近くに落ちたそうです。ピカッ・バリバリ・ドッシーンってあれですね。
あれが何回かありましたので、停電を心配しましたが、
おかげさまで我が家は大丈夫でした。
でも、こちらは夜中も遠くでちょっとゴロゴロ聞こえたり、
今朝は早くからまたまた土砂降りで、ピカピカゴロゴロ…。
朝からなんて珍しいですよね。
そんなわけで、ずっとPCも閉めていました。
自然には、勝てませんねぇ。
さて、昨日は1時ごろまで「選挙速報」を見ていました。
まぁ予想通りではありましたが、なんか「わかりきってるのに白々しい」
とでもいいますか、内閣支持率は限りなく右肩サガリで、
しかも直前にあれこれ不祥事はあるわ…。
それで自民圧勝なんて、考えていなかったと思います。
考えていたとしたら、それこそ「身の程知らず」です。
阿部さんが今朝会見していましたが、記者の質問に対して答えても、
なんというのでしょうか「答えになっていない」と言いますか、
よく耳にする「深く反省し」とか「真摯に受け止め」とか
「私の使命」とか…そういう言葉しか聞こえませんでした。
なんか「あっそうなんだ」とか「そうするつもりなんだ」とか、
そういうものがない、こっちの心にストンと落ちてこないんですよね。
元々あの大臣サマたちの一件にしても「規則にのっとって報告してる」と、
阿部サンまでもがそういいましたが、
それで納得してもらえると思っているというのではなく、
それをタテにしてなんとか乗り切れ、しらっぱくれろ、
規則が守ってくれる、でしたよね。もうずっとそうですね。
郵政民営化にしても、障害者の支援制度にしても、年金しかり、
大臣の不祥事しかり、なんかイロイロ言葉をならべるのだけれど、
ちっともココロにもアタマにも響いてこない。
とにかく今ウダウダ言われている、この時期さえ通り過ぎてしまえば…
という感じです。
総理と言うのは、自分がやめるといわなければ辞めさせられないのだそうです。
そりゃまぁ「責任の取り方」と言うのはやめることだけではありませんが、
今の安部さんのお話を聞いていると、この選挙での民意を、
どれだけわかっているのだろうか…と、それが見えてこないんですよね。
住民票の移動も忘れて選挙3年も棄権している人に、
「出てくれ」といったほうも言ったほうなら「出るほうも出るほう」、と
これまたそんなことを言われてしまう、そりゃしょうがないですよ言われても。
それがまた当選しちゃったんですから、世の中よーわかりまへんが。
混沌として何も見えてこない、私は少しでも盛大に
票がバラけてくれることを祈りながら投票したんですが、
なんだかなーの結果です。
ところで、今回の横浜市の投票率は、平均で57パーセントくらいでした。
4割ちょっとの人が棄権しているわけです。
もちろん、本当にやむをえない事情で投票できない人も入るとは思います。
でも、もし「誰に入れても同じ」とか「選挙したって変わらない」と思って
棄権したのなら、それは大きな間違いだと思います。
棄権と言うのは、文字通り「権利を棄てる」ことです。
つまり、すてちゃったら、あとで文句は言えないのです。
先日、外国では棄権すると罰金、という国もあると知りましたが、
本当に「国」に住んでいるなら「勝手にすれば」はないと思います。
選挙にいかなければ、本当は税金が上がろうが、憲法が変わろうが、
何もいえないはずなんです。参加していないんですから。
確かに「どれも納得できない人ばかり、誰も入れる人がいない」と
そんなときもあります。私、そういう時は「無効票」になろうがどうしようが
「該当者ナシ」と書いて投票します。それが私の意志だからです。
当然、私の票はカウントされませんが、何かあっても
「だから誰も信用できないと言ったのよ」といえますから。
本当は「該当者ナシ」とか「白票」も、それはそれでカウントして、
選挙結果に出せばいいとずっと思っています。
つまり「これだけの『今の政治家には信頼できる人がいない』
と考えている人がいる」というカウントです。
おかしいと思いませんか、
たとえば10000人の人がいて、投票率50パーセントなら、
5000人しか投票していない、そのうちの2500票とって「当選!」と
だるまに眼を入れて万歳三唱しても、ほんとは4分の一の支持しかないんです。
残り7500は、「ほかの人」か「だれでもいいよ」なんです。
