ひっぱりだしてきた「男物襦袢」、これは過去に一度アップしています。
繰り回しのお話しを書くのに出してきたのですが、そのお話しはまた…ということで、
今日はごらんいただいて笑っていただこうかと…。
これはもう「絵」というより「マンガ」に近いと思います。
おんまさんの足なんかは結構リアルなんですが、
乗ってる人のラインのえ~かげんなこと、フェンスのぞんざいなこと…。
5番と4番の人、前、見てません、こわいですー。
3番の人、これじゃただとびあがってるだけ…ひざはしっかり曲げて、太ももつけないと。
先頭さんのアップです。
まぁそれでも、いかにも「いけっいけーっ」って感じで、楽しい柄です。
後は馬券です。全体を撮っていないのですが、肩線の部分は黒できりっとしまっていて
お客様の観客スタンドが描かれています。
前と袖、袖の上部分が方の続きの黒地、しかもなにやら和風の雲のような感じで、
この袖だけ見てたら、背中の柄は「山水画」を想像させますわ。
実際は前も同じ柄で、「前のめり・猫背・大疾走」です。
男物の襦袢や羽裏には、よく「競馬柄」があります。
いつの世もオトコは…なんていっちゃいけませんが…。
まぁ実際「競走馬」というのは、ホントに美しいものです。
船橋に住んでいたころは、すぐそばが「中山競馬場」でしたから、
子供が生まれる前には、見に行ったりしていました。
初めてサラブレッドというものを見たときは、
あぁほんとに「作られた美しさ」なんだなーと、見とれました。
かなり昔に「馬の記事」を書いてまして(これは着物ブログだっての…)
日本の馬は小さいというお話しを書いています。
日本人そのものが、江戸時代の男性で平均身長150センチちょっとくらいですから、
ちょうどあっていたのかもしれませんが、関が原も川中島も「ポーニー戦」だった…。
だもんで、今、日本では競馬が盛んなのです…「風が吹けば桶屋が儲かる」式のお話し。
つまり、明治で開国したとき、初めて自国の馬が小さいということに気がついたわけです。
なにしろ日本では、江戸時代、馬に一人で乗っていいのは武士だけでしたし、
街道筋で人を乗せるのは「走る」のではなく「馬子が引いて歩かせる」でした。
農耕馬や荷役馬はもちろんいましたが「牛馬」というくらいで、牛も馬も「労力」でした。
北海道の「ばんば」なんて、すごいですよねぇ。
そんなわけで、馬は武士にとって鎧・兜と並んで大切な道具の一つではありましたが、
太平の世の中では戦に使われることもなく、ま、とりあえず「飼ってる」だけ。
改良とか研究というのは、それほど行われていなかったわけです。
ところが、開国してみたら、外国の軍馬は「スゴイ」…。
まだまだ戦車だのトラックだのという時代ではありません。
開国にあわせて、日本にも軍を作り、服も裃だの鎧兜だのを脱ぎ捨てて、
軍服にしたものの…ポニーじゃねぇ…。
年末にNHKで放送された「坂の上の雲」の主人公「秋山真之」の兄、
「秋山好古」は、日本騎兵の父と言われていますが、
フランスで馬術を学び、日本の陸軍の騎兵隊におおいに貢献した人です。
技術の法は人によるわけですが、馬の方は、こりゃいないものはしかたありません、
輸入というカタチをとったわけですが、生き物ですから育てりゃ増えるわけで…。
それでも軍馬ですから、100頭200頭では足りないわけです。
そこで「競馬」を開催することで、日本中でいい馬を育てさせようとしたわけです。
もちろん「いい馬を育てさせーの」「お金も儲かりーの」の一挙両得ねらいです。
これが日本の競馬の「はじめて物語」なわけですが、
最初のうちは、きちんとプロ(当然競馬の国えげれす國のその道の専門家)を頼んで
いろいろ計画し、成功したのですが、その後これをまねて「地方競馬」が始まり、
これが「不祥事」の温床のようになりました。つまり、わいろや八百長ですね。
そんなわけで、一度「ご破算で願いましてはー」になって、
お金をかける競馬はなくなったのですが、その後「ちゃんとやるから」と…。
まぁそんなこんなで復活したというわけで、それが今の「中央競馬会」の元というわけです。
つまり、日本固有の馬が小さかったために、競馬が始まったというわけです。
私は賭け事はしませんが…というより、ほんっとに「運」というものがなくて、
およそ「当たる」ということがありません。机の角なんぞにはいつも大当たりですが…。
