ひどいニュースを見ました。先月のことだそうです。
修学旅行生などに、長崎の原爆について、いわゆる「語り部」をなさっている方が、
グループに分かれた横浜市の公立中学校の生徒を、原爆遺構に案内していたところ、
別のグループの少年5人がきて、暴言を吐いたのだそうです。
原文では…
「森口さんは10人ほどを爆心地から600メートルほどの山里小学校へ案内。
原爆で多くの児童が亡くなった話を始めようとした際、
この班とは別行動をしていたはずの男子生徒5人が近づいてきて、
うち数人が「死に損ないのくそじじい」と大声を上げた。森口さんは話を聞くよう注意したが、
5人は周りの生徒に向けて「笑え」「手をたたけ」などとはやし立てた。
男性教諭も注意したが暴言は続き、山里小では案内ができなかったという。」
この方は学校に抗議し、校長は電話で謝罪した、とありました。
この5人、きっと一人では何もできなかったと思います。
それにしても「教師が注意しても」…今の時代、襟首掴んで土下座させて謝らせたら、
教師の方が罰せられますからねぇ。生徒だってそれを知っているからズにのるわけです。
校長が電話で謝罪した…のあとが書かれていないので、ほんとのところはわかりませんが、
これで終わったら…ヘンです。
それをやったことは、言われたご本人も教師も見ているのですから、
親も子も呼んで、本人たちに謝罪させて当然と思いますが。
こういうことが起きると「親の顔がみたい」と、いつも思います。
本当に見たいのではなく、昔から「子供見れば親がわかる」「子供は親の背中見て育つ」というのです。
このニュースに対しても「きっと親もおんなじだろう」とか「こういう生徒の親はモンペアだろう」とか、
そういう意見がありました。まだ中学生なら、大人になる一歩手前です。
実は一番大切な時期です。親がちゃんと育てていないから…と、私なんかはすぐ思います。
別のニュースで、自殺した生徒が残した作文に「怖いのは空気」と書いてあったそうです。
抜粋の文からさらに抜粋で…。
空気
いじめの加害者の気持ちを想像してみた。主な理由は二つほど考えられる。
一つ目は、いじめという行為が楽しい。「相手の反応がおもしろい」などがよく補足としてつけ足される。
このての加害者は恐らく、自分がその苦痛を知ることでしかやめないだろう。
二つ目は、周りの友達に合わせているからだと考えられる。
そう、ほとんどの人が自分が嫌われないように生活しているのだ。
もし、少しでも友達が嫌いな子に優しくすれば、そのことを責められ、
今度は自分がいじめの対象になるのではないかという不安と恐怖にかられる。
それの連鎖がおこるから、周りの人に合わせるといじめがおこる可能性があると思う。
もっともたちが悪いのは後者の方だ。なぜなら、いじめが完全に終わることがほとんどないからだ。
対象者は移り変わってもいじめは続く。
では、いじめの原因は何かを伝えよう。それは「空気」だ。
これが目に見えないものだから恐ろしい。いじめをしなければ自分がやられてしまうという空気、
いじめに参加しないといけない空気。いじめの加害者、主犯でさえも空気によって動かされているのだ。
長崎の一件で、私は教師が注意しても…のくだりで、今の教師が「体罰禁止」という枠に縛られ、
言葉で制するよりない…という状況を想像しました。
その教師が「はらわた煮えくり返る思いで言っていた」か「一応言うだけは言ったからな」か、
そこまではわかりませんが、彼らは先生が手が出せないのがわかっているから、
やめようとはしなかったのでしょう。
だったら…なぜほかの生徒たちが「あんたたち、そんなこと言うのやめなさいよ」とか、
そんな風に言わなかったのか…それが「空気」なんですね。
余計なこと言って、あとでいじめられたら、真っ先に口だして、何かいわれたら…。
誰かをいじめていても、こんな「悪さ」をしても、誰も何も言わない…。
エスカレートするはずです。
昔母がよく言ったことですが…
「子供ちゅうもんは、生まれたときに真っサラな帳面(ノートと言わないところが大正生まれ)持ってる。
その帳面に、親が毎日いろいろ大事なことを書いてやるんや。
ちょっとずつ大きなっていくのに合わせて『挨拶すること』『なんかしてもろたらありがとうと言うこと』
『わるいことしたらごめんなさいと言うこと』『命は大切にすること』『人に迷惑かけないこと』…。
そうやって生きてく知恵を書いてやったら、そのうち自分で書きこめるようになっていく。
そのときもし『人のもの盗んでも悪くない』なんて書きこむ子になったら、
最初に親が書いたことが間違ってたぁいうことや。だからしっかり正しいことを書いたらないかんねん。
親の責任は重いねんで」と。