「誰でもいいよ、じゃない、誰もいないんだよ」の票もカウントして、
いかに信頼されているかいないか、それを数で見てほしいと思うのです。
「誰も信じられるか、誰に入れたって同じじゃないか」も、投票してほしいし、
またそれをカウントもしてほしいと思うのです。
当選するかしないかは、そのときの投票されている数だけしか見ていません。
だからこそ「ほかに入った票」「いれてもらえなかった白票」の重さを
しっかりと感じ取ってほしいと思うのです。
いつから投票率はこんなに下がり始めたのでしょうか。
先人たちが、最初はお金持ち・分限者といわれる人しか選挙権がなかったのを
おかしい、と時間をかけて正し、やがて「男だけが参政するのはおかしい」と
女性の選挙権も勝ち取ってくれたのです。
今や誰もが持っているものなのに、その価値を棄ててしまう棄権、
もう一度よく考えてほしいと思います。
「ある外国では棄権すると罰金」と言うのを知って、
私は思わず「町内会の回覧で『棄権した人』一覧表くばりゃいいのに」と
思ってしまいました。期日前投票・不在者投票など、方法があります。
それでも行かれぬものになんとか投票させよ、と
そういう声をあげていく必要もあると思います。
私の息子は、りっぱに選挙権があるのに、本人が知的障害が重くて
一般的な事象や文言の判断がつかないために、一度も投票できていません。
毎度選挙のたびに来る「投票のお知らせ」を見るたびに、
「もったいない」と思うのです。
だからと言って私が代わりに二票入れることはできないのです。
一人たった一票しかないたいせつなもの、次回の選挙は投票率が、
うんとあがってほしいものです。
あれが何回かありましたので、停電を心配しましたが、
おかげさまで我が家は大丈夫でした。
でも、こちらは夜中も遠くでちょっとゴロゴロ聞こえたり、
今朝は早くからまたまた土砂降りで、ピカピカゴロゴロ…。
朝からなんて珍しいですよね。
そんなわけで、ずっとPCも閉めていました。
自然には、勝てませんねぇ。
さて、昨日は1時ごろまで「選挙速報」を見ていました。
まぁ予想通りではありましたが、なんか「わかりきってるのに白々しい」
とでもいいますか、内閣支持率は限りなく右肩サガリで、
しかも直前にあれこれ不祥事はあるわ…。
それで自民圧勝なんて、考えていなかったと思います。
考えていたとしたら、それこそ「身の程知らず」です。
阿部さんが今朝会見していましたが、記者の質問に対して答えても、
なんというのでしょうか「答えになっていない」と言いますか、
よく耳にする「深く反省し」とか「真摯に受け止め」とか
「私の使命」とか…そういう言葉しか聞こえませんでした。
なんか「あっそうなんだ」とか「そうするつもりなんだ」とか、
そういうものがない、こっちの心にストンと落ちてこないんですよね。
元々あの大臣サマたちの一件にしても「規則にのっとって報告してる」と、
阿部サンまでもがそういいましたが、
それで納得してもらえると思っているというのではなく、
それをタテにしてなんとか乗り切れ、しらっぱくれろ、
規則が守ってくれる、でしたよね。もうずっとそうですね。
郵政民営化にしても、障害者の支援制度にしても、年金しかり、
大臣の不祥事しかり、なんかイロイロ言葉をならべるのだけれど、
ちっともココロにもアタマにも響いてこない。
とにかく今ウダウダ言われている、この時期さえ通り過ぎてしまえば…
という感じです。
総理と言うのは、自分がやめるといわなければ辞めさせられないのだそうです。
そりゃまぁ「責任の取り方」と言うのはやめることだけではありませんが、
今の安部さんのお話を聞いていると、この選挙での民意を、
どれだけわかっているのだろうか…と、それが見えてこないんですよね。
住民票の移動も忘れて選挙3年も棄権している人に、
「出てくれ」といったほうも言ったほうなら「出るほうも出るほう」、と
これまたそんなことを言われてしまう、そりゃしょうがないですよ言われても。
それがまた当選しちゃったんですから、世の中よーわかりまへんが。
混沌として何も見えてこない、私は少しでも盛大に
票がバラけてくれることを祈りながら投票したんですが、
なんだかなーの結果です。
ところで、今回の横浜市の投票率は、平均で57パーセントくらいでした。
4割ちょっとの人が棄権しているわけです。