友人は同じ駅ビルの、同じ福引で「海外旅行」だの「ナンタラの詰め合わせ」だの、
何度もあてているというのに、ここへきて10数年、毎年ティッシュかお菓子。
おまけにその方面のカンとか記憶力もダメで、トランプの7並べですら、
めったに勝ったたことがない…どうも我が家は先祖代々そのようで、
家訓・賭け事はやってもムダ…。
その反動というわけではないのですが、我が家にはなぜか「馬・競馬・馬券」の柄のものが
何枚もあります、あたらないっての…。
この襦袢は、ほとんどダメージがありません。
だーいぶ前に柄が面白くてとにかく入手したのですが、そのまんまになってます。
袖にちょっとシミがあったりはするのですが、
できればこのまま、男の方に着ていただきたいところです。
とはいえ…男物の古着は需要が少ないですからねぇ。
いっそ女物に仕立てても、おもしろいのではないかと思っています。
帯なら、先頭の猫背お兄さんメインでお太鼓に、ちょうどお太鼓の山が「馬券」です。
なんかいいことありそうな帯に…ならないならない…。
今日は、半日またしてもドタバタです。
明日こそ伸子張り…なんて思っていたら、またしても今夜から「雪」ですって。
平野でも積もります…スコップと長靴の出番です。
繰り回しのお話しを書くのに出してきたのですが、そのお話しはまた…ということで、
今日はごらんいただいて笑っていただこうかと…。
これはもう「絵」というより「マンガ」に近いと思います。
おんまさんの足なんかは結構リアルなんですが、
乗ってる人のラインのえ~かげんなこと、フェンスのぞんざいなこと…。
5番と4番の人、前、見てません、こわいですー。
3番の人、これじゃただとびあがってるだけ…ひざはしっかり曲げて、太ももつけないと。
先頭さんのアップです。
まぁそれでも、いかにも「いけっいけーっ」って感じで、楽しい柄です。
後は馬券です。全体を撮っていないのですが、肩線の部分は黒できりっとしまっていて
お客様の観客スタンドが描かれています。
前と袖、袖の上部分が方の続きの黒地、しかもなにやら和風の雲のような感じで、
この袖だけ見てたら、背中の柄は「山水画」を想像させますわ。
実際は前も同じ柄で、「前のめり・猫背・大疾走」です。
男物の襦袢や羽裏には、よく「競馬柄」があります。
いつの世もオトコは…なんていっちゃいけませんが…。
まぁ実際「競走馬」というのは、ホントに美しいものです。
船橋に住んでいたころは、すぐそばが「中山競馬場」でしたから、
子供が生まれる前には、見に行ったりしていました。
初めてサラブレッドというものを見たときは、
あぁほんとに「作られた美しさ」なんだなーと、見とれました。
かなり昔に「馬の記事」を書いてまして(これは着物ブログだっての…)
日本の馬は小さいというお話しを書いています。
日本人そのものが、江戸時代の男性で平均身長150センチちょっとくらいですから、
ちょうどあっていたのかもしれませんが、関が原も川中島も「ポーニー戦」だった…。
だもんで、今、日本では競馬が盛んなのです…「風が吹けば桶屋が儲かる」式のお話し。
つまり、明治で開国したとき、初めて自国の馬が小さいということに気がついたわけです。
なにしろ日本では、江戸時代、馬に一人で乗っていいのは武士だけでしたし、
街道筋で人を乗せるのは「走る」のではなく「馬子が引いて歩かせる」でした。
農耕馬や荷役馬はもちろんいましたが「牛馬」というくらいで、牛も馬も「労力」でした。
北海道の「ばんば」なんて、すごいですよねぇ。
そんなわけで、馬は武士にとって鎧・兜と並んで大切な道具の一つではありましたが、
太平の世の中では戦に使われることもなく、ま、とりあえず「飼ってる」だけ。
改良とか研究というのは、それほど行われていなかったわけです。
ところが、開国してみたら、外国の軍馬は「スゴイ」…。
まだまだ戦車だのトラックだのという時代ではありません。
開国にあわせて、日本にも軍を作り、服も裃だの鎧兜だのを脱ぎ捨てて、
軍服にしたものの…ポニーじゃねぇ…。
年末にNHKで放送された「坂の上の雲」の主人公「秋山真之」の兄、
「秋山好古」は、日本騎兵の父と言われていますが、
フランスで馬術を学び、日本の陸軍の騎兵隊におおいに貢献した人です。
技術の法は人によるわけですが、馬の方は、こりゃいないものはしかたありません、