この暴言を吐いた子供たちの親は、何を書きこんだのか、何を書きこまなかったのか…。
そんなことを思うのです。子供に反抗期があるのは当たり前のことで、
それがなければ自立はゆがみます。大変な時期を、どの親子も過ごします。
そのとき、その暴風域を抜けるための力は、親が最初に何を書きこんだか…で、違うと思います。
「言うことを聞かない」それがいつの間にか「あんなこともあったね」になる、
親が書きこんだことのうえに、それを基本に自分で書きこむ、その力をつけてやることが、
親の務めだと、私は思うのです。
いつまでたっても赤ちゃんのような子供しか育てていない私ですので、
表だってこういうことは、あまり言いませんが、私自身が「子供」の立場であったことは事実です。
だから子の立場として、親にちゃんと育ててもらうことの大切さ、は感じているつもりです。
被爆者は、自身の悲惨な経験を、実際には思い出したくもないかもしれません。
それでも、大切なことを次代に伝える、未来につなげる…そのために、
つらい思いを抱えていても、一生懸命言葉にしているのでしょう。
それに対して「死にぞこない」は、暴言どころか被爆者のすべての命の尊厳を踏みにじる言葉です。
彼らが今の福島原発の事故を、どう思っているのか、きいてみたいものです。
暗澹たる思いで、記事を読みました。
願わくば、このあと、彼らに対して本当に大切なことを誰かがちゃんと新たに書きこんでくれていれば、
そしてそれを、彼らがちゃんと理解して読んでくれれば…そんなことを思いました。
追記…さきほど新しいニュースの記述がありました。
「森口さんらと最初に対面した際、男子生徒の一人の態度が悪く、
森口さんから「出て行け」としかられた経緯があったと説明。
暴言について「逆恨みをして言ったのだろうが、許される言葉ではなく反省を促したい。
十分な指導ができず申し訳ない」と話した。
今後、生徒の感想文とともに校長の謝罪文を森口さんに送るという。」
なんかヘンですよね。「逆恨みをして言ったのだろうが」…あー自分たちは悪いと思ってないわけね。
最初からふまじめだったのでしょう。本人たちは、さして悪いことをしたとも思わずに…
そのあたりが、だからちゃんと教えてもらってない…なんだって。
このお母様だったからこそ、今のトンボさんなのですね。
かなうなら、お母さまにお目にかかってお話を伺いたかったと、しみじみ思ったことです。
世の中の「ここが変」を言い出したらキリがありません。
いやな時代になったと思うか、まだまだ日本人も捨てたものじゃないと思うか・・・後者でありたいものですね。
丁度同じ時期に長崎へ修学旅行に行き、被爆者の方の体験談を聞き、被爆した小学校を訪れた者として、胸が痛みます。
上記も追記部分にあったものですが
この部分を読んだ時に
おい おい 校長先生 それで良いのか???
そして
とんぼさんが追記された箇所を読んだ時
逆恨み?
何故にそこで
逆恨みという言葉が出て来るの???
と
ついつい校長の言動にも憤慨した私です。
校長も
立場が弱い教育者? なんですかねぇ…
この手の問題が起きると学校側の人間、ほとんどが校長先生ですがーーお詫び会見のようなことをしますが、いつも違和感を感じます。
申し訳なかったという気持ちが伝わらないというか。。。。
今回の事ももちろん悪いのは子供ですが、それに対する大人の態度が問題のような気がしますねえ~
とんぼさんのお母様の言葉、身に染みました。
明治の女に育てられた母は、それでも末っ子だったから
甘やかされたと言ってました。
そのわりに、私にはもーーー厳しかったです。
リアルタイムでは「うっさいなぁもぉ」と思っていましたが、
ある程度の年までいくと、恥をかかずに暮らせるのも
親のおかげだと、つくづく思います。
先ほども女性教師が盗撮され、犯人は校長とか。
もう「誇り」とか「プライド」とか、ないんですかね。
ほんとに「まだまだ捨てたもんじゃない」…
ということが一つでも多いことを望みます。
何処にもいるのだろうとは思いつつ、
彼らの人生の貧しさを思います。
このまま大人になったら、貧相な人生ではないかと。
教師の立場も大変なのだとは思いますが、
あまりにだらしなくて、情けないです。
いっそ保身かと思えば、ちっとも保身になってないし。
どこか「学校人間の常識」みたいなものに、
毒されてる気がしますね。
なんというか…体罰のこともそうですが、
こまごまあれこれ「いい、ダメ」と決めて、
自分たちで、がんじがらめになっている気がします。
だから、謝罪会見も、ことことでもよけいなことを
言わないように…というのがみえみえで、
「伝わってくる言葉」がありません。
日本はどこかおかしいです。