もちろん、本当にやむをえない事情で投票できない人も入るとは思います。
でも、もし「誰に入れても同じ」とか「選挙したって変わらない」と思って
棄権したのなら、それは大きな間違いだと思います。
棄権と言うのは、文字通り「権利を棄てる」ことです。
つまり、すてちゃったら、あとで文句は言えないのです。
先日、外国では棄権すると罰金、という国もあると知りましたが、
本当に「国」に住んでいるなら「勝手にすれば」はないと思います。
選挙にいかなければ、本当は税金が上がろうが、憲法が変わろうが、
何もいえないはずなんです。参加していないんですから。
確かに「どれも納得できない人ばかり、誰も入れる人がいない」と
そんなときもあります。私、そういう時は「無効票」になろうがどうしようが
「該当者ナシ」と書いて投票します。それが私の意志だからです。
当然、私の票はカウントされませんが、何かあっても
「だから誰も信用できないと言ったのよ」といえますから。
本当は「該当者ナシ」とか「白票」も、それはそれでカウントして、
選挙結果に出せばいいとずっと思っています。
つまり「これだけの『今の政治家には信頼できる人がいない』
と考えている人がいる」というカウントです。
おかしいと思いませんか、
たとえば10000人の人がいて、投票率50パーセントなら、
5000人しか投票していない、そのうちの2500票とって「当選!」と
だるまに眼を入れて万歳三唱しても、ほんとは4分の一の支持しかないんです。
残り7500は、「ほかの人」か「だれでもいいよ」なんです。
「誰でもいいよ、じゃない、誰もいないんだよ」の票もカウントして、
いかに信頼されているかいないか、それを数で見てほしいと思うのです。
「誰も信じられるか、誰に入れたって同じじゃないか」も、投票してほしいし、
またそれをカウントもしてほしいと思うのです。
当選するかしないかは、そのときの投票されている数だけしか見ていません。
だからこそ「ほかに入った票」「いれてもらえなかった白票」の重さを
しっかりと感じ取ってほしいと思うのです。
いつから投票率はこんなに下がり始めたのでしょうか。
先人たちが、最初はお金持ち・分限者といわれる人しか選挙権がなかったのを
おかしい、と時間をかけて正し、やがて「男だけが参政するのはおかしい」と
女性の選挙権も勝ち取ってくれたのです。
今や誰もが持っているものなのに、その価値を棄ててしまう棄権、
もう一度よく考えてほしいと思います。
「ある外国では棄権すると罰金」と言うのを知って、
私は思わず「町内会の回覧で『棄権した人』一覧表くばりゃいいのに」と
思ってしまいました。期日前投票・不在者投票など、方法があります。
それでも行かれぬものになんとか投票させよ、と
そういう声をあげていく必要もあると思います。
私の息子は、りっぱに選挙権があるのに、本人が知的障害が重くて
一般的な事象や文言の判断がつかないために、一度も投票できていません。
毎度選挙のたびに来る「投票のお知らせ」を見るたびに、
「もったいない」と思うのです。
だからと言って私が代わりに二票入れることはできないのです。
一人たった一票しかないたいせつなもの、次回の選挙は投票率が、
うんとあがってほしいものです。
さらに、息子さんの選挙権・・・我が家もまったく同様でありまして・・・・、これまでは、白紙投票をさせるしかなく、今は、寮生活で、住民票を移したので、選挙場所が異なり、今回はまったくの棄権となりました。
29歳になる一人息子、知的障害者施設ですごし、週末帰宅するという生活をしております。
私が住んでいるのは里山で、隣のうちの冷蔵庫の中身まで知ってるんじゃあ・・?というような付き合い。投票率は94%くらいが常識です。
・・そして、投票先は「しがらみ」によって選ぶ、これも常識です。
お年寄りばかりで、まともに「締め付けられてる」方、自らが、痛い足を引きずって投票所に向かい、総理が属する政党に一票を投じ、また、膝を押さえながら帰っていかれる。
「自民なら、もう、戦争せんやろ?」と近所のおばあちゃん。なんと答えていいかわからなかった。
政治家(の全てではないけれど)は、「ささやかなしあわせ」の重みを知らない。優しいふりして煮え切らなくって、気がついたらわがままが通してた・っていうタイプは恐ろしいです。
同感です!
