。戦時中幼子だった母の記憶なんでしょうなー。
「いちれつランパン破裂してー日露戦争始まったー…♪」という不穏な(笑)数え歌を歌いながら、振り技をちゃっちゃとやってましたっけ。
私は片手で3個が最高でした。なつかしー。
なんだか、私もお手玉を作りたくなりました。
すてきなお手玉になるでしょうね。
見せて頂くの楽しみです。
ちなみにお手玉は3個まで出来たのですが、
長らくしていないので果たして今でも出来る
ものやら・・・