輸入というカタチをとったわけですが、生き物ですから育てりゃ増えるわけで…。
それでも軍馬ですから、100頭200頭では足りないわけです。
そこで「競馬」を開催することで、日本中でいい馬を育てさせようとしたわけです。
もちろん「いい馬を育てさせーの」「お金も儲かりーの」の一挙両得ねらいです。
これが日本の競馬の「はじめて物語」なわけですが、
最初のうちは、きちんとプロ(当然競馬の国えげれす國のその道の専門家)を頼んで
いろいろ計画し、成功したのですが、その後これをまねて「地方競馬」が始まり、
これが「不祥事」の温床のようになりました。つまり、わいろや八百長ですね。
そんなわけで、一度「ご破算で願いましてはー」になって、
お金をかける競馬はなくなったのですが、その後「ちゃんとやるから」と…。
まぁそんなこんなで復活したというわけで、それが今の「中央競馬会」の元というわけです。
つまり、日本固有の馬が小さかったために、競馬が始まったというわけです。
私は賭け事はしませんが…というより、ほんっとに「運」というものがなくて、
およそ「当たる」ということがありません。机の角なんぞにはいつも大当たりですが…。
友人は同じ駅ビルの、同じ福引で「海外旅行」だの「ナンタラの詰め合わせ」だの、
何度もあてているというのに、ここへきて10数年、毎年ティッシュかお菓子。
おまけにその方面のカンとか記憶力もダメで、トランプの7並べですら、
めったに勝ったたことがない…どうも我が家は先祖代々そのようで、
家訓・賭け事はやってもムダ…。
その反動というわけではないのですが、我が家にはなぜか「馬・競馬・馬券」の柄のものが
何枚もあります、あたらないっての…。
この襦袢は、ほとんどダメージがありません。
だーいぶ前に柄が面白くてとにかく入手したのですが、そのまんまになってます。
袖にちょっとシミがあったりはするのですが、
できればこのまま、男の方に着ていただきたいところです。
とはいえ…男物の古着は需要が少ないですからねぇ。
いっそ女物に仕立てても、おもしろいのではないかと思っています。
帯なら、先頭の猫背お兄さんメインでお太鼓に、ちょうどお太鼓の山が「馬券」です。
なんかいいことありそうな帯に…ならないならない…。
今日は、半日またしてもドタバタです。
明日こそ伸子張り…なんて思っていたら、またしても今夜から「雪」ですって。
平野でも積もります…スコップと長靴の出番です。
お馬さんの均整のとれた姿、なんとも
美しいと思います。
時代劇を見ていても役者さんが颯爽と
乗っておられるんですが、お馬さんの
背中からだと随分高くて怖いんだろうなぁと
違う事を考えながら見てしまいます。
んが・・・・同じ長じゅばんだというのに、男物を女物に仕立て替えるのって、結構大変なことなんですよねぇ。
一度やりましたが、生地が安く手に入ったというだけで、仕立ては生地からの新品とほとんど変わりませんでした。
競馬、大昔に一度男の子たちに連れられて府中に行ったことがありましたっけ!
悪運強い私は、ちょこっとですけど勝ちましたねぇ。
これでのめり込まなかったのが不思議なんですけど、当時は若い普通のネェチャンなど競馬場にはほとんど見かけませんでしたので、一人で行く勇気は無かったんだと思います。
これこそが、ラッキー!かも?!
横浜の桜木町に「場外馬券売り場」があるのですが
昔オットと行ったとき、ちょっと異様な雰囲気に
怖い思いをしました。
近くの喫茶店にはどこもテレビが必ずあって、
お客さんは、耳に赤鉛筆をはさんだ
おじさんたちばっかり…、
真剣な表情で競馬新聞見てるんです。
それがいまやナントカいうしゃれた建物ができ、
通りも整備されて、家族連れとか
若い女の子なんかも気軽に歩けるようになった…
そうなんですけどねぇ…行ってません。
オットは「らくだ」に乗ったことがあるんですけどね、
けっこう高いぞって言ってました。
私は象さんの背中なら乗ってみたいと思います。
そう、男物って、なんでも「男専用」って感じですね。
自分でやらないから気楽なもんですが、
こんな風に柄合わせの必要なものは
なおさらだと思います。
よくわかってないくせにヘーキで言う私って…。
陽花様のコメントでも書いたのですが、
昔はどうにも女一人で歩くのはこわかったところが、
みなとみらいナンタラで、きれいになったようです。
といったってねぇ…運ないし~デス。