東京の結果には、最後に腰を抜かしそうになりました
私は、死に票と分かっていても投じ続ける頑固者ですが、八十四歳になる父は前回の選挙からはやや考えを変え、現状(現選挙区制度)での民意を伝えるための妥協を選択しているようです。
うぅ~ん…父のほうが、頭が柔らかい
小泉さんの様にあおるのが上手なだけの人もいて、それに乗る国民も。
演説の上手かったヒットラーにかき回され手痛い傷を負ったドイツの人たちはその経験を生かしています。
日本人が本当の民主主義に目覚めるにはもっと手痛い体験をせねばならないのかと思うとゾッとします。
名簿に書いてほしいと頼まれます。
これで票を読もうと考えているの
でしょうか・・・義理で名前は
書いても投票は自分の意思でこの人と
思う人に投票いたしました。
客寄せパンダのクセに、これから税金で服買う気かっ!!
・・・・・・。
失礼しました、落ち着けあたし。
確かに、お年寄り世代は自民を支持してる方って多いですね。
やはり、戦後の日本を立て直したのは自民だ、みたいな思いがあるのでしょう。
阿部さんの言葉って、ホント心に響かないですよね。
いゃ、森とかいうオヤジよりはよっぽどマシなんだけど。
『棄権した人一覧表』いいですね、それ。
ちなみに、あちらのお国でもやはり棄権する人はいます。
ただ、事前に『なぜ選挙に行かれないのか』書面での提出が必要です(今でもそのシステムに変わりがなければ)。
要するに、誰に入れても同じ、とか、興味がないから、とか、そういう理由での棄権は認められない、というコトですよね。
もし日本でこの罰金制度導入したら、金額的には消費税くらい廃止にできるかも知れませんねぇ。。。
障害者との暮らしでは、何かと行政の矛盾や不備に
突き当たり、そのたびにもがいてももがいても、
ちーっとも変わらない。
選挙のたびに、二票いれさせんかいっ、
息子もアタシと同じかんがえじゃーっといいたい!
ゆん様
私は10年前まで、「金権選挙」が横行している
といううわさの高い「市」におりました。
新興住宅に住む新しい市民たちは、
それなりに考えましたが、古くからいる地の人は、
人格よりも、施政方針よりも「つきあい」…。
それが見え見えの選挙で、びっくりしました。
上もかわらなきゃいけませんが、
国民もかわらなきゃいけないんですよね。
MH様
本当に、無関心はいずれ自分の身に降りかかってくる
そういう危機感が薄れているように思います。
自分の国なのにねぇ。
otyukun様
「平和ボケ」という言葉がありますが、
なんだかずっとぬるま湯につかっているから、
ぬるくてなんとか沸かさなきゃということも、
熱すぎてやけどしそうだ、ということもない。
なににつけ緊張感も危機感も、
薄れている気がします。
大丈夫なんですかねぇ…
いや、ひとごとじゃないんですが。
陽花様
そうそう、うちにもそういうときだけ
昔なじみみたいな顔してくる人がいます。
それで数に入れているんでしょうが、
なんかヘンですよね。
本当は「お願いします」といわれて、
「はいいいですよ」ということは
ないはずなんですけどねぇ。
武者子様
あれには笑いましたね。
潔く「これでは私選挙に出られません」っていえば、
まだよかったのに…。ま、いえないとは思いますが。
棄権したら罰金って言うのも、実は情けない話ですが
いや、よそのお国を責めるつもりはありませんけれど
要するに「それだけとっても大事なことなんだよ」
という警鐘やアピールにはなると思います。
「愛国心」なんていうと、オイオイといわれてしまう
そんな時代ですけれど、自分の生まれた町や
育った町がスキだってことは、
その国がスキだってことだと思うんですけどね。